禁忌④
相模刑事は訪れたアンの事務所だというビルの中に入って、衝撃に震えていた。
アンという女性は妖艶な美女だった。
目は既に釘付け。変にドキドキしてしまうのは何故だろう。
雪みたいな灰色の瞳、艶やかな長い髪、その容姿と肢体は男性が思う女性の理想形そのもので、高嶺の花と呼ぶにふさわしいだろう。兎にも角にもこんな美女が数年前の殺人事件の黒幕だと詳細無しに言われたら、ああ犯人はこの人に近づくために犯罪者になったのではないか、などと邪推してしまうほどにアンという人は麗しい女性だった。
「サカグチと申します。」
丁寧に手渡された名刺を見る。『探偵』と名刺の職業欄に書かれていた。
「え?探偵さんですか?」
「ええ。警察の方に向いていると言われまして、半年ほど前から探偵業を。主に素行調査をやっています。」
「へ、へえ‥‥。」
相模刑事はちらりと隣にいる蒼井警部を見た。その表情のなんとも言えない苦しさを見るに、恐らく嫌味と皮肉で捜査一課の誰かが言ったのを、彼女が真に受けたのだろう。それが元で本当に探偵になったのだから、どういう心地かはお察しの通りである。
そんな相模刑事の視線に気づいたのか蒼井警部は気を取り直すようにわざとらしい咳払いをした。
「仕事の話がしたい。」
挨拶もそこそこに本題に入ろうとする蒼井警部にアンは菖蒲が一輪咲いたような儚げな微笑みを浮かべると、事務所にあるソファに2人を案内した。ソファの前にある机には既に二人分のコーヒーが揺らめいた煙で手招きしていた。
たおやかで婉麗な彼女は、先程出してきた小さな椅子に座って、警察官2人の前で小首を傾げた。艶めいた長い髪がゆっくり落ちて首元の白い肌が艶めかしく覗く様に相模刑事は目を奪われたが、蒼井警部に即座に小突かれて、我に返る。
そんな2人に気づいていないようにアンはコーヒーを片手に切り出した。
「それで、どのような事件にお困りで?」
それに蒼井警部は徐ろに手に持っていた鞄の中から、几帳面にファイリングされたファイルを取り出して、それを机の上で開くとフリップのように捲り出した。
「猟奇殺人事件‥‥として追っている事件だ。ただかなり不可解、そして、吐き気のするほどの惨さだ。」
始まりは4ヶ月程に遡る。
都心部の数年放置された空き家にて、大量の死体が発見された。その数は100人分。
しかし、奇怪だった。
全て、同じ人間だったのである。
同じ背格好、同じ容姿、同じ顔の本物の人間が100人、そこにいたのである。そう、全て本物の人間だった。マネキンではなかったのである。同じ容貌、同じ血肉、同じ組織、同じ遺伝子‥‥マネキンではない本物の同じ人間が複製されたようにそこに転がっていたのである。
さらに死因は全て違っていた。
失血、暴力死、窒息、水死、ショック死‥‥。様々な方法で死んだ同一人物の大量の亡骸は不快な疑問を持って、発見された。
双生児や3つ子なんかではない100体ものの同じ人間の遺体。しかし、それは序章に過ぎなかった。
後日、次々と被害者が見つかる。
使われていない林道の奥、閉鎖されたホテルの地下、山の山頂、崖の下、人が踏み込まないような場所に積み上げられた死体、死体、死体‥‥。
最初の事件から3ヶ月。一般人の被害者は12人だが、その遺体の数は100人ずつある為に既に1200人に膨れ上がっていた。遺体だけは一町分の人が亡くなったのだ。
被害者に共通点はなく、10代から60代まで被害者の年齢はバラバラであり、男女6人ずつ、様々な方法で亡くなっていた。
警視庁は遺体の謎はさておき、犯人捜しに奔走した。
これは意外にも早くに目星がついた。
だが、その後、謎が深まることに‥‥更に無惨な事件に発展するとは誰も思わなかった。
「犯人が死体発見した場所の近くを彷徨いていたのを監視カメラが捉えていた。その上、状況証拠も証言もあった。そして、俺達は脇を固めて犯人をとうとう逮捕した。‥‥逃げられたがな。」
「犯人の名前は島﨑春記。彼を逮捕した時、あっさり自分がやったと認めました。ですが‥‥。」
ファイルには若い、大学生ほどの青年の写真がある。黒髪黒目の平凡に見えて割と端正な顔立ちの青年だ。しかし、問題はその写真の下に書かれている年齢だった。
「3×歳‥‥?若い頃の写真しか無いんですか?」
「いえ‥‥事実。逮捕した時の写真です。」
「若作りにも程がありませんか?」
「それが誠に不思議でして‥‥。」
相模刑事は訝しがるアンに初耳では耳を疑うだろうことに、犯人である彼が教師を辞めた時、その離任式の写真を取り出した。
そこには年齢に似合う30代後半の壮年の好人物が愛する生徒に囲まれて映っていた。
「本物の島﨑春記なのですか?」
アンが聞いてきた疑問は最もだった。教師であった島﨑春記と犯人である島﨑春記は見た目の年齢が違いすぎる。教師の島﨑春記の双子の弟というにも息子というにも無理がある。そもそも島﨑春記は1人っ子で独身、両親は既に亡くなっていて天涯孤独。親戚すらいない。血縁が島﨑春記を名乗っているわけでは無かった。
ならば、と。警察は別の誰かが成りすました可能性を挙げたが。
「島﨑春記本人としか言えないんです。」
「というと‥‥?」
「DNAがそう言っているんです。」




