百目 ⑦
「では、ある程度、調べは済みましたので、犯人探しに移ります。あの百目という存在を思うに、どうやら当初のように犯人は一人のようです。」
「‥‥。」
「一人、ですか‥‥。つまり、あの百目が始をずっとストーカーしてたんですか?」
「ええ、先程も言いましたが、視線を感じた時、その先を調べたらあれがいますよ、恐らく。あんな小さくて縦横無尽に動ける存在なら、貴方のそばを付かず離れず‥‥監視することが可能かと思います。会社の中や慰安旅行だって紛れ込めますよ。」
「それはそうかも知れませんが‥‥現実離れしすぎて‥‥。」
「しかし、貴方方は実際見た。」
「‥‥。」
「とにかく、我々は依頼通りストーカーを探します。橋山雛が犯人というには彼女自身にアリバイがありすぎます。しかし、かといって彼女以外に目ぼしい人物もいませんし、洗い出して見ます。」
「はい、よろしくお願いします。」
「本日はお二人で過ごされる方がよろしいと思います。どこにあの百目がいるかわかりませんから。」
「ええ、ありがとうございました。」
呆然とする鈴木始を心配しながら、鈴木なつみはそうお礼を良い、再度会う約束を立てて、そっとアン達と別れた。
鈴木夫妻がいなくなった後、島崎は満足げにアンに話しかけた。
「面白いですね。この目玉。本の中で色々実験しているのですが、針千本刺しても、火で炙っても、痛がるだけで死にません。」
そんな島崎に「客がいる前で何、残酷な実験に精を出しているんですか?」などと無粋なことをアンは言わなかった。
「それは『作品』ですから。生まれたらずっとそのまま生き続けますよ。特定の事がない限り、何をしてもそうなると思います。」
淡々と目玉が今、本の中で地獄を見ているとしても知らない振りでそう語る。島崎は本の中で目玉を弄り回しながら、目を瞬かせて。
「特定のこと?それ、何ですか?」
そう興味深げに聞いたが、アンは。
「またいつか話しましょう。」
と勿体ぶるように笑って、話を変えた。
「ところで、島崎。あの部屋、どう思いました?」
帰路に立ち、アンと島崎は歩き出した。島崎はその問いに顎に手を当てて。
「なんというか‥‥手が込んでいると思いました。」
壁中の写真、床に散らばる服の残骸、引き裂かれたベッド、撒き散らかされた墨汁、絵具の手‥‥。しかも、あの広い部屋を全て荒らしている。
「あれだけの広さと用意しただろう道具を思うと‥‥一日じゃ出来ないと思いますよ。」
荒らされていたあの部屋は‥‥手が込んでいた。あの部屋を作るには、壁中に写真を一枚一枚貼る作業、箪笥の中にある服を全て切り裂く作業、ダブルベッドを引き裂くにも重労働だろう。しかも、ストーカーはスプレー缶、墨汁、絵具を持ち込んで部屋を荒らしている。
あれだけ荒らすには時間と金と力がいる、そんな印象を島崎は持っていた。
「本当に一人であれだけのことをしたとは思えません。一日であれだけ荒らすには、せめて10人は欲しい作業ですよ。」
「確かに。しかし、監視カメラに映っていたのは一人ですよ、島崎。」
そんな島崎にアンは語る。
「方法はあります。あれを一人でする方法は。」
「というと?」
「前もって準備しておくんですよ。」
そう言って、アンは荷物の中から袋を取り出した。中には布の端切れが何枚か肩身が狭そうに入っている。
島崎は瞬きして、「何です?それ。」と思わず聞いた。やや楽しげな調子でアンは話した。
「‥‥動かぬ証拠ですよ。この布は現場にあった切り裂かれた服の欠片です。元はなつみさんの服という話でしたが‥‥。」
アンは袋から布を取り出す。よく見れば、その端切れには‥‥服のサイズを示す表示が全て着いていた。それを島崎にアンは渡し、確認するよう促す。
「なつみさんの服のサイズはSでした。それはどうです?」
聞かれて、島崎は表示を見た。
サイズは全てLサイズだった。
「では、あの部屋の散乱した服は全て鈴木なつみさんの服ではないということですか?」
「ええ。恐らく前持ってストーカーが買ったものを切り裂いて、あの部屋にばら撒き、本物のなつみさんの服は持って帰ったんですよ。」
「なんと。」
「しかし、それをなつみさんは気づいて欲しくは無かったようですよ?」
「ん?」
「何せ、その布、全部ゴミ箱に入ってましたから。」
洗面台を調べた時、鈴木なつみの背後にゴミ箱があった。そのゴミ箱に立ち塞がるように鈴木なつみは立っていた。隠しておきたいようだった。
「ですから、貴方が点検口を開けて、あの目玉を出した時、こっそり一部いただきました。」
「すると、これですか‥‥。」
「この布は切られた服がなつみさんの服ではないことと、実は別の服を前もって用意して部屋を荒らしたという証拠です。そして、なつみさんはそれを私に触られて欲しくなかった。‥‥どういうことでしょうね。」
そうアンから聞いて、島崎は考える。
鈴木なつみの行動は不可解だ。橋山雛がアンの探偵事務所に依頼していたことを知っていたのも、それを知っていてアンに依頼したのも、鈴木始に説明しないのも、一番の被害者にしてしっかりしすぎているのも、ゴミ箱の前に立ち塞がっていたのも不自然で不可解、奇妙だ。もしや全て彼女の自作自演で、ゴミ箱に入れていたこの布は彼女が証拠隠滅し忘れた残骸だったのだろうか?
「それは早計ですね。島崎。」
アンがそんな島崎の推論を止めた。
「鈴木なつみが自作自演していたとしても、理由は何でしょう?何せ彼女言ったではありませんか、『橋山雛がストーカーとは思えない。』と。あの荒らされた部屋と監視カメラを見る限り、ストーカーは橋山雛だと言わんばかり。それ以外の可能性を消去している。鈴木なつみは他の人間がストーカーだとはっきり言ったのも含め考えると、鈴木なつみがストーカーの正体で橋山雛をストーカーに仕立てあげたかったら、私達に依頼なんてしませんし、橋山雛を擁護しません。」
「なるほど‥‥。いよいよ奇々怪々複雑怪奇になってきましたね。」
島崎は頭を抱えた。
しかし、考えつくことはある。
「けれど、こうは考えられませんか?鈴木なつみはストーカーの協力者とか。」
「ほう。」
鈴木なつみは被害者というにはあまりに冷静すぎる。気に病んでいる様子もない。それが不思議でならない。あれだけのことをされたら、普通追い詰められるだろうに。
だから、こう思うのだ。
「鈴木なつみは本当のストーカーを知っているんです。そして、そのストーカーと協力して部屋を荒らした。しかし、流産した橋山雛が可哀想になって、今回のようなことをした。‥‥そう思いましたが?」
そう島崎が推測を述べると、くすくすとアンが笑った。
「‥‥島崎は賢いですね。まるで貴方が鈴木なつみのようだ。よく彼女のそこまでお考えになれますね。ですが、どうなのかは今の段階で考えるには‥‥少し材料が足りません。何せあの百目のことがあります。『作家』を探さなくてはなりません。」
「『作家』。確かにそうですね。」
あの百目は完全に『作家』が作った『作品』である。あの夫妻を監視する為、ストーカーする為の『作品』なのは一目瞭然だ。
「ストーカーが『作家』で、あの『作品』はストーカーの『作品』ですかね?」
「そうでしょうね。」
アンはそう肯定して。
「橋山雛がストーカーではない証拠は結構ありました。彼女がストーカーではないのは確かかと思います。では、誰が彼女になりすまし、何故彼女は貶められたのか。誰が何のためにこんなことをしたのか‥‥調べないといけません。」
スマホを取り出し、橋山雛に連絡した。
三日後。
橋山雛の自宅にアン達は来ていた。三日前、中間報告の打ち合わせをする予定をこの日に入れたのだ?しかし、生憎、自宅に橋山雛はいなかった。
代わりにやや濃い疲労を抱えている顔をした冴えない男性が玄関に出た。
「すみません。雛は貧血で病院に‥‥。約束は二日後にして欲しいと伝言で‥‥。」
橋山俊彦、橋山雛の旦那である。彼は本当に冴えない男だった。普通の男というより、ややブサイクな男と評するのがぴったりで、気弱に怯えるようにこちらを見ていて頼りなく、モゴモゴと口ごもり、独り言のように話すので話が聞き取りづらい。こんな旦那を彼女はよく選んだな、と島崎は思った。
アンは彼の聞き取りづらい人見知りの会話を聞くと。
「分かりました。出直します。雛さんにはあまり無理をなさらないで下さいとお伝えしてください。」
「‥‥。」
すぐに翻って帰ろうとした。
そこを。
「あ、あの‥‥!」
橋山俊彦は引き止めた。
「‥‥探偵さん、待ってください。」
「どうか、されましたか?」
「ああ、その‥‥あの‥‥き、聞きたいことがあって‥‥。」
「‥‥子どもが殺された妻を労るには‥‥どんな言葉をかければ、いいですか?」




