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千賀の不思議な一日 その二

「一、二、三……」


 武は、部屋の中で両目を瞑って数を数え出す。たった二人だけの鬼ごっこをやる為だった。


「ちゃんと目を閉じておるかや?」


 千賀は部屋の出口でくるりと振り返る。武がきちんと目を瞑っているかを確認する為だ。水島家の当主である千賀から、最高と最低の信頼を同時に得ている臣下――それが神森武という男だった。


「ちゃんと閉じているよ」


「うむうむ。ならよいのじゃ。では、妾はかくれるぞ?」


「おう」


 千賀は嬉しそうに、てててと部屋の外へと駆けていく。


 千賀は鬼ごっこという遊びを知らなかった。鬼ごっこは庶民の遊び。やんごとない生まれである千賀には、縁のない遊びだったのだ。


 当然武はたえに、「カアッ! またおまえは姫様にそんな下品な遊びを教えようとする――」などと怒られた訳だが、二人だけでやるからそこまでバタバタとはしないさと説いて強行したのである。たえも、なんのかんので千賀には甘い。千賀が新しい遊びを前にして目をキラキラと輝かせた時点で、彼女の敗北は決まっていた。だから、武に文句を言うことしか出来なかったのだ。


 武は、先ほど千賀にグチャグチャにされた髪に手櫛を入れながら馬鹿正直に数を数えていく。


「……九十八、九十九、百っと」


 そして、きちんと百を数えきって目を開けた。


 すると菊が、


「武殿、頑張って下さいね」


 と武に微笑みかけた。菊には、なんのかんのと言いながらも千賀を可愛がってくれるこの青年がとても好ましく映っていた。千賀を構う武を見ていることが、とても好きだったのだ。


「まったく。お菊さんにしてやられたよ。いいんだけどさ、俺も少し息抜きしたかったし。千賀を探してくる」


「ふふ。はい、いってらっしゃいませ」


 普段、武の仕事を手伝っている時とは違い、とても柔らかな表情で菊は武を送り出した。


 ◆


 さあ、どこにかくれようかの。


 千賀は廊下を軽快に駆けながら考えていた。


 館の中だけといっても、とても広い。いざ、隠れようと思うとなかなか決まらなかった。


 しかし、千賀は閃く。


 そうじゃ。


 ――――びしゃんっ!


 とある部屋の襖が勢いよく開けられた。


「わあっ!」


 中から、驚いた声が上がる。


「……って、姫様?」


 驚きの声を上げた人物が千賀に声を掛けた。


 この者もとても若かい。武と同じくらいの年齢だった。しかし彼は、まだ幼い千賀の代わりに家中を取り仕切っている、水島家の筆頭家臣であった。名は佐々木伝七郎という。やや細身ながらも背が高く、いつも優しげに微笑んでいるその整った顔は、娘たちを酔わせるには十分なものだ。


 しかし今は、驚愕に目を見開いて少々面白い顔になっていた。


「でんしちろー、妾は鬼からかくれなくてはならないのじゃ」


 千賀は真面目な顔をして、伝七郎に説明をする。


「は、はあ。鬼にございますか」


「うむ。鬼なのじゃ」


 千賀の言葉が足らないのはいつものことであり、彼女の守り役でもある伝七郎にとってもいつものことであった。しかしながら、困ったことに今回は、千賀が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。


 だが、そんな伝七郎を千賀は気にしない。千賀にとって、伝七郎とはそういう存在だからだ。全力で甘えられる数少ない相手なのだ。


 てててと伝七郎に近づくと、


「でんしちろー、動くでないぞっ」


 と命じて、立ち上がりかけの伝七郎の後ろに隠れた。


「は、はあ」


 千賀を迎えようとした伝七郎は、中腰のままで固まるしかなくなる。


「……うーむ。これじゃあ、見つかってしまうのじゃ」


 しかし、どうにもお気に召さなかったらしい。隠れた姿が丸見えなのがいけないようだ。千賀は小さな眉を寄せて、不満を表した。


「うむ。他をさがすのじゃ!」


 決断を下すまで二拍かからなかった。そしてそのまま、伝七郎の部屋にやってきた時と同じように、突然飛び出していった。まるで小さな旋風だった。


 可哀想なのは伝七郎である。まったく訳が分からないまま、少々間抜けな姿で部屋に取り残されることになった。


「なんだったんだろう……」


 伝七郎は、千賀が飛び出ていった方を見たまま、そう呟いた。




 伝七郎の部屋を飛び出ていった千賀は、次の隠れ場所を探す。


 どこにしようかのう……。でんしちろーのところがダメじゃと、平じいのところかの? でも、平じいは町へ行っていていないのじゃ。朝そう言っていたしの。うーむ……。


 平じいというのは、水島家の宿老・永倉平八郎のことである。彼も千賀を甘やかしてくれる、千賀にとって貴重な人材の一人である。


 千賀は館の中をあちこちウロウロしながら考えた。侍女たちや家人たちと、何度もすれ違う。


 だが、誰も気にする素振りもない。


 千賀は頻繁に奥から脱走して伝七郎や平八郎の元へと遊びに行っているので、単身この辺りをうろついている姿がよく目撃されているからだ。だから千賀を見かけても、みな優しげな眼差しで廊下の端に寄り頭を下げるだけだった。


 あっ、そうじゃ!


 考え込んでいた千賀は急にパッと明るい笑顔になって、再びてててと走り出した。


 ぴしゃん――――ッ。


 先ほど同様、とある部屋の襖が勢いよく開けられる。


 その部屋は、武の私室だった。


 にゅふふ。ここなら、見つからないのじゃ。よもやたけるの部屋にかくれているとは思うまい。


 千賀は千賀なりに知恵を絞ったのだった。


 ものすごいドヤ顔で、千賀は武の部屋の中へと入っていく。もちろん、入り口の襖は開けっ放しだ。その辺りが千賀だった。


 武の部屋の中は、実に飾り気のない簡素な部屋だった。


 机が一つと葛籠が一つ、箪笥が一(さお)あるだけだ。しかし、庭に面した側の障子は完全に開け放たれており、春の風と光りに室内が満たされている。畳にも埃一つ落ちていない。だから見る者には、殺風景という印象よりも広々とした快適さを感じさせる。


 もっともそれは、武の人となりのせいではない。菊の尽力によるところである。武に恋心を抱く彼女が、彼の為にとあれこれ尽くしているせいだった。それ故に、どちらかというとこの部屋は、武よりも菊の人となりの方がよく出ていた。


 そんな明るい部屋の中で、千賀は部屋の中をきょろきょろと見回した。


 むー。どこにしようかの?


 千賀は悩む。


 もっとも、この部屋で隠れられる場所など限られてくる。


 散々悩んだ結果、千賀は押し入れの襖を勢いよく開けた。そんなに大きくはないが、ちょっとした物を収めることが出来るようにと作られた押し入れが一つ、この部屋にはあったのだ。


 千賀は姫にあるまじき尻を突き出した格好で、四つん這いをして押し入れの中へと入っていった。


 やはり、決して広くはない空間だった。しかし、千賀のような幼い子供が一人隠れるには、十分すぎるほどの広さがあった。


 むふふ。ここなら分からないのじゃ……って、ん? なんじゃ、これは……。


 それは、押し入れの襖の裏にあった。


 一人の娘の絵が襖の裏に貼ってあったのである。


 千賀は首を傾げる。その絵に描かれた人物が、よく知っている人物にしか見えなかったからだ。


 菊? なんですっぽんぽんなんじゃ? 足もぱかんと開いていて、こんなかっこうしてたら、たえにメッされるのじゃ。


 千賀はむうと唸った。


 あとで、こっそり教えてやるのじゃ。たえのメッはおっかないからのう。


 千賀は小さな体をぷるぷると震わせる。


 菊は、ちょっと他にいないような美少女だった。この絵は、そんな菊に惚れた武が、煩悩に任せて才能の限界に挑戦した成果である。少々デフォルメされているものの菊とはっきり分かる美少女が、蠱惑的な笑みでM字開脚して誘っている。千賀が見つけた絵は、そんなずいぶんと過激な作品だった。


 千賀はそんな菊の絵を見ながら、襖を半開きに閉める。


 まっくらはやーじゃからの……。


 千賀は襖の縁からチラリと顔を出して外を見た。


 誰もいないし、やってくる気配もない。


 すでにこの時点で、千賀の興味は襖の裏の絵から外の様子に移っていた。


 千賀はそのまましばらく待った。……しかし。


 つまんないのじゃ。


 すぐに飽きた。押し入れから飛び出す。


 武は、ちゃんと探しに来ているのかや?


 そして、そんなことを疑い始めたのだった。武の常日頃の行いが悪すぎるのがいけない。千賀は、自分はまた騙されているのではないかと考えたのだ。


 千賀は、こそりこそりと入り口の襖に近づく。そして顔を半分だけ出しながら、部屋の外――千賀の部屋がある方を窺った。


 しかし、武がやってくる気配がない。先ほど同様、侍女や家人がぱたぱたと偶に通るだけである。


 ……たけるのやつめ。またかやっ!


 千賀のほっぺは、ぷっくりと膨らんだ。

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