29. 飛び出す夜空
カイトは綺麗に整えられた貴賓室のベッドの上で考えていた。
もちろん、帝国軍の事である。
エルフの国に接近している理由は。
アルゴートを目の敵にする理由は。
帝国内のどの程度の人間が関わっているのか。
下級貴族程度ならまだ良いが、最悪のケースを考えるのが上に立つ者のあるべき考え。
だが、結局ここでカイトがいくら想像力を羽ばたかせたからと言って、真実が微笑むはずもなく。
ただ彼の眉間にしわが寄り、せっかく楽しんだ宴席の余韻を奪うだけだった。
「……カイト? ……あまり思いつめるのは良くない。……はむっ。……この貴重な甘いパンケーキを分けてあげる。……はむっ。……甘いものは疲れた脳に良い」
「ああ、ごめん。ありがとう。俺、そんなに思いつめた顔をしてた?」
食べるのに忙しいシエラに代わって、ネイアが答えた。
ベッドのカイトに急接近して、額を指でピンと弾く。
「いたっ!」
「辛気臭いなんてもんじゃないわよ! あんた、その顔はルズベリーラに置いて帰りなさいよね? 領民が領主のそんな表情見たら引くわよ! ドン引きよ!!」
ネイアに指摘されるほどに深刻さを垂れ流していたのかと反省しながら、ネイアが思いのほかアルゴートの事を考えてくれていて、カイトの心は少しだけ温かくなった。
改めて考えを纏める。
今度は眉間にしわを寄せずに。
アデルナから借りた地図を見ると、やはり帝国軍が意図してエルフの国を襲おうとしているのは間違いないかと思われた。
ならば、ただ襲撃される日を待っているのか。
帝国とハッキリ敵対する事を避けていたカイトだが、その考えは間違いではないかと彼は気付いた。
仮にアルゴートが発端となって、ルズベリーラが巻き添えを食う形で戦いの渦中に呑み込まれようとしているのならば、まずはこの国にいる間に打てる策があるのではないか。
「よし!」と頷いたカイトは、シエラとネイアに「少し夜風に当たって来るよ」と言って、貴賓室を出て行った。
アデルナの元へと向かったのだ。
夜更けに辺境の一領主が王女の寝室を訪ねるのはマナー違反。
だが、幸運な事にアデルナはまだ宴席場に残っていた。
「どうなさったのですか、カイト様? もしやベッドの寝心地が悪かったのです!?」
「ああ、違います! 違います!! ベッドはこの上なくフカフカでした!」
カイトは夜遅くに淑女を引き留める無礼を詫びてから、アデルナに申し出た。
「ルズベリーラの周辺がどうしても気になるのです。出来る事ならば、俺がこちらに滞在している間に何らかの対策を講じたいと思い、ご相談をと。差し出がましいようですが」
アデルナは笑顔で応じた。
「とんでもありませんわ! カイト様がそこまでわが国の事に胸を痛めて下さる、それだけで私は……! 是非、お話をしましょう! 夜はまだまだ長いです!」
カイトは「それでは早速」と地図を広げようとしたが、うっかり貴賓室に置いて来てしまった事に気付く。
正直に白状するとアデルナは「まあ!」とほほ笑んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ちょっと、シエラー。この地図の丸がついてるとこがあれなんでしょ? 悪いヤツがいるところなのよね?」
「……そう。……厳密に言えば帝国軍の基地。……帝国が良いか悪いかの判断は付かない。……けれど、主であるカイトの障害になるのならば見過ごせない」
カイトがうっかり忘れて行った地図を天使の2人が発見していた。
アデルナが新しい地図を用意したので、しばらく彼が戻って来る事はない。
「ここから丸のとこまでってどれくらいの距離があるのよ?」
「……50キロから70キロだと推測できる」
「なによ! 近所じゃない!」
「……そう。……結構近い」
近くはない。カイトに歩かせると確実に2度は死にかける距離がある。
「あたしたちが飛べばすぐなのよね。にひひっ」
「……ネイア。……天使である以上、その欲望に忠実な笑顔は控えるべき。……ただし、その発案には考えるべき点がある。……それは認める」
天使たちの間では、意思疎通が済んでいた。
「ちょっと行って、悪いヤツをぶっ飛ばしてきましょ! カイトも喜ぶんならシエラだって悪い気はしないはずよね?」
「……極めて微妙。……主を喜ばせるのは私も本懐。……しかし、主であるカイトの許可なく行動をするのは良くない。……熟慮が必要」
「面倒くさいわねー! じゃあ、あたしが1人で行くからいいわよ!」
「……むぅ。……ネイアの単独行動は止めるべきだとカイトなら言うはず。……分かった。……私も付き合う事にする」
「やったぁ!」とはしゃぐネイアが窓から飛び出し、続いてシエラも夜空へと舞い上がって行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「この辺りじゃない? 丸のとこ!」
「……確かにそう。……人間の気配がかすかに残っている」
ネイアは野性的な勘で。
シエラは論理的な思考で。
わずか数分で目的地に到着していた。
「なんかあっちの方から魔力を感じるわよ! きっと人間の悪い魔法使いね!」
「……ルズベリーラとの位置関係を考えると、多分ネイアの予測は正しい。……もう少し接近する事を推奨する」
2人はさらに北西へと飛んだ。
30キロほど飛んでいくと、森が途切れる。
そこには野営をする帝国軍の小隊がいた。
「……ネイア。……ここは慎重に行くべき」
「ちょっと! あんたたち! 誰に断ってそこにいるのよ! あたしは許した覚えがないんだけど! ぶっ飛ばすわよ!!」
「……ネイアに言葉で警告したのは私のミス。……とりあえず腕でも捕まえておくべきだった」
ネイアが何の相談もなしに突撃して行った。
帝国軍の兵たちは驚く。
大天使も驚いているのだから、これは致し方ない。
「な、なんだ!? どうしてこんな時間に子供がいる!?」
「お嬢ちゃん、どこから来たんだ? この辺りはエルフ狩りの警戒区域だぞ? 危ないから帰りなさい」
聞き捨てならない言葉が飛び出した。
ネイアはもちろん、シエラもハッキリと聞いた。
「エルフ狩り」という、危険な言葉を。
「さあさあ、女子供は帰って寝ろ! こんなにガキっぽいんじゃ、夜のお相手を申し込めもしねぇ! ったく、ついてねーぜ」
「よさないか。相手は子供だぞ。言葉遣いに気を付けろ」
突然だが、ネイアの沸点は低い。
活火山のように、突然噴火する。
「だ・れ・が!! ガキですって!? ふぅーん。あんたたち、痛い目に遭いたいようね? このネイアさんをよりにもよって人間の子供扱いするなんて!!」
ちなみにネイアの見た目は15歳前後の少女にしか見えないため、兵士たちは口が過ぎた非はあるものの、外見から彼女を子供と判断したのは仕方がないと思われた。
だが、そんな理由は破壊の天使に必要ない。
彼女は暴れても良い大義名分を手に入れたのだ。
「これでもあたしがガキだって言うのかしら? 『デストロイ』!!」
「う、うぉおぉぉぉっ!? 地面が割れた!? こいつ、魔導士か何かだぞ!!」
「ならば子供に化けているのかもしれない! や、矢を放て!! 敵襲だ!!」
後ろで静観していたシエラに向かって、ネイアは舌を出した。
「あたしからは手を出してないわよね? そして、今、あっちから攻撃して来たわよ!」
「……ユリスの気持ちが少し理解できた。……脳筋は厄介」
天使と帝国軍の局地戦が始まる。




