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UN ー『作家』の探偵ー  作者: しお。
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禁忌 終の直前より









燃え盛る。


閑静な港町に何の罪があったろう。


ただいつも通りの日常を送り。

ただ、いつも通りの、平穏を、謳歌していただけだというのに。

全てを燃え盛る炎に足蹴にされ、淘汰され、穢され、貶められていく。


海は苛烈な赤に染まり、船は巨大な霊柩と化して、死体を乗せて行き場を失くして浮いている。

時間を凍らせていた冷凍庫は魚と人間の匂いで生臭く煙を吐いて止まらない。

人の活気と生活の下支えだった市場は今や火葬場となって、山積みの商品ではなく死体を残虐な炎にタダで競売にかけて売り捌いていた。


死体は全て、武装した人間や制服に身を包んだ人間だった。


今から任務に向かっていたというより、今、任務を全うしていたところで死んだような体で、足と腕を伸ばして力尽きていた。

彼らは鈍色をした武器を持っていたが、赤黒い液体がこびりついて、今や死装束のアクセサリーと化していた。制服の人間には今朝方家族に結んでもらっただろう赤いネクタイが結ばれていたが、赤く濡れて後悔と涙に滲んでいた。


「ああ、なんということでしょう。」


「全く隠していてすまなかった。」



そんな炎の中でそんな呟きが聞こえる。

こんな燃え盛る地獄のような熱気と烈火の中で1人の男が生きていた。

黒髪黒目、黒縁のメガネをかけ、平凡な顔つきながら端正さもある男は、港町にはそぐわぬ洒落たモダンな茶色のコートを火の粉にはためかせ、黒縁のメガネの下で一雫、涙を流した。

その手には分厚い辞書のような無地の本が握られている。題名も文章もなく、もちろんそこにストーリーはない。


ただ、夥しい血痕がページを赤く染めていて、挿絵のようになっていた。


男は沈痛な面持ちでそこにいて、真夜中の焔に照らされた空を見上げていたが、その沈んだ表情に浮かべているのは苦笑。罪悪感のかけらもない。

彼は『被害が大きくなりすぎたな。』とは思っていても、『ああ、人が死んでしまったな。』とは思っていなかった。むしろ、『サンプルが破損してしまったな。』と残念がっていた。



彼は山積みの死体に何の悲しみも懺悔も無かったのである。



そんな彼は男なんていう平凡で凡百なものではなく、怪物のように見えた。

死体が灰になるのをその黒い目で見ながら、何の表情も変えない。港町から出ていき、新天地に向かい地獄を広げる炎にやや恐縮しながらも、その身体を人命救助という名前の他人を助ける為だとか、自分に火の粉が降りかかることから逃げ出す為に動かさない。拡がるか、仕方がないと看過して、炎に焼かれる町に恐怖も同情もせず、一寸先のそれによって遺体になる自分の未来に絶望も悲嘆もせず、ただしずんだ感慨を浮かべて悠々としたものだった。


何卒(どうぞ)私のことを()記憶(おぼ)えて置いて下さい。」


そう言って、彼は刻み付けるような抉った傷痕を静かな街に遺す。

これで何人、何十人、何百人死のうが、自分も死のうが、彼が気にすることではない。


何故、この町がこうなったのか。


よくよく自分を先程手をかけようとした連中に考えて欲しいからだ。そう、これは自衛であり、殺戮ではない。


「私は、卑しい。」


「同じ人間だということを信じて疑わず、それでいて知らなかった私なら、悩ましいと思うだろうが。」


「私は今やその卑しい私を享受した私。故に世の人と同じ人間ではなく、同時に同じ人間には2度と成れない。」


「私はただ、知識が欲しいだけなのだ。」


「それを邪魔するから、こうなることを、()く、()く、考えて欲しいものだ。」


男の言葉は独白のようで、警告だった。またはまるで体の良い言い訳のようだった。

殺したくて殺したわけじゃない。

私はただ識ろうとしただけだ。

故に罪ではなく、同時に、被害者である。

全ての諸悪の根源は全て、君らにあるのだと、

彼は刻薄にして酷薄な告白をする。





そこへ。





「まるで辞書を引くように人を殺す御人ですね。」




声がした。

その声に男は振り向く。

声の主は男の背後、まだ火が回っていない暗がりに悠然と立っていた。真っ黒なスーツを着込んでいても分かる、女性だ。

スレンダーなその女性はこんな異常事態にあるというのに落ち着きはらった様子で、あまり興味が無さそうに周りを見ていた。そうして、小さくため息を吐いた。

「凄いですね。」

まるで他人事のような評価。惨いと怒りもせず、酷いと恐怖に震えることもない。ただ目の前のことを淡々と彼女は処理して、男を状況をそう評した。

「‥‥どうも‥‥。」

常人の反応ではないそれに男は思わず、そう返答した。困惑したのだ。この異常事態よりも異常な人間に出会って、青年の表情は当惑し、困惑し、惑乱した。

すると、女性は緩やかに知り合いに会いに行くような足取りで暗がりから男に向かって歩き出した。

1歩、1歩、意味のある足音が赤赤と燃える港を歩いてる男に向かう。


「質問です。」


そして、彼女はそう口を開けた。


「貴方は自身を異常だと認識していますか?」


それに男は「はい。」と答えた。


「貴方には願いはありますか?」


それに男は「はい。」と答えた。


「貴方は孤独ですか?」


それに男は「はい。」と答えた。


「貴方は裕福ですか?」


それに男は「いいえ。」と答えた。


「貴方は恋をしたことがありますか?」


それに男は言い淀んだが「いいえ。」と答えた。


「貴方は幸せですか?」


それに男は「いいえ。」と答えた。


「貴方は不幸せですか?」


それに男は「いいえ。」と答えた。


「貴方は自分を愛しますか?」


それに男は「いいえ。」と答えた。


「最後の質問です。」


そう聞く頃には、女性は男の前にいた。艶やかな髪の灰色の瞳をした女性は、贔屓目に見ても普通では無かった。まるで暗がりに照らされたダイヤモンドのような煌めきと高潔さ、気品のあるお嬢にも思えた。もしくは、子どものような無邪気さと残酷を持った魔性の(をんな)にも見えた。あるいは、満開の桜の真下で桜に吸い込まれる、そう花びらに視界を覆われて自分が分からなくなって狂ってしまうような不気味な妖しい美しさを持つ美姫にも感じて恐怖した。見れば見るほどに彼女という存在に多面性を見て、ゾッとした。その容姿の美しさも、纏う雰囲気の異様さも‥‥普通の人間では無かった。

男は一瞬、自分の同類に出会ったかと思った。この異様さ、人らしくなさ、それらが自分の中にも見えたのだ。しかし、首を横に振る。

同類ではない。








本物だ。






ふと、



女性は壮絶としか表現仕様がない生々しい、艶めかしい、それでいて心の鉛が重たくなるような笑みを浮かべた。花が散るように儚いのにまるでこちらに軽々しく死刑宣告を授けるようなそれに男に嫌な汗を流させた。


「知らないようなので、」


そう言っても女は笑うように微笑んでいた。


「ご自身が何たるかをご存知でしょうか。いいえ、いいえ、貴方の出生のことでも今、貴方が起こしたことでもありません。」


「貴方のその辞書を、いえ、貴方の今、起こしたことを我々は『作品』と読んでいます。」


作品‥‥?

男はこんな状況の中で何の話をしているのかと戸惑う。


「人によっては異能だとか、超能力だとか、魔術だとか、はたまた神からの祝福(ギフト)だとか言いますが、我々は『作品』と呼び、『作品』を生み出す人間を、所謂使用者を『作家』と読んでいます。‥‥貴方は『作家』です。正しく、間違いようもなく、『作家』です。それが貴方。」


やがてその微笑みを彼女は嬉しいとばかりにやや深くして、こちらを楽しそうに見つめた。

それに男は蛇に睨まれた蛙の図を思い浮かべ、やがて先程まで無かった罪悪感を覚えた。そのこちらを見る目に男は出会っては行けなかったのではないか、という深い後悔を心に感じた。ここまで感じてしまうと、男は自分の今までの行いすら、後悔を感ぜずにいられない。彼女は何しろ、彼女の言うところの『作家』らしい男を、まるで長年、獲物に飢えていた肉食獣のようにこちらを見つめているのだ。男の息の根すら止めるそれに、惑うままに舌足らずに、息が足りないまま口を開く。


「貴方は、私をどうする気ですか?」


それに彼女は答える代わりに世の中に夢を見ている無邪気な少女の、または、童貞の青年を誘惑した人妻の笑みを浮かべた。

「‥‥っ。」

その瞬間。

男は本能的な危機を感じる。

目の前には美しい女が蠱惑的な優美な表情をしている。その綺麗な白い手には何も無い。所謂、丸腰だ。無力だ。自分の方が遥かにこの場に置いて優位であり、脅威であり、有利だ。一瞬で相手を永遠に黙らせることだって出来る。

しかし、男の額から脂汗が流れ、息が詰まるような死の気配が背筋を凍らせた。

そう、男は確かに今‥‥。


たった一人の女性に怖気づいていた。


「‥‥は、‥‥っ!!」

男は思わずその感情から辞書を‥‥元は聖なる書物だったそれを手に持って、開いた。










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