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憎しみのかなたに  作者: 此道一歩
第1章 貧しさに埋もれて
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ただ生きていくだけ

 定時制の高校を卒業した智也は、中堅の高山自動車に勤めたが、半年で腰を痛めてしまい、痛みを訴えては病院通いを続ける日々が続いた。

 班長は、彼によって予定が狂わされることに激怒し、彼は他の者達からもつらく当たられことが多かった。

「おい、また病院だってよ」班長が副班長に言葉を投げつけた。

「ええっ、勘弁してくださいよ。俺だって朝から頭が痛いんすよ」

「お前のは痛いんじゃなくて、悪いんだろ」

「ええっー、知ってたんすか」


 腰を抑え、足を引きずるように出口に向かう智也の背中でそんな会話が聞こえてくる。


 そんな10月半ばのある日、

「お前さー、8人で回している作業が急に7人になったら、どんなに大変なのかわかってるの」

 先輩の冷たい言葉に

「すんません」彼は謝ることしかできなかった。

「もう、そんな身体で仕事なんてできないっしょ。いっそのこと、辞めてくれた方がありがたいよ」


 その言葉を聞いた時、ここまで俯きながらも何とか生きてきた彼の心で、何かがプツンと切れてしまった。

 そのまま、班長に退職を申し出た彼は、病院へ通い続けたが、腰の手術はリスクが伴うということを聞かされていたため、手術を受ける決断ができず、薬に頼る日々が続いた。


 しかし天涯孤独で定時制高校しか出ていないことに加え、やや腰を曲げて歩く彼は、次の仕事を見つけることがなかなかできないでいた。

 基準に満たないため失業手当をもらうこともできない彼は、蓄えも心細くなり、空腹を我慢し、夜の9時を過ぎたスーパーで割引になった弁当や惣菜を捜すような生活を強いられていた。


 そんな12月初旬のある日、午後9時過ぎ、いつものスーパーで

「おい、中野じゃないのか?」彼に声をかけてくる者がいた。

「えっ」驚いて顔を上げた智也だったが、その顔に見覚えはなかった。

「俺だよ、高木だよ、えっ、覚えていないのか?」彼が不思議そうに尋ねる。

「す、すみません」

「何だよ、お前の2個上の先輩だぞ」

「す、すみません」

「お前、高山自動車だったかな?」

「いや、腰を悪くしてもう辞めたんです。今は無職なんです」

「えっ、そうなのか? 仕事を探してんのか?」

「は、はい……」

「うちのガソリンスタントで一人募集してるんだけどなー」高木は何気なく話したのだが

「えっ、本当ですか、雇ってもらえませんか。頑張りますから」智也は必死だった。

「ええっ、だけど、腰は大丈夫なのか?」

「はい、薬飲んでいるんで大丈夫です」

「うちはさ、最初の2年間はアルバイト並みだよ。給料は表向き18万だけど、15万しか払えねーから、3万は内緒で寄付してもらってんだ」

「いいです、15万あれば食っていけます」懸命に訴える智也を見て

「それに週休2日なんだけど、1日はボランティアで来てもらうんだ……」高木はさらにあくどい話を続けた。

「いいです。それでもいいです。お願いです」

 智也のすがるような眼差しを見て (こりゃ行けるな…… )と思った高木は

「うーん、困ったなー…… お前、整備士は持っているの?」平静を装った。

「はい、3級を持ってます」

「そうか…… わかった。じゃあ、あさってから来いよ」

「あ、ありがとうございます。助かります。感謝します」

「ただ、3万円を寄付してもらうっていう話は、絶対に内緒だぞ」

「はい、もちろんです」


 こんな話があって、彼は【高木GS】で働くようになったのだが、声をかけた店長の高木は智也からフィードバックさせた3万円に加えて、彼がボランティア出勤した日はアルバイトを雇用したことにして、そのアルバイト料1日1万円を自らの懐に入れ、平気な顔をして善人を装った。

 一方、やっとのことで職を見つけた智也は高木に感謝し、痛みが辛い日も休むことなく懸命に仕事を続けた。


 そして年が変わって、1月11日、午後2時過ぎのことであった。

 給油に入ってきた1台の車に智也が駆け寄った。

「いらっしゃいませ、レギュラーでよろしいですか」

「ああ、満タンね」そう言った若者の車の後部座席には、着物姿の女性が二人乗っていたが、智也は決して目を向けなかった。


( あれ、中野君じゃないの…… ) その女性の一人、吉岡麗奈(れな)は記憶をたどった。

( たしか、高山自動車に就職したって聞いたような気がするけど…… )

 彼女は走り去る車から深く頭を下げる彼を再び見つめた。

( やっぱり中野だ、中野智也に間違いない )

 彼女の目には、彼の後方、建物の影で缶コーヒーを飲みながら雑談している3人が目に入って、少し不快な感じが残った。


 車が去った後、

「成人式の帰りだな、いい車に乗りやがって…… 」店長の高木が智也に向かって吐き捨てるように言ったが、彼は苦笑いするだけだった。

 その後も、文句ひとつ言わない智也はいいように使われ、周囲から見ればあまりにも気の毒なように思えたが、それでも当の本人は夜の9時過ぎに割引になった弁当を買いに行っていた時からすれば、不安も無くなり少しずつだが蓄えもできて、ある種の幸せさえ感じるようになっていた。


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