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千賀の不思議な一日 その一

本編における三章あたまあたりのお話になります。

 ぴよ、ぴよ、ぴ――――


 小鳥さんがとんでおるのじゃ。


 春。庭の木々の芽吹きだし、少し暖かくなってきた今日この頃、御年六歳になる千賀姫は、藤ヶ崎にある水島家の館で黄昏れていた。


 白に沢山の花柄の着物は愛らしい彼女によく似合っており、陽を受けて輝く黒い御髪は光の輪を作っている。まるで人形のように愛らしい姿の少女だった。しかし今、その表情は明らかに優れない。


 パァッと開け放たれた大きな自室には、彼女の侍女衆たちも控えている。決して寂しい状況ではない。しかしその幼い姫は、日向で両足を放り出しながら、モコモコとした白い雲が浮かぶ空をつまらなそうに眺めていた。


 鳥さんはどこにとんでいってもおこられないから、うらやましいのじゃ。妾は、どこにもいけないしのう。いくとメッされるのじゃ。


 そんなことを思う度に、少女の唇は小さく尖っていった。


 そして部屋の中では、とても小さな一人の老婆が若い他の侍女たちへと指示を出している。


「その着物はあちら。そちらの着物は、もう時期が合わぬからの。きちんとしまっておいてくれ。ああ、そうそう。明日は町の御用商が館に来るそうじゃからな。その準備もしておいてくれ」


 侍女衆最年長のたえは、ぎょろりと鋭い視線で部屋の中を見渡しては、足りていない部分を修正させていく。二間続きの畳の間を、千賀の侍女衆である娘たちが忙しそうに歩き回っていた。


 しかし彼女は、そんな間も千賀から目を離さない。


「姫様っ! そのような格好ははしたのうございますっ! ちゃんとお座りなされ! ……まったく、あの小僧め。姫様がどんどん下品になっていく」


 たえのことは好きなのじゃが、うるさいところがぶーなのじゃ。


 千賀の唇が更に突き出る。


「まあまあ、たえ様。震えておられたあの頃よりもずっとよいではござりませんか。姫様もまだまだ幼うございます。幼子は、誰でもああいうものにございましょう」


 ……菊は、すぐ妾をこどもあつかいする。妾は、もうおねーちゃんなのじゃぞ。おねぎも食べられるようになったのじゃ。


 たえを宥める少女の声を聞き、千賀はいよいよ、ふっくら柔らかそうなほっぺたをプーと膨らませた。


 その少女は、他の大半の侍女たちと同じく、少女から女になろうとしている年頃の娘であった。そして何より、美人揃いで有名な千賀の侍女たちの中でもひときわ目立つ美貌を誇っている。烏の濡れ羽を想起させる緑髪をピンと伸ばした背中に流し、ほっそりと、しかし健やかに伸びた手足はたおやかに動く。その娘は、侍女衆の筆頭格で菊と言った。水島家の宿将・永倉平八郎の娘であり、水島家に仕える者の中には、彼女も『姫』として扱う者もいる。


 その永倉の美姫は、主である水島の姫・千賀のことをとても愛していた。


 一年ほど前、千賀姫の叔父である水島継直が反旗を翻した時、命がけで連れ出して逃げた程である。歳の離れた妹を可愛がる姉のように、最大の愛情を千賀に注いでいた。そんな菊だから、千賀にとっても大好きな『お姉ちゃん』だった。ちょっとばかり真面目すぎて融通が利かないところが玉に瑕ではあったが、それでも千賀も彼女のことが大好きだった。


 千賀は、とりあえず股を開いてほっぽり出していた足を揃える。言われても正座をしない辺り、確かにたえの言う小僧――神森武の影響は出ているのかも知れない。


 その彼は、若干十八歳にして水島家家老の一人だった。


 実は、彼は水島家に仕えてまだ一年も経っていない。彼は、この世界とは異なる世界からやってきた異世界人だった。彼がこの世界にやってきた時に偶然千賀姫らと出会い、彼は彼女らを助けた。それ以降の縁だった。あれこれあった結果、今の地位に収まってしまったのである。


 そして今、彼は千賀姫の『お守り役』でもあった。守り役ではなく、『お守り役』。なんだそれは、という話ではあるものの、彼の正式な役どころの一つである。要は、千賀を守り千賀の成長を手伝う……千賀の『遊び相手』だ。


 たけるはまだかのう。そろそろ『お話』のじかんなのじゃ。


 神森武は、千賀姫によって毎日『お話』をすることを強要されていた。ある時、適当にパク……借りて魔改造を施した創作童話を千賀姫に話してきかせたところ大層気に入られ、毎日一つお話をするという苦行を言いつかっているのである。


 ◆


「ふわぁ……。おー、千賀。今日も良い子してたかー」


 昼一番の仕事を終えた武が、大あくびをしながら千賀の部屋を訪れた。開いた着物の合せに手を突っ込んで、ボリボリと体を掻きむしりながら部屋へと入ってくる。


 遅れると千賀が拗ねるので、彼は可能な限り時間になるとやってくる。


 部屋に入ってくるなり、彼は真っ直ぐに千賀の側へと向かった。周りには侍女たちも沢山いるが、誰もその振る舞いを見とがめる者はいない。むしろ皆、


「お疲れ様です」


 などと、愛想の良い笑顔を向けて挨拶などしている。


 彼が家老だから……ではない。


 家老であろうとなかろうと、主と臣下の間には確かな立場の差は存在する。しかしながら彼女らの主と彼との間には、そういった差がまったく存在しないかのような空気が出来上がっていた。


 かつて武が、千賀のことを『千賀姫』と呼んだことがあるが、その時に千賀は大層怒ったのだ。そして武は、『そういうことをする時は前もってちゃんと話す』という約束をさせられた程である。当然彼女らも、その辺りのことはよく承知していた。


 武は、そんな彼女らに片手をあげて挨拶を返しながら、千賀の前までやってくるとドカリと腰を下ろす。


「婆さんもお菊さんもお疲れー。で、千賀よ」


 武は二人に声を掛けつつ、千賀をまっすぐに見つめる。


「なんじゃ?」


 千賀はきょとんとした顔で、自分を見つめる武を見上げる。一方で彼女の全身は、全力で『はよしてたもう』と訴えていた。武の『お話』を、この姫はとても楽しみにしているのだ。


 そんな千賀の様子を見て、小さくグビリと喉を鳴らしながら武は口を開く。


「ぶっちゃけ、俺は昨日から、いやここの所ずっと、とても忙しかった」


「……それでなんじゃ?」


 武の言葉に、千賀は目を細める。幼女にあるまじき目つきだった。彼女の感は良い方だった。


 しかし武は、千賀のその目に気づかぬふりをしたまま言葉を続ける。


「うむ。話を考えている暇がなかった」


 そして、カラカラと高笑いをしてみせた。


 その後の千賀の反応はすばらしく早かった。


 足をほっぽり出して座っていた腰をシバッと上げる。そして、迷うことなく武に飛びかかったのだ。


 武も文句を言われることは覚悟していたのだが、この反応は予想していなかったらしく、自分の顔目掛けてダイブしてくる幼女を慌てて抱き留める。


 しかしこの幼女、そんな彼のことなどはお構いなしだった。武の頭に抱きつき、首に足を絡め、のどちんこを激しく揺らしながら叫んだ。


「こ、の、ま、え、も、そう言ったのじゃ! 今日でもう三日目じゃぞぉぉぉぉッ!」


 神森武の髪を小さな手でひっつかんで暴れる。暴れる。


「痛て、痛て。おい千賀っ、痛いって」


「なんでたけるは、妾とのおやくそくを守れないのじゃぁぁぁぁぁ。おやくそくを守らないのはメッなんじゃぞぉぉぉッ!」


 ごもっともである。圧倒的に千賀が正しかった。


 ただ、である。武も好きこのんで千賀との約束を破り続けている訳ではなかった。千賀の命を狙う彼女の叔父・水島継直の反乱によって大きく力を削がれてしまった水島家は、今その国力を回復する為にやらねばならないことが山のようにある。そしてそんな状況で、家老であり、しかも軍部のトップでもある彼が暇をしてる訳もなく、毎日カツカツのスケジュールの中で日々を送っているのだ。


 しかし一部の人たちにとっては、そんなことは『それはそれ、これはこれ』だった。


「カアッ! 小僧ッ! お前がそんなだから、姫様がこのようになるのだ! いつもいつも何をしておるか! 姫様が粗暴に育ったら、なんとしてくれるッ!」


「痛で! って、はぁ? 婆さん。俺が悪いのかよ!」


 千賀に顔を抱えられ髪の毛を引っ張られるままに、武はたえに異議を唱える。しかし、それは受け入れられない。


「当たり前じゃろうが!」


 そして、そんなたえの怒鳴り声が響く間も、千賀は我関せずだった。涙目のまま武の髪を引っ張り続けている。


「イダい、イダいって、千賀。とりあえず落ち着け。待てだ、待て!」


 武は、興奮する子犬を躾けるかのように、顔に張り付いている幼女に語りかけている。もちろんその間も、彼の髪はあっちこっちに引っ張られてグチャグチャになっていた。


 千賀は、武のその言葉に不承不承暴れるのを止めた。武に抱かれて、彼の顔から下りる。


 しかし、


 う゛~。


 彼女は唇を小さく尖らせながら、思いっきり恨めしそうに彼のことを見上げている。そして、


「たけるはうそつきなのじゃ。なんで、うそばかりつくのじゃあ……」


 と、少々うわずった声で糾弾しはじめた。


 武は、困った顔で途方に暮れることになった。


 こうなると、もう武の手には負えない。どうにも困ったとばかりに菊の方を振り返る。毎度のことだった。


 菊は仕方がありませんねとばかりに嘆息して、ぐずる千賀の前に膝を着いた。


「姫様、姫様。武殿はお仕事が忙しかったのです。お話はまた今度ということでよろしいではありませんか。その代わりに、他のことをして遊ぼうと武殿はおっしゃっておりますよ。そうですよね、武殿」


 そして、鼻をスンスンと鳴らし始めた千賀の髪を撫でながら、菊は武の方を振り返った。


 お忙しいのは分かっておりますが、少しは遊んであげて下さいねということらしい。


 武は一瞬顔をぴくりとさせる。しかし、


「お、おう。勿論だとも」


 と、すかさず答えた。どうやら、このままバックレる気満々だったようだ。菊は目で、『ダメですよ』と武を軽く(たしな)めた。


 武は、なんとか誤魔化そうと必死に笑う。しかし、それは無駄なあがきというものだった。彼女は、異世界からやって来て勝手が分からない武を支え続けて、そろそろ一年になろうとしている。彼女は、彼のことも熟知していた。誤魔化せる訳がなかった。


 そんな武の様子に、周りの侍女たちも我慢できずにクスクスと忍び笑いを漏らす。たえはもっと豪快に、悪意満点の笑みを武に向けた。


 しかし肝心の千賀は、


「……ほんとかや?」


 とやぶにらみをしている。完全に、武によって『躾け』られていた。


「も、もちろん」


「ほんとに、ほんとかや?」


 千賀は、あやしい……という態度を崩さない。


「この神森武に二言などないわ!」


「二言どころか、三言、四言だらけじゃろうが」


 武が吠えるが、たえがぼそりと呟いた。


「はい、そこ五月蠅いよ。んで、千賀。何して遊びたい? お話は出来ていないが、ちゃんと付き合うぞ」


 武は当然じゃないかという顔をしたまま、しれっと話を流した。

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