06 お菓子の時間
私たちをシャルロさんの家に案内すると、隊長さんは、そのまま仕事に戻って行った。
忙しいのに、申し訳なかったと思う。
シャルロさんの家に着くと、カーリーさんがお風呂の準備をしてくれていた。
「こちらに着替えを御用意いたしました」
「あの……。すみません」
「いいえ。ごゆっくり」
色んな人に迷惑をかけてばかりだ。
自分の手を見る。
もう、指の傷は塞がっていた。
※
お風呂から上がって、カーリーさんと一緒に書斎に行く。
書斎では、シャルロさんが正面の椅子に、マリーが右側のソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。
「ルイスとキャロルは?」
「もうお休みになられました」
「そっか」
もう、夜も遅いもんね。
マリーの横に座ると、カーリーさんが私の前にコーヒーとお菓子を置く。
「カーリー、休んでいいぞ」
「いいえ。カミーユ様も来られるでしょうから」
「あいつなら、ほっといても平気だ」
「わかりました。では、先に休ませていただきますね」
カーリーさんが部屋を出る。
「こんな時間まで、よく働くわね」
「仕事を増やしている当人が何を言ってる」
「カーリーにさせたくないなら、メイドぐらい雇いなさいよ」
「必要ない」
「え?このお屋敷、メイドが居ないの?」
こんなに広いのに。
「居るに決まってるだろう」
「来客の相手は全部カーリーがやってるのよ。シャルロは、大事な資料のある部屋にはメイドを入れないの」
「信用のない人間を入れるわけがない」
「カーリーさんは信頼できる人なんだ」
「妻だからな」
「えっ?」
「え?」
マリーと顔を見合わせる。
「マリーも知らないの?」
「初耳よ。一体いつ結婚したの?」
「周知する義務はない」
カーリーさんって、指輪、つけてたっけ?
「結婚式してあげないの?」
「する必要がない」
「ウェディングドレスは女の子の憧れよ?」
「憧れなら早く結婚するんだな」
「失礼ね。結婚なんてまだしたくないわ」
「フェリックス王子が帰って来てるだろう」
「フェリックス王子?」
そういえば、ラングリオンの王族って、あんまり知らないかも。
「第一王子よ」
「え?アレクさん、第一王子じゃないの?」
アレクさんは皇太子だよね?
「違うわ。国王陛下の嫡子は生まれ順に、フェリックス王子、マルグリット姫、アレクシス様、エリオット王子の四人よ」
「リリーシアは知らないんだろう。ラングリオンでは、生まれ順で皇太子が選ばれることはない。次期国王を決めるのは、王家に伝わる聖剣エイルリオンだ」
「聖剣エイルリオン?」
「見ようと思えば見えるだろう。王城の正面中央にある尖塔に安置されてる剣だ」
「そんな大事な物、見える場所にあって良いの?」
「あれに触れられるのは王家の血を濃く受け継ぐ人間だけ。そして、その力を最大限に引き出せるのは、聖剣が選んだ持ち主だけだ」
「国王の嫡子が成人すると聖剣の儀式があるのよ。リック王子は選ばれなかった。そして、アレクシス様が選ばれた」
「第一王子が選ばれなくても問題ないの?」
「サヴァランは美味しかったわね」
「そうだな」
「?」
何の話し?
「王族の成人の誕生日は、お菓子の日なのよ。聖剣の儀式を行って聖剣に選ばれると、剣花の紋章のモチーフにもなっている花が剣から咲くの」
「それって、さっきアレクさんが魔法で作ったのと同じもの?」
「そうよ。そして、咲かなかったらお菓子が配られるの」
「どうして?」
「そういうイベントだ。第一王子が皇太子に選ばれることは滅多にない」
「そうなんだ」
「姫の時はお菓子だけ。マルグリット姫の時はマドレーヌだったわ。お菓子の名前は、そのまま王族の異名になるの。彼女はマドレーヌ姫とも呼ばれてるわ」
マルグリット姫がマドレーヌ姫って、なんだかややこしい気がするけれど。
ってことは、フェリックス王子はサヴァラン王子?
だとすると。
―あいつの異名の一つに、ショコラ王子ってのがあるぐらいだぜ。
「アレクさんの時は、ショコラだったの?」
「ふふふ。アレクシス様がショコラを好きなのは有名な話しだから、みんなそう思って楽しみにしてたのよ。でも、配られたのは花なの」
「花?」
「聖剣の儀式によって皇太子が選ばれたら、国民に花が配られるんだ」
「お菓子は?」
「配られない」
「みんな残念そうだったわね」
「えっと……?」
聖剣に選ばれなければお菓子が配られる。
聖剣に選ばれて皇太子が誕生すると花が配られる?
皇太子の誕生はこの国にとって喜ばしいことだけど、お菓子が配られなくて皆、残念?
「なんだか複雑だね」
「国民が喜ぶイベントにしないと意味がないからな」
皇太子に選ばれた場合もお菓子を配ることにすると、このイベントの意味がないんだろうな。
※
ノックの音がして、カミーユさんが部屋に入ってくる。
「ようやく来たか」
「終わったの?祭り」
「後片付けは任せて来た。眠てぇ」
私とマリーの向かいのソファーに、カミーユさんが寝転がる。
「寝る前に言うことないの」
「エルのことか?転移の魔法陣で飛んだんだから、無事だろ」
え?
「転移の魔法陣って何よ」
「空間転移」
「エルって、そんなことまで出来るの?」
「あいつは何でもできるだろ。今のところ、実現可能な目処は立ってない」
「実現って、どういうこと?」
「知らないのか?カミーユのチームが研究中だ」
「どうして錬金術研究所の、薬学の専門家が転移の魔法陣の研究なんてやってるのよ。魔法研究所の分野じゃない」
「知ってるのが俺だけなんだから仕方ないだろ。興味があるなら俺のチームに来い」
「転移の魔法陣……。考えておくわ」
研究所間の異動って、自由なのかな。
「あの、本当に転移の魔法陣だった?」
「俺は見える位置に居たからな。間違いないぜ」
カミーユさんは転移の魔法陣の図柄を知ってる。
だから、間違いなさそうだけど。
「どこに飛んだの?」
「どこにでも飛べるわけじゃないの?」
「俺が知ってる原理だと、入口と出口は安定的な魔力で繋がっている必要がある。だから、エルが入口となる転移の魔法陣を描いて消えたなら、どこかの出口に出たってことだ」
「出口なんてないよ。エルは、出口の魔法陣を描いて放置するのは危険って言ってたから……」
「だろうな。俺もそう思うぜ。だから、アレクシス様が助けたんだろう」
「え?アレクさんが?」
「エルが使えるなら、アレクシス様も使えるだろう」
どういうこと?
「リリー。この国で最強の魔法使いって言われて思い浮かぶのは誰?」
最強の魔法使い?
「エルじゃないの?」
「そうね。エルは強いわ。でも、エルより有名な人が居る」
有名な人?
―あんな出力の魔法使えるのなんてエルかアレクシス様しか居ないわ。
え?
「アレクさん?」
「そうよ。見たでしょう。ドラゴンを射抜く黄金の剣。あの魔法はアレクシス様にしか使えない。光の魔法なんでしょうけど、私には、あの魔法は作れないわ」
違う。
光の魔法じゃない。
たぶん、砂の魔法。もしくは、月の魔法なんだ。
グラシアル女王国では、転移の魔法陣を使うのに氷の精霊の助けが必要だった。それは、女王の力が氷だったから。
エルとアレクさんは同じ砂の魔法が使えるから、アレクさんが転移の魔法陣の出口を描いたなら、エルは砂の魔法でそこに飛べた?
でも、そんなこと、打ち合わせもなしに出来るのかな。
「まぁ、エルは堀に落ちたってことになってるけどな。現在も守備隊が捜索中だ」
「どうして?」
「アレクシス様が、魔法で出した岩を堀に落としたじゃない。あれ、エルが堀に落ちたことにしたかったからよ」
「転移の魔法陣の存在を知られるわけにはいかないからな」
「大人しく待っていれば、直にエルが堀から見つかったって知らせが届くだろう」
だと良いけど……。
「エル、大丈夫かな」
「まだ心配してるの?大丈夫よ。こんな時間までリリーに何の連絡もしないなんて、夫としてどうかと思うけれど」
「うん……?」
そういう問題なのかな。
「心配するだけ損だって。そうだ。何か甘いものでも作ってやろうか?」
「なら、クレープシュゼットが食べたいわ」
「クレープシュゼット?」
「甘くて美味しいクレープよ」
美味しそう。
「シャルロ、台所借りるぜ」
「あぁ」
「手伝います」
「良いって。すぐ仕上がるから待ってな」
そう言ってカミーユさんが部屋を出る。
「良いのかな」
「良いのよ」
「放っておけ」
「それより。あのドラゴン、一体どこから来たのかしらね」
「大陸に居たドラゴンじゃないの?」
「紫竜は、この大陸には居ないわよ」
「え?」
そうだっけ?
オービュミル大陸で確認されているドラゴンは、全部で六体。
赤竜ルーベル、緑竜ウィリデ、黒竜ニゲル、紫竜ケウス。この四体は竜の山と呼ばれるところに棲んでいるドラゴンだ。
それから、黄竜フラウム、白竜アルブス。この二体は拠点が明らかになっていないけれど、フラウムは神聖王国クエスタニアにある山、アルブスはグラシアル女王国のオペクァエル山脈に棲んでいると言われている。
だから……。
「紫竜ケウスじゃないの?」
「紫竜ケウスは、アレクシス様が討伐したわ」
「えっ?アレクさんが?」
「知らないのか」
「アレクさん、そんなに強いの?」
「リリー、それってすごく失礼な発言よ。アレクシス様は剣術大会で優勝したことがあるのよ」
「えっ。王族も剣術大会に出場するの?」
「出場すると言えば誰もが反対したでしょうね。アレクシス様は、一般の部から内緒で出場したのよ。仮面の騎士、レクスという名前で」
「一般の部から?」
「そう。アレクシス様は、皇太子の名代と偽って、自分を大会に出場させることが出来たはずなのよ。でも、そんなことはしなかった」
つまり、予選のある一般の部から参加して、本当に実力だけで勝ち上がって、優勝したんだ。
「皆、おかしいと思ってたのよ。アレクシス様が御病気で剣術大会を観覧されないなんて。アレクシス様が優勝して仮面を外した時の、みんなの興奮のしようったらなかったわ」
「陛下は頭を抱えておいでだったがな」
アレクさん、本当に自分の好きなことやってるんだな。
あれ?
ってことは、アレクさんって、剣術大会で優勝できるほど強くて、ラングリオンで最強の魔法使い?
それって、誰も敵わないぐらい無敵な人……?
「紫竜ケウスの話しに戻すぞ」
「あ、はい」
そうだった。今は紫竜ケウスが大陸に居ないって話しだった。
「紫竜ケウスは、今から四年前……、年が明ければ五年前か。王国暦六〇三年に、アレクシス様の一行が竜の山で退治したんだ」
「クレアドラゴンなのに?」
「ブラッドドラゴンに堕ちたからだ」
「え……?」
ドラゴンを分類する上で、一番大事なこと。
クレアドラゴンかブラッドドラゴンか。
クレアドラゴンは、草食で血の色が透明か乳白色のドラゴン。人を襲わず、人里離れた山の奥地で暮らしている。地上に降りることだって、ほとんどない。
ブラッドドラゴンは、肉食で血の色が赤いドラゴン。人や家畜を襲う悪いドラゴンで、討伐の対象になる。
オービュミル大陸に居るドラゴンは、みんなクレアドラゴンだったはずだ。
でも、クレアドラゴンは、血肉を口にするとブラッドドラゴンになってしまうことがあるらしい。
「ケウスは……」
「ケウスが何故、ブラッドドラゴンに堕ちたかは不明よ。クエスタニアにあった村を一つ壊滅させたらしいの」
「パーシバルは、その村の出身だ」
「パーシバルさんが?」
「兄のローグバルはアレクシス様に仕えている近衛騎士なのよ」
お兄さんが居るんだ。
「ローグバル、ツァレン、レンシール、ガラハドが、アレクシス様と共に紫竜ケウスと戦ったメンバーよ」
「隊長さんも?」
「そうよ。公にされていないけれど、エルも一緒だったみたいね」
「エル、ドラゴンと戦ったことあったの?」
「ドラゴンと戦ったかは知らないわ。同行してたってだけだもの。アレクシス様が連れて歩いていらっしゃったのよ。養成所の高等部の二年の時だったかしら」
「テスト明けにツァレンがエルを連れ出したんだ」
「そうだったわね」
エル、ドラゴンとの戦い方、知ってたのかな。
「えっと……。みんな、有名な近衛騎士なの?」
「アレクシス様の近衛騎士?常盤のグリフレッド、白花のヴェロニク、銀朱のツァレン、青藍のレンシール、黒紅のローグバルの五人よ」
二つ名が、皆、色の名前?
「お待たせ」
扉が開いて、カミーユさんがトレイとサイフォンを持って来る。
「どうぞ」
「わぁ……」
私とマリーの前に並べられたのは、たっぷりのオランジュソースに浸かったクレープ。
素敵。柑橘系の良い匂いがする。
「シャルロも食べるか?」
「こんな時間に、そんな甘いものが食えるか」
「ってわけだから、食べたかったらどうぞ」
カミーユさんは、もう一皿をマリーと私の前に置いた後、グラスに入ったシガレットサブレをシャルロさんの前に置く。
「暇人だな」
それも、今作ったのかな。
「美味しい!」
口に入れた瞬間、華やかな香りが広がる。
「クレープシュゼットは、カミーユが作ったのが一番美味しいわ」
マリーがそう言って、ナイフで切ったクレープを口に運ぶ。
「褒めたって出前にはいかないぞ」
「カミーユさんって、お菓子作りが得意なの?」
「趣味なだけだ」
言いながら、みんなのコーヒーカップにコーヒーを継ぎ足していく。
あ。シャルロさん、シガレットサブレは食べるんだ。
カミーユさんって器用。
でも、なんでエルが食べない甘いお菓子作りが得意なのかな。
そうだ。もしかして。
「マカロンのレシピ知ってますか?」
「マカロン?あぁ。知ってるぜ」
「教えてください」
「ちょっと待ってな」
カミーユさんがメモ用紙とペンを出して、レシピを書く。
「リリー、マカロンが好きなの?」
「うん。ウォルカさんのマカロンも、すごく美味しかったよ」
あのショコラのマカロン。もう一度食べたいかも。
「言われたら、なんだか食べたくなってきたわ。今度一緒に行きましょう」
「うん」
っていうか、すごく美味しい。このクレープシュゼット。
ジューシーで甘くって。
「リリー、まだ食べられる?」
頷くと、マリーが私のお皿にクレープを移す。
「ほら。これがレシピだ。コーヒーとかショコラなら綺麗に色が着くけど、果実での着色は焼き上げると色が落ちる。綺麗な色を出したいなら着色料を使った方が良いぜ」
「着色料って、どこで売ってるの?」
「錬金素材屋でも売ってるけど……。製菓材料店の方が、菓子に向いてるな。マリー、知ってるか?」
「私に聞くの?」
「本当に料理と縁がない奴だな」
「失礼ね。エルだってきっと知らないわよ」
「キャロルなら知ってるだろう」
「そうだな。キャロルが知らなかったら、俺が連れて行くよ」
「ありがとう、カミーユさん」
カミーユさんから受け取ったレシピをしまう。
あ。そういえば、ユリアからキャラメルのレシピももらってたっけ。
「エルってキャラメルが好きなの?」
「え?」
「誰から聞いたんだ」
「ユリアが、毎日食べてたって言ってたけど……」
「あれか」
「そうね。毎日食べてたわ」
「そうだな」
じゃあ、やっぱり好きなのかな。
「今度作ってみようと思うんだ。ユリアからレシピもらったし」
「ちょっと見せてくれないか?」
カミーユさんにレシピを見せると、マリーとシャルロさんもメモを覗き込む。
「懐かしいな」
「どんな味だったかしら」
「覚えてないのか?」
「覚えてるのもあるけど……」
「食べたことがあるの?」
「クラスで流行ったのよ。キャラメル」
「そうなんだ」
だから、毎日食べてたのかな。