19. アルフォンスの企み
フェルバッハの屋敷を出てから、まずカイトは馬車を探した。
あれほど険悪な空気になった上に自分から退室した手前、さすがにフェルバッハの馬車に乗ってアルゴートに帰る訳にもいかない。
幸い、すぐに御者を見つける事が出来た。
アルゴートまでの距離が遠く道も険しいため、最初から帝国銀貨を見せて交渉したのが良かったのかもしれないとカイトは頷いた。
「シエラ。いい加減に機嫌を直してよ」
「……むぅ。……カイトはおかしい。……あれほどの無礼を働かれて怒らないとか、カイトは絶対おかしい」
現在、アルゴートまで残り30キロのところまで馬車はやって来ていた。
その間ずっとシエラをなだめていたカイト。
ここまでシエラが何かにこだわって憤慨するのを見るのは彼にとっても初めての経験だった。
「俺はずっとあの家で育って来たからさ。父上もクレオも、既にああいう人間なんだって知ってるんだよ。だから、多少腹は立つけどすぐにどうでも良くなるんだ」
「……むぅぅ。……カイトはもっと、野心とかそういうのを身に付けた方が良い」
「野心ならあるよ。アルゴートを帝国一の領地にすることが俺の野心かな」
「……はぁ。……カイトはそーゆう人だった。……でも、そんなカイトだから一緒にいたいと思う。……発言を訂正する。……カイトは今のままで良い」
「それはよかった!」と歯を見せて笑うカイト。
アルゴートに到着する頃には、シエラの機嫌もすっかり直っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
アルゴートの領主の家。
つまりカイトとシエラとリザが住んでいる家では、住人の1人であるリザが落ち着かない様子で家主の帰りを待っていた。
「落ち着きたまえよ。リザが焦れたところで、カイトの背中に翼が生えはしないのだよ。便りがないのは無事な証拠だとボクは何度も言っているではないかね」
「でも、ユリス様! もしかしたらカイト、実家の居心地が良くなってもう帰って来ないかもしれないじゃないですかぁ!!」
「だから、そんな事はないとボクは言っているじゃないかね。リザくん、この話は何度目だと思うかい?」
「知りませんよぉ! 3回目くらいですか!?」
「25回目なのだよ……。カイトくん、早く戻って来てくれないかね……」
そんなユリスの願いが通じたのか、ヘルムートが急いで駆け込んで来た。
「リザ嬢ちゃん! ユリス様! カイト様がお帰りになられましたぜ!!」
「ホント!? すぐに行きます!!」
「ああ……。良かったのだよ。ちょ、えっ!? どうしてボクの裾を引っ張るのかね、リザくん!? 分かった、分かったから、ついて行くから引っ張らないでくれ!」
リザとユリスがカイトとシエラを出迎える。
ヘルムートは空気の読める男。
自分から「オレぁこちらに控えときます! 家を開けっ放しにすんのもアレなんで!!」と留守番を申し出た。
「おかえり、カイト! どうだった!? お父さんいっぱい褒めてくれた!?」
「あー。……うん」
カイトはリザのまっすぐな笑顔を見て、「とても真実は語れない」とすぐに判断した。
代わりに気の抜けた返事をしたところ、ユリスが気付く。
「まあ、なかなか思い通りにはいかないのが人の一生なのだよ。何はともあれ、長旅ご苦労様だったと言っておこうかね」
「ユリス様。留守を任せてしまいすみません。助かりました」
リザもユリスから少し遅れて、違和感に気付く。
シエラがいつにも増して寡黙であり、そんな様を見ていると女の勘が働いたらしい。
「お父さんにアルゴート、気に入ってもらえなかったの?」
カイトは少し考えたのちに、「いや」と首を横に振った。
続けて言う。
「予想以上に気に入られてしまったみたいでね。ちょっと面食らったよ」
カイトは「領土の運営について意見の食い違いがあり、父と口論になった」とリザに告げた。
彼は嘘をつくことを好まないが、必要であれば相手のために嘘もつく。
「そっかぁ。でも、カイトが怒るって事はお父さんが悪いよ! 絶対!!」
「リザが頬っぺたを膨らませる事もないのに。まあ、久しぶりに実家を見られて良かったよ」
それはカイトの本心だった。
既にフェルバッハ家に対する未練など彼にはない。
ただ、穢れた心の者が領主として君臨するフェルバッハ領の領民が不憫だった。
だから、カイトは誓う。
「このアルゴートを多くの者が幸せに暮らせる土地にして見せよう」と。
カイトは改めてそう決意する事で、不愉快な思いしかなかった実家への帰省を総括した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
フェルバッハ家では、アルフォンスが憤慨していた。
「なぜだ!? カイトはどうしてあのような辺境にこだわる!! 育ててやった恩を仇で返しおってからに!! あの愚か者めがぁ!!」
ワイングラスを床に叩きつけ、「おい! 誰か! 新しいグラスを持て!!」と怒鳴る。
「しかし、父上。兄上は愚かですが、《目覚まし》のスキルを持った兄上は魅力的です。まさか大天使を使役できるなんて……!」
「分かっておる!! そのような事を貴様に言われるまでもない!! 貴様は《富の泉》を早く使いこなさんか!!」
アルフォンスの怒りは収まらず、クレオに八つ当たりする有様であった。
「大天使……。使い方によっては領土の発展どころの話ではないぞ。帝国を我がフェルバッハ家のものにする事だって可能ではないか……!! ええい、それだけに腹立たしい! 物の価値の分からぬ愚息めが!!」
腹を立てて地団駄を踏み、怒りに任せてワイングラスを割る。
愚か者の見本市に出せば、さぞかし高評価されるであろうフェルバッハ家の当主。
そんな父の悪いところをしっかりと受け継いだ次男は「こういうのはどうでしょうか?」とひとつの案を提示した。
それは実に悪意が込められたものであり、アルフォンスは即座に「妙案ではないか!」と食いついた。
「アルゴートは消し去ってしまえば良いのです。そうすれば、兄上は再び根無し草にならざるを得ません。行き場を失った兄上はどうする事も出来ず、己の無力さに苛まれて屋敷に戻って来るのではありませんか?」
「素晴らしい考えだ! だが、まだ甘いな! アルゴート消失の折には、誰よりも早く救いの手を差し伸べてやるのだ! カイトのような甘い考えの愚物は、さぞかし喜ぶであろう! もしかすると、恩義に報いるために自分から大天使を我らに献上するやもしれぬ!!」
顔をしかめたくなるような企みが産声を上げた瞬間だった。
「アルゴートは元々、罪人の流刑地ですから。盗賊にでも襲わせますか? ならず者が降って湧いたとしても不思議ではないですし、懐疑的な思考を兄上が持ったとしても、僕や父上の顔が浮かぶことはないでしょう! 男は全員殺してしまい、女は奴隷として売りさばくのです!」
「ふっ、ふははははっ!! クレオ、貴様《富の泉》は使いこなせずとも、知恵の泉は調子が良いようだな! その手で行こう! カイトは後悔すべきなのだ! この私が認めてやると言ったのに、あのような辺境にこだわった愚かな行為を!!」
アルフォンスとクレオの行動は早い。
まず、執事長を呼び悪辣な企みを実行するならず者を探して来いと申し付ける。
このやり口の巧妙なところは、執事長から執事に、執事から後ろ暗い領民にと指示が下っていく過程で、伝言ゲームのマスターであるフェルバッハ家当主の存在が自然と薄くなる点であった。
そうして、彼らの企みはすぐに実行に移される。
金に糸目を付けぬ姿勢が功を奏したのか、想定よりもはるかに多い野盗団が結成され、彼らは既にヘルメブルクを発ったと言う知らせが屋敷に届いたのは、2日後の事だった。
「さあ、クレオ! グラスを持て! まずは前祝いだ!」
「ええ、父上! そして事が成された時には、さらなる美酒を!!」
「フェルバッハ家の繁栄に!」
「アルゴートの最期に!」
「「乾杯!!」」
その夜、アルフォンスとクレオは大いに酒を飲み、歌をうたい、輝かしい栄光の未来の理想について語り明かした。
一方、魔手が伸びようとしているアルゴートでは、カイトが夜遅くまで執務に精を出していた。
彼はまだ、悪魔の企みが進行している事など知る由もない。




