レミング
今日は中学時代の同級会だ。ハタチを越えた記念。
大学に進んだもの、専門学生、就職組。どんなふうになっているか楽しみだ。
鏡の前でスーツに着替え、襟を正したとき、ふと手の甲に黒いものを見つけた。もぞもぞと動くそれは、体力を失った小バエ。
死の淵に立っているのだろう。
いつものように感情もなくもう片方の手の指を立て押しつぶした。
無事に獲物を押しつぶせたか、指の腹を見てみるとそこにいる。力なく足をバタつかせているのでティッシュで包めてゴミ箱に捨て、玄関先に立つ。
「いってらっしゃい。太一ィ、浮気しないでよね」
「大丈夫。大丈夫。と、思う」
「思うじゃだめでしょ」
「はは。じゃ行ってくる」
見送りしたのは、同棲相手。年上OLの夢花。
顔はイマニ、イマサンだけど生活の面倒は見てくれる。男として将来は責任をとって結婚しようと考えてはいる。
しかし今日の同級会。昔付き合って、別高校に行くために別れた理々子もくる。
あれ以来だったけど、大人になった理々子との再会は楽しみだ。
できれば一夜の遊びがあったって若いんだから許されるだろ。
みんなやってることだ。
そういうことで会場がある郷里へ──。
大学二年目となれば気楽だ。
まだまだ就職のことなんて考えなくていい。
学業3、バイト3、青春4の割合でいい。
友人と肩を組んで遊び、恋人と部屋で睦言を吐く。
そんな生活──。
大人をバカにしてる。
自分たちが最強。
両親も教授も人生が下手に見えて仕方ない。
同級会を終えた俺たち。帰るものは帰ってしまったが、まだまだ20人近い人数が歩き慣れた昔の道をビール片手に徘徊していた。
「っかー! 最高! 最強の夜」
見上げた夜空に浮かぶ月は、酔った目に真っ赤に光って朧気にぶれているように感じた。
「へー! 今日は満月! キレイだなー!」
酔っているから声がデカい。気分もデカい。
昔なじみから“大声うるせえ”とからかう声。
だがかまわなかった。
流行りの曲を全員で歌いながら追加の酒を買おうとコンビニへと入る。
「ええとビール、ビール、ビール……」
カゴの中にビールを入れると友人たちはまたからかう。
「ビールなんて酒じゃねえよ。まだそんなの飲んでんの?」
「はぁ?」
ビールは酒だろ。なにもかっこ悪いことなんてない。
だが友人たちはそれを嘲笑した。
「私は日本酒が好きだなぁ」
「オレはウイスキーをロックで。コップとロックアイスを買おう」
「オレはジンだな。他の酒は軽すぎて」
みんなめいめいに好きな酒をカゴに追加してくる。
へぇ、コイツら、そんな強い酒飲めるのか。
カッコいい──。
なにも酒の度数なんて大人な度合いなんかじゃない。
しかし平然とすでに自分の好きな酒を決めているということにポリシーを感じた。
自分だけ少し遅れていると思った。
オレたちは昔よくいった公園で立ち飲みを始めた。
オレも友人の好きな酒を分けて貰って飲んだがそれが悪かったのかも知れない。
頭がフラフラして正常な判断が出来なくなってきたのかも知れなかった。
隣りには理々子。身を付けはしてはいないがかなり密な状態。
だらしなく笑っていたが、理々子の真剣な目に真剣を返していた。
「太一、今彼女は?」
「今? 今はいないよ」
「へー……」
「理々子は?」
「それがずーっといない」
「へぇ〜。じゃぁあれだ。オレが最後」
「まぁね〜」
「あ〜そうなんだ〜」
理々子とは中学での付き合いだったからキスまでだったけど、こりゃ本日は期待できるかも?
でも酒が悪い。ちょっと朦朧としてる。
周りの友人たちも、熱狂と度数の高い酒で頭が麻痺していたのだろう。大声と高笑い。
誰が言ったか覚えていないが、少し離れた場所にある廃線となった昔の駅にいってみようという話になった。そこならみんなが座れるホームがあるし、なにより思い出深い。子どもの頃まで使われていた駅だったからだ。
「そんなこと言ったって、中には入れねぇだろ」
「いやぁ、そんなことねぇよ。金網も大きく破れてるし、保存の会が草刈りとかしてるから快適な空間なんだぜ?」
「さすが地元民。面白そうだな。いこうぜ、いこうぜ」
少し歩くと見えて来た。ホームも駅も昔のまま。残っている線路には少し草が生えている程度。
線路があるのはこの駅の区間だけだ。他のはすでに撤去されて、両端には家が建っていた。
「さぁホームで改めて飲もうぜ。町灯りを見ながら」
普段だったらこんな場所になんて来ない。
だが俺たちは酔っていた。そのほうが面白いと思ったんだ。
そこでも俺たちはワイワイガヤガヤ。
どのタイミングで理々子を口説こうかと考えていた。
「そういえばさ、今日はねずっちは来てなかったよね──」
理々子の言葉にシンとなる。
ねずっちは根津というやつで、中学時代はそれなりに目立つやつだった。しかし、体育祭だったか音楽祭だったかで根津のミスで負けたためにクラス中からシカトされていたのだ。
その後、根津は学校にこなくなった。
高校に入ってから風の噂で自殺したことを聞いた。それでもオレたちはシカトの延長で線香を立てに行くことすらしなかったのだ。どうやら理々子はそのことすら知らなかったらしい。
「さぁね。知らねー」
「そんなヤツいたっけ」
「どこの高校行ったんだ?」
うそだ。みんな知ってるはず。
根津が自殺したこと。バツが悪いので知らない振りしてるだけだ。
それはオレも同じ。シカトに同調してたわけだから。
みんなが根津を殺したも同じだ。だけどみんな誰のせいでもないと思ってる。
そう、誰も──。
小バエを殺すのと同じだ。軽い死。
自分とは関係ないこと。生きたくて、苦痛で足をバタつかせようと見ない振りしてティッシュで包めて捨てるのと同じ。
さっさとこの話をやめて次の話でもしろと思ってた。
「たしか自殺したって」
「そうなの!?」
空気読めないヤツの一言に理々子は驚きの声を上げる。
そんな理々子だって同じだろ。
無関心。無関係。
オレたちはみんな根津のことを死に追いやった犯人で同罪なんだ。
「私たちが、ねずっちを殺した!」
始まった。もうどうにもならないこと。
根津は心が弱かっただけだ。ならミスをしなければよかったんだ。
ちゃんとみんなに謝ればよかったんだ。
女子たちは連鎖して泣く。何を今更。
これも青春か? オレはそうは思わねぇ。クサイ芝居だ。
自分たちを許すための懺悔の泣く芝居。
オレは純度の高いジンをさらに大きくあおった。
その時だった──。
この廃線となった駅に高い音が鳴り響く。
「なんだこの音」
「踏切の音?」
たしかに、「カンカンカン」と高らかに踏切の音が聞こえる。
酒のせいじゃない。ここにいる全員に。
「廃線なのに? それに踏切はどこ?」
線路だって途切れている。列車なんて来るはずないのに。
カン
カン
カン
カン
カン
カン
カン
カン
誰しもが不気味な警告音を思っていると、線路の切れ端の奥。
そこにある民家の壁に二つの光り。あれは列車の灯りだ。
なんだ?
おかしい?
幻覚か?
しかしそれは、徐々に姿を現す。
真っ赤なボディの貨物列車。二両の動力車に力強く引かれ、高速で目の前をコンテナ車両が通り過ぎて行く。
「な、なんだこれ」
「おかしい。おかしいじゃないか!」
その通り。おかしい幻覚だ。
車両はまっすぐに逆側の線路の切れ端の方に向かって民家の壁に消えてゆく。
オレたちは黙ってその列車を眺めていた。
呆然として。戦慄して──。
集団幻覚。
酒が見せている幻。
しかし止まらない。長い長いコンテナの列。
先ほどの根津への懺悔の涙を流していた女子が急に立ち上がった。
「私たちは許されない罪を犯したのよ! 神様はそれを許さないんだわ! だからこの列車を走らせてるのよ!」
何を言っているか分からない。
イカレたセリフだ。
だがその女は続ける。
「これは死の世界に運ぶ列車なんだわ!」
次の瞬間、そいつは猛スピードで走るコンテナ車両へと駆け出す。
ドッ!
という鈍い音。飛び散る血液や肉のかたまり。
何が起きたのか頭がついてこない。
判断力がなくなっている。完全に固まってしまった。
「私も!」
「私たちも!」
続いて走り抜けるコンテナ車両に次々に飛び込んでゆく。
ちぎれ、吹っ飛ばされ、辺りはたくさんの血だまりができている。
あんなに美しく着飾っていた女子たちはどこへ──?
あれは腕。あれは足首。
ただ呆然とそれを眺めていた。
オレの横でフラつきながら立ち上がるのは理々子。
マズい!
集団心理だ。自分も同じようにしなければならないと判断してしまったのだ。
スイッチが入ってしまったのだ。
何しろ、こんな異様を見ながら自分の心さえも、死へ興奮し、自分も続きたくなっているのだ。
大きな音を立てて通り過ぎる貨物列車。
この死へ誘う、不思議な列車はまだまだ走り続けている。
コンテナとコンテナの隙間。
そこに時折、対面の景色が見える。
それは揺れる背丈ほどの草むら。
だが、そこに立っているものがいる。
根津──。
恨めしいような目。
怒っているような──。
自分を見殺しにしたものへなんの哀れみもない顔。
それがさらに死への催眠を強くするのか?
死にたい。死にたいっ。死にたいっ!
無意識に後ろの金網を掴む。
だが、目の前では今度は男子が飛び込む。
あれは岡村。あれは山田。あれは沼澤──!
自らの意思に反した集団自殺。
あちらこちらで鉄と肉のぶつかり合う音、音、音。
「私も行かなきゃ。放して!」
「だ、ダメだ!」
しかしもう片方の手も加えて死への催眠に狂ったものを止めれるわけはなかった。オレの手が空しく空を掴む。
目の前で理々子が消える。
残ったのはオレだけ。
金網を掴んでいるオレだけ──。
あちら側の根津と目が合う。あいつは笑っている。
こんなことってあるか?
みんなに死ななくてはならないほどの説明がつかない。
誰だって、人に意地悪したり、いじめたりしたことくらいあるだろう。
小さな虫を潰すことなんて誰だってするように、こっそり浮気をするように、誰しもが持ち合わせている感情なんだ。
その代償が死なんてあんまりだ。
それが人間なんだ。
「ゴメン! ゴメンな! 根津──」
ガタン!ガタン!
ガタン!ガタン!
ガタン!ガタン!
ガタン!ガタン!
最後のコンテナが目の前を通り過ぎる。
そして民家の壁の中に。
目の前にはもう根津の姿はなかった。
死んでしまった同級生の姿も──。
アイツらはどこへ消えた?
きっと不思議な列車に死の世界に連れて行かれたんだ。
根津の復讐によって。
だがオレは許された。
必死に謝ったからだ。
暗い一人だけのホームで細くため息をつく。
「助かったァ……」
これで家に帰れる。
と
思ったとき
カン
カン
カン
カン
カン
カン
カン
カン
激しい踏切の警告音に顔を上げる。
すると、向こう側の背丈ほどある草むらの中に先ほどまでいた同級生たちが怖い顔でこちらを見ていた──。
ガタン!ガタン!
ガタン!ガタン!
ガタン!ガタン!
ガタン!ガタン!