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UN ー『作家』の探偵ー  作者: しお。
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禁忌⑫

禁忌⑫








「‥‥え‥‥。」


その場にいた全員が目玉がどこに行ったか分からなくなるほどに、驚いた。唖然呆気泡を食った。思考と時間が止まり、あまりの出来事に腰を抜かす者や、気が動転してふらつく者もいた。

しかし。今、彼らの目の前にいるのは正しく、島﨑春記だったのだ。

その身形も服も体型も顔も全て島﨑春記としか言いようがない、全く同じ顔をした人間がいた。ただ違うとすれば死人ではなく確かに生きた人間であること‥‥その手に分厚い、相当ページ数がありそうな本があったことだが、警官達は気に止められるほど、平静ではなかった。

「島﨑が2人?」

「いやしかし、確かに私達の足元に!」

彼らの足元に視線を向ければ、確かにそこには島﨑の死体が横たわっていた。血反吐を体から吐いて、胸に空虚な穴を空けていた。だが、そんな島﨑とは違う島﨑が、五体満足で先程、こちらに来たばかりという風体で、しかし、その目に確かな悲哀と苦悩と怒りを滲ませてそこにいた。

「な、何故だ!?」

「島﨑は双子だったというのか!?」

警官達はざわつく。その混乱は並大抵のものでは無い。やがて、彼らの隊長らしき人間が声を上げた。

「あなたは何者だ!?」

その問いに。

島﨑は‥‥答えなかった。

代わりに彼は自身の手にあるそれを開いた。

警官達は訝しむ。まるで今から読書でもするように開かれたそれが何を意味するのか、いや、そもそも意味なんて無いように思えた。意味の無い行動をする島﨑を彼らは当然ながら理解出来なかった。

しかし。

次の瞬間だった。

島﨑は辞書のようなその本に手を突っ込む。本に手を挟んだというのではないのだ。まるで本ではなく、箱に手を入れるようなもので、島﨑の手首まで本の中に入っていったのだ。

「なんだ、あれ‥‥。」

そして、その本の構造に驚く暇もなく、島﨑は、本から手を抜いて、本の中から業火とも呼べる炎を取り出した。






悲鳴は短く、それでいて断末魔の悲壮を帯びていた。

その場にいた警官達は炎に驚き、それでも冷静に訓練通りに逃げて距離を置いた。しかし、その炎は彼らが知る炎では無かったのだ。まるで生き物のように蛇行し前傾姿勢をとって彼らを呑み込んでいった。

そうして閑静な港に洪水のように溢れ出した炎は建物を飲み込み、漁船やコンテナを黒煙で巻いて、周辺を煌々と照らしながら、無慈悲に全てを襲っていく。

「わ、あ‥‥っ‥‥あぁ‥‥。」

かろうじて逃げ切った一人は灰になる同期、同僚、上司、部下を見ながら、恐怖に震える。何故、こんなことになったのか、そもそも何故こうなったのか‥‥ガタガタと震える。目の前で先程まで生きていた人間が恐ろしい速度で指先、足先から土に還っていく。断面は沸騰した血でふつふつ言い、皮膚は表面から火傷して爛れていく。人間はそんな痛みと残酷さを拷問のように感じながら、あるタイミングで亡くなったのだろう、その表情は苦悶を通り越して壮絶であった。そして、彼はやがてその奇怪さに気づいた。


彼の目の前に広がる火の海には、自分の知る同じ容姿の同期、同僚、上司、部下が似たような表情で何百人とそこで死んでいたのだ。


先程までここにいた人間、その数だけ増やされた死体がそこに積み重なって、煙臭い悪臭とともに燃えている。

「‥‥。」

呆然とするしかなかった。仲間が一瞬で燃えただけではないのだ。どれが本物か到底分からない程の仲間と同じ顔をした死体がそこで死んでいるのだ。彼は一周回って、目の前にある風景は夢ではないかと思った。

しかし。

「‥‥まだ、生きていらっしゃる方がいたのですね。」

そこに現れた島﨑のせいで現実だと認識するしかなかった。

「‥‥お、まえが‥‥!」

彼は肩を震わせながら、銃口を島﨑を向ける。その肩の震えが怒りか悲しみかは分からなかったが、今、彼に島﨑を殺害する以外の思考は無かった。だが、島﨑は銃口を向けられているというのに、その表情には何の恐怖も怯えも無かった。無表情で、それでいて、何も考えていないような顔で彼の目の前の銃口を見ていた。そんな島﨑に彼は僅かに面食らったようだったが、躊躇いなく引き金を引いた。

だが。


「‥‥すみませんが、無駄打ちですよ。それ。」


彼の目の前で島﨑が倒れ込むと同時に、彼の後ろに島﨑がやってきた。

唖然として振り返る彼に、今死んだ島﨑と同じ顔をした男はまた本を開いた。

「私の“予備”なんていくらでもいるのです。‥‥“予備”?いや、違いますね。“焼き増し”なので。」

予備、焼き増し、常識を生きる彼には理解できない言葉が出てくる。

そもそも死んだ、殺した人間がたった一瞬で目の前に現れたことに関しても理解が追いつかない。彼はぐらぐらと今に理解不能と暴発しそうな頭を抱えて、呆然と島﨑を見るしかなかった。手にある銃器はすでに力無く握られているだけだった。

島﨑は開けた本の中にまた手を入れ、そして、そこから、拳銃を一つ取り出して、慣れた手つきで安全装置を外し、彼に突きつけた。


そして、彼は数秒もしないうちにあの世に行くことになる。


死に際、彼はぼんやりと、会議室で、若い刑事が島﨑は凶器を辞書のような本に入れて取り出させるといったような話をしていたことを思い出したが‥‥全て遅かったということを確かに感じた。





辺り一帯は火の海になっていた。


死体が燃え盛る。


閑静な港町に何の罪があったろう。


ただいつも通りの日常を送り。

ただ、いつも通りの、平穏を、獲得していただけだというのに。

全てを燃え盛る炎に足蹴にされ、淘汰され、穢され、貶められていく。


海は苛烈な赤に染まり、船は巨大な霊柩と化して、死体を乗せて行き場を失くして浮いている。

時間を凍らせていた冷凍庫は魚と人間の匂いで生臭く煙を吐いて止まらない。

人の活気と生活の下支えだった市場は今や火葬場となって、山積みの商品ではなく山積みの死体を残虐な炎にタダで競売にかけて売り捌いていた。



「ああ、なんということでしょう。」


「全く隠していてすまなかった。」



そんな炎の中でそんな島﨑の呟きが聞こえる。

港町にはそぐわぬ洒落たモダンな茶色のコートを火の粉にはためかせ、黒縁のメガネの下で一雫、涙を流した。

その手には分厚い辞書のような本‥‥否、この惨状を作った凶器が握られている。


男は沈痛な面持ちでそこにいて、真夜中の焔に照らされた空を見上げていたが、その沈んだ表情に浮かべている口元は苦笑。罪悪感のかけらもない。

彼は『被害が大きくなりすぎたな。』とは思っていても、『ああ、人が死んでしまったな。』とは思っていなかった。

彼は山積みの死体に何の悲しみも懺悔も無かった。当然である、むしろ、正当防衛だとも思っている顔だった。

そんな彼は男なんていう平凡で凡百なものではなく、怪物のように見えた。

死体が灰になるのをその黒い目で見ながら、何の表情も変えない。港町から出ていき、新天地に向かい地獄を広げる炎にやや恐縮しながらも、その身体を人命救助という名前の他人を助ける為だとか、自分に火の粉が降りかかることから逃げ出す為に動かさない。拡がるか、仕方がないと看過して、炎に焼かれる町に恐怖も同情もせず、一寸先のそれによって遺体になる自分の未来に絶望も悲嘆もせず、ただしずんだ感慨を浮かべて悠々としたものだった。


何卒(どうぞ)私のことを()記憶(おぼ)えて置いて下さい。」


そう言って、彼は刻み付けるような抉った傷痕を静かな街に遺す。

これで何人、何十人、何百人死のうが、自分も死のうが、彼が気にすることではない。


何故、この町がこうなったのか。


よくよく自分を先程手をかけようとした連中に考えて欲しいからだ。そう、これは自衛であり、殺戮ではない。


「私は、卑しい。」


「同じ人間だということを信じて疑わず、それでいて知らなかった私なら、悩ましいと思うだろうが。」


「私は今やその卑しい私を享受した私。故に世の人と同じ人間ではなく、同時に同じ人間には2度と成れない。」


「私はただ、知識が欲しいだけなのだ。」


「それを邪魔するから、こうなることを、()く、()く、考えて欲しいものだ。」


男の言葉は独白のようで、警告だった。またはまるで体の良い言い訳のようだった。

殺したくて殺したわけじゃない。

私はただ識ろうとしただけだ。

故に罪ではなく、同時に、被害者である。

全ての諸悪の根源は全て、君らにあるのだと、

彼は刻薄にして酷薄な告白をする。





そこへ。





「まるで辞書を引くように人を殺す御人ですね。」




声がした。

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