禁忌③
「で、先輩方はアンの解放して、首切り事件に終止符を打ったんですね?」
相模刑事は都心郊外の独特な虚無に満ちた雰囲気の中で車を回す。見える3つ先の信号は赤だが、目の前の信号は青だ。行ってもいいが、この先はブレーキ踏めよと青信号は言っていた。
その相模刑事の言葉に蒼井警部は疲れた表情をした。
「奴は未解決事件を解決したという恩を売りやがった。それを一笑して流せるメンタルはもう当時警視庁には無かった。ただただアンというまさにunknownな存在が不気味で仕方がなくて、そんな存在が自ら解決してくれるなら、解放でも何でもして遠ざけたかったのさ。」
「ただ雑談をしただけで真っ当な人間を犯罪者に。暇潰しで時効を迎えた事件を解決‥‥兎にも角にもcrazyな人がいたものですね‥‥。」
「矛盾が成立する妙な女だ。あのどうしようもない犯罪を終わらせた時も意味がわからなかった。」
「‥‥何をしたんです?」
寂れた飲食店の前を、ブラックバイトが働くコンビニを、小学生が縄飛びする路地を、相模刑事は車で通っていく。目的地まであと5分ですと有能なカーナビが機械的に案内した。次、右っと、と呟く相模刑事に蒼井警部は神妙な面持で言った。
「‥‥ただ自分が取り調べを受けていた時に話した雑談を聞かせろ、と言われて実行したのさ。」
「はい?」
「拡声器でもテレビでもラジオでもいい。何だったら、小説にでもしてしまえばいい。そう言われ実行した途端、事件はすぐに終息したよ。」
「いや、ええ‥‥嘘じゃあないですか?雑談で犯罪者を丸め込んだどころじゃないでしょ。何がどうなってそうなるんです?冷戦時代のアメリカとソビエトが同盟を組むぐらい有り得ませんよ。」
「その有り得ない結末が現実だったんだ。聞かせたら犯行に及んだテロリストは全員、漏れなく自首した。自首した本人も何故か自首したくなったとしか自首した動機を言わなかった。不可解だよ、全く。」
「魔女かよ。」
相模刑事は息を呑む。同時に緩やかにブレーキを踏んで、その場所にある駐車場にハンドルを切って駐車する。タイヤとコンクリートが擦れる音をBGMに蒼井警部は細く息を吐いた。
「しかし、今回の事件はどうだろうかね‥‥?」
無線越しにまた同僚が仏になった報告が上がる。これで警察は5人目。一般人は既に12人被害が出ている。
そんな2人の警官が車から出て、車のドアが閉まる音がその場所に響く。
タバタの某所に立つ三階建てのビル。一階は駐車場、二階は事務所、三階は居住スペースになっている個人的に事務所を構える人間の為に作られた外観無機質なビルは、贅沢なことに現在1人の人間だけにしか使用されていない。二世帯どころか三世帯分の人間が使えるスペースをたった1人で使っているその人は、駐車場に人間が2人来たことに気づきながらも、コーヒーを片手にソファに座っていた。
事務所である二階は閑散としたもので事務机と本棚が1つずつ、家主兼事務所長であるその人が座るソファとコーヒーメーカーと固定電話が置かれた小さな猫足の机、そして‥‥テレビが一台置かれていた。
薄型ではない、かなり年季の入った汚れた赤い箱型テレビ。画質も音質も良くない、更に、今流れているニュースも辛気臭いという褒めるところがないテレビをその人はじっと見ていた。
『速報です。1✕時8分頃、東京都✕✕区にて警察官1人が遺体で発見されました。殉職したのは警視庁所属〇〇〇〇さん35歳。彼は指名手配中の容疑者を追跡中でした。しかし、何らかの事故によって水死体で発見され、今、警察が真相究明に乗り出しています。』
『また、遺体が発見された場所は近辺に川も海もない路地裏で、被害者が水死するような場所はなく、また、水死体は圧迫され骨身が砕けた状態で発見されました。犯人及び凶器は見つかっていません。』
『警察は、周辺地域の小学校及び中学校は臨時休校となり、不要な外出は控えるよう注意しています。』
そこまで見て、事務所の玄関のインターホンが鳴る。その人は緩やかにコーヒーカップを机に置くと、落ち着き払った様子で立ち上がると玄関に向かっていった。
彼女の履いてるパンプスのカツカツという音と、テレビアナウンサーの淡々とした声音、インターホンの無味な音だけが事務所に流れる。
そんな中、テレビに映る現場の様子の中にその人は1つ、発見をした。
「なるほど。面白い方だ。」
その人、1つ、小さな微笑みを浮かべた。
こうして警視庁からアンと呼ばれる魔性の女はこの事件に関わることとなったのだ。




