2. 《目覚まし》というスキル
カイトは混乱する頭に鞭打って、どうにか冷静さを保とうとした。
だが、無理であった。
《目覚まし》という言葉から、どう足掻いてもポジティブなイメージを生み出せなかったからだ。
それでも彼は神官に尋ねる。
一縷の望みに全てを託して。
「神官様。《目覚まし》とは、どのようなスキルなのでしょうか?」
「人間、1日を過ごす上で辛いシーンはいくつもある。昼前の空腹だったり、深夜まで仕事をこなせば眠くもなる。カイト・フェルバッハ。卿は朝の目覚めがどうにもスッキリしない時がないかね?」
「は、はい。あります」
「そうであろう。前夜、遅くまで本を読んでいたり、仕事のキリがつかずに深夜まで雑事に追われていたりと、良質な睡眠を得られぬ場合は翌朝の目覚めが実に辛くなる。このワシにも経験がある」
一体、何の話をしているのだろうか。
カイトは何やら、悪い夢を見ているような気分になってきていた。
「あの、それはどういうお話ですか?」
「最後まで聞きたまえ。ワシは卿が納得できるように、卿の得たスキルについて実に柔らかく、丁寧な説明を心掛けておる。卿は領主の息子。なれば、これは情けである」
神官の口調は変わらないが、態度が少しずつ変化していく。
その表情からは明らかな失望の色がカイトにも目に見えて分かるレベルで浮き出ており、彼の嫌な予感を加速させた。
「とても辛い朝。特に早起きをしなければならぬ時など、実に辛い。そんな折に活躍するのが、卿の得た《目覚まし》である! なんと、そのスキルはどのような体調、どのような状態でも、朝の目覚めをスッキリと迎える事ができる!!」
「えっ。あの、それだけですか?」
神官は「まさか、そんな訳がなかろう!」と首を振る。
その仕草に希望的観測を持つ事ができる者は、よほどの楽天家か、もしくはバカだろう。
カイトは幸か不幸か、この場合は不幸なのだが、そのどちらでもなかった。
「なんと、この《目覚まし》は自分に使うのみではなく、他者にも使用する事ができる。つまり、どんなに深い眠りに落ちている者でも、たちどころにスッキリ目覚めさせることができるのだ!!」
押し寄せていた領民たちから明らかに失望の混じったため息が漏れる。
「これ以上の話は無意味」と判断して、帰り始める者も多くいた。
「わ、分かりました。分かりましたから、では、その《目覚まし》を領主としてどう役立てれば良いでしょうか?」
「領主が早起きなのは結構な事ではないか。役立てると言うのならば、お父上の快適な目覚めにでも協力して差し上げなさい。早起きだけが取り柄の者が次代の領主とは……。フェルバッハ領もアルフォンス様の代までかもしれんな」
最後に神官は、諦めの悪いカイトをバッサリと一刀両断にした。
まだその場に残っていた領民は、ある者は「ぷっ」と嘲笑し、別の者は「もうこの地は終わりだ」と悲観に暮れた。
カイトがどうしようもないスキルを得たと言う噂は、あっと言う間にフェルバッハ領を駆け巡るのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
神殿に向かう時にはあれほど賑やかだった御者も、帰り道は静かなものだった。
フェルバッハ家の門の前で馬車は停まり、カイトは悲壮感を隠しきれないまま帰宅する。
屋敷に入ると、アルフォンスが待ち構えていた。
その表情は険しい。
父は息子に短く聞いた。
「カイト。スキルは得たのか?」
「……はい。神託はしっかりと受けて参りました」
カイトは嘘のつけない性格である。
何事にも真っ直ぐに向き合ってきた。
その総決算がこの親子の会話と言うのならば、いささか残酷すぎる。
「何を得た?」
「……《目覚まし》です」
アルフォンスはしばらくの間、何も言わなかった。
傷心の息子を慮ってのことだろうか。
違う。
このアルフォンス・フェルバッハと言う男、カイトが憧れるように高潔な人間ではない。
彼は、既に長男を見限っていた。
この沈黙は、その見切りをつけた愚息の処遇をどうするか考えていただけに過ぎない。
「カイト。お前はもう、良い」
「は、はい! 俺、これからこのスキルでどうにか上手く領主としてやっていけるように、考えてみます! 必ずや父上のお役に立って! フェルバッハ家に恥じないように! そ、それから!!」
「もう、良いと言ったのだ。今年より貴様に与える予定だった領地があるだろう? フェルバッハ領の西にある牧草地帯だ」
「はい! まずはそこで、どうにかこのスキルの利点を探しながら!!」
「その話は保留とする。貴様には……まあ……。何かしらの領地を用意する。一応は私の息子だ。体裁だけは保ちたい。」
父の言葉には、カイトの望んだ優しさや慈悲など皆無だった。
ただ、「お前には失望した」と告げられた。
それだけであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
数日が過ぎ、カイトは自室にてふさぎ込んでしまっていた。
彼の世話をするメイドの態度も日増しに悪くなっていき、風呂やトイレのために必要最低限の移動をすれば、給仕の者や庭師にも縁起の悪いものを見たかのように顔をしかめられる。
それでもカイトは耐えていた。
ふさぎ込んではいるが、考える事はヤメていなかった。
どうにか《目覚まし》を使って、有益な仕事はできないか。
まだ何か方法はあるはずだと、半ば祈るように考え続けていた。
さらに時は経ち、3日後。
その日は朝から屋敷が騒がしかった。
祭の時のような賑わいで、傷心のカイトも様子を確認するために部屋から出た。
「おや! 兄上! 《目覚まし》のカイト兄様ではありませんか!」
「クレオ。何かあったのか? 随分と賑やかなようだが」
偶然、弟のクレオと出くわした。
だが、偶然だと思っているのはカイトだけで、実はこの傷心の兄とバッタリ遭遇するように、クレオは物陰から様子をうかがっていたのだ。
クレオはカイトを心底バカにしたように「ふっ」と笑い、兄に対して絶望をどうすれば効率的に与えられるかを考えて、言葉を選んだ。
「この僕のような若輩者がですね。先ほど神託を受けに神殿に行きましたところ。何故か、《富の泉》という高貴なスキルを神より賜りまして!! いやはや、僕も《目覚まし》のように気楽なスキルが良かったのですが! これは責任重大!! はーっはは! 困りましたな!!」
「す、すごいじゃないか。良かったな、クレオ」
どうにか感想めいたものを捻りだすカイト。
ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべたクレオは、トドメだと言わんばかりに語気を強めた。
「ええ、ええ! これで兄上はお払い箱という訳ですな!! 僕があなたのように間抜けなスキルを得ていれば、まだ望みもあったでしょうに!! ですが、残念でした!! これにてあなたの命運は完全に絶たれました!! あーっはははっ!!」
カイトと弟の仲は良好とは言い難かった。
だが、それは何かと比較されてしまう年の差に生まれた事によるもので、本質的には憎み合ってなどいない。
そう思っていたのは、カイトだけだった。
クレオは、ずっと目の上のたんこぶとして存在していたカイトを蹴り落す事ができて、心の奥底から湧き上がって来る喜びに打ち震えていた。