98 震える銀のスプーン
「二人が戻って来るの、待ってても良かったんじゃないのかな」
朝ご飯が終わるとすぐに、エルとローズさんは教会へ行ってしまった。
「王宮に入らないのだから一緒よ。早く終わらせて遊びましょう。クエスタニアは美味しいケーキがたくさんあるのよ」
「そうなの?」
「そうよ。せっかく異国に来たんだもの。楽しまなくちゃ。さ、出かけましょうか」
マリーと一緒に宿を出て、王宮を目指す。
広くて大きな建物。
ラングリオンのお城とは雰囲気が全然違うよね。全体的に華やかで豪華な感じがする。
堀があって、城門があるところは同じだけど。
マリーが城門の兵士に話しかける。
「御機嫌よう。ラングリオンから参りました、マリアンヌ・ド・オルロワールと申します」
優雅に礼をするマリーを見て、兵士さんがものすごく驚いた顔をしてる。
『固まってるね』
「事前の連絡もない急な訪問で申し訳ありません。本日は国王陛下への謁見の許可を請いに参りました。私的な目的で旅しているところなのですが、クエスタニアでは国民の皆様に大変良くして頂いたものですから。是非、国王陛下にお礼を申し上げたいと思っているのです」
マリーが微笑む。
「謁見の許可は、どちらでお伺い立てればよろしいでしょうか?」
「……はっ、はい。少々お待ちいただけますか」
兵士が慌てた様子で、走って詰所らしき建物の中に入って行く。
えっと……。お礼が目的?
マリーは大陸会議の参加要請に来たんじゃなかったっけ?
「リリーは何も言わないで頂戴ね」
『余計なこと喋らないでよ』
「……はい」
さっきの兵士さんと一緒に、マントをつけた兵士さんが出て来る。
「マリアンヌ様。大変お待たせいたしました。是非、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
王宮の中。
建物に入ってすぐのところに左右に長い廊下があって、その奥には中庭が見える。柱越しに中庭が見える開放的な廊下を右に曲がって歩く。
反対側の壁にはいろんなレリーフがあるけれど、それよりも天井の細工の細かさに目が奪われてしまう。草花をモチーフにした模様だよね。すごく細かくて丁寧だ。
『まっすぐ歩いてよ』
……気をつけなきゃ。
庭の周りは回廊になっていたらしい。天井細工は、庭を囲うように左側の天井へ繋がっている。けど、私たちは曲がらずに、真っ直ぐ廊下を進む。
『あ』
イリス?
『リリー。エルに呼ばれた。行ってくる』
え?
イリスが消える。
『マリー、イリスがエルに呼ばれたみたいだわ』
マリーが頷く。
何の用事だろう?
礼拝が終わったっていう連絡?でも、そんな連絡するなんて言ってなかったけど……。
案内された先は、豪華な応接室。
「こちらでお待ちください」
「わかりました。リリー、座って待ってましょう」
マリーに腕を引かれて、ソファーに座る。
大きなタペストリーが飾られている部屋。
あ。教会で見た十芒星も飾られてる。あちこちで見かけるよね。グランツシルト教のシンボルなのかな。
「この部屋には誰も居ない?」
『居ない。扉の向こうには何人か待機しているようだ』
小声で言ったマリーの言葉に、メラニーが答える。
「リリー。今のうちにイリスを呼びましょう」
「わかった。……イリス、姿を現せ」
イリスが目の前に現れる。
『二人とも、急いでエルの所に戻って』
「え?」
「エルは教会に居るの?」
『うん』
教会で、何かあった?
「エルにもローズにもどうしようもないことが起きたの?」
『どうしようもないっていうか、エルが治療を……』
治療って……。
『人が来る』
「顕現を解いて頂戴」
『わかった』
イリスが顕現を解く。
「リリー。大丈夫よ」
マリーが私の手を握る。
「……うん」
ノックの後、メイドさんが三人入って来て、テーブルの上に紅茶とお菓子を並べる。
「どうぞ」
「まぁ、素敵。チーズケーキかしら」
「はい。ケーゼクーヘンでございます」
確か、この国の言葉でチーズケーキのことだよね。
「ありがとう。この国のものはラングリオンより、さっぱりしていて食べやすいと聞いたことがあるわ」
「流石、マリアンヌ様。おっしゃる通りでございます」
メイドさんが微笑む。
「御用がございましたら、なんなりとお申し付けください」
メイドさんたちが戸口に並ぶ。
『これじゃ話せないね』
『大丈夫よ。私とメラニーの声はマリーにも聞こえるもの』
マリーが紅茶を飲む。
「良い香り。リリーも好きそうよ」
「え?……うん」
『イリス、さっき治療と言っていたな』
『そうだよ。ルイスにやったのと同じことをしようとしてるみたいなんだ』
それって……。
『つまり、この国にはプリーギに感染した患者が居て、エルはメディシノとして患者の治療を行うということか?』
エル、あの時と同じことをするの?
「困った子ね。そんなに緊張しないで頂戴。お砂糖でも淹れましょう」
マリーが私の紅茶にスプーン一杯の砂糖を入れる。
紅茶に沈む砂糖を見ながら、銀のスプーンで紅茶をかき混ぜる。
『ボクが行った時は、治療を行う直前だったみたいだよ』
『ってことは、今、患者の治療を始めたところなのね』
今……。ルイスにしたのと同じことを……。
「このケーキも美味しいわ。リリー、口を開けて」
マリーが私の口にチーズケーキを入れる。
だめ。
全然味わえない。
『エルは二人に来て欲しくないみたいだったけど、ユールたちは連れて来てって』
『でも、私たちも王宮に入ったばかりで、用事も済まさずに出るのは無理よ。リリーだけでも先に行く?』
「顔色が悪いわ。先に帰っていても良いのよ」
『いや。今から行っても手遅れだ』
メラニー……。
『手遅れ?』
『エルは患者の治療を優先する。ユールは治療を断ることが出来ない。治療行為を行えば行うほど、エルは……』
どう、しよう……。
『どうなるって言うの?』
このままじゃ、エルが……。
『悪魔になってしまう』
「……」
どうしよう。
どうして、エルの傍に居るって言わなかったんだろう。
どうして、エルを一人にしたんだろう。
この国にも病気に苦しんでる人が居て、メディシノの力を必要としてる人が居るかもしれないって。
―俺はメディシノに化けていく予定だからな。
エルはそれを予想してて。請われれば、最初から治療を行うつもりだったんだ。
どうして、気づかなかったんだろう。
気づける要素はいくらでもあったのに。
どうして……。
私は……。
マリーが、銀のスプーンを持つ私の手に触れる。
「いつまでそうしているの?」
「あ……」
渦を描く紅茶から、スプーンを抜いてお皿の端に置く。
「この国は、とても光の力が強いわ」
「……マリー?」
「昔、この地に居た悪魔を追い払ったのも、その魂を浄化したのも、光の精霊に祝福された光の魔法使いたちだった。……だから、ここは光の精霊の力に満ちているのね」
そうだ。
治療を行って悪魔になってしまった治療者たちの魂を浄化したのは、光の魔法使い。
『でも、悪魔になった人間を元に戻すなんて、私にもマリーにも出来ないわ。当時の人たちが、どんな方法を使っていたのかだって』
方法……。
それがわかれば、エルを助けられるかもしれない?
「この国には間違いなく光の大精霊が居るわ」
エルも居るかもしれないって言ってた、光の大精霊。
『そうだわ。この国の光の大精霊なら、エルを助ける方法を知ってるかもしれない』
「リリーは光の大精霊が何処に居るかわかる?」
王都のどこかに居るとするなら。
「この国で一番光に祝福された場所……」
マリーが微笑む。
「そうね。きっと、その通りだわ」
『誰か来た』
ノックがあって、文官らしき人が入って来る。
「大変お待たせいたしました」
マリーが立ったのに合わせて、立ち上がる。
「急な訪問で申し訳ありません。ラングリオンより参りました、マリアンヌ・ド・オルロワールと申します。……リリーも自己紹介を」
「はい。皇太子近衛騎士、リリーシア・クラニスです」
「皇太子近衛騎士、様?」
あっ。この自己紹介で良かったのかな。
「はい。彼女はもともと私の友人なのです。私の旅も危険が伴うことから、皇太子殿下が派遣してくださったのです」
「そうでしたか。どうぞ、お座りください」
促されて、マリーと一緒に座る。
「失礼ですが、身分証を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか。その美しいピンクアイは光の精霊の祝福の強い証拠。貴女がオルロワール伯爵令嬢、マリアンヌ様であることは疑いようのない事実なのですが、確認せざるを得ないことなのです」
「わかりました。リリーも、身分証を」
「はい」
マリーと一緒に身分証を出すと、相手が確認する。
「ご協力に感謝いたします。マリアンヌ様、リリーシア様、どうか失礼をお許しください」
「いいえ、どうか畏まらないで下さい。私がこの国を訪れるのも初めてのことですから、当然のことです」
「寛容な御心に、重ね重ね感謝いたします。……謁見の申し出ですが、陛下はお忙しい身でいらっしゃいますから、すぐには難しいかと」
「もちろん、すぐに叶うとは思っておりません。私が王都に滞在中に、少しでもお時間が頂けたらと思っただけなのです」
「と言うと、すぐにご出発される御予定なのですか?」
「はい。バロンスの二十五日には、王都を発とうと思っております」
「それは……。お忙しい旅なのですね」
「目的のある旅ですから」
「差し支えなければ、目的を教えて頂いても?」
「そうですね……。ある病の治療を行う為、としか申し上げられません」
病……。
「……マリアンヌ様は、医者として奉仕活動をされていらっしゃるということですね。我が国の為に尽力していただき、感謝します」
「いいえ。私が出来ることなど些細なことです。それ以上に、この国の方々には良くして頂いておりますから」
「とんでもない。マリアンヌ様がいらっしゃったとあれば、皆も喜ぶでしょう。国の為にお力添えをしていただいたことは、私から陛下に申し上げます。御滞在中に謁見が叶うよう、私も尽力致しましょう」
「ありがとうございます。私たちは今、王都の北西にある教会横の宿に滞在しております。そちらにご連絡頂いてもよろしいでしょうか」
「かしこまりました。決定次第、すぐにご連絡いたします」
「感謝いたします。……あの、一つ、お伺いしたいことがあるのですが」
「はい。なんなりと」
「王宮内には光の間と呼ばれる場所があると聞いております」
「……はい」
「そこは光の力に満ち溢れた場所なのでしょうか。私も光の精霊の祝福を受ける者として、興味があるのです」
「王都で最も光の恩恵を受ける場所であることは間違いありません。しかし、あの場所は王宮内で最も神聖な場所。王族と言えども自由に出入りできる場所ではないのです」
「まぁ。とても神聖な場所なのですね。……浅はかな質問をしてしまい、申し訳ありません」
「とんでもない。御存知ないのも無理はありませんから」
「いいえ、どうか今の質問は忘れて下さい。……よろしければ、御庭を拝見させて頂いてもよろしいかしら。この部屋へ来る途中に見かけた庭園が気になったものですから」
「中庭でしたら、御自由に御覧下さい。庭まで、メイドに案内させましょう」
「御厚意に感謝いたします」
マリーが立ち上がったのに合わせて、立ち上がる。
「では、良いお返事をお待ちしております」
メイドさんに案内されて、中庭へ行く。
『これから、どうするの?』
光の間には、簡単には入れなさそうだけど……。
「御庭の御説明をいたしましょうか」
「いいえ、ゆっくり見たいので大丈夫です。……まぁ。なんて素敵な薔薇。あまり見かけたことのない色合いも、とても美しいわ」
「お気に召したのでしたら、お持ち帰りになりますか?」
「本当?……でも、この美しいお庭の景観を損ねてしまわないかしら」
「庭師を呼んで参りましょう。少々お待ちいただけますか?」
「ありがとう。この辺りを散策して待っているわ」
メイドさんが早足で去っていく。
「……さてと」
マリーが空を仰ぐ。
「流石に、メラニーでも光の間が何処にあるのかは分からないわよね」
『無理だな』
無理だよね。
『しかし、案内役を探すことは可能かもしれない』
「案内役?」
『ローグが近くに居る』
「そっか」
ローグ、お城に居たんだ。
「合流しましょう」
『こっちだ』
メラニーの後に続いて、中庭から廊下に出る。




