百目 ⑩
「島崎。ストーカーってどうして存在するんでしょう?」
「さあ、僕にはさっぱり‥‥。でも、一つ確実なことは、相手に対して執着するから、ストーカーって生まれるのではないのですか?」
「そうですね。人間は一人では生きていけませんが、別に仲間のいない伴侶のいない『独り』でも生きていける‥‥。それでも、誰かと生きることに幸せを見出す。だから、社会の中、または集団の中で、あるいは誰かの隣で生きていこうとする。ただ、それが過剰に‥‥その誰かと共にいなくては、自分の幸せはない。そこまで思いつめたら、ストーカーになりえるのかも知れません。」
「‥‥つまり、自分の幸せの為に、他人に執着するということですか?それだと他人‥‥この場合、鈴木始に幸せはないじゃないですか。ただストーカーは自分の気持ちが大切だから、鈴木始に迫っているだけだ。」
「島崎、他人にストーカーするというのはほぼ自分の為にするものです。自分のことを行動を意思を愛を伝えたいから、ストーカーになる。そこに鈴木始のような所詮他人である愛しい人の意思は求めていませんし、その人の想いも自分の意に沿わないものだったら、捨てます。ストーカーというのは結局、相手に自分の気持ちを分かって自分の理想通りに動いて欲しい。そんなものですよ。」
「独り善がりじゃないですか。本当に嫌な話ですね。」
「しかし‥‥今回の件に関して、先程言ったようなストーカー像はやや当てはまりません。」
「と、言いますと?」
「今回の件はもっと複雑ということです。」
「複雑?ストーカー自体、複雑だというのに、それ以上の複雑があるんですか?」
「ええ、まず二人、鈴木始をストーキングしている人間がいる時点で複雑です。しかも、一方は前提からして、愛しているからストーカーしているのではないのです。とはいえ、こちらは依頼されていないストーカーなので、無視しましょう。」
「‥‥いいんですか?」
「今回の依頼料ではどうしようもありません。もっとお金を積んでくれたら‥‥いえ、無理ですね。流しましょう。」
「‥‥。」
「問題は今から糾弾しに行くストーカーの方です。
彼女は鈴木始が好きでストーカーをしてもいますが、目的はもっと別にあります。」
「‥‥目的‥‥。アンさんはストーカーは橋山雛ではないと言いました。でも、あの荒らされた部屋‥‥あのメッセージ的には橋山雛です。鈴木始に未練のある彼女が復縁を望んでいる‥‥そんな話です。しかし、それだとストーカーは鈴木始と橋山雛の復縁を望んでいたことになり、鈴木始に好意を抱いていると考えるにしては些か疑問です。何故、好きな人が他人と結ばれることをストーカーは望んでいるんですか。普通、愛しているなら自分を愛すように仕向けるでしょう?」
「あら?島崎はまだまだ人間の‥‥精神面を知らないんですね。意外です。」
「‥‥精神?」
「そうです。人間は複雑なんです。必ずしもステレオタイプな人間などいません。それぞれバラバラに、一人一人バラバラな考えで動いている。同じような価値観を持っていたとしても、方向性や感じ方はまるで共通点がない。貴方自身が良い例でしょう?貴方は他の人間とは違う。私とも違う。誰でもなく貴方でしかない。ストーカーもまた然りということです。彼女は彼女の中では真っ当なのです。ただ周りから見れば、かなり異常者ですがね。」
「‥‥その言い方だと、アンさんはストーカーの動機が理解出来ているみたいですね。」
「ええ、分からなくはないですよ。私は絶対にしませんがね。やりたくない以上に、そんな誰も幸せにならないものを幸せだなんて思う人間になりたくないです。島崎だってそうでしょう?貴方、今回のストーカーの立場だったら、どうします?」
「そうですね‥‥。アンさんと同意見です。ストーカーになって被害者を追い詰めるという点にはやや興味ありますが、この手の人間にはなりたくないです。」
「そういう事です。とにかく話を戻しますが、今回の件は複雑です。事件の全容もストーカーの動機も、橋山雛が二人いるのも‥‥彼女の子どもが何故亡くなることになったのか、それら全て複雑に絡んでいて、本当にストーカーに極悪、性悪、意地悪と肩書きをつけても問題ありません。その上、最大の問題はその動機が実に純真な恋心で反省の色はほぼ無いだろうと出会う前でも分かってしまうことですが。」
「その場合、どうするんですか?燃やしますか?」
「殺すには早いですよ。あと、依頼に殺してくれなんて一言も無いでしょう。そんな無給重労働したくありません。大体、相手は『作家』です。死にません。
というわけで、鈴木始の弁護士に連絡をつけてます。最終的な解決は向こうに完全に丸投げです。あと、橋山夫妻と鈴木夫妻には警察に相談するよう、そして、両夫妻に引越しを勧めました。ま、あの状況だと鈴木夫妻は引越ししませんでしょうがね。」
「‥‥ところで、鈴木夫妻って不思議というか、変な夫婦ですよね。なんというか‥‥鈴木始は鈴木なつみを想っているようですが、鈴木なつみは鈴木始に対してちょっと冷たくないですか?」
「‥‥おや、今頃、気づきましたか。」
「最初から思ってはいましたよ。でも、本当に謎な夫婦じゃないですか。」
「そうですね。島崎、しかし、それを調べるには今回の依頼人が鈴木なつみでもあることを忘れてはいけません。依頼人が許可していないことを調べてはいけません。どんなに気になってもです。」
「‥‥探偵ってそう考えると不自由ですね。調べたいことを調べ尽くしたいというのに。」
「だからといって、辞めないでくださいね。辞めたら、前払いは返してもらうことになりますからね。」
「それはゾッとしますね。辞めません。指名手配犯にまた戻ることになるじゃないですか。それに、僕は意外とこの生活気に入っているんですよ?」
「へぇ、それは知りませんでした。」
「ええ、知らない世界を生きるって楽しいんですよ。アンさん。貴方は最初からこの世界しか知らなそうですがね。」
深夜、高架上、前進、広がる夜景。
午後11時過ぎ、首都高、下り、暗い車内。
相手の顔が見えない中、隣同士で座る二人はまるで互いに互いの最大の理解者のように話す。
事実、そうであるように見えた。真実、そうではないとも思えた。
しかし、本当がどうだかは二人しか知らないわけで、それを探るのは実に失礼で、意味が無い。
ただ理解できるのは。
「よく私が最初からこの世界しか知らないとわかりましたね。ええ、事実、私は『作品』と『作家』が関わる世界しか知りません。真実、今回の件もそうですからね。本当にその通りです。それ以外は知りません。ただ貴方とは違い、他の事に興味は全くありません。わかるでしょう。島崎。」
「確かにアンさんは無闇矢鱈に好奇心は抱かない人でしょうね。無知に可能性を感じる人でもない。‥‥いや、そうじゃない。考えてみれば、貴方は最初から何でも知ってた。私と出会った時から、私の教師のように世界を教えていた。そうだ、貴方は“最初から全部知っているんでしょう”?僕は無知だが、貴方は全て既知なんだ。だから、興味が無いのでは?」
島崎は高架下、眼下に見える光の絨毯、そこに這い回る矮小な人々の人生をガラス越しに覗き見ながら、自分の隣にいる眼下の忙しない蟻の世界を無視している彼女をちらりと横目に見た。
彼女は不敵に、それでいて無邪気な微笑みを浮かべていた。
「島崎、覚えておくと良いですよ。私が既知であるのは、その方がとても楽しいからです。何が楽しいって、その辺にいる人間の遊び方を知っているというのが愉快で堪らないのです。」
「人間の遊び方?」
「そうですよ。人間の人生、他人のも自分のも手に持って遊ぶ。つまり、弄ぶ。これは愉快と快楽、楽天しかない。」
「はあ、よく分かりませんが‥‥。」
「探偵業はその意味では天職なのですよ。他人の人生を散々暴いて大っぴらに引っ掻き回して堂々と公にして、それだけしときながら、始末は他人任せにしていいんですから。実に愉快。今回のストーカーだって私は楽しみなんです。」
「ストーカーの人生を引っ掻き回せるから?」
「いえ、○○みたいな人間を不幸に出来るからです。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥はい?今、なんと言いましたか?」
お互い、まだ互いに知らないところはあるのだった。




