百目 ④
日付は翌日になっていた。
アンは真っ白なホワイトボードに昨夜引き受けた依頼をまとめていた。
依頼人は橋山雛(28)。2年前結婚。子どもを流産したばかり。
依頼人の旦那は橋山俊彦(30)。中堅企業のサラリーマン。
被害者である元彼は鈴木始(28)。依頼人が3年前まで付き合っていた元彼。2年前に結婚。
その元彼の妻、鈴木なつみ(27)。ストーカーに嫌がらせをされていた。
そうまとめて、アンは淡々とそれを方程式のように線と点のように結びつけていく。
橋山雛=ストーカー疑惑、アリバイあり。←鈴木始はストーカーと断定。
橋山俊彦=ほぼ空気。
鈴木夫妻=2年前からストーカーに悩む。
そして、大体の事件の要点を隣に書き出した。
・鈴木夫妻は2年前からストーカーに悩み、部屋を荒らされたこと気に弁護士を雇い、警察に相談した。
・鈴木始はストーキング、鈴木なつみは嫌がらせをされた。
・監視カメラには橋山雛が映り、彼女の指紋もあるという。
・鈴木始は橋山雛をストーカーと断定。
・橋山雛は3年ぶりに鈴木始に会った。
・被害者のメアドも携帯電話も橋山雛は知らない。
・住んでいた場所と時期、体型の変化もあって橋山雛がストーカーをするのは不可能。
そう書いて、それまでじっと見ているだけだった島崎が口を開いた。
「‥‥変な話ですね。もう一人、橋山雛がいるというのでしょうか?」
その質問にボードに書き込み続けながらアンは答える。
「一般的な推理で行けば、そうですね。橋山雛を騙った誰かがいると、この話を信じればそうなるでしょう。実際にそれが真実やも知れません。ですが。」
「橋山雛の話は客観性に欠けますか?」
「えぇ。」
二人はホワイトボードをじっと見つめた。その先に何かいるのを確かに二人は感じ取っていた。
「鈴木夫妻を探りましょう。あちらの情報が必要だと思います。
橋山雛の話は一見、本当に彼女が関わっておらず、根も葉もない中傷を受けたと聞こえますが、分からないことが多すぎる。彼女は鈴木始と二度と会わないと決めていた。だというのにストーカーは橋山雛だと断言されている。鈴木始も妙です。橋山雛にはアリバイがあったのにそれでも橋山雛をストーカーだと決めてつけている。
極めつけは、彼の行動が奇妙ということです。」
「奇妙、というと?」
「何故、弁護士と来て警察と一緒に来なかったのでしょう。」
「?」
「鈴木夫妻がやられたことは紛れもない犯罪です。橋山雛はその容疑者です。彼は橋山雛に警察には相談した‥‥いやその前に被害届を出すという話をしましたよね。そこには通報という言葉がありませんでした。」
「はい。‥‥ああ、言われてみれば妙ですね。そんな犯罪を犯されたら、警察に真っ先に通報しますよ。そして、警察が容疑者のところに行くはずです。弁護士は警察が捕まった後でも構いません。ということは‥‥鈴木始は警察に今回の件を通報していないんですか?」
「でしょうね。しかも、彼は真っ先に『金を払ってもらう。慰謝料だ。』と言ってました。まだ示談にするかどうか話し合いが行われていないのに、ですよ。」
そこまでアンと話して、島崎は表情を歪めた。
「もしかして、鈴木始が、金が欲しくてストーカー事件をでっち上げたとか無いですよね?」
「さあ?分かりません。」
だが、島崎の嫌悪感に満ちた疑問は素っ気なく返された。
「 とにかく足で情報を集めましょう。島崎、出かける用意をして下さい。」
「‥‥わかりました。何となく嫌な予感がしますけど。」
早くも橋山雛と鈴木始に不信感を抱き始める島崎だが、無理もない。この探偵事務所に来る人間は大体、普通ではないのだ。
そんな島崎にアンは言った。
「‥‥島崎、嫌な予感で済みませんよ。何せ『作家』が関わっていますからね。この事件は。」
覚悟決めて下さいね。
そうアンは人の悪い笑みで笑った。
しかし、非常に有り得ないことが起こった。
鈴木夫妻とアン達は直接話すことになったのである。
アン達が打診したのではない。向こうから『会いたい。』と来た。それも鈴木始ではなく、その妻である鈴木なつみから打診が来たのだ。
どこで知ったかは知らない‥‥若しかしたら橋山雛が話したのかも知れないが、鈴木なつみは探偵事務所に直接電話してきたのである。
「橋山雛さんの探偵さんですよね?」
「さあ?」
「‥‥知らない振りなんてしても、無駄ですよ。私は知ってますからね。貴方方が本当のストーカーを探していることを知っているんですからね。」
鈴木なつみは、2年間ストーカーに嫌がらせをされていたと聞いていたが、その割にはしっかりした‥‥憔悴どころか悩んですらいない雰囲気で、冷静で淡々とした女性だった。
そうして第一声が。
「橋山さんがストーカーとは思えません。」
「‥‥ほう。理由は?」
「女の勘です。」
というものだった。
「誰か橋山さんになりすましたと思うんです。あんな流産で苦しんで泣いている人が私の生活を荒らすなんて思えません!」
「‥‥一つ言いですか?」
「はい、何ですか?」
「何故橋山雛が私達の事務所に来たこと、それも依頼内容まで知っているのです?それに橋山雛の会話の中で、橋山雛が貴方と直接会ったという話はありませんでした。どうして橋山雛が流産で憔悴していると知っているんです?」
「‥‥。」
そんな電話口のアンと鈴木なつみの会話を聞いて、島崎はコイツはいよいよ大変なことになった、と溜息をゆっくりと吐いた。
しかも、鈴木なつみは自分の夫、つまり鈴木始に。
「この人達、探偵さん。橋山雛のアリバイを崩す為に私が依頼したの。ねぇ、いいでしょ。証拠は多い方がいいもの。」
とアン達の前で堂々と謀り、アン達には。
「調べて下さい。家も事件当時のまま保存してますから。あと、質問があったら是非とも聞いて下さい。あっ始にこの件はくれぐれも黙ってください。」
と被害者であることを忘れる程に、上手い嘘をついて段取りをし、鈴木始とアン達を引き合わせ、何もやましいことはして無かったかのように振舞った。彼女は相当な名女優だと思わずには居られなかった。
因みにアンが被害者側の情報を集めましょうといって二日も経っていない。
鈴木夫妻とアン達は被害に遭ったアパートに行く前に近くの喫茶店で落ち合うことにした。
喫茶店は老舗らしい昭和のノスタルジアに溢れ、上品なコーヒーの香りと、暖かな白熱灯に照らされたいい店だったが、彼らの周りに漂う空気は悪いの一言で、喫茶店の雰囲気を最悪にしていた。
特に突然やってきたアン達に鈴木始は嫌な顔をしていた。
「おい、なつみ‥‥!確かに証拠は多い方が良いけど、探偵なんて。」
鈴木始は一言で言えば、イケメンだった。モデル並の長身と俳優の容貌を持っていた。仕事を聞けば、かなり高収入な仕事をしていた。島崎が思うに女性が結婚したいと憧れるような完璧男子の部類だ。しかし、アンはそんな鈴木始に興味が無いようで。
「質問しますが、お二人は警察に通報しましたか?これだけのことが起これば、通報が妥当と思いますが。」
嫌な顔をする鈴木始に真っ向から相手がさらに不快になるような質問をした。‥‥こんな男関わりたくも無いと言わんばかりだ。
そして、予想していた通り、鈴木始は苦虫を噛み潰したような顔になった。イケメンが一瞬で醜くくなる魔法でもかけたようだ。
「‥‥職場に警察の厄介になったとバレたら不味いんだよ。当たり前だろ?僕の仕事はそういう仕事なんだ。」
それは何とも苦しい言い訳に見えた。しかし、その直後に。
「‥‥でも、このままじゃなつみが‥‥俺はともかく‥‥なつみが殺されちまう。警察には頼れないけど、何とか自分達で終わらせたいんだよ!」
そんな切実な言葉が続けられた。それは鈴木始の本音であるようだった。
「どうにか話し合いで決着をつけたい。裁判とか警察とか向こうには言ったけど、金と話し合いで片付けられるなら、そうしたいんだ。」
つまり、橋山雛に言ったことは嘘で、彼は最初から示談金で話を済まそうしているということだ。
アンはそんな鈴木始に溜息を吐いて。
「‥‥そんな都合の良くトラブルが解決することなんてほぼありませんが‥‥まあ、良いです。やりましょう。」
と無表情で引き受けた。
そんな鈴木始とアンの様子を鈴木なつみは非常に冷たい目で見ていた。




