勉強部屋のえんそう会
星屑による星屑のような童話。よろしければ、お読みくださるとうれしいです。
それは、学校の授業が終わり、里美が家に帰って来たお昼すぎの時間のことだった。
鍵を開けようとした里美は、家の中でなにやらごそごそと音がしているのに気づいた。
(ドロボウ?)
そう思った里美は、そろりそろり、と家の中へ進んでいった。片手には、ホウキ。そう、それは、いつも里美の家の玄関の横においてある、毛がボサボサのやつだ。
(ドロボウなら、タダじゃおかないからね)
彼女のホウキをにぎる手が、熱くなる。
――里美は、小学四年生の女の子。両親が共働きの、鍵っ子だ。今はまだ、お父さんとお母さんが、会社ではたらいている時間。だから、この家に、だれもいるはずがない。
こんなときにホウキを持ちだして家に入ってくるくらいの勝気な里美の性格は、クラスでもかなりの評判。この前も、男子を一人――それは、その男子が女の子をいじめて泣かせたからなのだけれど――首根っこをつかんで、泣かしてしまったほどなのだ。
(まだ、いるようね)
家の奥の方からの音は、まだ続いている。
里美は、こっそり、音のするほうへと向かっていった。
ぽろろろろん、ぴぽぽんぽん……
あれはピアノの音! どうやらそれは、二階の里美の部屋からするようだ。
(ドロボウが、ピアノをひいてる?)
里美は、ちょっとだけ開いたとびらのすき間から、自分の勉強部屋を、そおっとのぞきこんだ。
「あっ!」
里美が、もう少しでホウキを落としそうになる。なぜなら、ピアノをひいていたドロボウが、なんと、「猫」だったからだ。
ピアノのけんばんの上に四本足で立った、一匹の黒猫。里美の声に気づいたその猫は、ちらり、とこちらをふり返ると、こう言った。
「どちらさまですか?」
「どちらさまって……ここは私の部屋。あんたこそ、だれなのよ」
里美はホウキをろうかに投げ出して、ズカズカと部屋に入っていった。
「おっと、それは失礼した」
黒猫は、ひょいっ、とピアノのけんばんからとびおりると、まるで猫まねきのような姿になってすわり、ちょこんとおじぎした。
「私は旅の音楽家、キャティ。これから、私のピアノのえんそう会があるのです。それで、少し『足』ならしをしてました」
「わ、私は里美よ」
「里美さまですか。いいお名前ですね」
キャティは、じれったそうにおせじを言った。それから、左の前足についた小さな金色のうで時計を、ちらりと見た。
「ああ、もう時間です。私がえんそうに集中できるよう、部屋のすみの方で、おとなしくしててくださいね」
「ええーっ、ここが会場なの?」
キャティはこくりとうなづくと、ぴょん、とピアノのはじっこに、二足歩行の格好でとびのった。
それから、玄関のほうに向きなおり、その白いひげを、ぴん、とのばした。それと同時に、遠くのほうで、ガチャリ、と音がした。
「今、何したの?」
「玄関のドアを開けたんですよ。そろそろ、お客さまが来る時間ですから」
目を丸くしておどろく里美に、キャティは青い目を光らせて、にやっ、と笑った。
「やあ、こんにちは」
「えんそう会、楽しみですな」
のんびりとあいさつを交わしながら、部屋へとつめかける猫たち。黒に茶色にまだら色――たくさんの、そして、色々な毛なみの猫たちで、里美の勉強部屋が、あれよあれよと、うまっていく。
「キャティさん、ここに人間がいますけど……どういうことですかな?」
里美に気づいた一匹のお客さんが、里美をにらみつけ、ふきげんそうに言った。
「この娘は、この部屋とピアノの持ち主。大目に見てやってくださらんか」
猫のお客さんが、しぶしぶ、うなずく。
(大目とは何よ、大目とは)
里美は大きな声を出しそうになった。けれど、もう少しのところで、なんとかがまん。
「ちぇっ」
里美は猫たちをふんずけないように、ぬき足さし足で、部屋のすみへとゆっくりちょこちょこ、移動した。お客の猫たちは、ピアノの前に、きちんとならんですわっている。
一しゅん、部屋が、しん、と静まりかえった。猫たちの、ごくり、と息を飲む音までも聞こえるほど。
「……皆さん、おそろいのようですね。それでは、えんそう会を始めましょう」
キャティがピアノのはじっこに二本足で立ち、大きく前足を広げながら、おごそかに言った。お客さんたちから、肉球のぽこぽこした音の、はく手がおこる。
キャティは、そろりとけんばんに足をかけたあと、すぐさま、四本足でおどるようにして、けんばんの上をはねまわった。
♪ちゃらつっちゃっちゃ
♪ちゃらつっちゃっちゃ……
その音楽は、まぎれもなく「ネコフンジャッタ」だった。里美も、よく知っている曲。
(猫が、ネコフンジャッタ?)
里美は、つい、吹き出しそうになった。
けれど、そう思ったのも、つかの間。里美は、黒猫のキャティのえんそうに、ほんわかほかほかの気持ちになっていった。
(なんて、すてきな音!)
曲が進むにつれ、ますます、ピアノの上でおどりまわるキャティ。
♪ちゃらつっちゃっちゃ
♪ちゃらつっちゃっちゃ……
お客の猫たちも気持ち良さそうだ。目をつぶって、のどをごろごろいわせている猫もいれば、長いしっぽを曲に合わせてふりふりしている猫もいる。
(いつまでも、続いてくれればいいな……)
それが、里美の素直な気持ちだった。けれど、曲は終わりに近づいていく。
♪ちゃっちゃらちゃっちゃ――んちゃっちゃーん
ピアノの音がやみ、部屋はまた、しんとなった。キャティはピアノのすみっこで、大きくゆっくりと、おじぎした。
猫たちの肉球の、ぽこぽこしてるけど、ものすごいはく手がわきおこった。里美の部屋の中で、いつまでもいつまでも、ひびきわたる。里美もいつの間にか、せいいっぱいの、はく手をしていた。
えんそうは一曲だけだった。猫のえんそう会とは、そういうものらしい。
「やあ、いいえんそうでした」
「また、お願いしますよ」
お客の猫たちは、出口で口々にキャティに声をかけながら、部屋から出て行った。
――そのとき、里美は気がついた。
部屋を出て行く猫たちは、みんなどこかしら、きずついていることを。
足を引きずった猫、しっぽがとちゅうで切れた猫、やけどのあとがある猫――
「みんな、ケガしてるようだけど……」
里美は、ぼそぼそ声でキャティに聞いた。
「すべて、人間がやったことですよ」
キャティの青い目が、するどく光る。
「私は、そんな猫たちの心をいやすため、旅をしながらあちらこちらで、えんそう会を開いているのです。……まったく、人間にはこまったものです」
キャティの口から、ぽっそり、とためいきがもれた。里美には、何も言えなかった。
「けれど人間も、すてたものではありません。あなたのように、やさしい人もいるようですから」
「そ、そうかな……」
里美がほほを赤くすると、キャティはそのちっちゃな顔で、ほほえんだ。
「私もそろそろ、ここを出るといたしましょう。あっそうそう、あなたに何かお礼をしなければなりませんね」
「べつに、お礼なんていらないけど……」
あわてて首をふり、ことわる里美。けれど黒猫のキャティは里美には目もくれず、ちょっと首をかたむけながら考えている。
「うん、これがいい!」
白いひげが、ぴん、とのびた。
「今度は、何をしたの?」
「それは、あとのお楽しみということで。それではいつかまた、お会いしましょう」
くるりと向きを変えた一匹の黒猫が、飛ぶように部屋を出て行った。
「バイバイ、またね」
里美は、つぶやくように言った。
物音一つ、しない部屋。里美は音のない場所にいるのが、たまらなくいやになった。さっきまでキャティがひいていたピアノに、ふれてみる。
何気なくひきだしたのは「ネコフンジャッタ」。里美にとって、久しぶりのピアノだ。
♪ちゃらつっちゃっちゃ
♪ちゃらつっちゃっちゃ……
(あれ、何だかうまくなった気がする! もしかしてこれが、キャティのおくりもの?)
そこへ、お母さんがハフハフと息をはずませ、帰ってきた。
「あら、めずらしい。ピアノひいてるの?」
お母さんは、パンパンにふくらんだ買い物ぶくろをぶらさげて、二階までやってきた。
「今日の晩ご飯は、ごちそうよ。よくわからないけど、さっきから私、気分がいいの」
お母さんがフンフンと鼻歌をうたって、一階におりていった。
「ご飯よー、おりてらっしゃーい」
はずんだ声で、お母さんが里美をよぶ。
一階におりて行った里美は、テーブルをうめる、あふれんばかりの料理の数々に、目をうたがった。
「これが、ごちそう?」
サンマの塩焼きに、アジの干物、それから、サバの煮つけに、かつおぶしのタップリのった白いご飯……
どれもこれも、猫の好きそうなものばかりだ。
(もしかして――)
このとき里美は、キャティの本当のおくりものが何なのか、わかったような気がした。
おわり