表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
UN ー『作家』の探偵ー  作者: しお。
32/32

百目 後日









橋山雛はその日、橋山俊彦とドライブに出かけていた。

結婚してからは一年ぶり、彼女が塞ぎ込んでから初めてのドライブだった。

運転席で橋山雛のただ一人の旦那はカーナビの指示に従いながら必死に道を走っている。

外は大雨、景色は田んぼのみ、道は農道。彼らの車は約二時間前に道を間違えて、それからずっと迷っていて、ドライブしに来たのか、路頭に迷いに来たのか、最早分からない。雨は激しくてフロントガラスは滝のようになっていたし、田んぼは泥水まみれで情緒もクソもない。農道は砂利道だから、あわやスリップ事故になりそうになった瞬間が先程から何回あったろう。

本当に、何しに来たんだろう。

そう考えると橋山雛は急に笑いたくなった。

ドライブに誘ったのは橋山俊彦の方だ。彼なりの精一杯の誘い文句で誘われて、乗ってみればゲリラ豪雨に遭い、カーナビを聞き間違えて道に迷って、昼時を過ぎてお腹が減って、家で作ってきた弁当を食べようとしたら盛大にひっくり返して、万時こんなで本当に橋山俊彦という男は格好がつかない。

ドジからドジを踏んで、本当に、駄目な男。

しかし。

「‥‥悪くないわ。」

「へ?なんか言った?」

「ただ貴方って楽しい人ね。って。」

「た、楽しい!?本当に?僕ら遭難してるんだよ!?楽しめる?楽しんでる!?」

「迷ってるのは確かに嫌よ?だけど、貴方のその顔が青くなったり赤くなったりしながら、頑張る姿が‥‥なんというかマスコットみたいな可愛さがあるのよね。」

「マスコット!?僕、ゆるキャラじゃないよ?」

「分かってるわよ。でも、本当に楽しいの。貴方じゃなきゃ今頃、私、イライラしてるとこよ。大雨の迷子ドライブで、本当に何しに来たか分からないけど、貴方の頑張ってるとこ見てると、こんなドライブも好きだなって。」

「す、す、す、好き!?」

「貴方となら、どこへでも行けそう。」

「よく迷子でそこまで言えるね!呑気なのか惚気なのか僕はどっちを取ればいいの?」

「俊彦さん。今の道、左よ。」

「ぎゃあ!また迷った!」

夫婦は道無き道に入ってしまう。林道も林道。酷道と言っていい。車一台しか入れないような道に入り、Uターンも出来そうにない。バックしようにもこの雨で後ろが見えない。橋山俊彦は泣きそうになっていたが、必死に格好つけるために、前進することにした。

「若しかしたら別の道、抜け道とかつくかも!だから、進むよ!」

先程からこうして迷いに迷っているのだが、橋山雛は苦笑するだけで許して、ガタガタ揺れる道を楽しんだ。

そうしてしばらくして橋山俊彦が表情を曇らせて打ち明けた。

「ねえ、僕と結婚して本当に良かった?」

「え?」

突然のことに橋山雛は目を瞬かせる。その旦那は自信無さそうに言った。

「君は‥‥あんな女に執着されるくらいには良い女性だったんだろ?君の大学時代を知らないから何も言えないけど、君は僕よりももっと良い奴と結婚出来たはずだ。鈴木始がそうだ。あの人は自分の奥さんをよく庇って気をつかってた。そんなの僕には出来ない。‥‥君を守れる男じゃないんだ、僕は。そんな度量がない。あの女じゃないけど自分に自信が持てないんだ。君に似合う男じゃ‥‥ないんだよ‥‥。」

「‥‥。」

神妙な顔をする自身の旦那。確かに頼りがいはない。浮かぶ特徴はマイナス面ばかり、長所をあげるにも一苦労な旦那だ。実際、ちょっと前まで旦那に苛立ちしか感じなかった時期もある。

でも、だ。

「そんなこと気にしてたの?おかしいわ、笑いそう。」

「へ?」

「貴方、もっと自信持っていいんじゃない?少なくとも私の中では貴方に勝る人はいないわ。」

「え?」

「貴方はちゃんと私のことを考えてくれる人。自分ばっかりな時もあるけど、私を忘れた事は無いじゃない。なんだかんだ気も遣ってくれるし、感謝もしてくれる。‥‥ちゃんとなくなっちゃったあの子のことも無かったことにしないでくれる。」

「‥‥雛。」

橋山俊彦がそう言われて、照れたように俯く。しかし、運転中の俯きは致命傷。視線を外した瞬間、気がつかなかった大きな石に車が乗り上げた衝撃で橋山俊彦は天井に頭を盛大にぶつけた。

全く情けない。

しかし、橋山雛は気を悪くはしない。

先日の事を思い出す。


未桑カナタが警察に連れていかれたあの日の夜。

橋山俊彦はこう言ったのだ。

「‥‥あの子に名前を付けないか?」

「‥‥?どうして?」

橋山雛にはその意図が最初掴めなかった。抱くことも出来ず、別れた愛し子。思い出すだけで泣きたくなる大切だった子。その子の名前をつけても戻っては来ないのだ。だから、名付けるのも辛くて、あれからずっと有耶無耶にしていたことを橋山俊彦は今、しようという。

「その‥‥うまく言えないけど‥‥家族じゃないか。

これから弟とか妹とか生まれた時、彼らにお兄ちゃんがいたことを伝えたいんだ‥‥うちは四人家族なんだぞって‥‥。あの子だって俺達が大切にしていたのは本当だ。名付けないまま、このまま忘れたら、大切にしていたことも忘れてしまう‥‥。あれだけ雛が苦労しながら産もうとした子どもなんだよ?‥‥名前をつけて家族として忘れないであげようよ。」

そんなこと言う人だとは思わなくて、橋山雛が思わずポカンとしてしまったのは仕方がない。けれど、その後、すぐに耐えきれなくなって泣いた。

もう二度会えない子どもだ。

しかし、もう二度忘れない。

「ありがとう。そう言ってくれて‥‥。うん、そうしよう。」

泣き出した橋山雛にオドオドして焦っていた橋山俊彦にそう彼女は言って、泣き笑った。

そして、二人で名前を考えて悩んで、仏前に命名書と子ども服を置いて、また泣いて、それから2人で天国にいるだろう彼に祈った。


本当に良い人だと思う。

その時、惚れ直したというより、再度、その気遣いを思い出して、やっぱり好きだな‥‥と思った。

確かに橋山雛は今まで容姿やスペックで今の橋山俊彦より良い人に沢山会っている。しかし、ここまでのことを言ってくれる人はいない。

そう、あの鈴木始でさえも。

「元彼の鈴木先輩、貴方、良い奴って言ったわよね?」

「‥‥?うん。」

「実はそうでもないんだよ。」

「へ?え?そうなの?」

驚く橋山俊彦に橋山雛は肩をすくめる。過去を思い出して、ため息が吐きたくなったと顔に書かれていた。

「‥‥先輩はね。かなりタチの悪い浮気性なの。」






同時刻。


すっかり片付いた鈴木夫妻のアパートは元の通りに生活出来るようになっていた。

台所も洗面所もベッドも壁も元通り。しかし、休日だというのに人影は一人しかいない。

その部屋にポツンといるその人は味気ない一人の食事をして、冷えきったベッドに一人横たわる。隣には誰もいない。

その人は悔しそうに歯噛みして、自分の視界の向こうを見ていた。

視界の向こうには、実に外面だけは完璧な卑怯で嫌悪が止まらない相手が笑っている。

腕に知らない女を抱いて。

「はじめくーん♡久しぶりじゃん。どこでどうしてたのよ!たった一人の彼女を置いて!」

「あはは、ごめんよー?いやあ、さあ、ちょっと面倒な仕事があってさぁ!」

「激おこぷんぷんだったんだからぁ!あ、そうだ。今日は泊まりでデートしてくれるんでしょー?ホテル行こうよ!」

「うん、良いよ!‥‥っと、ちょっと電話が来たから電話に出ていい?」

「いいよー?」

そして、腕に抱いていた女に話が聞こえない距離まで来てから電話に出た。

「電話は辞めろって言ったよね?」

「ねえ、はじめ君。貴方の1番にどうしてもなれないの?」

「はあ?愛人で良いって言ったの、そっちだろ?派遣社員だったお前をウチの会社で正社員にしただけで満足するとかも言ってたのに!」

「でも、やっぱり私、貴方が好きで‥‥!」

「俺には妻がいる。だから、俺が好きな奴はセフレか愛人までって言ってるだろ。嫌なら、もう二度と会わないよ?」

「ま、待ってよ!はじめ君!」

そんな光景を鈴木始の妻、鈴木なつみは淡々と観察する。そんな鈴木なつみの周りには大量の‥‥目玉が転がっていて冷たく鈴木始を現在進行形で見つめている。

やがて鈴木なつみは自嘲して。

「貴方を地獄に落としてやるからね、始‥‥。ストーカーは私だってこと知らないうちが幸せよ?浮気と不倫で手酷く振って、会社にもバラしてやるから‥‥!!」

そう決意を新たにする。

あの二人の探偵に自分の目玉を見られた時は計画が始にバレるんじゃないかとヒヤヒヤした。しかし、上手いことあの探偵は鈴木なつみという鈴木始の本当のストーカーを隠してくれた。

部屋を荒らしたのは確かに未桑カナタだった。しかし、未桑カナタを隠れ蓑に鈴木始を四六時中監視していたのは鈴木なつみ。

目的はただ一つ、女を泣かせまくる男を地獄に落とす為だ。

結婚した時はまさかこんな男だとは知らなかった。どうやら鈴木始は本命は本命でゾッコンになるが、ほかの女の子も囲いたい性分のようで、浮気性というにもタチの悪いハーレム願望が酷い人間だった。

そうして何人の女性を騙して、手酷く扱って、泣かせている。鈴木なつみはそれが許せなかった。同じ女性として許せなかった。

だから、鈴木始の不倫の証拠を限りなく集め、手酷く振られた女性達の証言や協力を得て、鈴木なつみは自身の夫を地獄に落とそうとしていた。

この2年で証拠は整った。後は実行するのみ。

準備も既に出来ている。未桑カナタに部屋を荒らされた時、鈴木始を追い詰め出ていくことを決意した鈴木なつみは計画を実行する為の準備をした。値は張ったが自分の服や私物など同じもの、もしくはサイズ違いだが同じデザインのものを買って、すり替えて、わざと未桑カナタに壊させた。出ていくことを悟られないようそれでカモフラージュをしたのだ。あの彼はすっかり騙されてくれた。本物の私物や必要なものは全て仮拠点にあるのに本物だと信じて疑わず色々としてくれた。数日後には私がここから去ることを知らないまま‥‥。全てはあの夫を追い詰めるためだ。この部屋には必要最低限なものしか置いていない。弁護士といった協力者達も揃った。あとは秒読みだ。

「せいぜい、楽しんでね。」

薄く笑う顔に一筋、涙が落ちる。

あの探偵の言葉‥‥フロントガラスに張り付いた自分の『作品』に向かって言われた言葉を思い出す。

「嫌な男に振り回されて可哀想な人。」

本当にその通りだ。

自分も含め、橋山雛を初めとした女達は彼に振り回されて酷い目にあっている。

しかし、次、酷い目に会うのは鈴木始、その人だ。





‥‥。

橋山俊彦は絶句したまま、固まっていた。しかし、それでも運転は出来ているので、橋山雛はおかしくて少し笑ってしまった。

「だからね。鈴木先輩は確かにイケメンだけど、人間性に問題があるの。本命の女の子を大切にしつつ、セフレだの愛人だの平気で作っていい気にさせて飽きたら捨てるっていう酷いことができる人。顔がいいから女に困らないしね。

厄介なのは、本命は本当にベタ惚れというところだけど。」

「‥‥。」

「あ、因みに私は愛人の方だった。本人曰く本命に振られたら補欠にするつもりだった枠だったって。綺麗に騙されてたの。先輩とは他学部だったから先輩の本性、全然知らなくて、大切にしてくれる恋人だと思ってたら、大間違い。友達がリークしてなきゃ今頃どうなってたか‥‥。」

橋山俊彦みたいな女性と全く縁がなかった男には想像出来ない話だ。というより、あの鈴木始がそんな男だったとは予想外過ぎて、目が点になる。

「‥‥そのこと、なつみさんは知ってるの?」

「知ってると思うよ。」

「よ、容認してるのかな‥‥?」

「それはしてないわ。多分、近々鈴木先輩捨てられると思う。」

「どうして分かるの?」

「わかりやすいもの。俊彦さん、鈴木先輩が庇ったり気をつかってたって言ってたでしょう?」

「うん。」

あの行動に嘘偽りは無かった。男としてそれは本当だと思う。一方で、橋山雛は冷めた表情で言った。

「それされた時、鈴木なつみさんの表情見た?」

「?」

「見たことないくらい冷めた表情だったわ。あれはもう鈴木先輩に愛想尽かしてるとしか言い様がない表情だったもの。」

ご愁傷様、先輩。

これからさぞや修羅場になるだろう鈴木始に橋山雛の心の声が届くことはない。それが鈴木始にとって一番良いことだろうと、橋山雛は早々に鈴木始のことを忘れることにした。

「ねぇ、今度、泊まりに行きましょう?一泊でも。まずは今日のドライブだけど。」

「旅行!?うん、いいね。‥‥その前にウチに帰れるといいんだけど‥‥。」

「帰れるよ。少なくとも深夜には。」

そんな夫婦の会話をする。

外の景色は最悪だが、車の中は実に和やかで暖かく、最高だった。

「‥‥あの探偵さんに出会って良かったよ。」

橋山俊彦が会話の中でそう言った。

「探偵さんのおかげで、僕達は再出発できて、あの女の人を警察に突き出せた。どこまで重罪に出来るか分からないけど‥‥でも、あの人達がいなかったら、こうはならなかったね。」

そう橋山俊彦が語るのを聴いて、橋山雛も頷いた。

「そうね。あの人には感謝‥‥ん?」

ふとそこで、橋山雛は気づいた。

「‥‥ねぇ、俊彦さん。」

「どうしたの?」

「あの探偵さん、名前なんだっけ?」

よく考えれば、顔も思い出せない。探偵事務所の名前と物凄く世話になった印象は覚えているが、詳細が思い出せない。二人、探偵がいたことは確かだが‥‥。

どういう話をして、未桑カナタを追い詰めたんだっけ?いや、まず未桑カナタと私達はどういう流れで会ったのだろうか?全く思い出せない。

背中に嫌な汗が流れる。

あれ?‥‥何で忘れているんだ‥‥?

橋山俊彦もまた頭を抱えた。

「‥‥忘れたな‥‥。全然思い出せない。」

しかし、彼は楽天的に。

「まあ、いいじゃないか。そこまで関わった人ではないし、これからずっと関わっていく人でもないんだし、忘れても。」

「そ、そうかな‥‥?」

「そうだよ。とにかくこの道から脱出しないと‥‥。」

そこで話は終わってしまう。

橋山雛は確かに俊彦さんの言う通りだと思いつつ、感じる悪寒に震えた。何故、悪寒を感じるかは分からない。しかし、とにかく何故だか思い出せないことが不気味でたまらない。そんな気持ちを隠して、橋山雛は穏やかに笑うことに徹することにした。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ