《紫色編》29話:――
今の気分を例えるなら。
そうだな。
甲子園出場を賭けた最終試合。
3対0の九回裏、満塁で尚且つフルカウントのラスト一球の場面で逆転ホームランを放ち見事!甲子園出場を決めた主人公チーム……。
――の対戦相手であるところのライバルチームの気持ち……。
要するに最悪なわけである。
よくよく考えてみてほしい。負けた彼等にとっても夢だったのだ。
あと一歩、あと一歩だったんだ。
長年、夢見てきた甲子園出場。あと一球で夢が叶うところからの挫折。
皆まで言わずとも分かって貰えると思う。この無念、後悔、悔やんでも悔やみきれない。
「うあひいぎいいいいいいえいりあんぐあああいああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あいぎゃあういあ」
そりゃあ奇声をあげたくもなる。
奇声をあげるのも久しぶりだなぁなんて、しみじみと考え余計なことを考えないようにする。
ぶっちゃけ現実逃避以外のなにものでもない。
ああ、もう俺の心は折れた。現実に立ち向かう気力が湧かない。
悪魔は死に記憶を取り戻す術を失った。
コップからこぼれた水はコップに戻ることはない。
もう、俺はこの胸の内にある漠然とした、でも大切なこの気持ちの正体を知ることは出来ない。
「だあああああぁぁぁぁぁぁぁあ!ちくしょぉぉぉおおお!」
叫んだからってどうなる分けではないけど、叫ばずにはいられなかったし、それに叫ぶと少しだけスッキリした。
――これからどうしよう……。
とりあえず、部屋に戻ることにした。改めて、今後のこと、主にあいつにどんな返事をするか考えないと。
まあ、一ヶ月近くも悩んでいたことを今更、改めて考え直してもすんなり答えはでてはこないだろうけど。なにせ結局、状況は対して変化してない。俺の記憶は戻っていないままだ。
それでも考えなければならない。あいつの真剣な気持ちに俺も真剣に返事がしたい。
それが約束だし、礼儀で筋ってもんだ。
ディレシアと別れて一人、帰路につく。ディレシアは別れ際、「すまんな」と一言だけ口にした。おまえが気に病むことでもないだろうにと思ったが余計なことは言わないでおいた。
赤子の部屋の前をこそこそと通って自室に。ドアの開け閉めも極力を音をたてずにした。
あんな別れをした手前、何となく顔をあわせずらい。だから、赤子としたキスを思い出して耳まで真っ赤になってるツラを見られたくない分けではない。断じて違う。つーか、何で俺はあの時、赤子にキスなんかしたんだよ。馬鹿なのか?死ぬか俺?
そんなわけで、こんなこそこそしてるのは、ただ気まずいからであり。恥ずかしいからなわけじゃない。そこ間違えちゃいけないんだからね!結構、大きな違いなんだからね!
自室に戻ってきた俺だが、そこであれ?っと首を傾げた。
いつも通りのなにもない自分の部屋のはずなのだが、ほんのわずかな違和感を感じた。
俺はそこで部屋の真ん中にぽつんと取り残されたように一枚の紙が置かれていることに気がついた。
あんな紙に見覚えはない。違和感の正体はあれか?
拾い上げて何の紙だか確認する。
『婚姻届』
そこにはしっかりと若林ゆかりと書かれていた。印鑑もバッチリである。
「先走りすぎだろッ!!」
なんで苗字が既に若林になってんだ!
それに俺は設定上18歳ではあるけれど、実際はあと1年たたないと結婚出来ない年齢だから!
まったくあいつは何考えてるんだ……。
というか、あいつに俺が住んでる場所教えた覚えはないんだが…ここにこんなものがあるってことは必然的にあいつがこの部屋に来たってことになる。
不法侵入ではなかろうか?
まあ、つい先日まで俺を拉致監禁調教していた奴に今更、日本の法律云々を言うのもあれなんだが。どうせ聞きゃしない。
それにしても、何故だろうか。部屋に入った当初と変わらず、違和感は続いていた。
あいつが仕掛けたのは紙だけではないのか?
ぐるりと部屋を見渡した。一見して変化はないように見える。
だが、俺は見つけた。
それは部屋の隅、天井からぶら下がるように取り付けられていた。
監視カメラ。
もう、あからさま過ぎて言葉もない。ああいうものを取り付ける場合は普通、対象に気がつかれないように隠蔽するものではないのか?
さて、あれはどうしてくれようか。
一度、部屋を出て隣の赤子の部屋に向かい、ノックもせずにドアを開ける。案の定、鍵は開いていた。
「赤子ー。ここに置いてある金属バット借りるぞー」
なんで置いてあるのかは知らないが、赤子の部屋の玄関に金属バットが置いてあったことを思い出した俺はそれを借りにきた。長さ的に大変良い感じの凶器だ。
「バットー?べつにいいわよー、滅多に使わないしー……って、え……?め、恵ッ!?帰ってき――」
許可は貰った。どたばたと部屋の奥から聞こえてきたが問答無用でドアを閉めた。
部屋に戻り、バットを構える。
「おらっ!」
気合い一発。部屋の隅に設置されたそれに向かって金属バットを振り下ろす!
ガシャン!
いやー、気持ちいいなこれ。
パラパラと床に舞い落ちるのは割れたレンズの破片。本体はバチバチと火花を散らし完全に壊れていた。
「はっはっはっ!ざまぁみやがれ!」
「あーあ、恵はホントに容赦ないな。そのカメラ結構高かったんだぞ」
「ストーカーの言い分なんかしるかっつーの!しかるべき処置だ。人の部屋に勝手に監視カメラなんざ設置するほうが悪いんだ」
「といってもな恵。私としてはだ。愛しい恵を四六時中監視していたいんだ。好きな人のことは隅から隅まで知りたい、知っていたいと思うのは当然のことだろう?」
「わからないでもないが、おまえのそれはとっても重い。ゆかり、もっと視野を広くもってだな……って、ゆかりぃいいぃぃいいッ!?ぎゃあああああああああ!!で、でたぁぁあぁあああああ!!」
「おおおぉおぉお!!???!」
気がついたら、ゆかりが隣にいた。軽くホラーである。
「な、なんで、おまえがここにいるんだよッ!?」
「いや、なんてことはない。恵の匂いを嗅ぎたくなったのでな、来てしまった。くんかくんか」
咎める間もなくゆかりに後ろから抱き着かれる。首筋に近づくゆかりの顔。粗い息遣いがくすぐったく反射的にぶるっと身震いした。
「うわ!?馬鹿!離れろ!くんかくんかするな!」
即効でゆかりを振りほどき距離をとる。
「はぁはぁ、なんだろうな恵。君の匂いを嗅いでいると興奮して来たぞ。今私は凄くムラムラしているぞ。どうだ恵?これから、や・ら・な・い・か?」
「やらないから!早く離れろ!あと俺の背中にそのでかい胸を押し付けるな!虫ずが走るわ!巨乳は死ね!屠るぞてめぇ!」
「ふむ、やらないのか。でも、いやよいやよも好きの内というし。恵はあれだろ?ツンデレなのだろ?流石の私も君のツン期はお腹いっぱいだ。そろそろデレ期に入ってもいい頃合いだと思うんだが……ちなみに恵のデレ期を受け入れる準備は既に完了しているから、遠慮することはないぞ」
「受け入れる準備ってなんだ。受け入れる準備って」
「それはパンダであってパンダではない。詰まるところ、私はノーパンダ!」
「ノーパンどぅゴッハァ!!お、おまえ!いいい今!は、履いてな――ゴッハァ!!」
くっ、俺としたことが興奮のあまり二度も吐血しちまうとは……若林恵!一生の不覚!
「これで私が君を受け入れる準備が万端なのは分かってもらえたと思う。さあ!恵!カモン!カモーン!」
「いやおまえ、カモンって……あのな、ゆかり。そうあからさまだとやる気も失せる。もうちょっと恥じらいというか、初々しさとかが俺は欲しいのだよ。まあ、どうせやらないけど」
「そんなこと言ってはいるが、恵は私のことが大好きなのだろ?皆まで言わずとも私にはわかる。なんせ私も君のことが大好きだからな!」
「その理屈はなんかおかしくないかッ!?」
「そんなことはない!私は恵のことが大好きなのだから、恵も私のこと大好きであって当然だ!」
「べつに俺はおまえのことなんか――……」
好きじゃない、と言いかけて口ごもる。
一ヶ月前の俺ならばその台詞を迷わず口に出来ていただろう。
だけど、今の俺はその台詞をすんなりと口には出来なかった。
ゆかりのことを好きになりかけている、というか、好きになっている自分がいた。
好きだ嫌いだの狭間で俺の心は揺れ動く。この恋の結末やいかに!?
「――って!俺は乙女かっつーのッ!!気持ち悪いわッ!!だぁあ!クソッ!俺はいつからこんな中途半端な奴になったんだ!しっかりしろ!こんなんじゃない!こんなんじゃないだろ!」
「どうしたんだ恵。急に喚き出して、幻覚でも見たのか?良い医者を紹介するか?とりあえず落ち着こう、な?ほーら、怖くない怖くない」
「俺はいたって正常です!ちょっと取り乱しただけだ。そんなわけで、ゆかり。俺はおまえが好きだ」
「だから、それは知っていると何度言わせるんだ。恵が私のことを好きなのはとうぜ――って、あれ?今なんて?」
「だから、俺はおまえが好きだ。恋愛感情的な意味で」
「え、ええぇぇぇええええ!?!??」
「おぉ?なんだ、急にでっかい声だして」
「いや!だって!恵が私のことすきだって!?やったよ!やったの!?あれ?なにがなんなんなんなんだ!?」
「なんだよ。知ってたんじゃなかったのか?」
「えーっと……それは、その……何て言うか……恵の口から初めて聞いたから……あの、わ、私も、だ、だ、大好きだッ!?」
「いや、それは知ってるから」
「ああ、そうか……で、でも!それはそれではなかろうか!?」
耳まで真っ赤にしてうろたえる、ゆかり。まったく、今更、なにを慌ててるんだか……生娘でもあるまいし。
「あ、でもな」
「お?」
すたすたと俺は玄関に向かい、ドアを開ける。
「よお」
ドアを開けるとそこには一応、幼なじみである赤子さんが面食らったような表情で赤子が突っ立っていました。
「や、やっほー?」
「なにがやっほーだ」
「べ、べつに盗み聞きなんかしてないわよ!?そ、それで良い雰囲気になったら邪魔してやろうとかって考えてたわけじゃないんだからね!?」
「うるせぇ、このエセツンデレ」
「な、なによ。バカ……ッ!」
ツーンとそっぽを向く、赤子。その頬は少しだけ赤く染まっていた。まったく素直じゃない。
そんな馬鹿でツンケンしてて素直じゃなくて、おまけに巨乳でと良いところなんてまったくない奴だけど
俺は
「おまえのことも好きだ。赤子」
「へ?」
なんやかんやで好きなわけだ。むしろ嫌いになんてなれない。こんな可愛い奴をどうして嫌いになんてなれるのか。
「ちょっと待て!恵ッ!それはどういうことだ!?」
俺の突然の告白に始めに声を上げたのは赤子ではなく、ゆかりの方だった。それもそうだろう。ゆかりに告白して、5分とたたずに違う女の子に告白しているのだから。
「煩い。黙れゆかり。俺はもうぐだぐだ悩むのはやめた。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだ」
そもそも、俺は何を悩んでいたのか。
ゆかりに好きだと言われて、それを断って、それでも好きだと言われた。
断った事に理由があったわけじゃない。ただ漠然とその想いを受け入れては駄目だという思いがあった。ほとんど無意識のものだった。
幸せになろうとすると感じる罪悪感。後ろめたい気持ち。分からない。ただ俺は幸せになってはいけない。その想いが強くあった。
この一ヶ月の間で俺はゆかりを少しずつ好きになっていった。まあ、監禁され、その犯人に恋心を抱くなんて、とんだ変態だと思わない事はないが。でも、仕方ない。だって俺は変態だし。
それと反比例するように罪悪感は募っていった。重く胸を締め付ける想いは正直辛い。しかもそれの正体がまったく分からない焦れったさも加わって最悪だった。
ゆかりと一緒にいるのは幸せだけど、辛かった。
だから、はっきりと断絶してゆかりが諦めてくれるのを待った。
それでもゆかりは諦めない。いつも笑顔で自分の妄想に浸る。
堪えられなくなったのは俺のほうだった。
過ぎる日々の中。
"もし"を想像する。
"もし"俺がこいつの気持ちに首を立てに振ってやれば、こいつはもっと笑顔になってくれるんだろうか?
だから、立ち上がって捜した。この無意識の中にある幸せになることを阻む気持ちが何なのかを。
結局、それが何なのか分からなかった訳だが……見事なまでに悲惨な結末だった。
それなら、
それなら、もう開き直るしかないじゃないか。
ただ好きな奴の笑顔が見たいだけなんだ。
俺には笑顔に出来る奴らがいる。そいつらの悲しんでる顔なんて見たくはない。
もう、悩むのはやめだ。
罪悪感は消えない。
だったらそれでもいい。
それもこれも全部背負えばいいだけの話だ。
なんだ、意外と簡単なことだったな。
あーあ、まったく、俺は今までなにをやってたんだか……。
はあ、馬鹿みたいだな。
よし、もう吹っ切った。ぐだぐだうじうじ悩むのはもう終わりだ。
あとは俺の好きなように、やりたいように好き勝手やるだけだ。




