禁忌⑨
証言者Aにとって、島﨑という人間は初対面から気に食わなかった。
生徒からも好かれ、保護者からも頼りにされ、同期の中でも積極的に勉強会を開いたり、率先して行事をしたり、同僚にも一目置かれていた。
それが気に食わなかった。
校長であるAを差し置いて、誰からも讃えられる彼は劣等と屈辱、僻みと妬みの対象だった。
だから、Aは行った。
「奴が出身を偽っているのは知っていた。だから、暴こうとした。暴けば、奴に汚点が出来るのは分かっていた。別に差別したいわけじゃない。鼻を明かして、軽蔑したいだけだった。結局、暴くことはできなかったが、奴を教育界から排除できて、スカッとしました。」
しかし、彼は隠しきっているつもりだが、この件が遠因で教師や保護者に白い目で見られ、教育委員会からも自主退職を勧められている。
証言者Bは島﨑の同期で元同僚だった。B曰く、親友とも言える関係だったらしい。
しかし、彼は確かに島﨑という真面目な人間を好いていたが、同時に不審にも思っていたようだ。
島﨑は好青年だったが、妙に自分のやりたいことを酷く抑え込んでいる節があった。それがあまりに病的な怯えようで、彼が犯罪者になっても納得しか無かったようだ。
「あんまり我慢しすぎて爆発したんだろ。まあ、別にどうでもいいけど。人間、欲求に素直じゃなきゃな。すぐ煮詰まって島﨑みたいなことになる。ところで、お嬢さん、今から俺といいことしたくない?」
因みに、彼が抑え込んでいただろうこととは?
「よく知らないし、わかんない。それよりさあ、お姉さん、ホテルとかどうよ?」
因みに教育界でこの人物はゴマ擦り寄り教師として有名で、長いものに巻かれて出世と人望を集めるタイプらしく、この自称親友は島﨑の人望に便乗していただけのようだ。上記以上の島﨑の情報は持っていなかった。彼は島﨑から年賀状すら貰ったことはない。
証言者Cは島﨑を唯一といっていいほど、嫌った生徒だった。
「先生は優しくて怖かった。」
きっかけは些細だった。
Cはある時、とある難病で死にかけた。その時は長くかかったが完治して特に問題無かった。問題は復学した時だった。自分の経験を作文にする授業で、その闘病について作文にして提出した。すると、島﨑が異様にしつこくその闘病中について聞いてきた。
「親身に聞いてくるけど、死にかける痛みだとか寂しかっただとか思い出したく無いことまで聞かれて怖かった。まるで、脅迫されているみたいだった。死ぬってどんな気分って聞かれている気がして‥‥。え?いいえ、先生は私には興味なさそうでした。とにかく、病気で死ぬということについて聞いてきて‥‥まあ、一応、作文も見てくれましたよ。おかげで金賞取りましたけど‥‥あれ以来、先生が苦手になっちゃって。」
証言者Dは島﨑が指名手配されているのに肩を震わせていた。Dは興信所の人間だった。
「校長先生が幾らでも積むからって言うて、ウハウハで受けたんですがね。今も恐ろしい。」
島﨑という人間の素性を調べる為にDは島﨑と友人になるべく近づいた。島﨑が戸籍を偽っていたせいで、その他の手段以外で島﨑の素性を知る方法が無かったのだ。
そうして近づいたのだが、ある時、見てしまったのだという。
「呑みに島﨑先生を誘って、まあそん時は収穫無かったでどうでもいいんすが、その呑み帰りの島﨑先生だったんすよ。その日、あんまり収穫が無いから尾けることにしたんすわ。そしたら、道路に犬がいたんすよ。捨て犬っす。それを見て、島﨑先生、徐ろに辞書みたいなの取り出して‥‥いや、今でも有り得んす。辞書の中に犬が入って忽然と消えて‥‥三度見しましたよ。それからその犬がどうなったかは知らねえす。ただ、島﨑先生は実は善良な先生ではないんじゃないか、と予感してて、だから今回のことも‥‥。ただ俺の知ってる島﨑先生は40近い歳の人なのでよく分からないんすけど。」
証言者E、刑務所内にて取材。
「島﨑?ああいたわね、酷い先生だったわ。評判だから、私の息子ちゃんの担任になってもいいって言ったのに、別のクラスの担任になったの。使えない女のクラスになって、本当に不満だったわ。先生は息子ちゃんをないもの扱いするし、あの女、息子ちゃんに嫌いな数学させたし、本当に息子ちゃんに不幸な中学時代を送らせてしまったわ。
え?だから、島﨑先生の出身地を保護者にばらしたんですか?って。
そうよ。先生の親を私知ってたの。だから、穢多村だってのも分かってた。息子ちゃんの担任にならなかった腹いせに、保護者の皆さんに教えて差し上げたの。なのに、あの馬鹿親共、私にぎゃんぎゃん言うだけで面白くなかったわ。穢多で人を差別するなんて人でなしって、人でなしなのは先生でしょ!!息子ちゃんを蔑ろにした先生こそ人でなしなのよ!分かってくれたのは校長先生だけだったわ。
とにかく穢多に担任させるなって教育委員会に抗議文送ったり、保護者会で提議したけど、結局、先生が自主退職しちゃって、私が責められてわけがわからなかった。
先生が自主退職した理由?知らないわよ。私の言う通りしなかった天罰かしら。」
因みにEは最愛の息子ちゃんの担任だった女性教師の教育方針に怒り殺人未遂を犯し、その他、脅迫や暴動、窃盗などの余罪によって投獄されている人間。
近所で有名な『モンスター人でなし』である。
証言者Fは入院中の女性教師。Eのせいで今も精神科病院に通う鬱病患者である。
「‥‥島﨑先生ですか。‥‥あの人は‥‥いい人でしたよ‥‥。新任の私のフォローもしてくださって、相談に乗って下さって‥‥校長先生が私に嫌がらせで付けたあの子のことも考えて下さって‥‥。」
彼女は泣いていた。
「でも、私が至らないせいで退職するぐらい追い詰めらして‥‥。私が、私がいけないんです‥‥。私のクラスの保護者が、先生が穢多だって根も葉もないことを言い触らして‥‥。同期のB先生が『どう思う?』って聞いてきたから、本当じゃないと思いますって言って‥‥『でも、私、穢多ってよく知らないんですよ。』って何気なく言ったんです。そしたら、B先生が島﨑先生もそこにいたのに、得意げに『障害児と一緒だよ。生まれると困る奴。困るから周りがどうにかこうにかする奴の。ああ、でも、障害児より手に負えないかも。だって、生まれつき穢多は臭くて、汚いらしいから。』‥‥B先生は多分、島﨑先生がそんな人間と違うなんて言いたかったかも知れません。でも、障碍のある子ども達をその話に出すことを含め激しい憤りを感じましたし、穢多という人々に誤解を与えるようなその言葉にもショックでした。こんな人が教職なんて校長先生も含め、腐ってるって。
だから‥‥私‥‥帰りに余計なことを‥‥。
帰りがけに島﨑先生に『私、先生が穢多だったとしても、先生のこと尊敬します。だから、本当のところはどうなんですか。出自がそれなら子どもの未来を作る為に公表して、教材にしましょう。それが教育者としていい姿ではありませんか。』と‥‥。そしたら、島﨑先生が見たこともないようなショックを受けた顔をしてらして。‥‥次の日、先生は辞表を‥‥。」
彼女は泣いていた。
「先生は‥‥多分、穢多というその人だったんです。でも、先生にとって何を言われても隠し通したいものだった筈だったなのに‥‥私ったら、酷いことを‥‥。先生の気持ちより教材にすることを優先したせいで‥‥先生を傷つけてしまった‥‥。」
彼女は結局、終始泣きっ放しだった。檻付きの精神科病院で彼女は数学のテキストを何冊も床に撒き散らして、壁中に見たことあるような中年女性の顔を血で書いて、殴りつけた跡が痛々しく部屋に残っていた。
「島﨑先生ですか?」
証言者Gは図書館の女性司書だった。
「ええ、あのアラフォーのおじさん先生ですよね。学校での図書館行事ではお世話になりましたし、この図書館の常連さんでしたから、親しくさせていただきました。と言っても、ビジネスライクな関係ですが。
先生の退職‥‥ああ、突然の。なまじあの学校は問題の多い学校でしたし、退職するのも無理ないかな、と思ってました。教師による体罰に暴言、いじめもあったのを先生を中心に改善して、更生したところだったんですけどね。
でも、先生自身は退職しても落ち込んでませんでしたよ。何でもやりたい事をしたいだとか。
‥‥そういや不思議なことを言ってました。
『許されないのなら、隠すこともできないのなら、許しを乞うべきか、それとも開き直るべきでしょうか?』と、元々、何か我慢をずっとしているような先生だったので、開き直るのはどうでしょう、と言いましたが‥‥。元々探究心の強い方で、机上の推論ではなくリアルな実験結果を求められる方でしたから、そういう方面をしたいのだと思って、先生なら何でも出来ますよー。何せその力もありますしー。』って応援したんです。あれからどうしたか分かりませんが‥‥。え?島﨑先生が図書館で借りた本を見たい?別によろしいですが‥‥先生はよく解剖学だとか死生観についての本だとか借りていて、それが九割九分で‥‥あと、穢多って知ってます?あの昔、差別が酷かったあれですよ。私は教科書でしか知らなくてあんまり知らないんですがね。先生はその本も手に取ってますね。まあ、多分、教育関係だと思いますよ。年間580冊とか読む先生ですし、まあ気にしなくて良いかと。」
そして、その証言者Gはある程度の質問に答えた後、にんまりと笑っていった。
「ところで、貴方、先生に近づこうって言うんじゃないでしょうね。ダメですよ、これは忠告です。今、世間を騒がせている偽物の先生ならともかくですがね。先生は私とラブな関係になる為に独身でいらっしゃる方なんですから。近づかないでくださいね。近づいたら‥‥そこの百科事典を手に取り‥‥さあ、どうすると思います?」
因みに。
「え?もしあの偽物が若返った本物の先生だった場合ですか?あー認められません。年下は御法度です。大体男性に条件が最低でも(中略)という50項目くらいは(中略)。なので、認められません。しかし、先生はどうも魔術師だったように思うのです。常々、辞書のような本を携帯していらっしゃる方でしたし、奇異な方で。どこがどう奇異か説明しづらいのですが、1度見たことがあるんですよ。辞書から犬が出てきたんです。見間違いかも知れません。ただその時は驚いて、見なかったことにしましたが‥‥あれができるなら、若返るのもできるかも知れませんね。」
とストーカーとして島﨑に粘着していた女は話した。因みに島﨑が退職した後からはその消息は掴めなくなり、彼女は島﨑が『自分にふさわしくなる為に自分磨きの旅出ている。』と心底思っている。
それらの証言がICレコーダーからスラスラと雑音混じりに流れる。
背筋の冷えるような薄気味悪い話に相模刑事はうっと声を上げた。
「‥‥人間の汚い部分を見せられた気がします‥‥。」
そんな相模刑事を蒼井警部は内心、同意しながらも本題に戻り、思案する。
「諸々の証言から推察するに彼は当時から魔術師のような力があり、法医学や解剖学、とりわけ死について興味があった。あったが彼はそれをずっと胸に秘め生きていたわけだ。そこまでなら、平和だった。しかし、校長を始めとする人間達の悪意や無知によって穢多であることを暴かれかけ、追い詰められた島﨑は教職を辞めざる得なかった‥‥というわけか。この事件を始まる前には島﨑のこの事件の兆候は確かにあったんだな。」
その蒼井警部のまとめにアンは頷いた。
「これは推測ですが。島﨑は辞めた時、これからどうするか考えた。自身が穢多であることを隠し通すのは最早無理なのではないか、と彼は思った筈です。両親は引越しと経歴詐称までして、平穏な日々を送ることを目指した。しかし、どれだけのことをしてもバレてしまう。両親だけでなく島﨑自身にもぬかりが無かったとしても、人の悪意が露見させてしまう。そこで自身が穢多であることを告白出来れば‥‥状況を変えることは可能だったかも知れませんが、島﨑は誰かに告白する事は無かった。証言者Gの証言はそういうことでしょう。兎にも角にも、島﨑は自身の祖先が穢多であることについて、開き直るという選択をとった。そして、それは自分が今まで抱えていた欲求不満を解消することと直結していた。
その欲求不満、つまり興味とは推測をまとめるに人間の死。それも死ぬ瞬間、どんな事を感じて人は死ぬのかという一点。それが如何様な死に様でも一緒なのかどうか、ではないでしょうか?証言者Cや証言者Gを見るに彼は死について興味があったのは確かです。」
そして、これも推測の域を出ませんが、とアンは断って、島﨑の動機、その目的、その謎を詳らか、明らかにした。
「彼は穢多であり、人間の死について興味がある自分を罪人だと思っていた。そういう自分を殺すために、人間社会の中でいう善行に生きた。人として良き行いをすれば、いつか報われると彼は思っていたのかもしれません。しかし、結局ダメだった。だから、今度は開き直って自分に素直になった。素直になって今度の犯行に及んだ。ですが、つまるところ、彼もまた人間なんですよ。人間は弱い。自分の決めたことを全うする覚悟がなければ、すぐに世間に押しつぶされる。故にある時、途中からやはり自分は許されない人間ではないか、こうして知識欲のままに生きることは本当は罪なのではないか、と思ったわけです。だから、彼は一度、警察に捕まった。しかし、警察は罪人である自分ではなく、殺人の方に重きを置いていた。それに彼は納得できなかった。殺人など彼にとって『結果』でしかなく、人間の道理を外れているとはいえ、殺人自体に彼は何の罪も抱かなかったんです。殺人なんて彼にとって軽い罪、それよりも1000年は経とうかという自分の出自と、自分が抱える異常な知識欲、興味の方が罪は大きくて、重い。」
それは言うならば、失望だったのだろう。彼は自分が罪深い人間で裁かれなければならないと思っていた。しかし、警察は殺人なんて誰でも犯すことが出来るような罪を着せようとしていた。おかしな話だが、彼はそれに酷く自尊心と危機感を傷つけられた。自分は殺人なんて軽い罪で裁かれる、その辺の通り魔と同じではない。自分は危険で穢れているのだ、故にそれなりに似合った罪を負うべきだ。警察は筋違いを犯し、自分と通り魔と同じ扱いをし軽んじて警戒しない。
彼は失望した。
「失望した彼は逃亡した。警察は自分の危険性を熟知しない、自分を厳重に拘束し、速やかに検察と裁判所に送り、即刻正しい罪で裁かないのであれば、自分が警察に素直に来た意味は無い。だから、彼はまた実験を再開した。再開したことについての理由は分かりかねますが、警察に失望し、自分の罪は自分で抱えていくしかなかった以上、完全に開き直ったのでしょうね。」
アンはそこまで憶測、推測を話して、最後に予測を話した。
「このタイプは‥‥追い詰めると厄介だと思います。彼の妙な力や死体を増やす謎は依然として“警察庁では”不明ですし、彼の思考と今までの惨状の傾向からして無闇な説得や脅迫は危険、不用意に襲うことがあれば、返り討ちに遭うでしょうね。」
そこまでアンは語ると、用意していたコーヒーに口を付ける。
ふと、蒼井警部は彼女の話をずっと聞き入っていたことに気づいて、気を取り直すように咳払いした。こののっぴきならない女に恐れ戦くにはいかないのだ。
「ならば、どうするのが良いと?」
まるで彼女に挑戦するように挑発するように言う。だが。
ピリリリ、ピリリリ
水を差すような電子音が静寂ばかりで緊張に満ちていたその場所に流れる。それに思わず相模刑事は驚き、ソファから飛び上がりながら、胸ポケットに手を突っ込む。
仕事用の携帯‥‥通信機とは違う捜査一課専用のスマホがさっさと出ろとブルブルとイラつきながら相模刑事の手の中で震えていた。相模刑事は慣れた手つきでそれに出た。
「はい、相模です!蒼井警部も隣にいらっしゃいますが‥‥はい‥‥はい‥‥え?‥‥囲い込み‥‥?はい、はい、決定‥‥。」
さあっと青くなる相模刑事を見て、蒼井警部は事態を察知すると相模刑事からスマホをふんだくった。
「おいどういうこった!ちっ、 バカか!?」
蒼井警部は眉間に皺を寄せ、叫んだ。
「集団による包囲作戦だあ!?上層部は俺達を殺す気か!!」




