百目 ②
依頼人、という名称は、一見三文字漢字を並べただけの言葉だが、対象の人物がどんな人物かよく表していた実に分かりやすい言葉である。依頼しに来た人と書けば、七文字必要だが、依頼人と書いたなら三文字で目の前の人がどんな人物か分かる。
しかし。
そんな依頼人という言葉でもその人物の全て表せないのだと島崎は理解して、内心、非常に残念に思った。
しかも、何故だか島崎が来てから『作家』が関わる依頼は一つも来ず、普通の人間の‥‥それも少し‥‥かなり面倒臭い依頼ばかりきた。
依頼人①
「あ、あの、恋人が浮気していないか知りたいんです!えぇ、あいつ毎日、帰りが遅いんです。朝の6時から夜の20時までいつも家を出ているのに、最近、23分遅れて帰ってくるんです!絶対男とメールするなり、会話するなりしているんです。23分で切り上げるのは恋人の僕に男を知られないようにしているからです!絶対浮気してます!その上、最近は『ストーカーやめて下さい。付き合った覚えなんてありません。』とか言うんですよ!?おかしいじゃないですか!」
アン
「酷いですね。そんな女性を切ったらどうでしょうか?そしたら全員幸せです。」
依頼人①
「え?」
島崎
「被害者さんも分単位で監視されて可哀想ですしね。警察に突き出される前に諦めた方が、ご自身の為ですよ。」
依頼人①
「‥‥ええ‥‥え?‥‥えぇえ‥‥。」
依頼人②
「わたしぃの彼ピッピ、既婚者だったのぅ~!こんなに好きなのに~まさか奥さんがいるなんてぇ思わなくてぇ。だから、奥さんに『別れてください♡』って言ったらぁ、何でかお金請求されちゃって、いしゃりょーはらえーとかいうの。どうすればいい?」
アン
「探偵事務所はそういう相談はを受け付けるところではありません。別を当たってください。」
島崎
「あと、関係ありませんが、35歳でその喋り方は正直引きます。」
依頼人②(今年36歳)
「何よぉ!酷いわ!せっかくあーちゃんが泣いているのにぃ!酷い人達、げきおこだぞぉ!!」
アン
「島崎、例え事実そうであっても口外にしてはいけませんよ。例え事実‥‥そうであっても。」
依頼人②
「ちょっと!それどういうことよぉ!!」
依頼人③
「私の娘の結婚相手、どんな人だったかしら?どうせ母子家庭の貧乏人で女にだらしがなかったって結論でしょうけど、教えいただきたいわ。娘に〇〇家の恥になるから止めなさいと何度言っても駄目なのよ。」
アン
「分かりました。結果報告を。島崎、読みなさい。」
島崎
「はい。娘さんの婚約者の方ですが、まず母子家庭ではなく、2年前に父親が亡くなったとのことです。その父親と母親は会社を経営していて、母親は現在、亡き父に代わりその会社の代表取締役社長をしてます。」
依頼人③
「‥‥は?」
島崎
「また、都内に多数の土地を所有しており、マンション経営も行っています。目算、総資産〇億円以上はあると思われます。婚約者である彼が会社を継ぐ予定はないとされていますが、こちらのマンション経営、不動産経営は数年前に引き継いで大きな赤字もなく成功してます。」
依頼人③
「え?」
島崎
「また、婚約者の彼には既婚の兄が二人いて、上の兄は医科大学の教授、その奥さんはその医科大の附属病院の医者をやってます。下の兄は一部上場企業である〇〇の人事部長さんで、彼の奥さんは弁護士です。」
依頼人③
「‥‥。」
島崎
「また、婚約者の彼の過去を調べましたが、依頼人である貴方の言うような浮気相手は存在せず、共通の友人に質問しても高校の頃から一途に娘さんを思っていたとの話でした。故に娘さんが初恋相手で、初の彼女だったそうです。貴方が仰っていたような、女を囲いこんだり、風俗にも行っていません。」
依頼人③
「‥‥。」
アン
「貴方の勘は‥‥やや方向が180°違っていたようですが、娘さんにはどうお伝えしますか?やはり公営団地住まいで万年平社員の夫と専業主婦の、代々サラリーマン家系で特に守るべき家宝も地位もないけど、根も葉もないプライドだけはある〇〇家には相応しくないから、諦めるよう伝えますか?」
依頼人③
「む、娘に結婚するよう勧めます!」
アン
「安心してください。もう既に貴方の娘さんは婚約者の彼と籍を入れて、本日、貴方のもとに絶縁を叩きつけてくると思います。」
依頼人③
「!?」
依頼人④
「妻が産んだ子どもが俺の実子かどうかDNAを調べてほしい!」
島崎
「専門の病院に行ってください。」
依頼人⑤
「私の初恋の人がどうなったのか、結果が来たのね!ねえ、早速教えて!まだ独身なら付き合いたいの!」
島崎
「はい。独身でしたよ。」
依頼人⑤
「本当に!?」
島崎
「えぇ独身で彼女無し、現在無職で実家住まいです。大学を飲酒運転で退学、それでも無事就職しましたが入社3ヶ月でクビに。理由は『仕事できない奴ばかり上司になるこの会社は馬鹿ばかりと社長に暴言。』。その後、就活しましたが失敗し、実家に帰って親の年金をせびり‥‥いえ、長くなるので端的に言いましょう。彼は親のスネをかじる体重100キロ超、無職ニート15年目に突入してました。」
依頼人⑤
「‥‥え?」
依頼人⑥
「彼氏‥‥やっぱり浮気していたんですね。」
アン
「残念ながら‥‥本気のようです。」
島崎
「‥‥認められないでしょうが‥‥。」
依頼人⑥
「いいんです。分かっていたんです。分かっていて好きだったんです。ただ‥‥現実を見たくなくて。でも、認めるしかないんですね。‥‥だって、彼の心は最初から私に無かったんですから‥‥。」
アン
「‥‥。」
島崎
「‥‥。」
依頼人⑥
「彼は最初から幼児アニメの『二人はラブキュア♡』の『ほのたん』を本気で愛しているんです!私は所詮、二次元以下だったんですよお‥‥!」
「疲れました‥‥。」
島崎は椅子に持たれかかって、その言葉通り、疲れ切った様子で項垂れていた。
依頼人の全員が変な人間だった。
島崎の擦り切れた記憶の中にもこんな人間居ただろうか、と思うような人ばかりだ。常識とか一般論で語られるようなマトモな人間は一切いなかった。確かに極たまに普通の人だと思うような人もいたが、大体が『作家』ではないにしろ、人として常軌を逸していた。
アンがそんな島崎をからかった。
「おバカさんですね、島崎は。探偵事務所なんて他人の生活を暴く場所に依頼する人間に、マトモな人間だけが来ると思いますか?個性的すぎる、斜め上な人々がやってくるのですよ。」
「斜め上‥‥。」
「そのマトモな人間だって、配偶者や婚約者の浮気不倫を暴いて欲しい、離婚に有利になるような証拠が欲しい‥‥とか、人間不信な依頼が多いんですよ。」
そうアンが言ったことで、島崎は重々身を持って理解した。
「‥‥まるで、探偵事務所は人の汚いところを見る仕事ですね。」
「えぇ。だから、面白い。」
「‥‥?」
「面白いでしょ、汚いって。」
そう言って彼女は淡く微笑んだ。そんな汚い人間を面白いと語るアンの表情を島崎はどう表現すればいいか、分からなかった。まるで心底、面白がっているようにも思えた。しかし、一方で酷く忌々しげに皮肉を言っているようでもあり、または、かつての憧憬を思い出しているようでもあった。
しかし、その表情はすぐに消えた。
「しかし、それにしても島崎が来てから本当に『作家』の案件が来ないですね。いつもなら、割と高い頻度で来るんですが。」
「何故でしょう?」
「さあ?折角、貴方に私の仕事を教えたんですから、一件くらいはまだ貴方がこの仕事に不慣れなうちに経験させたいのですがね。」
アンのその言葉は実に残念そうだったが、その言い方は別に気にしている風ではなく、縁がないんですね、と口外に島崎に言っているようだった。
「気長に待ちますよ。」
そんなアンの意図を汲んで、島崎はそう彼女に言う。持っているミルクと砂糖の入ったコーヒーは既に冷めきっていた。
「でも、意外とすぐに来るかも知れませんよ。島崎。」
そんな言葉がコーヒーの水面に映る彼に投げかけられた。
「普通の人間でさえ、こうなのです。『作家』が問題を起こさないということはありません。
未知とトラブルは影のようにそこにあるんですから。」
「‥‥はあ。」
未知とトラブルは影のようにそこに‥‥と言われて、島崎は自分の身体から伸びるライトに照らされた影を見る。産み落とされてから、付かず離れずそこにいるそれは黒黒としていた。
と、そこに。
事務所の玄関チャイムが鳴った。





