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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

髑髏、闇に溶ける

作者: 8D
掲載日:2018/06/10

 シリーズ化する予定はありませんが、一応短編『剣、二振り』と世界観は同じです。

 ガイウス・トロームという男がいる。

 彼は大陸の歴史において、最も悪を体現した将軍であった。


 かつてあった戦乱の時代。

 彼は多くの悪業を行い、その数だけ畏怖と怨嗟をその身に受けた。

 武芸に秀でていながらそこに誇りを見出さず、逃げる相手であっても平然とその背中を討った。

 常人では思いつかぬような非道な策も用い、行く先に村々があればそれが自国の村であろうと容赦なく糧食を奪い、女を犯した。

 民も兵も区別なく、何の感慨も無く必要とあらば殺してのける彼は人の痛みという物を知らなかったのだろう。

 武名よりも、悪名が轟いた男である。


 故に敵味方を問わず、その名前を知る者は彼を酷く恐れ、それ以上に憎んだ。


 彼は人を人とも思わぬ所業によって、もっとも人を殺した男と言われている。




 ケストとベイルスは、東西に隣り合った国である。

 ケストは東、ベイルスは西にあった。


 その日、ベイルス領土マルトの山中にあるベイルスの砦には、侵攻の足がかりとするべくケストの軍勢が押し寄せていた。


 森林に囲まれた砦の堅固な城壁を前に、ケストの将ガイウス・トロームの率いる軍が陣を敷いている。

 対して砦を守るのは、バルバロッサ・ハーマというベイルスの武将であった。


 バルバロッサはケストの軍勢に対して、篭城を選んだ。

 数日中には、味方の援軍が到着する予定である。


 それをさせぬために、ガイウスは苛烈な攻勢に出たがそれでもバルバロッサの守りを崩す事はできなかった。

 篭城するベイルスの兵は士気が高く、それから見るに恐らく援軍の到着も近いのだろう。


 しかし、ガイウスは焦りを見せなかった。

 彼は既に手を打っていた。


 ベイルスの籠城から数日、ガイウスは砦の前へ出て声を張り上げた。


「おい! バルバロッサ・ハーム!」


 そして、バルバロッサを呼んだ。


「何の用だ!」


 城壁に出ていたバルバロッサは、言葉を返す。


 ガイウスは髪も髭も伸び放題になった大男である。

 身体つきはがっしりとしていて、身長はそれほど高くない。


 見るからに見苦しい男で、バルバロッサはそれを視界に入れるだけで不愉快さを覚えた。


「お前に、弟と会わせてやろう」

「何だと!?」


 バルバロッサの弟は先日の戦いで破れ、ベイルスの俘虜となっていた。


 ガイウスのそばに、囚人服を着せられた一人の男が歩んでくる。

 彼は両手足に重い枷をかけられていた。

 その顔は間違いなく、バルバロッサの弟だった。


「おお」


 彼は弟をいたく可愛がっており、捕らえられたと聞いて体調を崩す程に心配していた。

 そんな弟が生きていた事に喜びを覚えた。


 が、その喜びも束の間の事であった。


「さぁ、別れを告げるがいい!」


 ガイウスはバルバロッサの弟の首に、剣を当てた。


「待て! 何をする!」

「見ての通りだ」


 言うと、ガイウスはあっさりと剣を引いた。

 首に這わされた刃が肉を切り裂き、バルバロッサの弟は首から大量の血を噴き出させた。


 弟はその場に崩れ、自らが流す血の池に身を横たえた。


「貴様ぁ!」

「ハッハッハッハッハ!」


 顔中に血管が浮くほど激昂するバルバロッサに、ガイウスは大笑して返す。


「何故、こんな事を!」

「嫌がらせだ。お前の守りは堅固で破れない。援軍が来る前に退く事にしたのさ。では、さようならだ」


 そう言うと、ガイウスは部隊と共に退いていった。

 森の中へと消えていく。


「おのれ……。このまま帰してなるものか。奴を追うぞ!」

「しかし、罠かもしれません」


 今にも飛び出していきそうなバルバロッサを副官が諌める。


 だが、目の前で弟を殺されたバルバロッサは聞く耳を持たなかった。

 ただただ、憎いあの男を殺したい。

 そう思った。


 その気持ちが、副官の忠告を跳ね除けた。


「だから何だ! 構うものか! あの男の首を刎ね、砦の門に飾ってやる!」


 バルバロッサは騎兵を率い、砦の外へ出た。

 ガイウスの消えた方へ駆けようとする。


 すると、森林の中に隠れていたガイウスの部隊が開いた城門へ向けて突撃した。


「馬鹿が! まんまと引っ掛かりやがって!」

「何ぃ!」


 急いで城門を閉じようとするベイルス軍だったが、それは間に合わなかった。

 ガイウスの部隊が砦へとなだれ込む。


 ガイウスに侵入を許してしまったベイルスの砦は、蹂躙されてあっさりと陥落した。


 バルバロッサは馬で外に出ていた事もあって、ベイルスの砦が落ちるとその場から即座に撤退した。

 しかし、その心に屈辱を押し殺していた事は言うまでもない。


 こうしてベイルスの砦を落としたガイウスは、副官に砦を任せると王都へと帰って行った。




 王都へ帰還したガイウスは、自宅へ帰ってから王城へと参内した。


 そのいでたちは、シャツとパンツだけのラフな者だった。

 とても王の前に出るための姿には見えない。


 玉座の間に彼が入ると、その恰好に顔を顰める者も少なくなかった。

 しかし、王自身がそれを咎める事はない。


 ガイウスは王の前に跪く。


「ガイウス・トローム。マルト山の砦を落とし、ただいま帰りました」

「うむ。ご苦労だった」

「では、これにて」


 短く報告を済ませると、すぐに立ち上がって王へ背を向けた。


「陛下に対し、なんたる態度だ!」


 そのガイウスの王を軽んじるような態度に怒り、一人の文官が声を張り上げた。


 彼はセイル・クリザードという男だった。

 文官でありながら気骨があり、曲がった事の嫌いな男である。

 陛下への忠誠心も厚く、そのためガイウスの行動が許せなかったのだ。


 ガイウスはいつも王に対して同じ態度を取るため、この二人がぶつかる事は珍しくなかった。


「報告は終わった。いつまでもここにいる必要はないだろうが」

「王を前にするには、王を前にするだけの作法があるのだ! それらも陛下の貴さを知り、敬いを持てば自ずと身に付く物である! それが見られぬ貴様をこのまま帰すわけにはいかぬ!」

「少し喋れば、その倍を喋り返しやがって! 面倒くせぇ野郎だな!」


 少しの苛立ちを覚えたガイウスは、セイルの近くへと寄った。

 ガイウスは相手が誰であろうと容赦しない。

 それが文官であろうが、味方であろうが、気に食わなければすぐに手を出す。

 最悪、殺してしまう事もあった。


 しかし、そんな相手を前にセイルは一歩も退きはしない。


「己の態度を猛省し、改めると誓うまで私はいくらでも喋り続けるぞ!」

「この野郎!」


 一触即発の雰囲気があった。

 今にも、ガイウスがセイルを殴りつけそうである。


「もう、良い。セイルよ、下がれ」


 それを止めたのは王であった。


「ガイウスよ。疲れたであろう。早々に帰り、身体を休めるがいい」


 それを聞いたガイウスは、セイルに嫌味ったらしい笑みを向けると王へ跪いた。


「はい。謹んでお受けいたします」


 丁寧に答えると、玉座の間から出て行く。

 その様を、セイルは顔を顰めて見送った。


「陛下。あのような態度を許してよいのですか? 今一度、彼には規律という物を教える必要があるのではないでしょうか」


 ガイウスが姿を消すと、セイルは王へ進言する。


「良い。それだけの働きをしているのだから」


 王は言うが、セイルはそれでも言葉を続ける。


「このままあの男が態度を改めぬなら、我が国の悪評も増えていくばかりですぞ!」

「しかし、ガイウスは我が国にとって得難い才だ」


 ベイルスとの戦いにおいて、ガイウスの功績は大きい。

 ベイルスにも数多の将がいる。

 しかし、ガイウスの活躍を前にすればそれも霞む。

 悪評は増えるかもしれないが、それでも手放せないほどガイウスの才には魅力があった。




 王城から出たガイウスはそのまま帰宅せず、町へ繰り出した。

 腹が減ったからである。


 家で食えばいい話だが、先日雇っていた料理人が辞めたばかりである。

 料理を作れる人間が、今は家にいなかった。


 そればかりか、今のガイウス邸にはたった一人の使用人しかいない。


 ガイウスの家では、人の出入りが激しい。

 というのも、辞めていく人間が多いからである。


 ガイウスは横暴な男で、その横暴さは家の使用人達にも向けられている。

 それに耐えられず出て行く者もあれば、ガイウスの怒りを買って殺される者もいた。

 今日こんにちでは、いくら金に困っていてもガイウスの家で働こうとする人間はいない。

 結果辞めていく人間ばかりとなり、人が居ないのだ。


 軍功による報奨金が有り余っているためそれで馬鹿でかい家を買いはしたが、そのでかい屋敷も人がいなくてがらんとしていた。

 立派な屋敷ではあるが、人手不足で手が行き届いていない状況である。


 ガイウスは町を歩き、店を探した。

 大通りを多くの人が歩いている。

 その様は川の流れのようである。


 しかしガイウスがそこを通ろうとすれば、自然と道ができた。


 彼を見る人々の眼には畏怖がある。

 関わりたくないという心情がその眼にはありありと見えた。


「ふん」


 ガイウスは面白く無さそうに鼻を鳴らすと、適当な店に入る。

 店の店主が愛想を浮かべて出迎えるが、相手がガイウスだとわかると思わず顔を引き攣らせた。


 それでも何とか愛想の良い笑顔を作り直すと、席へ案内する。

 出された料理はそれなりに美味いものだった。

 不味ければぶち殺してやろうと思ったが、この味ならまた食べたいと思った。


 だから態度にも目を瞑った。


「美味かったぜ」

「へ、へい。よろしくお願いします。お代は結構でございます」

「そうかい。いい店だな。また来る」

「ご、ご贔屓に……」


 そう言った店主は、何とも複雑な表情をしていた。


 敵国でも自国でも、彼を好む人間はいなかった。


 ガイウスはそれでもいいと思っていた。

 生まれてこの方、ガイウスは誰かに愛された記憶が無い。


 ガイウスは親の顔を覚えていない。

 気付けば町の裏路地を住処に、盗みを働きながら生きていた。


 腹いっぱいに飯が食えるだろうから、と兵士の徴募に加わったのがきっかけで彼は才覚を発揮する事となる。

 多くの大将首を討ち取り、軍の責任者へ度々謙譲した事で軍に取り立てられ、そこから自分の才覚のみで今の地位へと登りあがった。


 そこまでの道程で、誰かに救われたという事など無い。

 彼は常に嫌われていた。


 彼は戦場において恐ろしく優秀だったが、誰にも理解される事はなかった。

 彼もまた、誰かを理解する事がなかった。


 彼の中には常に、自分だけがあった。

 他人を心へ入れる事など無かった。

 人の痛みなどわからない。

 解かるのは自分の事だけである。


 腹が膨れると、ガイウスは市を歩く事にした。

 家に帰っても退屈なだけなので、暇つぶしである。


 すると、活気のある市の中でもさらに活気のある一角があった。

 気になり、近付く。


 そこは奴隷市場だった。

 丁度今、奴隷の競りを行なっているようだった。


 競りに参加しているのは、貴族や商人達である。

 中には、城で見る文官や武官の顔もあった。


 競りは白熱しており、場は熱気に満ちていた。


 今、競りに賭けられているのは幼い少女である。


 身体が薄っすらと透けて見える薄絹の布を着せられ、手足には枷がかけられている。

 目立つのは黒髪に濃い褐色の肌。

 恐らく、異民族だろう。

 顔立ちは幼いながらも悪くない。

 成長すれば、美女に育つ事が約束されているような顔だ。


 白熱している理由はそのためかもしれない。


 奴隷、か……。


 ふと、思いつく事があった。


 使用人が出て行ってしまうなら、逃げられない奴隷を買い取って身の回りの世話をさせるのもいいかもしれない。


 ああ、いい考えだ。

 一度買えば、給金を払う必要も無いんだから。

 殺したって誰も文句は言わない。

 だって、それは自分の所有物になるのだから。


「五千!」

「五千百!」


 競りの値も細かく刻まれ始めている。

 そろそろ値が決まりそうだ。


「五千百! 他に無いか?」


 奴隷商人が競りの参加者に訊く。


「一万だ」


 それに、ガイウスは答えた。

 その声に、参加者の視線が一気に向いた。


 思いがけない大金をふっかけた者に、注目が集まった。

 それがガイウスである事が知れると、騒然となった。


「他にありませんね! 毎度あり!」


 ガイウスは奴隷の少女を買い取った。




 奴隷の少女と共に、ガイウスは家路に着いていた。


 少女は泣きながら歩いている。

 それは、手の甲に刻まれた焼印の痛みによるものだ。


 奴隷には、その所有者を明確とするために名入りの刻印が施される。

 最初はぎゃんぎゃんと泣きわめいていたが、今はクスンクスンと小さく泣く程度になっていた。


 そんな少女の手を引いて、ガイウスは歩いていた。


 こんな物を買って帰る予定などなかったから、こうして手を繋いで引いて来る事しかできなかった。


 少女は抵抗する素振りも見せず、手を引かれるままガイウスについて歩いた。


「お前、名前は?」


 ガイウスが訊ねる。


「……」


 少女は答えない。


「言葉、わからねぇのか? 名前だ」


 それは面倒だな。

 とガイウスは今更ながらに思う。


「ナマエ……レーテ」


 少しして、少女は名乗った。

 少なくとも、名前はわかるようだ。

 ただ、ぎこちなさがある。


 奴隷商が奴隷の価値を上げるために、付け焼刃で教えたものかもしれない。


「お前は、俺の奴隷だ。俺の物だ。これからは、俺のために働け。俺の言う通りにしろ。でなけりゃ、殺してやる」

「……」

「わかったか?」

「ウ、ン」


 本当にわかっているのかどうか……。

 レーテは小さな声で答え、頷いた。


 ガイウスが家に帰りつく。


 すると、隣家の人間とたまたま顔が合った。

 それは、セイルである。


 偶然ながら、ガイウスとセイルの家は隣り合っていた。


 顔を合わせると、二人共顔を顰める。

 二人は無視を決め込もうとしたが、ふとセイルはガイウスの連れるレーテを見た。


「その子は? さらって来たのか?」


 無視してやろうかと思ったが、弁解しなければこの男はうるさく言葉を吐き続けるだろう。

 それは面倒くさい。


 ガイウスが重用されているように、セイルもその優秀さから重用されているのだ。

 面倒だからと殺してしまえば、王の怒りを買うかもしれない。


 そう思えば、ガイウスはセイルだけは殺さないように気をつけていた。

 殴りたいと思う事は多々あるが……。


「奴隷だ。買ってきた」

「何だと! 奴隷などとよくもそんな物を買ってきたな! 人が人を物として売り買いするなどという事は許されるべきものではないのだ!」


 うるさく言われる事には違いがなかったか。

 こんな事なら、無視して行けばよかった。


 ガイウスは後悔した。


「珍しくもない事じゃねぇか。どこの国だって、奴隷ぐらい売ってる」

「しかしそれが正しいと私は思わない。本来、人には上下などない。尊ばれる者も、貶められる者もないはずだ」


 ガイウスは小さく笑った。


 王に仕える人物とは思えない言葉だったからだ。


 人の上下が無いなどと、それは国の頂点に立つ君主という立場を否定する物ではないだろうか?

 王の耳に入れば、怒りを買う事は容易に想像できる言葉だ。


 知恵者として重用されるセイルが、それをわからぬはずはない。

 それでも言ってのけるのだから、この男の気骨の強さがうかがえる。


 王の貴さを説いた口で、王という存在を否定する。

 矛盾した話ではあるが、その言葉に虚言を用いている様子は無い。

 セイルはその心中に、その矛盾した理を整然と収めてしまっているのだろう。

 その上で、正しいと信じている。

 そして自分の信じる正しさのためならば、誰であろうと牙を向く。

 内包する考えと相まって、さながら狂犬のようだ。

 この男は理性的なようで、その実は狂っているのかもしれない。


 ガイウスも、セイルのこういう部分が嫌いではない。


 しかし、煩わしい事には違いなかった。


「お前の好き嫌いに付き合うつもりはない。嫌なら、お前が買わねばいいだけの話だ。俺には関係ない」

「貴様が、奴隷という商品の需要を担った事が許せぬのだ! 誰かが必要とするから、奴隷という商売が成り立つ! 確かに個々人のやりようをとやかく言うつもりはないが、しかし隣人が買ったとなれば私はその奴隷の姿を度々目にする事だろう。その度に気分を害されると思えば我慢ならん!」

「じゃあ引っ越せ!」

「何故、私が引っ越さねばならん! 何故、他者の非で私が退しりぞかねばならんのだ!」

「うるせぇ! お前がいなくなったら、お前の土地を買い取って家をうまやに改築してやる!」


 ガイウスの大きな屋敷に比べ、セイルの家は四分の一程度の大きさしかない質素な物だった。

 厩とするには丁度良い大きさだろう。


「そのようなつもりはない!」


 本当に鬱陶しい……。

 ガイウスはセイルにうんざりする。


「だったら、お前の目に触れないよう屋敷の中へ閉じ込めておく」

「いや、ダメだ! 広いとはいえ、その時分の子供を屋内へ閉じ込めていくなど非道な事だ! 外へ出してやれ!」

「お前どうしてほしいの?」


 本当にこのままでは埒が明かない。

 今度こそ家の中へ入ろうとする。

 そんなガイウスに、セイルは再度言葉を投げかけた。


「その子をどう扱う気だ? もし、非道にも慰み者として殺すような事があれば、私は命を賭してでも陛下に貴様への懲罰を嘆願するぞ!」

「しつこい! ただの小間使いだ!」


 吐き捨てたガイウスは屋敷の中へ入り、ドアを強く閉めた。


「良い服も買ってやれ!」


 ドア越しにまだ、セイルの怒鳴る声が聞こえた。

 ガイウスは溜息を吐いた。


 ふと、レーテのつぶらな瞳と目が合った。

 ブラウンの瞳は、緊張に揺れている。

 不安があった。


 そんな折、レーテの腹がくぅ……と鳴った。


 この奴隷が何を考えているのかはわからないが、腹を空かせている事はわかった。


 その目からガイウスは視線を外す。


「ご主人様」


 その時、玄関に使用人が姿を現した。

 この屋敷に残った最後の一人である。


「お話があります」

「何だ?」

「今日限り、辞めさせていただきます」

「何だと? ……まぁいい。だったら、その前にこいつに仕事を教えてやれ」

「その子供は?」

「奴隷だ。買ってきた。俺の身の回りの世話をさせる。一通り仕事が出来るようになるまで居てくれるなら、日当で報酬を出してやる」

「そういう話でしたら、わかりました」


 使用人は了承し、深く頭を下げた。


「服も見繕ってやれ。有り合わせでかまわん。それらしく見えればいい」


 今度この奴隷が見つかって、その時に今と同じ格好だったらまたセイルが文句を言ってくるかもしれない。

 それを鬱陶しく思ったガイウスは、使用人にそう命じた。


「……それから、腹が減っているようだ。何か食わせてやれ」




 レーテが使用人から家の仕事を教わり、その使用人がガイウスの家を去ってから三ヶ月になる。


 レーテは家の仕事を一人で担うようになった。

 家事を始め、ガイウスの身の回りの世話もする。


 しかし、レーテはあまり器用な方ではなかった。

 些細なミスは多く、大きなミスも時折やらかす。


 その日も、レーテは命じられて酒をガイウスの部屋まで運んだが、グラスへ注ぐ際に床へ落としてビンを割った。

 酒の飛沫がガイウスの足を汚し、それに怒ったガイウスはレーテを殴った。


「気をつけろ!」

「スミマセン」


 この三ヶ月で、レーテが一番多く口にした言葉はそれである。

 レーテはこれまでに何度もミスを繰り返し、その度にガイウスは彼女を殴った。

 その度に口にする言葉がそれである。


 失敗を繰り返すのは子供の短い手足だからという理由もあるだろうが、元々レーテは不器用なようだった。


 しかし理由はあれど、使えない事には違いなかった。


 本来のガイウスならば、これほど使えない使用人はすぐに殺してしまっている所である。

 それでも殺さないのはレーテが大枚をはたいて買った奴隷だからという事もあったが、使用人が一人もいなくなってしまう不便さを思えばこそである。


 しかし、レーテは粗雑な扱いをされてもそれを恨みに思う事はなかった。

 叱られ、殴られても、それは自分が悪いのだとしっかり自覚している。


 それどころか、ガイウスには感謝すら覚えていた。


 レーテは奴隷に落ちる前、農民の子として生活していた。

 彼女は十人の兄弟達の一番下である。

 貧しい家で、家族はいつも飢えていた。

 そして日々の糧を得る事ができなくなり、レーテは人買いに売られた。


 そうして、遠いケストの王都でガイウスに買われたのである。


 レーテは飢える事の苦しみを知っていた。


 ガイウスは怒ると怖いが、ここにいれば飢えの苦しみとは無縁である。

 ガイウスの食事をしっかりと作り、自分の分を自分で用意するならある物は何を食べてもいいと言われている。

 レーテはそれが何よりも嬉しかった。

 彼女が人生の中で満腹という感覚を知ったのは、ガイウスに買われてからの事である。


 彼女は食べる事が好きで、だから不器用な彼女ではあるが料理だけは美味しく作る事ができた。

 好きこそ物の上手なれという事だろう。

 ただ、彼女が好きな事はそれだけではない。


 ガイウスの新しい下履きと酒、そして料理を部屋へ運びこむ。

 ガイウスの着くテーブルに料理を置いた。


 その料理にガイウスは手をつける。

 鶏肉の香草焼きを一口齧った。


 ガイウスは肉を咀嚼すると、口元を歪めてレーテに向いた。


「美味いじゃねぇか。他はからきしだが、料理だけは上手だな」


 何もできない自分だけれど、ご主人様は料理だけは褒めてくれる。


 そう言って褒めてもらう事が、彼女はとても好きだった。


 もっと褒めてもらいたいと思えば、料理の腕も自然と上がっていったのである。


 乱暴な所はあるけれど、今の自分があるのはガイウスのおかげである。

 だから彼女はガイウスの事が好きだった。


 彼女は心からガイウスを敬愛し、彼に仕えていた。




 王に命じられ、ガイウスは敵地へと赴く事となった。

 留守はレーテ一人に任せ、彼は戦地へと旅立つ。


 王の命令通り、大暴れして敵の布陣を破った彼であったが……。


「ぐおっ!」


 名も無き雑兵の放った矢が、太腿ふとももに刺さった。


「クソが!」


 ガイウスは矢を無理やり抜くと、自分へ弓を放ったであろう雑兵に向けて突撃した。

 雑兵が次々と放つ矢を槍で落とした彼は、雑兵の首を突いて難なく殺した。


 それで一応の溜飲りゅういんを下げたガイウスであったが、その気の緩みと同時に自分を蝕む苦しみに気付いた。


「毒か……」


 ガイウスは呟く。

 矢に毒が塗られていたのだろう。


 しかし、ここで退く訳にはいかない。

 敵に弱みを見せれば、そこから反撃を受けるかもしれない。


 ガイウスは苦しさを隠して、戦いを続けた。


 戦いはケストの勝利に終わり、ガイウスは自陣へと帰還する。

 だが、ガイウスの苦しみが終わったわけではない。


 彼は、手当てを受けなかった。


 敵がいるのは、何もベイルスの陣地だけではない。

 この味方の陣地にも、敵はいる。


 普段の悪辣非道な行いから、ガイウスを嫌う者は多くいる。

 それはケストの中でも例外では無い。


 成り上がり者としてガイウスを見下し、肩を並べる事に不満を持つ貴族出身の武将も少なくない。


 どれだけケストに勝利をもたらそうと、彼が尊敬を得る事はなかった。


 毒に侵されている事を知れば、それを機に謀殺を企む者が出てもおかしくなかった。

 だから、まだ気を抜く事はできない。


 ガイウスは傷の応急処置だけを済ませると、毒に侵されたまま王都への帰途に就いた。


 彼が王都の自宅へ帰りついたのは、それから二日後の事である。


「クソ……目が霞みやがる……」


 自宅の前に立った彼は、すでに意識が朦朧としていた。

 だが、家の中に入ってもまだ意識を保たなくてはならない。


 備蓄の解毒剤を飲んで、手当てをしないと……。


 レーテもきっと自分を恨んでいる。

 毒で弱っている事を知れば、殺そうとしてくるかもしれない。

 家に入っても、毅然と振舞まわなければ……。


 まだ、ここで倒れるわけにはいかねぇ。


 気力を振り絞り、彼は家のドアを開けた。

 だが、彼はそこで力尽きた。


「ゴシュジンサマ……? オカエリ、デスカ? ゴシュジンサマ!」


 バタバタと走り寄る音を聞き、ガイウスは意識を失った。


 次に彼が意識を取り戻したのは、ベッドの上である。


 陽射しの光に照らされ、ガイウスはゆっくりと目を開いた。

 眩しさに目を眇め、視界が慣れてくるとそこが自分の部屋である事を察した。


「眼が覚めたようだな」


 声をかけられて見ると、ベッドの側らで椅子に座るセイルの姿があった。


「この子に呼ばれて行った時にはどうなるかと思ったが、どうにか助かったようだ」


 そう言って、セイルはガイウスから視線を外した。

 その視線の向かった先には、ベッドに顔を埋めて眠るレーテの姿があった。


「手当してくれたのか?」

「ああ」

「何で、助けた? お前は、俺の事が嫌いだろう?」

「ああ。大嫌いだ。だが、それだけの事で助けぬというのは道理に反する。何より、素行が悪くともお前は私と同じく陛下を支える同胞だ。損なうわけにはいかない」


 同胞、か……。

 そのような事を言われたのは初めてだ。


「命を賭してでも、俺の懲罰を嘆願すると言っていたくせに」

「無論、過ちを正すためならば止める。命を奪う事にすら躊躇いなどないさ」

「お前のような文官にできるもんか」

「方法ならいくらでもある。それに、命を投げ出せばできぬ事もない」


 セイルは椅子から立ち上がる。


「それだけの口が聞けるなら、もう大丈夫だろう。私は帰る」

「ああ」


 短く返し、ガイウスは続く言葉を言おうかどうか迷う。

 が、結局それを伝える事にした。


「ありがとうな」


 セイルは振り返ると、笑った。


「私より、その子に言ってやれ。この子が助けを呼ばなければ、間違いなく死んでいただろうからな」

「ああ、そうだな……」


 そう呟くと、ガイウスは眠るレーテを見る。


「ゴシュジンサマ……シナナイデ……」


 涎をたらした口から、そんな言葉が漏れ聞こえてくる。


 ガイウスはそんなレーテの頭を優しい手つきで撫でた。




 後日、死線から脱したガイウスはレーテに褒美を与える事にした。


「ゴホウビ、デスカ?」

「ああ」


 ガイウスは銀貨三枚をレーテに渡し、そう答えた。


「外で、好きな物を買って来い」


 奴隷として買われてから、ガイウスはレーテを外に出さなかった。

 出したとしても、庭までである。

 逃げる事を危惧してだ。


 それも銀貨などを渡せば、そのまま逃げてしまうかもしれない。

 だが、ガイウスはそれでもいいと思えた。


 それを選ぶなら、それもまた褒美となるだろう。

 彼女が望むものを与えてやれるならそれでいいのだ。


 そう思える程に、ガイウスは此度の事に感謝していた。


「アリガトウゴザイマス」


 丁寧にお礼を言うと、レーテは銀貨を握りしめて外へ出て行った。


 屋敷で一人、ガイウスは物思いに耽った。


 また、使用人を雇わなければならないな……。

 そう思いつつ、それはレーテがそばからいなくなるという事であると自覚する。

 それを考えると、何とも寂しい気分になった。


 思えば、こうして人に助けられた事が今まであっただろうか?


 初めてであろう。


 だからこそ、嬉しいと思うのだ。

 彼女が選ぶ道を尊重してやりたいと思うのだ。

 その選ぶ道が自由なら、それを与えるというだけである。


 しかし、それは杞憂だった。

 ほどなくして、レーテは帰ってきた。

 その手に、一輪の花を握りしめて。


「ゴシュジンサマ、ドウゾ!」

「何だ、これは?」

「オ、レイ……?」


 使い慣れない言葉に、首を傾げながらレーテは言う。


「礼を言いたいのはこっちだ。何で、お前が礼を言う?」

「ワタシ、ゴシュジンサマ、カンシャシマス。イッショニイラレテ、ウレシイデス。キモチ、ツタエタカタ」

「ふぅん」


 ガイウスは、花を受け取った。

 白い大きな花弁が広がる花だ。


「もう行っていいぜ。まだ金は残っているだろう? 好きな物、買って来いよ」

「エ……? モウノコッテナイデス。ソレデ、ギンカサンマイデシタ」

「あ?」


 明らかな暴利である。

 レーテが計算できない事を良い事に、嘘の値段で花を売りつけたのだろう。


「その花屋がどこかわかるか?」

「ワ、カラナイデス」


 町を自由に歩いたのは初めてである。


 レーテは目に映る物の珍しさに釣られて歩き、目に入った花の美しさについそれを買ったのだ。


「デモ、ウッテクレタヒト、カオオボエテマス」

「じゃあ、一緒に外へ行くか。服を用意してくれ」

「ハイ」


 レーテは服を用意しに行く。


 一人になったガイウスは、渡された一輪の花を眺めた。

 知らず、顔が綻んだ。


 この日を境に、ガイウスはレーテが失敗しても注意こそすれ殴る事はなくなった。




 その日、ガイウスはセイルの家へ足を運んだ。


「おい。頼みがある」

「頼みだと? お前が私にそのような事を言うとは思わなかった」


 セイルは書斎にて、仕事の資料を見ていた。

 資料に目を落としたまま答える。


「レーテに、算術を教えてやってくれないか?」


 ガイウスがこんな事を頼むのは、レーテが花屋に騙されたからである。

 花屋を締め上げて代金は返してもらったが、このままではこれから先も同じ事があるかもしれなかった。


 セイルは顔を上げ、ガイウスを見た。


「ほう」


 言うと、セイルは笑みを作った。


「簡単なものでいい。……頼まれてくれるか?」

「いいだろう」

「いいのか?」


 あっさりと了解を得られたので、ガイウスは驚いた。

 すぐには頼まれてくれないと思っていたからだ。


「お前の変化は好ましい。それがあの子のおかげなら、時間を割く事もやぶさかではない」

「変化? 俺は変わらないぜ」

「そうか。そう言うなら、それでもよい」

「けっ。頼むんじゃなかったぜ」


 なんとなく、セイルの取り澄ました態度が気に入らなかった。

 悪態を吐く。


「昼頃に我が家へ通わせると良い。参内する予定がなければ、相手をしよう」

「ああ」


 その日から、レーテはセイルより算術を始めとしてあらゆる事を学ぶようになった。

 言葉を学び、文字を学び、作法や歴史など、多くの教養を学ぶようになった。




 ガイウスは、レーテと共に町へと繰り出していた。

 目的は特になく、それでも強いてあげるなら散策といった所だろうか。


 どうやらレーテは食べる事が好きなようである。

 道の途中に食べ物の露店を見かければ、ついつい目がそちらへ向けられた。


 女というものは花や宝石、可愛らしい物へ興味を示すものだと思っていたが、どうやらレーテはそれに当てはまらないらしかった。

 もしくは、まだ子供だからだろうか?


 一応、髪飾りの露店を見て興味を示した事はあったが、それでもそれが食べ物の店となれば食いつき方が違った。


 レーテは今、鶏肉の串焼きを売る店を凝視している。

 ガイウスはその露店へ立ち寄る事にした。


「いらっしゃひっ、ガイウス将軍……!」


 店主は客がガイウスだと気付くと、小さく悲鳴を上げた。


「三本くれ」


 店主の様子に構わず、ガイウスは注文する。


「へい、ただいま!」


 上ずった声をあげ、店主は慣れた手つきで串焼きを袋へ三本詰めた。

 勘定を済ませて袋を受け取ると、ガイウスは袋から串を一本とって残りはレーテに渡した。


 袋を受け取ったレーテは、ガイウスの心意を探ろうとその顔を見上げた。


「やるよ。食え」


 そんなレーテに、ガイウスは言う。

 レーテの顔が笑みに輝いた。


「ありがとうございます! ご主人様!」


 セイルに習い、すっかりと流暢になった言葉遣いでレーテは礼を言う。


 串を袋から取り出し、肉にかぶりついた。


美味うまそうに食うな」

「美味しいです」


 歩きながら串の肉を頬張る二人。

 そんな時、レーテはある物へ目を向けた。


 そちらへ向けて、走り出す。


「おい」


 急に走り出したレーテに声をかけ、ガイウスは追いかける。


 レーテは立ち止まる。

 その目の前には、痩せ細った少年が座り込んでいた。


 少年は浮浪児だった。

 顔は垢に塗れ、服はボロボロである。


 呼吸こそしているが弱々しく、表情からは生気が感じられない。

 飢えで弱りきっているのだろう。


 その姿を見ると、ガイウスは昔の事を思い出した。

 まだ孤児だった頃、自分もまたこの浮浪児と同じく飢えに苦しんでいた。


 どれだけ腹が減って苦しくても、誰も助けてはくれず。

 だから、自分で奪う事しか生きる道がなかった。


 レーテは、浮浪児に串焼きの一本を渡そうとする。


「やめろ。くれてやるな」


 それをガイウスは止めた。


「どうして、ですか?」


 止められるとは思わなかったのだろう。

 レーテは訊ね返した。


「それは……」


 思えば、どうして止めようとしたのかわからなかった。


「お前こそ、どうしてこいつに恵んでやろうと思った?」

「誰だってお腹が空くのは辛いです。私がこの子と同じだったら、きっとこうしてもらうと嬉しいから……」


 言葉に迷いながら、レーテは答えた。


 その言葉に、ガイウスは不思議と納得した。


 彼女の言葉は確かだった。

 空腹は辛く、そんな時に食べ物をもらえれば嬉しい。


 あの時の俺は、誰でもいいから食べ物を恵んで欲しいと思った。

 でも、誰もそんな事をしてくれる人間がいなかった。


 何で、俺はこいつを止めたんだ?

 もしかして、俺はこの浮浪児が嫉ましかったのか?

 あの時誰にも助けてくれなかったのに、この浮浪児は助けてもらえるから……。


 わからねぇ。


 そんな気もするし、そうじゃない気もする。


 でも、この浮浪児が今感じている辛さは理解できた。

 ガイウスはその辛さを知っている。

 この浮浪児は、あの時の自分と同じである。


 そう思うと、ガイウスはその辛さを取り除いてやりたいと思った。


 そんな事を思ったのは、ガイウスにとって生まれて初めての事だった。


 今までは解からなかったのだ。

 自分以外の人間を思いやるなどという事は……。


 他人をどれだけ知っても、その考えている事はわからない。

 だが、ガイウスは過去の自分の気持ちを浮浪児が覚えている事に気付き、その考えを察した。


 他人の痛みを知ったのである。


「いいぜ。お前の好きにしてやれよ」

「はい!」


 ガイウスの許しを得ると、レーテは串焼きを浮浪児に渡した。

 浮浪児はその串を手に取ると、夢中でそれを食べ始めた。


 こうして、誰かに手を差し伸べてもらっていれば、自分も今のようにはなっていなかったかもしれない。

 そんな事を思う。


 あの時は、助けてくれる誰かがいなかった。

 浮浪児を助けたいと思う人間が、そもそもいないのだ。

 でも、今の自分はこの浮浪児を助けたいと思っている。

 そして、助けられるだけの力を十分に持っていた。


 なら、俺がその助ける人間になればいい。


「おい、ガキ。もっとメシを食いたいと思わないか?」


 ガイウスに問われて、浮浪児は彼の顔を見上げた。

 そして、躊躇いがちに頷いた。


「だったら、俺の家で働け。腹を減らす事も、住処に困る事もなくなるぜ」


 ガイウスが言うと、浮浪児は何度も頷いた。




 町で浮浪児を拾ったガイウスは、その浮浪児を使用人として雇う事にした。

 レーテに仕事を教えさせ、家で働かせるようにした。


 仕事の合間には、レーテと一緒にセイルの所へ行かせて勉強を教えさせた。


 何の了承も取らずにセイルの家へ向かわせたので何かしらの文句を言われるかもしれないと思ったが、意外にもそんな事は一切なかった。


 そしてそれ以来ガイウスは町へ繰り出すたび、浮浪児を見つけると拾ってきて使用人として雇うようになった。

 その増えた子供もまた、セイルの家へ向かわせた。


 その人数が十人を超えた頃になると、逆にセイルがガイウスの家へ出向いてきた。


「おう。どうした? 何の用だ?」

「うちで教えるには狭いからな。こちらで勉強を教える事にした」

「おう……。いいのか?」

「何が?」

「こんなに大勢、教える事になって」

「問題ない。しかし驚いたぞ。お前が、孤児を引き取って育てるなど。このような慈善を成すとは思わなかった」

「俺はただ、使用人を雇い入れているだけだ。何せ、レーテ一人だけじゃ手が行き届かないからな」

「そうか。なら、それも良い」


 言うと、セイルは小さく笑う。


「何だ?」

「いや、気に障ったなら謝ろう。ただ、やはりお前は変わったと思っただけだ」


 セイルにそう言われると、ガイウスは顔を顰めた。

 いかんともしがたい気分になる。


「適当な部屋を使わせてもらうぞ」


 そう言うと、セイルはガイウスの家の中へ遠慮なく入って行った。


「あ、先生だ!」

「先生!」


 セイルが来た事に気付いて、子供達が集まってくる。


「うむ。昨日言った通り、今日はここで授業をする。どこか良い部屋はないか?」

「あっちの部屋! 掃除したばかりで、ガイウス様は好きに使っていいって!」


 子供達に群がられながら、セイルは廊下を歩いていった。


「懐かれてやがるなぁ」


 ガイウスも子供達に嫌われてはいないが、それでも少しの恐れを抱かれている。

 それに比べ、子供達のセイルに対する態度には恐れがなかった。

 ただ純粋な好意が見て取れた。


 その違いを目の当たりにすると、ガイウスは寂しさのような物を感じた。


 ふと気配を感じて横を見る。

 レーテがガイウスの隣に立っていた。

 ガイウスが彼女に気付くと、レーテはニコリと笑った。


 ただ、レーテだけは違う気がした。

 彼女のガイウスを見る目には、恐れがない。


「お前も行って来い。まだ、教わる事があるんだろう?」

「はい」




 その日、セイルは王城へと呼びだされた。

 玉座の間には数人の文官と武官が集まっていた。


 集まった者は普段よりも少ない。

 限られた者に対して内密の話があるのかもしれない。


 セイルはそう思った。


 それから二、三人が新たに加わり、玉座の間へ通じる扉は閉じられた。

 それを見計らい、ケスト王は口を開く。


「このたび集まってもらったのは他でもない。ベイルスと我が国の関係についてだ」

「と、申しますと?」


 王の言葉に、文官の一人が訊ね返した。


「我がケストとベイルスは長く争いを続けてきた。しかしそれをここに終わらせ、和平を結ぼうと思う」


 ケスト王の言葉に、場がざわめいた。


 両国の戦いが始まって長い。

 ここにいる者の中には、始まった当時生まれていなかった者もいるだろう。

 戦いに至る因縁など解せず、ただ敵であると教わって戦いに参じている者も少なくない。

 それほどの長く続いた戦いが終結するかもしれないというのだ。

 驚く者は少なくなかった。


「実は、ベイルスの王とはそれについて幾度か書簡にてやり取りしている。元は親の世代が始めた戦い。当事者が既に亡くなり、この戦の大義もあやふやになりつつある。余はそれを嘆いていたが、それはベイルスの王も同じであった」

「では、本当に和平が成るというのですか?」


 文官の問いに、ケスト王は頷きを返した。


「うまくいけばな。いや、うまくいかせるのだ。この和平を滞りなく結び、余は長く続いた戦乱の時代を終わらせたい」

「陛下、ご英断かと思われます」


 王の言葉に、セイルが口を開いた。


「そうか、そう言ってくれるか」


 戦いを終わらせる判断を下したこの王は賞賛されるべきであろう。

 セイルは心からそう思った。


 その考えが翻ったのは、まもなくの事だった。


「しかし、和平を結ぶのに向こうは絶対条件を一つ出してきた」

「条件、それは?」

「ガイウス・トロームの命を差し出す事だ。ここへ集まった者には、秘密裏にその計画を実行してもらいたい」


 セイルは言葉を絶句した。


 何故?

 いや、理由はわかる。


 ベイルスにとって、ガイウスは憎しみの対象だ。

 長い戦は幾つもの怨恨を生み出してきた。

 その全てがガイウスによる物ではないにしろ、彼は憎むべきケストの象徴であろう。

 彼の築き上げてきた悪評が、彼を生贄として欲しているのだ。


 ベイルスのこの申し出は理解できる。

 恐らく、怨恨のみで求めた物ではないだろう。

 ケストの生んだ怨嗟の象徴としてガイウスを処する事で、その命と共にベイルスの民が抱くケストへ対する怨恨をある程度払拭させるつもりなのだ。


 これはベイルスにとっての復讐であり、和平を進めるための下準備でもあるのだ。

 実に理に適った要求であった。


 この方法を考えた者には、感服を禁じえない。

 しかし……。


 セイルは気を取り直して言葉を返す。


「なりません、陛下。そのような要求は跳ね除けるべきです」


 セイルが強く進言すると、王は意外そうな顔をした。


「お前がそのように言うとは思わなかった。何故だ? お前は奴を嫌っていたはずだ。処罰せよとも言っていた」

「確かに、あの男がかつてのままであったなら、喜んでこの話に賛同したでしょう。しかし、今のあの男は違うのです!」

「何が違うと言うのだ?」

「あの男は、これから己が犯した悪行を塗り潰すほどの善行を成す者となるかもしれないのです! 今、その芽を摘むなどという話は承服できかねます!」


 ガイウスは確かに、数えきれないほどの悪行を成している。

 しかし、このまま生きて行けばその数以上の幸福を人へ与えるかもしれない。


 セイルは、ガイウスにその可能性を見ていた。


「ではお前は、これから先の戦で死ぬ数多の民の命よりも、たった一人の命を貴いと申すのか?」

「それは……」


 王の言う事は正しい。

 セイルはそれを理解する事ができる。


 しかし、理屈ではない。

 彼の心は、その正論を許容できなかった。


「今一度……今一度お考え直しください」

「できぬ。余は、戦を終わらせる。そのために、ガイウスには死んでもらう」

「どうあっても、聞いては下さらぬのですね……」


 セイルは歯を強く噛締めた。

 踵を返し、玉座の間から出ようとする。


 ここより帰る事ができるなら、すぐにでもガイウスに知らせねばならない。

 そう思っての事だ。


「待て。この事を知られた以上、お前を帰すわけにはいかん」


 しかし、彼の思惑が実る事はなかった。

 セイルの前に、二人の兵士が立ち塞がる。

 そして、セイルに掴みかかった。

 すぐさま捕縛される。


「放せ!」


 彼は振り解こうとするが、非力な文官である彼にはどうあっても兵士の拘束から逃れる事などできなかった。

 それでも、王へ向け言葉を投げる。


「ここで奴の命を差し出すと言うのなら、陛下は人を見る目を持たず家臣を見捨てた非情の暗愚として、歴史に名を残す事となりますぞ!」

「その暴言は、お前の功績に免じて許そう。だが、事が終わるまで獄から出る事を許さぬ。連れて行け」


 セイルは声を張り上げ続けたが、それも虚しく地下牢へと捕らえられる事となった。




「あいつ、どうしてるんだろうな」


 ガイウスは自室で呟いた。

 あいつとは、セイルの事である。

 セイルは少し前に家を空けると、それから何日も戻っていなかった。


 城へ行って聞いた話では、陛下から受けた仕事が長引いているとの事だった。

 城内ではなく、他の地域に行って仕事をしているらしい。


「早く帰ってくるといいのですけどね」


 ガイウスのお茶を淹れながら、レーテが言葉を返す。


「みんなも、先生に勉強の続きを教えて欲しいって言ってます」

「そうか……」


 セイルは責任感の強い人間だ。

 子供との約束とはいえ、投げ出すとは思えない。

 しかし、王の命令となればそれも致し方ないのだろう。


 ガイウスがそんな事を思っていると、家の戸を叩く音が聞こえた。


「見てきます」


 レーテが玄関へと向かう。

 少しして戻ってきたレーテは、来訪者が王の使いである事を告げた。


「ここまで案内してやれ」

「はい」


 レーテに案内されて、王の使いがガイウスの部屋までくる。


「ガイウス・トローム。陛下からの下知である。謹んで受けられよ」

「は……」


 王の使いが持ってきた王の命は、ベイルスの国境より砦を一つ挟んだ位置にある砦だった。


「何故そんな所に?」

「盗賊の被害が出ておるそうだ。五百の兵を率い赴き、無法者共を討伐せよ」


 その命を受けたガイウスは、釈然としないものを感じながらも了承した。

 王の命令ならば、致し方がない。


「あの、私も連れて行ってください」


 支度をしていると、レーテがそう申し出た。


「お前を?」


 ガイウスは怪訝な顔で訊ね返した。


「はい。ご主人様の役に立ちたくて、先生から兵法を教えてもらいました。まだまだ未熟ですけど……」


 そんな事を習っていたのか。

 とその時初めて知った事実に溜息を吐く。


 しかし、自分のために努力を重ねる彼女には、素直に嬉しさがこみ上げてくる。


「お前は俺の軍師となるつもりなんだな?」

「はい」

「いいだろう。連れて行ってやる」


 ガイウスは彼女を連れて行く事にした。

 どうせ相手は盗賊である。

 それほど危険ではないだろう。


「せいぜい、実戦経験を積むがいいさ」

「はい!」


 二人は家の使用人達に留守を任せて、砦へと赴いた。

 二日の道程を経て、砦に辿り着く。


「ようこそ、おいでくださいました。ガイウス将軍」


 砦を任される兵士が二人を出迎えた。


「その子は?」


 兵士はレーテを示して訊ねた。


「俺の奴隷だ」

「そうですか」

「それより、盗賊共はどこにいるんだ?」

「行軍の疲れもございましょう。まず、お休みになってはいかがでしょう?」


 ガイウスにとっては行軍も慣れたもので、それほど疲れを感じていない。

 しかし、レーテはそうではない。


 彼女はガイウスの乗る馬の馬首にしがみつき、すでに眠っている。

 落ちないように気をつけながら、ガイウスはここまで来たのだ。


「そうしよう」


 ガイウスは、申し出を受ける事にした。


 部屋へ案内されると、ガイウスはレーテをベッドに横たわらせた。

 自分は椅子に座り、窓から外を眺める。

 陽は地面の近くまで下りていて、もうすぐ沈もうとしていた。


 それでもまだ、夜となるには時間がある。


 部屋のドアがノックされた。


「ガイウス様。お食事などいかがでしょう?」


 部屋の外から、そう訊ねられる。


「いや、まだいらない」

「では、酒などはいかがでしょう?」

「そっちもいい」

「そうですか」


 それだけ言うと、部屋の外にいた者は離れて行った。


 時間が過ぎ、陽は完全に落ちて夜になった。


「……ご、主人様」


 レーテが声を発し、起き上がった。


「起きたか」


 声をかけると、レーテはガイウスを見る。

 彼を見つけると、彼女はニコリと笑った。


「お腹、空きました……」

「はっはっはっはっは」


 彼女らしいな、と思いガイウスは笑った。


「よし、メシを貰ってこよう」

「私も行きます」

「うん」


 ガイウスはレーテを伴い、部屋を出た。

 砦の中を歩き出す。


「ん?」


 しかし、砦の様子に違和感を覚えた。

 あまりにも静か過ぎる。


 少なくとも五百以上の兵がいる砦だというのに、何も聞こえてこないというのは不自然だった。

 ガイウスは嫌な予感を覚える。


「ご主人様?」


 主人の様子に、レーテが声をかける。


 ガイウスはそれに答えず、廊下に備え付けられた窓から外をうかがう。

 闇の中に目を凝らした。


 はっきりと見えたわけではない。

 しかし、無数の何かが蠢いている気配があった。


 あれは、人の群れ……。

 軍だ。


 その軍が、砦へ向けて迫っている。


 それが、自分にとって良いものであるとは到底思わなかった。


 ガイウスは、自分の身に何が起こっているのかを察した。


 俺は、味方に売られたのだ。


 詳しくはわからない。

 だが、王からの命でここへ来て、その結果として何かが迫るこの砦に一人残された。

 つまり、王はここで俺を殺す気なのだ。


 ここは死地となるだろう。

 ガイウスは、自分の天命が尽きた事を知った。


 いや、自分だけではない。


 ガイウスは部屋へ戻った。

 扉を閉じる。


「ご主人様?」


 険しい表情のガイウスを見て、レーテは不安そうに声をかけた。


 恐らく砦は包囲されている。

 逃げ出しても、切り抜ける事はできないだろう。


「ガイウス・トローム! 聞こえているか! ガイウス・トローム!」


 大音声が響き、部屋まで届いた。


「我はベイルスの将、バルバロッサ・ハーム! お前は我が軍に包囲された! お前から受けた恨み、これから晴らさせてもらう!」


 バルバロッサ。

 ガイウスはその名を思い出した。

 前に、目の前で弟を殺して見せた男だ。


 奴は相当に自分を恨んでいる。

 その男に率いられた一団もまた、その心身にガイウスへ対する憎しみを満たしている事だろう。


 ベイルスが抱くそれら全ての恨みが、暴力となってここへ殺到するだろう。

 その恨みの矛先が向くのは、果たして自分だけだろうか?


 レーテにまで、その怒りの矛先が向くかもしれない。


 それを考えると、ガイウスは恐れを抱いた。


 この砦の人間とベイルスの兵士が接触を図ったかはわからない。

 でも、レーテが自分の奴隷である事が知れている可能性があった。


 自分に関係ある者を怒りに任せて殺す事は考えられた。


 こんな事になるのならば、こんな所に連れてくるのではなかった……。

 ガイウスは深い後悔を覚えた。


 レーテの助命を願っても、バルバロッサはその嘆願を聞くまい。

 ガイウスは、バルバロッサの親しい者を目の前で殺した。

 親しくしている事が解かれば嬉々としてあの男はレーテを嬲り殺す事だろう。


 俺はいい。

 恨まれるだけの事をしてきた。

 だが、どうにかこいつだけでも助けられないだろうか?

 どうにかして……。


 ガイウスはその方法を必死に考えた。

 そして、思いつく。


「いいか、レーテ」

「はい。何でしょう」

「俺の言う通りにしろ。お前は、俺の事を恨んでいた。誰かに聞かれたら、そう答えるんだ。本当に、恨んでくれてもいい」

「そんな、ご主人様を恨むなんて――」


 答えるレーテの顔をガイウスは平手で殴りつけた。


 あまりに強く殴られたので、レーテは床に倒れる。


 ガイウスはそれでも止めず、レーテの胸ぐらを掴んで何度もその顔を張った。


 時間がなかった。

 奴らがこの部屋へ来る前に、済ませておかなければならない事だった。


 誰が見ても同情を抱くような哀れな有様であれば、きっと親しい者だとは思われない。

 酷い仕打ちを受け、ボロボロになった少女がいればそれがガイウスと親しくしていたなどと思われない。


 そう思い、彼はレーテを傷つけた。


 うまくいくか、少し不安が残る。


 いや、奴らはそう思うだろうさ。

 俺はガイウス・トロームだ。

 悪評を振り撒く悪魔のような男だ。

 そんな男が、どうして奴隷の少女を大切に思っていると信じる。


 ああ、信じはしないさ。

 でも、もっと確実にそう思わせなくちゃならない。


 だから、ガイウスはレーテを痛めつける。

 身体に障害が残らないように加減しつつ、それでも酷く見えるように。


 顔が腫れ、片目が開かなくなっても……。

 殴られた肩に痣ができても……。


 彼はレーテを害し続けた。


 その表情は苦渋に満ちている。

 こんな事などしたくない。

 それでも、レーテの助かる可能性が少しでも高くなるなら……。


 彼女を大切に思えばこそ、ガイウスは徹底的に彼女を痛めつけた。

 その目尻には、涙が溜まっていた。

 振るう手は耐え難いほどに痛かった。


 拷問を受けたかのように酷い有様となったレーテを床へ横たえる。


「ご……しゅ……」

「俺を恨め。この世の何よりも、大嫌いだと言え」

「……い……や……」


 この期に及んでそんな事を言うレーテに、ガイウスは顔をくしゃくしゃに歪めた。


 ガイウスは、愛用の剣を手にする。


「……痛いのはこれで最後だ」


 そう言うと、レーテの背を剣で斬りつけた。

 派手に出血する。

 彼女の身体は血まみれになった。


「うう……」


 痛みに呻くレーテの手を後ろ手に縛る。

 そして、部屋にあったクローゼットの中へと彼女を隠した。


 間に合った……。


 ガイウスは安堵で溜息を吐く。


 少し前の自分なら、きっとレーテを盾にしてでも助かろうとしただろう。

 でも今は、自分を盾にしてでもレーテを守りたい。


 本当に、俺は変わったのかもしれないな。

 なぁ、セイル。


 自分を同胞と呼んでくれた……友。

 ここにいない彼に、ガイウスは言葉を投げ掛けた。


 部屋のドアが蹴り開けられる。


「ほう、逃げずにいたか! 観念したと見えるな!」


 怨敵を前に、剣を突きつけて叫んだのはバルバロッサであった。

 その後ろから、次々に部屋へ兵士達がなだれ込む。

 ガイウスを包囲するように、兵士達は部屋中へ広がった。


 彼らの目は一様に、憎しみで滾っていた。


 今ならわかる。

 きっと、こいつらは俺に大事な人間を殺されたのだろう。

 その恨みを晴らそうとしているのだろう。


 でも、俺の大事な人間は殺させないぜ。

 代わりに、俺の命をくれてやるからよ。

 だから、それで我慢しな。


「俺が貴様如きを前に恐れるものか」

「ぬかしたな! この怨讐の剣、その首へ突き立ててやる! お前はここで、一人死んでいくのだ!」


 それを聞くと、ガイウスは笑った。


「ああ……そうだ! 俺が慕う者は居らず、俺を慕う者もいない! 俺は、この世にあって常に一人!」

「だろうな! 貴様に、心従する者など一人としておるまい!」

「だからこそ、この窮地すら一人で超えてやる!」


 ガイウスは嘯くと、剣を構えて自分へ恨みの眼差しを向ける多くの者達へ挑みかかった。


 それからどれだけ時間が経っただろう。


 怒号と喧騒、剣戟の音が絶え間なく続き……。


 気付けば、その音が止んでいた。


 その変化をレーテは、クローゼットの中で身じろぎせず聞いた。


 戦いが終わった。

 どっちが勝ったんだろう?

 きっと、ご主人様が勝ったんだ。

 だから、すぐにご主人様は私をここから出してくれる。

 そして、私の事を労わってくれるに違いない。


 レーテには、何故ガイウスが自分を痛めつけたのか理解できた。

 自分を助けようと思ってしてくれた事だ。

 それが解かるから、こんな目にあっても恨む事はない。


 だから、早くクローゼットを開けてほしい。

 無事な姿を見せて欲しい。


 しかし、レーテの願いはあえなく潰えた。


 開かれたクローゼット。

 その手の主は、ガイウスの物ではない。


「……なんという有様だ……。あの男は、こんな幼子にまでこのようなむごい仕打ちを課すのか」


 レーテを見て、それを発見した兵士が声を出す。


 しかしレーテの視線は、その兵士ではなく部屋に転がる物へと向けられていた。

 それは首のない死体である。


 顔がなくともわかる。

 その死体が、誰のものであるか……。


 レーテの目から、涙が溢れ出た。

 次々と止め処なく、涙が流れ出る。


 彼女の有様は、その涙を助けられた安堵によるもののように、見る者の目へと映らせた。




 セイルがガイウスの死を知ったのは、ガイウスが討ち取られた三日後の事である。

 釈放を告げる獄卒からその話を聞いた時、セイルはその場で嗚咽を漏らしたという。


 その後、彼はこれ以上ケスト王に仕える事はできないといい、引き留める王の言葉を退けて辞職した。


 公人ではなくなった彼は私財を投げ打ってガイウスの屋敷を買い取り、ガイウスが使用人として使っていた孤児達の身柄も引き取った。

 以後はそこで私塾を開き、貴賎を問わず浮浪児すら引き取って広く子供達に学問を教えた。


 彼の元で教えを受けた子供達は成長し、その才覚を各国で発揮する事となる。

 それによってセイルの名は広く知れ渡った。


 ガイウスの首はベイルスの王都へと運ばれ、広場にてさらされた。

 首は、ベイルスの民が抱くケストへの恨みを全て受け止める事となった。


 さらされ続けた首は腐り、風雨にもさらされ……。

 腐った肉を落とし流された首は、半月程度で綺麗な白骨の髑髏となっていた。


 ある夜の事。

 一人の少女がその首の前に立った。

 少女は何の恨みも恐れもなくその髑髏を手にすると、大事な物を扱うかのようにそっと胸に抱いた。


 そのまま走り去った少女は、暗い色の肌と相まって闇へ溶け込むようにして夜へと消えていった。




 ガイウスの死によってケストとベイルスは和平を結び、両国には平穏が訪れた。

 しかし、その平穏は十年を経て終わる事になる。


 ケストよりさらに東にあった小国、ヴィブルが突如として侵攻を開始したからである。

 ヴィブルは苛烈に両国を攻め、瞬く間にその領土を我が物とした。

 侵攻の手は両国以外にも広がり、領土を拡大し続けたヴィブルはいつしか大国と呼ばれるまでになっていた。


 そのヴィブルの将の中には、髑髏を手にする女性の姿があった。

 戦の後、天幕の中。

 濃い褐色の肌の将は、休息の一時に髑髏を手にし、向かい合ったそれに微笑んだ。

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