3. 領地アルゴート
クレオの得た《富の泉》は極めて優れており、どこに出しても恥ずかしくないレアスキルだった。
そのスキルは付与された時点のレベルでもひび割れた大地に草を芽吹かせる事ができる。
修練を積めば、枯れた湖は美しい水で満たされ、砂漠に恵みの雨をもたらすことも可能だと言われる、領主としては最良のスキル。
父親のアルフォンスのスキル《豊穣の風》と組み合わせれば、もはや向かうところ敵なしだと思われ、既に街では「フェルバッハ領の未来は約束された!!」と大騒ぎになっていた。
「どうされましたか、兄上? なにやら顔色が悪いようですが? これはいけませんな、早くおやすみになられた方が良いのでは? 《目覚まし》のスキルでスッキリ起床されたらよろしいと思います。ああ、いや、失礼。くくっ、まったく、兄上は人を笑顔にする天才ですなぁ」
「ぐっ……。クレオ、お前……」
実の弟の言葉とは思えない汚い刃は、カイトの心を確かに切り裂いた。
だが、これまで人を憎もうと思った事もなければ、人を恨んだ経験もないカイトはこの打ちのめされた心の動かし方が分からない。
「カイト様。クレオ様。旦那様がお呼びでございます」
睨み合いを続けていた兄弟の元へ、執事長がやって来た。
彼はカイトが幼い頃から熱心に学問を教えてくれた老紳士であり、もしかするとこの状況を見かねて助け船を出してくれたのかと彼は思った。
「そうですか、父上が。お待たせする訳にはいきません。兄上、参りましょう」
「あ、ああ。そうだな」
アルフォンスが重要な話をする際、これまでは執務室へと呼ばれていた。
だが、今回の行き先は貴賓室。
ならばそれほど大した用事でもないのだろうか。
そんなカイトの願望はまたしても崩れ去る。
貴賓室にはアルフォンスの他に、母であるマルグレーテ。
さらに執事長。加えてレイオット区の区長を務めている伯父、ケスラーが顔を揃えていた。
カイトの望みは神託を受けた日から1度として叶わない。
だが、悪い予感は全て的中していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「来たか。クレオ。……カイトも」
アルフォンスは役者が揃ったのを確認した様子で、2人に着席を促した。
ニヤニヤと口元を歪めるクレオ。
反対に、奥歯を噛み締めて平静を装うカイト。
「結論から言う。次期領主はクレオ。貴様に勤めてもらうことにした。これは決定事項だ。2人とも、文句はあるまい?」
「いやぁ、良いのでしょうか? この僕のような者が兄上を差し置いて領主になど。ふふっ」
「まあ、クレオったら! 自分の事をそのように言うものではないわ! あなたは優秀な子だもの!!」
母のマルグレーテは、元からクレオに愛情を注いでいた。
なんでも己の力で挑戦する兄と、困ったら自分に甘えて来る弟。
彼女にとっては手のかかる弟の方が愛おしかったらしい。
「カイト。異存はなかろう?」
「……はい」
カイトも自分の得た《目覚まし》とクレオの《富の泉》を比較して、比較するまでもなく、どちらが領主として民のためになるのかについての計算は既に終わっていた。
彼は続ける。
「これからは俺がクレオの右腕となって、領主を支えていきます」
自分がこの先どのように生きれば他者の幸福に繋がるのか。
カイトも覚悟を決めていた。
「弟に負ける」と言う事実は少なからず彼のプライドを傷つけたが、元から自己犠牲の精神を持つカイトは割り切った決意を固めていた。
そんな思いを父は打ち砕く。
「いや、カイト。貴様はクレオの補佐などしなくて良い。それから、この春より貴様に与える予定だった領地は全てクレオに任せる」
「そ、そんな……」
「知恵だけは多少あると思っていたが、それも買い被りだったか。クレオはフェルバッハ家として相応しいスキルを得た。それに比べて、貴様はなんだ。《目覚まし》だと? バカにするのもいい加減にせよ」
クレオと伯父のケスラーが「くふふっ」と笑いをかみ殺す。
「兄上。長男だからと言って、無条件で領主になれるほどこの世界は甘くない。あなたは聡明だからお分かりになられるでしょう? 無能には領民だってついて来ないのですよ。本日は、領民の代表として伯父上にも来ていただいたそうです。ねえ、伯父上?」
クレオは今日の催しの内容を知っていた。
カイト以外の全員が知っていた。
カイトだけが知らなかった。
彼が断罪されるだけの裁判なのだから。
無能と言う罪人は何も知らなくても良いと、この場にいる全員の意志が一致している。
「カイトくん。君は小さなころから実に頑張っていたなぁ。体を鍛えて剣術に励み。その汗も拭かずに本を読み。そんな君に私は期待していたのに。がっかりだよ。散々重ねた努力をふいにしてまう間抜けなスキル……。《目覚まし》など、聞いたこともない。君がなりたかったのは、ニワトリか何かかね? 違うだろう? ……はぁ」
「伯父上。いくら兄上が無能だからと言って、そうあからさまに落胆せずとも。ニワトリ扱いはひどいじゃないですか。さすがにニワトリよりは役に立ちますよ。やかましく鳴かずとも、人を目覚めさせられるのですから。ねぇ、兄上?」
既にこの場に集まった者たちの間で、クレオが領主になる事は納得済みなのだ。
そして、もう1つ決定事項がある。
「カイト。貴様にはアルゴートの地をくれてやる。そこの主として、せいぜい手腕を振るうと良かろう」
「あ、アルゴートですか!? あの地にはモンスターも多く、領民も罪を犯して流刑になった者ばかりではないですか! そこの主になって、一体何をしろと言うのです!?」
アルフォンスは心底呆れた顔で、吐き捨てるように言い放つ。
「そのような事は自分で考えよ。私は、無能な者を我がフェルバッハ家に置いておく気はないと、そう申したのだ。万が一にもアルゴートを開拓し、発展させる事ができれば処遇を考えてやらんでもない。それまでは、2度と屋敷へと近づくな。……良いか? これ以上言わずとも意味は分かろう?」
要するに、カイトは罪人が流刑に処されるのと同じく、追放されたのだ。
ただ人よりも劣ったスキルを得たと言うだけで。
誰よりも努力を重ねて来たにも関わらず、呆気なく。
「兄上、そう気を落とさずに。アルゴートは広さもそれなりですし、やりようによってはきっと上手く行きますよ! なにせ荒くれ者と無法者のたまり場ですから、労働力には事欠かない。兄上の身に何も起こらなければ良いのですが。……それでは、兄上。もう会う事もないでしょう。さようなら。お元気で」
母は何も言わなかった。
伯父は眉間にしわを寄せて成り行きを見守っている。
執事長が「カイト様。これをどうぞ」と袋に入った帝国銀貨を彼の前に差し出した。
フェルバッハ領で商人が1ヶ月働いて得る額が、おおよそ帝国銀貨20枚。
カイトに与えられた銀貨はそれよりも少ない15枚。
この屋敷から馬車でアルゴートに向かうギリギリの金額であり、それが今のカイトの価値だと老紳士は無言で伝えていた。
こうして、あまりにもあっさりとフェルバッハ家を追放されたカイト。
馬車の停留所までの道のりでは、つい先日まで無償の親愛を向けてくれていた領民たちから聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられた。
今日はカイトにとって、帰るべき故郷が消え去った日でもあったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
フェルバッハ領の首都、屋敷のあった街から馬車に乗って1日と半。
カイトはアルゴートに到着する。
「お客さん、本当にここでいいんですね? オラ、知りませんぜ? ここいらはモンスターも出るし、罪人しか寄り付かないんでさぁ」
「ああ、ありがとう。ここで良いんだ。これ、代金だよ」
「まいど。まあ、お客さんも腕っぷしに自信がありそうですが、くれぐれも気を付けてくだせぇよ。ほいじゃ、オラは行きます。馬がモンスターに襲われちゃかなわねぇ」
カイトは御者に「気を付けて」と挨拶をして、高台からアルゴートを見下ろした。
「やれやれ……。これはまた、噂以上にすごいところに来てしまったな……」
この荒れ果てた場所が、今日からカイト・フェルバッハの領地である。