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UN ー『作家』の探偵ー  作者: しお。
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百目 ⑥









浴室の前にある小さな脱衣場。そこにこじんまりとした洗面台があるのだが、そこもまた悲惨なことになっていた。

天井まで届きそうな壁にかけられた一枚鏡と白磁の洗面台のあらゆるところに赤い手形が付いている。ぺたぺたと手で直接付けたような赤いそれ、絵の具とすぐ分かる色合いと質感だが、ぱっと見ただけだと本物の血と大差が無いように思え、悲鳴をあげてもおかしくない程だった。

「確かに指紋‥‥いえ、手形、そのシワまでくっきり残っていますね。」

アンはそんな手にも一切怯えず、手相占いもできそうな程にくっきり残ったそれを見た。

「因みに橋山雛、彼女の手とこれは比べましたか?」

「いや、まだです。監視カメラの映像だけで、雛が自供すると思ったので‥‥。」

「そうですか。」

アンはそう言うと、手袋をした自分の手と手形を横に並べて観察する。‥‥確かに女性の手形だが、アンの手より僅かに大きい。それでいて、そこそこ、ふくよかな指と手の平だ。持ち主はさぞかし健康な人物なのだろう。

「橋山雛は‥‥骨と皮でしたね。あの指は‥‥。」

鈴木始には聞こえないほどの小声でアンは呟く。そして、近くの壁に貼られている写真を見た。そこには遊園地で撮られたのであろう、青いコーヒーカップのハンドルを思いっきり無邪気に回す橋山雛がいるのだが、その手を見ると華奢で細い手なのが分かる。

「‥‥。」

その時、アンは背後から視線を感じていた。鈴木夫妻のものでは無い。そして、鈴木夫妻は気づいていない。その視線はアンただ一人に向けられている。


ジッ、


ジッ、



ジッ、







ジッ、








ジッ、ジッ






ジッ、ジッ、ジッ、ジッ





ジッ、ジッ、ジッ、ジッジッジッ



ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジッジッジッジッジッジッジッ



ジッ、ジッ、ジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッ


ジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッジッ、



ジッーー。


「‥‥100。」

「100?」

アンが突然呟いた言葉に鈴木始は不思議に思い聞いた。

「なんです?100って。」

「おや、失礼。何でもありませんよ。」

しかし、アンは何事も無かったように花が咲くような笑みを浮かべて微笑んだ。その微笑みに思わず鈴木始は顔を赤くしたのを、鈴木なつみが咳払いして辞めさせる。

「あと、気になる所ありませんか?」

「そうですね‥‥。」

ふと、アンはそこで鈴木なつみの背後を見た。そこにはゴミ箱があるのだが、目の前に鈴木なつみが立っていて調べられそうには無かった。そこから視線を逸らしてアンはしばし考えて。

「屋根裏収納ってありますか?」

そう聞いた。

鈴木夫妻は二人揃って首を振った。

「屋根裏収納はないです。換気扇とかエアコンとか水道管の配管が天井のすぐ上を通っているので。」

「では、天井のすぐ上には人は入れない訳ですか?」

「どういう意味ですか?人が入れないわけじゃないです。配管の点検とかで年に一度はトイレの天井から‥‥。」

そこまで鈴木始は口を開いて、気づいた。

「まさか、天井にストーカーが‥‥?」

ぶるりと鈴木始の身体が震えた。アンはそんな彼に淡々と恐ろしい話をした。

「盗聴器とか入れられているのでは、と思ったんです。だって、貴方方の生活を把握しなければ、ストーカーなんて出来ないでしょ?」

「ヒッ‥‥!」

そこへ島崎が帰ってきた。島崎は何故かトイレの方を見て震えている鈴木始と、どこか困ったように鈴木始を見ている鈴木なつみに首を傾げつつも、アンに報告した。

「写真撮って来ましたよ。」

「ご苦労様です。丁度良かった。島崎、トイレの上にある点検口を開けますよ。」

「はい、わかりました。」

淡々と交わされる会話に鈴木始だけがヒィ、と悲鳴をあげた。


点検口というのは大概施錠されていないものである。このアパートも拙いもので、天井に引っ掛けるように扉があるだけで手で扉を押せばロックが外れて、扉が開く仕組みだと鈴木なつみは話した。

「天井裏にカメラなんて考えたこともありませんでした。」

トイレに脚立を運び込んで、島崎は天井にあるそれに手を伸ばす。そんな様子を見ながら、アンは鈴木夫妻に話した。

「点検口から住居侵入とか、泥棒、覗きをするとかよくありますよ。気をつける人が少ないので、狙われやすいんです。これからはこちらの対策もされた方がいいでしょうね。」

そんなアンの話を聞きながら、島崎はいざ点検口に手をかけようとしていた。だが。

こ、と。

点検口を触った途端、なにかの振動を指に感じた。‥‥まるで生き物が点検口の扉の上を走っていったような‥‥。島崎は聞いた。

「天井裏って何かいますか?」

その質問に鈴木なつみは首を傾げた。

「何かいる‥‥?」

やや考えて、彼女はそう言えばと口を開いた。

「ネズミみたいなものが走る音を聞いたことがありますよ。」

「何それ、俺知らない。」

鈴木始は目を丸くしている。鈴木なつみはそれはそうよ、と頷いた。

「いつも聞こえるのは深夜とか、私が一人でいて他の音が全然聞こえて来ないときだもの。貴方が知らないのも仕方が無いわ。本当に微かな音だし。」

「へえ、そうなんだ。」

世間話のように話す二人にアンは表情も変えずに「おや、それは‥‥。」と目を瞬きさせた。

「ちょっと重大ですね。」

「え?重大?」

「ああ、いえ、だってそうでしょ?」

島崎は点検口の扉を手で押した。カチッとロックの外れる音がする。アンは言う。

「このアパートに、ネズミの入る穴なんてあります?築年数40、50の古いアパートならともかく、まだ8年でしょう?コンクリートと断熱材、遮音材の入った気密性の高い新しいアパートにネズミが入れる綻びはありません。

なら、ネズミではなく、もっと厄介なものです。」

そう淡々と解説するアンに鈴木始は息を呑む。

「や、厄介なものって‥‥。」

何ですか?そう鈴木始が続けようとした瞬間、島崎は点検口をゆっくりと開けていた。そんな天井と点検口の隙間にキラリと何か光った気がした。

アンは鈴木始の言葉が続く前にその問いに答えてくれた。

「それは、何とは断定できませんよ。けれど、一つ言えるのはそれは少なくとも100はいます。」

「100?」

「ええ、100個の‥‥。」

アンがそう言いかけると同時に完全に点検口は開かれる。



その瞬間、天井裏にいた大群が開いた島崎に‥‥点検口の下にある部屋に向かって濁流のように落ちてきた。



「わっ!」

島崎は思わず後ずさる。

するとそれは点検口から直で蓋の閉まったトイレに落ちる。電灯に照らされ、それはアンや鈴木夫妻の目の前に現れた。

現れたその姿に鈴木始は悲鳴を上げ、鈴木なつみは顔面蒼白になる。

現れたのは‥‥目玉だった。

大量の目玉。

人の目玉。

人間の目玉。

生きた人間の目玉だった。

それが涙を流しながら、トイレの中を転がっている。

「‥‥落ちた衝撃がよほど痛かったのでしょうね。泣いてますよ。」

アンだけがそう動物園の動物を見るような平静さで観察していた。

目玉は生きているようで微妙に脈動しながら、転がり、島崎やアン、鈴木夫妻を見ている。

見ている。

見ている。

見ている。

ずっと見ている。

目に穴が開くほど見ている。


見ている。見ている。見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見ている。



「うわああああああああああああ!?」

発狂したように鈴木始が尻餅をつき、逃げるように足掻いて後ずさりして、壁にぶつかるまで追い詰められる。その醜い失態さえ、目玉はジッと見ていた。

鈴木なつみも怯えていた。声を震わせながらアンに切迫した口調で問い詰める。

「何なのよ!これは!」

そんな一方で島崎は新しい玩具でも見つけたように、こちらを見つめる目玉を見つめ返して、おもむろに目玉の一つを手に取った。

問い詰められたアンはあくまで冷静に答える。

「私も初めて見たのでよく分かりません。百目、とでも呼びましょうか。どうやらこの目玉、本当に生きているようですよ。」

「生きてる!?生きてるって何よ!」

「生きているというのは、そのままですよ。彼らは生きているんです。」

そう語るアンの横目に島崎は目玉をつついたり、指で潰そうとして見たり、観察をしている。目玉は直接手袋で触られているせいか、かなり痛いらしく

眼球は血走り、涙を大量に溢れさせ、恐怖で瞳が揺れている。

島崎はその反応に大変満足したのか、その手に自身の『作品』‥‥あの本を取り出すと目に付く目玉を片っ端から本の中に入れていく。本の中に入る時、目玉の断末魔がトイレに響いたが、島崎は聞き流すどころか、聞いてもいなかった。

目玉を平然と握り、それをどういう原理だか本の中に入れていく島崎に鈴木夫妻は驚きから絶句していたが、アンが正気に戻した。

「鈴木始さん。確か職場でも監視されると言ってましたね。」

「え?、はっ。ああ、そうだ。」

「だとすると、職場にも多分、これと同じものがありますよ。」

「え?」

鈴木始のその顔は気持ち悪い、怖い、嫌だ、酷いでぐちゃぐちゃだった。

「ど、どういうことだ!」

「目は世界を見る為にあるもの‥‥。それを大量に作って貴方やなつみさんを監視している人間がいるということです。視線を感じる先をよく調べたら、多分、これがいますよ。」

その時、鈴木始に一番近いところにいた目玉が跳ねながら鈴木始に向かって転がりだした。

「ヒッ!」

鈴木始は立ち上がると逃げるように鈴木なつみの隣に来た。周りにいる目玉達は相変わらず、鈴木夫妻を見つめていた。

見つめていた。

見ていた。

見ていた。

見ていた。見ていた。


だが。


島崎の手がそれらに伸びる。目玉達は島崎に気づいて、恐怖に震え上がるようにピンポン玉が跳ねるように跳ねて逃げ出した。部屋中に散り散りになって逃げ回るが、尽く島崎の執念の前に無力と化して本の中に詰め込まれた。目玉の間で島崎が死神としてすっかり有名になった頃には目玉は1個残らず、本の中で平べったい目玉焼きの挿絵のようになっていた。

島崎は顔色一つ変えずに鈴木夫妻に報告した。

「集めて分析して調べたところ、この目玉は生きた監視カメラだったようです。体内に送信機能もありましたから、こちらの様子は簡単に言えば、生放送でストーカーに配信されていたようです。」

「分析‥‥?本で??」

「ええ、この本は一度入れたものを分析したり、複製したり、解体したりできます。顕微鏡と高精度のレントゲン装置と3Dプリンターとシュレッダーが一緒になったものをご想像頂ければと思います。」

そう説明する島崎に鈴木始はあまりに怒涛の展開についていけず、「‥‥時代は進化するんだな‥‥。」と考えるのを辞めた。



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