百目 ①
「島崎、仕事を覚えましょう。」
そう探偵事務所の所長であるアンに言われた時、島崎は待ってましたとばかりに、メモ帳とペンを手に取っていた。
「はい。そうしたいですね。わた‥‥僕とて何も知らずに貴方の助手と部下は出来ません。第一、探偵というのも知りません。所謂、小説の中の探偵のようなものでもないのでしょう?」
「えぇ、察しが良くて素晴らしいですね。島崎。しかし、一人称が慣れてないのは頂けません。早く慣れてください。19歳の少年が私、なんて一人称使わないんですから、見た目のままの年相応を心がけてくださいね。」
「‥‥はい。」
随分、素直にアンに従う島崎だが、内心は深い溜息が止まらない。誰が好きで、僕なんて子どもみたいな一人称を使わなければならないのか。しかし、ここで俺、なんていう一人称にしても島崎の性格からして合わない為、彼は仕方なく、消去法で僕と一人称を使っている。
‥‥おっと思考が脱線した。
「アン所長。それで?」
やや憂鬱な自分を頭の彼方に追いやって、島崎はアンに向き直り、話を促した。いつの間にかアンの隣にはホワイトボードが置かれている。
「まずは探偵というものから説明しましょう。所謂、小説のような殺人事件を解決するような探偵は一般的ではありません。殺人事件の調査なんてほぼやりません。私はちょっと事情が事情で一枚噛んでいることがありますが、滅多にありません。私達の仕事は主にこれです。」
ホワイトボードに素行調査(浮気、不倫調査を含む)と書かれる。
「およそ、これが八割と思っていただいて構いません。」
「八割。残りは?」
「時によりけりその他諸々‥‥というしかありませんね。滅多にしませんが、殺人事件の解決、ペット捜索なんかもここに入ります。とにかく、我々が担当するのは主だって男女の縺れ、人間関係の不和、素性の知れない人間を調べる等の調査です。」
「なるほど。」
島崎はメモを取りながら、アンの話をしっかりと聞いていた。テーブルの上にあるカップの中のコーヒーは放っておかれて、冷めつつある。
島崎は律儀に真面目に手を挙げて、質問する。
「で、その調査と『作家』はどう繋がっているんです?」
「いい質問ですね。」
アンはホワイトボードをくるりと回して、表面を変える。そこには既に『作家』について説明書きがしてあった。質問を予期して前もって用意していたようだった。
「まず大前提として、『作家』は誰でもなれます。選ばれし者だけの特権ではありません。」
「え?」
思わず、島崎は声を上げた。
「しかし、僕の周りには‥‥。」
「えぇ、普通はいません。ごく限られた人間が『作家』で、あとは普通の人間です。それは事実。しかし、誰でもなれるのです。ただなることを選ばないだけです。」
「何故です?」
「理由は簡単です。『僕には、私には向いてない』と無意識に大勢の人間が思っているから。職業選択のようなものです。自分は野球してるけどプロ野球選手には向いていない、お菓子作りが好きだけどパティシエには向いていない‥‥要は思い込みです。誰でもなれるのですが、大概の人は無意識に『作家』なんてなれないと思う人が多いのです。」
「なるほど。つまり、逆に言えば、自分は『作家』になれると思えば、誰でもなれると。」
島崎はメモを取る。残念ながら島崎は自分が『作家』になった時の記憶は既に擦り切れていて覚えていないが、何となく彼女の話は腑に落ちた。
「偉人の発明のようですね。誰もが出来ないありえないというものを出来る有り得ると信じて成功させたら、『作家』になるということでしょう?」
「えぇ。大方、間違っていません。とにかく、思い込みさえなければ、『作家』というのは誰でもなれて、『作品』を作り出すことができます。しかし‥‥まあ、誰でもなれるのは確かなんですが、この『作品』を作り出すというのが大変なんですがね。」
「『作品』を作り出す?ですか?」
島崎は自分の持つ本を思わず見て、その言葉の真意を聞く。
だが、アンは失敗したとばかりに口を閉じた。
「ああ、すみません。話として脱線しますので、この話はまた後日としましょう。貴方には必要な知識ですが、仕事とは関係がないので。とかく、『作家』は誰でもなれる、これがネックなのです。」
島崎の戸惑いを見事に水に流して、アンはホワイトボードを使いながら、説明する。
「『作家』が誰でもなれるということは、『作家』は滅多にいないとはいえ、何処にでもいるというイコールで繋げられます。つまり、普通の人では理解不能なことが出来る人間がそこら中いるということ。例えば、貴方が一番いい例ですが、『作家』が『作品』を使い、事件を起こすとほぼ普通の警察が解決することは不可能です。彼らには常識外である『作家』とその『作品』は理解不可能ですから。」
「‥‥。」
「『作家』は確かに人口的な割合からしてかなり少ないですが、一度、彼らが犯罪や事件を起こすと高確率で世間では迷宮入りになります。故に問題になりやすい。加害者側は容易に逃げおおせ、被害者は泣き寝入りするしかなく、それが嫌で死に物狂いで加害者を捜すか復讐する‥‥これがよくある問題です。」
だから、とアンは言葉を一旦切って、島崎を見た。
「この探偵事務所が必要になるのです。」
島崎は合点が行ったように頷いた。
「なるほど、行政や司法ではどうにもならない『作家』が起こした事件の被害者がアンさんに依頼し、『作家』の所業を暴き、解決するというのが主な内容なのですね。」
「まあ、そうです。しかし、解決するまではあまりしませんよ。」
「と、おっしゃると?」
「探偵という職業は調査が主です。大体、その調査が終わると依頼人なり弁護士なりに調査結果を回して、最終的な解決は彼らがすることになります。」
「‥‥では、つまり、我々は『作家』の事件を迷宮入りさせないのが仕事というわけですか?」
「そうです。依頼人、弁護士でも『作家』かその『作品』による事案だと理解させるまで、つまり、貴方が言ったことを含め、私達は解明することまでが仕事です。」
「分かりました。」
仕事の全体像が段々と見えてきた。何故、アンがこんな仕事をしているのかは甚だ疑問に思うが、それはいつでも聞けるだろう。島崎は他の疑問をぶつけた。
「では、ホワイトボードに素行調査‥‥その中に浮気、不倫調査も含むって書いてありましたよね。またアンさんは男女の縺れ、人間関係の不和‥‥と内容を言ってましたが、それと『作家』はどういう関係で?」
その質問にアンはやや難しい顔をした。
「ああ、それは‥‥何故だか‥‥未だに判然とした答えは出ていないのですが、『作家』と呼ばれる人間は大概、恋愛沙汰や人間関係で問題を起こすからです。」
「‥‥はい?」
一瞬、思考が停止したが、目の前にいるアンがうんざりしたような溜息を出したのを見て、言われたことが真実だと理解出来た。
「『作家』と人間は別物だから、という仮説もありましたが、『作家』同士だろうが問題を起こしますし、本当に何故だか、『作家』は人との関係を拗らせて、自身の『作品』を使って、事を起こすんです。もちろん、ただの人間の中でもそういったことはよくありますし、『作家』じゃなくても迷宮入りの凶悪犯罪を起こせますが‥‥『作家』は何故だか、平穏無事に人と一生仲良く出来る人が少ない。一度は何かしら他人を巻き込んだ事件を起こします。貴方も既にやらかしているので、他人事ではありませんよ。」
そう言われて島崎は居心地の悪さを感じた。一方で『作家』は一度は問題を起こすと聞いて、同類が出来たようだと少し気分が上がった。
ふと、そこで気になった。
「‥‥因みに、アンさんはあるんですか?事件起こしたこと。」
「ありますよ。ただ私の場合、遊んでいたら捕まったので、人間関係の不和でとかではないです。」
「は?遊び?」
「またいつの機会かに話しましょう。本当に心外でしたから。‥‥話を戻しましょうか。」
何となく話を躱されたような気がしたが、島崎はまたいつか聞けるならと溜息一つして流した。
アンは何事も無かったように続けた。
「兎にも角にも、いつぞやに貴方に話したように、絶対ではないとはいえ、私は『作家』かその『作品』が関わっていることを仕事の条件にして依頼を受けています。その点は覚悟して臨んで下さい。『作家』は厄介者しかいません。成り立ちからして社会の常識とは外れている人間が殆どです。私や貴方みたいに理性的に会話できないような『作家』もいます。」
「‥‥それは怖いですね。」
「極論、野生のヒグマと生身で出会いに行くぐらいの気持ちの方が余裕を持てますよ。」
「それ、死ぬじゃないですか。」
「大丈夫です。あくまでそれくらいの覚悟が欲しいだけなので、時たま本当に死にかけるような依頼が来ますが、大体は割と身の安全は保証できる仕事ですから。‥‥それにもし、死にかける依頼が来ても、問題ありません。良かったですね。寿命や病気以外でほぼ死なない身体で。」
「嫌なところで自分の不死身さを有り難ることになるとは思いませんでした。」
思わず頭を抱えて溜息を吐く島崎の一方で、アンは島崎をからかうように微笑んで、機嫌良く、いつの間にか空っぽになっていた島崎のカップに新しいコーヒーを注いだ。
「仕事の概要はこんなものです。あとの詳しいことは実際に体験するのが良いでしょう。口では私の経験とテクニックを伝えきれませんから。」
「はあ‥‥。」
厄介な仕事に就いたんだ、と今更ながら完全に島崎は理解した。一瞬、選択を誤ったかと思ったがしかし、身に余る報酬を既に受け取っているのと、『作家』という自身と同じ異物に対する興味が尽きない。
分からないことは詳らかに、真理を追わねば。
と、その時。
Prrrrrrrr、Prrrrrrrr、Prrrrrrr、と事務所の電話が鳴り響いた。




