78 トリコロール
「わぁ……」
お城の奥。紅葉が色づけば綺麗だって、前にアレクさんが言っていた場所。
山の紅葉もすごく素敵だったけど、紅と黄色に包まれたこの場所もすごく素敵な場所だ。
この紅葉が見たかったから、ライーザさんに早目に案内してもらったのだけど。
まだ夕食の準備を始めているところだったらしく、アニエスさんが料理を運ぶ前の食卓の飾りつけをしている。
「ようこそ、リリーシア様。紅茶をお淹れ致しましょうか。お茶菓子もご用意しております」
忙しそうなのに、邪魔しちゃ悪いよね。
「もう少し散歩して来ます」
「かしこまりました。お休みいただける場所は御用意しておりますので、いつでもお申し付けください」
「ありがとうございます」
「リリーシア様。紅葉の美しい御庭でしたら他にもございます。御案内いたしましょうか?」
「大丈夫です。この辺もすごく綺麗だから。ちょっと散歩して来ます」
『一人で行く気?』
「お供いたします。本日はリリーシア様の御世話をするよう、アレクシス様から命じられておりますから」
『一緒に来てもらいなよ。この前、ライーザの目の前で行方不明になっただろ』
そんなことあったっけ?
「このお庭の御説明をいたしましょう」
庭の説明?
ライーザさんから木や花の説明をしてもらいながら庭を歩く。ライーザさんは植物の知識が豊富だ。
紅葉するのは落葉樹と呼ばれる、葉っぱが落ちる樹だけ。
黄葉というのは、実は色づいているわけではないらしい。もともと葉っぱは緑と黄色の色素を持っているのだけど、寒くなると緑の色素だけを失って、残った黄色が現れるだけらしいのだ。葉っぱ本来の黄色が見られるのは黄葉する今だけって思うと、やっぱり特別な感じがする。
紅葉も黄葉と同じことが起こるのだけど、こっちは秋になると紅の色素を作る種類。今年の紅葉は鮮やかな紅だけど、気温によっては紅色の色素を作らない時もあるんだとか。紅葉って不思議だ。
今の季節だけしか見られないもの。
ラングリオンは季節を感じられる自然が豊富にある。冬はどんな感じなのかな。雪は降らないみたいだし、雪の精霊も氷の精霊も居ないみたいだけど。
……あ。闇の精霊だ。
目が合っちゃった。
『黒い髪に黒い瞳に、黒の喪服か』
「喪服じゃないよ」
アレクさんは喪服って言ってたけど。
『何、返事してるんだよ』
「どうかなさいましたか?」
「えっと……」
『情報通りだな』
情報通り?
『俺が見えるんだろ?ついて来い』
「え?」
『お前、誰だ』
『見ればわかるだろ。闇の精霊だ』
『精霊が人間に何の用だよ』
『ついてくればわかるだろ』
この感じ、カートに似てるよね。
王族の精霊なのかな。
「ライーザさん、ちょっと行きたいところがあるんですけど」
「お供いたします」
『ついて行くの?なんだか怪しいよ』
「この辺って、王族しか入れない場所ですよね?」
「はい」
なら、大丈夫じゃないかな。
『ボクはなんだか嫌な予感がするけど』
イリスは本当に心配性なんだから。
庭を抜けて、建物の中を通って歩く。
お城って、どうしてこんなに複雑に出来てるんだろう。
階段を上って、まだ先に。
全然人を見かけない。
『まだ着かないの?』
『ここからは近道だ。この窓から下に飛び降りろ』
「えっ?」
『出来るだろ?』
窓から下を眺める。
この高さから降りるのは可能だけど。
「ライーザさん、ここから降りなきゃいけないんですけど……」
「かしこまりました」
「大丈夫ですか?」
「問題ありません」
『飛べるの?』
大丈夫なのかな?
窓の縁に上って、着地点に誰も居ないことを確認してから飛ぶ。
着地後、すぐにその場から離れて振り返ると、私を追って飛び降りたライーザさんが綺麗に着地し、立ち上がってスカートに着いた草を払う。
「お待たせいたしました」
『本当に飛んで来たね』
足、くじいたりしてなさそうだよね。大丈夫なのかな?
『行くぞ』
「待って」
不思議な形の植木が並んだ場所だ。どこかで見たことのある形だけど、何だったか思い出せない。
中庭みたいだけど、紅葉している木は一本も見当たらない。
そのまま進むと四阿が見えて来た。
『ここだ』
闇の精霊が飛んで行った四阿には、人が居る。
「リリーシア様。あのお方と御知り合いですか?」
「知らない人だと思うんですけど……」
近づくと、テーブルに視線を落としていた人が顔を上げる。
「こんにちは」
「……こんにちは」
髭を生やした男の人。
思ったよりも年上の人だ。国王陛下の兄弟?……にしては、アレクさんにもリックさんにも全然似てないよね。
「あの……」
「はじめまして。私はエドムントと申します」
「はじめまして。リリーシアです」
「チェスはお好きですか?」
「チェス?」
テーブルの上にあるのはチェス盤?
違う。これ、チェス盤と一体になったテーブルだ。
さっき見た植木の正体も、ようやく分かった。チェスの駒の形にカットされた植木だったんだ。
「あの、チェスは見たことあるんですけど、やったことはないです」
「教えて差し上げましょう。どうぞおかけ下さい」
「エドムント様。リリーシア様はアレクシス皇太子殿下の大切なお客様でございます。御用は手短にお願いいたします」
『リリーに用があるんじゃなかったのかよ』
『俺は連れて来いって言われただけだぜ』
「チェスの相手を探していただけですよ。皇太子殿下もいらっしゃる予定ですから、それまで相手をしていただけませんか」
アレクさん、ここに来るの?
「さぁ、おかけ下さい」
言われるまま、エドムントさんの前の席に座ると、ライーザさんが私の後ろに立つ。
チェス盤には、白の駒と黒の駒が並んでいる。
駒が綺麗な配置で並んでないってことは、対戦途中じゃないのかな。
「誰かとチェスをやっていたんですか?」
「いいえ。古い棋譜を並べていただけですよ。紅茶を御用意いたしましょうか」
「リリーシア様。何も口に致しませぬよう」
「毒など入っておりませんよ」
「これからお食事ですから」
「いかがですか?」
『ライーザの言うことは聞きなよ』
「あの……。喉は乾いてないです」
「それは残念です」
エドムントさん、自分で用意するつもりだったのかな。
ここには、メイドさんも近衛騎士も居ない。
「あなたは王族じゃないんですか?」
エドムントさんが笑う。
「まさか。高貴な血筋とは縁遠い者ですよ。さぁ、黒駒の中から好きなものをお選びください」
「私、本当に知らないんです。駒の名前も、動かし方もわかりません」
「エルロック様もチェスがお好きなのですよ」
「え?」
この人、エルの知り合いなのかな。
「動かし方をお教えいたしましょう。お好きなものからどうぞ」
「じゃあ……」
これにしようかな。
「それはビショップです。斜めに移動できる駒ですが……」
エドムントさんが、移動できる範囲と、移動したら危険な場所を教えてくれる。
斜めに移動できるけれど、駒を飛び越えての移動は不可。敵の駒がライン上に居れば獲れるけれど、その駒を守っている駒が居れば、結局取られてしまう。移動先が空いていても、安全な場所とは限らない。
あれ……?
つまり、このビショップが動ける場所ってないんじゃ……。
「一度手にした駒は、移動させなければいけませんよ」
どうしよう。どこに置けば良いのかわからない。
『来た』
来た?
風を感じて振り返ると、アレクさんが少し離れた場所に着地する。
砂の魔法で飛んで来たみたいだ。
「お久しぶりです、アレクシス様」
アレクさんが立ち上がって私たちの側に来る。
「久しぶりだね。伯爵」
「え?伯爵?」
この人、伯爵なの?
「チェスをやっていたのかい」
アレクさんが私の後ろからチェス盤を眺める。
「リリーシア。これは、最初から君がやったのかい」
「え?違います。私、チェスなんて全然出来ないです」
「懐かしい棋譜を並べていたのですよ。続きのお相手をお願いしたのです」
「えっと……。これを置かなきゃいけないんですけど」
「黒のビショップ?……貸してごらん」
アレクさんが私の持っていたビショップを盤上に置く。
そこは、取られちゃう場所じゃ……。
あれ?エドムントさん、ビショップを取らないんだ。
「そろそろ晩餐会が始まる頃ですね」
目の前でチェスの駒が動く。
「私が行く必要はないよ」
アレクさんも伯爵も行かないなんて。良いのかな。国王陛下主催なのに。
「姫君を暗殺者の居る王都に出すなんて、貴方らしくありませんね」
「え?暗殺者?」
姫ってメルのことだよね?
「リリーシア様は御存知ではありませんか」
「今、王都には暗殺者が居るという噂があるんだよ。エルはその捜索に当たってる」
それで夕食会にも来られないんだ。
暗殺者なんて……。大丈夫かな。エル。
「メルリシア姫の王都視察は円滑に終了したと報告を受けているよ」
本当に何事もなく終わったよね。急に決まったとは思えないぐらい、あっという間に準備が整ったみたいだし。
「何か仕掛けて来るなら返り討ちにする用意はあったのだけど」
「罠が仕掛けられているとわかっている場所に向かう者は居ませんよ」
罠……?
「守備における連携の美しさを垣間見た気がします。鉄壁の王都守備隊と呼ばれるだけのことはある」
「手持ちの駒はずいぶん減ったようだね」
チェス盤に目を落とす。
チェスって、キングを獲れば終わりなんだっけ?
キングってどれかな。
「新年の宴でも、剣術大会の開会式でも、冠を着けなかったようですね」
「邪魔だからね」
そういえば、アレクさんが冠をつけてる所って見たことない。
「いつまでヴェールの下に居るつもりですか」
ヴェールの下に?
「もう詰んでいるのにゲームを続けているのは誰だい」
「続けることを御所望のようでしたから」
エドムントさん、アレクさんとチェスの続きをしたかったのかな。だったら、私を精霊に呼ばせる必要なんてなかったと思うんだけど……。
「チェックメイト」
盤上で駒の移動が止まる。
「君の勝利だ」
「え?私?」
「ビショップの移動が決め手でしたね」
「でも、あれは黒ではなく、白の手番だっただろう」
「覚えておいででしたか」
アレクさんも知ってる棋譜だったのかな。
「チェスの相手が欲しいなら、呼んでくれれば良かったのに」
「なかなか上手い連絡手段が見つからなかったものですから」
え?
「だからと言って、私の客人を勝手に連れ出すなんて感心できないな。もう少し他の方法は探せなかったのかい」
「人間が出来ることには限界がありますから」
「そうだね。……おいで、リリーシア」
「はい」
立ち上がってライーザさんの傍に行こうとしたところで。
「アレクシス様」
アレクさんに、エドムントさんが声をかける。
「何かな」
「魔法部隊の出兵を彼女に進言したのは私で間違いありませんよ」
魔法部隊の出兵?
「戦争で功績を上げれば魔法部隊の信頼度は一気に上がる。そのタイミングを計っていた彼女に、攻略を勧め、出兵できるように取り計らったのは私です」
『それって……』
あれは偶然じゃなくて、仕組まれたことだったの?
「そんなことを言うために私を呼んだのかい。ここで聞いても無意味だよ。報告書にまとめてくれるかい」
アレクさん、怒らないの?
だって。
この人が、フラーダリーを殺したんだ。
自分の手を汚さずに……。
「あなたに剣を抜かせるのは難しそうだ。やはり、紅の瞳ぐらい用意すべきでしたね」
紅の瞳って。
「ブルースは失敗したようですから」
え……。
「成功していれば、今頃は私の手元に……」
許せない。
『リリーっ!』
相手の頬をぶった瞬間、大きな音が鳴って。
エドムントさんが椅子から崩れ落ちる。
「リリーシア」
アレクさんが後ろから私の体を包む。
「君が手を下す必要はない」
「でも!」
「多くの人を束ね、頂点に立つ者が何かに執着することは罪だと言ったでしょう」
「……」
「服従を望む者は貴方のように強くはない。誰かを蔑むことでしか、己の評価を高めることも心の平安を保つことも出来ないからこそ、差別はなくならないのです。明確な敵の存在によって、一つにまとまることが出来るのですよ」
「古い慣習だ。変わることのできない人間も、成長することのできない人間も居ない。それは人間が辿って来た歴史を見れば明らかだろう」
「それが国中を旅して出した答えだと言うのですね」
「そうだよ。リリーシア、行こうか」
「……はい」
「貴方の理想は高過ぎる。必ず後悔する日が来るでしょう」
「貴方がその日を見ることはない」
※
ライーザさんと一緒にアレクさんについて歩くと、庭の入口に居た兵士たちが槍を構える。
「ア、アレクシス様?」
兵士たちが槍を戻して姿勢を正す。
「ライーザ。どこから入ったんだい」
「あちらの二階の窓からでございます」
ライーザさんが、遠くの出窓を指す。
私たちが来たのって、あの窓だったんだ。
「君は、どうやってここに来たのかな」
「エドムントさんの闇の精霊が案内してくれたんです」
「闇の精霊か。警備を編成し直した方が良さそうだね」
「はい。申し訳ありません」
「ライーザ。警備の穴を教えてあげてくれるかい」
「かしこまりました」
「おいで、リリーシア」
ライーザさんを残して、アレクさんについて行く。
「彼は私に帝王学を教えた人物なんだ」
「帝王学?……アレクさんの先生だったんですか?」
「そうだよ。と言っても、養成所時代に手紙のやり取りをしていただけだけどね」
私とグラン・リューみたいな関係だったのかな。
「そして今は、囚人なんだ」
「囚人?」
全然、そんな風に見えなかったけど。
「あの場所には簡単に入れないはずなんだけど。君は本当にどこにでも行けるんだね」
だって。闇の精霊が……。
「どうしてエドムントさんは私を呼んだんですか?」
「君を呼べば私が行くとわかっていたからだよ」
「アレクさんを呼ぶために私を?」
「巻き込んで悪かったね」
『どうしてリリーの居場所が分かったの?』
「リリーシアがレイリスの魔法で守られている限り、居場所はいつでも探せるんだ。先に夕食会に行ったはずの君の姿がないから、レイリスから聞いて迎えに来たんだよ」
『それであんなに早く来れたんだ』
「エドムントさんは、どうしてアレクさんを怒らせたかったんですか?」
「私に罪を打ち明け、断罪して欲しかったんだよ」
剣を抜くって、そういう意味なの?
「いや。私が剣を抜かないことぐらい想定済みかな。やっぱり、君を怒らせたかったんだろうね」
「私を?」
「さっきの話だけど。ブルースはクエスタニアで指名手配されていた犯罪者で、ラングリオンに密入国した人間。伯爵と彼に接点はないんだ」
「嘘だったんですか?」
「君を怒らせるためのね。彼を裁くのは個人ではなく法であるべきだ。リリーシア。無暗に力は使わないようにね」
―リリーの力は、かなり危険だ。
「はい」
「寄りたい場所があるんだ。一緒に来てくれるかい」
それ、選択肢があるって言わないよね?
ライーザさんも居ないし、今一人にされたらどうすれば良いかわからない。
アレクさんが苦笑する。
「悪かったね。早くロザリーに会いたいと言うなら、私の精霊に案内させるよ」
「えっ?」
私、今何も言ってないよね?
「君はわかりやすいからね。どうするんだい」
「一緒に行きます」
「カート、リリーシアの傍に居てあげてくれるかい」
『了解。迷子になったら俺が案内してやるよ』
どうしてそういうこと言うの。
「ならないよ」
カートが笑う。
『本当に良く膨らむ顔だな』
※
廊下を歩いている衛兵やメイドさんが、アレクさんに会う度に立ち止って頭を下げる。そして、アレクさんが通り過ぎるのを待ってから移動を始める。
昔のこと、思い出すな。
女王の娘になってから色んなことが一気に変わって。一緒に居られる人はものすごく少なくなった。友達と呼べる人も居なくて、普通に話せるのは姉妹だけで。
不安だったけど、イリスとソニアはいつも傍に居てくれたっけ。
「上に行くよ」
「はい」
アレクさんに続いて螺旋階段を上る。
「聞きたいことがあるんですけど」
「何かな」
「ヴェールの下に居るって、どういう意味ですか?」
「皇太子が冠を身につけずに公式の場に出ると、そう言われるんだ」
『喪中の王族や貴族は冠をつけないんだよ』
「喪中?」
ラングリオンで王族が死んだなんて話しは聞いたことがないし、国王陛下も王冠をつけてたと思うけど。
「いつから着けてないんですか?」
「姉上が亡くなってからかな」
……ずっと、喪に服してるんだ。
「姉上は戦死した。その件で誰かを罰することは出来ない。戦場に出るということは死を覚悟するということ。私は姉上の出兵を止められなかった。その上、エルに伝えるのも間に合わなかった。姉上が戦死し、エルがその死に立ち会えなかったのは私の責任なんだよ」
「アレクさんまでフラーダリーの死を自分の責任にするの?だって、あの時、あの時点では不可避で……」
「そう。過去は戻らない。失ったものは二度と戻らないんだ」
それは。エルからも聞いたことのある言葉。
前を向く為の言葉。
「忘れなければ、同じことを引き起こしたりはしないだろう」
「……はい」
きっと、自分が死ぬことを知っていたフラーダリーの言葉なんだ。
「着いたよ」
明るい。
ここが、螺旋階段の一番上。
鞘のない一本の剣が、刃を下にして浮いている。
「エイルリオン」
ってことは、ここって……。
「落ちないようにね」
眼下に、夕日に照らされて茜色に染まった王都が現れる。
「綺麗……」
「姉上はここから見る景色をとても愛していらっしゃったんだよ」
フラーダリーが好きだった景色。
「東西と南に向かって真っすぐ伸びる大通りも、人々が活気に溢れている様子も。私が諸国で見た何処よりも、この王都は雄大で美しい。それは、この国に生きる人々が自分の力で勝ち取った自由を土台にしているからだろう」
ルイスから聞いた初代国王の話しを思い出す。
「私の目指す国はね。誰もが自分の意思で自由に生きられる社会なんだ」
「自分の意思で自由に?」
それって当たり前のことじゃ……。
「生き方を選択することは難しいことなんだよ。貴族として生まれた者は軍事か政治の世界で生きることを求められ、農家に生まれた者は農業の発展に努めることが求められる。吸血鬼種は黒髪を隠して歩かなければならず、華やかな場に出ることは叶わないね」
暗黙の圧力。
「そこに選択の自由はない。それは、選択できるだけの知識も技術も持っていないからだ。必要なのは学ぶ機会を作ること。その機会は出自や貧富の差、ましてや容姿に関係なく等しく与えられるべきだろう」
……カミーユさんが騎士にならずに研究所に入った話しを思い出す。
選択の機会を与えられても、自分の理想を選ぶことは難しいのが現状なんだ。
―貴方の理想は高過ぎる。必ず後悔する日が来るでしょう。
「この国の人々なら、それが出来ると信じているんだ」
アレクさん……。
「私、応援します。アレクさんが後悔する日なんて来ないです。だって……」
―ラングリオンの王都は、世界で初めて奴隷制度を廃止した場所。
―すべての人が自らの意思で手を取り合って作り上げた都市。
「王都、アヴェクノーヴァ。ここは、皆で築いた場所だから」
「詳しいね」
「ルイスから聞いたんです。王都は昔そう呼ばれていたって」
「じゃあ、国旗の話しは知ってるかい」
「国旗?」
「今のラングリオンの国旗は、建国初期の国旗に剣花の紋章を描いたものなんだ」
「ラングリオンの国旗って……」
『どんなのか覚えてる?』
「初期の国旗は、三色の色を塗っただけの旗だったんだ」
三色ってことは。
「紅、白、藍ですか?」
「そう。自由の藍、平等の白、博愛の紅で三色。これこそがラングリオンに根差す、初代国王が目指した信条」
エルの付けていたブローチの色。
「私もブローチが欲しいです」
「君には必要ないね」
あれは、やっぱりアレクさんが作ったものだったんだ。
「アレクさんは着けていないんですか?」
「私が持っていても仕方ないよ」
私の考え、合ってるのかな。
「自分じゃエルの傍に居られないから?」
「いつ気づいたんだい」
「ブローチのカーネリアンはエルの瞳の色と同じ色だから」
あの濃い紅色はエルのイメージ。
「それだけかな」
ブローチの色にここまでこだわっていた理由は、色に特別な意味があるから。
「ムーンストーンはフラーダリーですよね?」
「姉上は白百合がお好きだったからね」
あの白は、白百合。フラーダリーのイメージ。
そして。
「瑠璃はアレクさんです。アレクさんって、紺色のイメージだから」
アレクさんが俯いて、肩を震わせる。
『それ、本気で言ってるのか?』
「え?」
『リリー、どうしてそう思ったの?』
「だって、初めて会った時は紺色のローブを着てたし、サンゲタルの鞘だって紺だし、剣術大会の開会式で着てた衣装も紺だったよ」
アレクさんが声を上げて笑いだす。
「アレクさん……?」
そんなに面白いこと言ってないと思うけど。
だって、アレクさんと言えば紺のイメージだ。
『お前って面白いな。青って言ったらシールだろ』
「シールのマントは青藍だよ。もっとくすんだ色。アレクさんの紺はもっと鮮やかな色だよ」
『アレクのイメージカラーなんて、百人中百人が菫だって言うぜ』
「そうなの?」
『ボクもそう思うよ。今アレクが身につけてるマントだって菫じゃないか』
「でも……」
「リリーシア。正解だよ。私の好きな色は、鮮やかな瑠璃の色なんだ」
「やっぱり」
『そうなの?』
「あのローブの色は瑠璃紺。私のお気に入りの色に染めさせたものなんだよ」
そういえば、近衛騎士のマントの色もこだわりがあるみたいだよね。
「評価とは他人が作り上げるものだからね。私は菫が好きだなんて一言も言っていないのだけど。迷子のリリーシアも身に覚えがあるんじゃないのかい」
「……はい」
その気持ちは凄くわかる。
一体誰がつけたんだろう。
『リリーはそのままじゃないか』
「そんなことないよ」
王都なら、そんなに迷わないはず。
「勝手にイメージを作られて押し付けられてるのに、良いんですか?」
「構わないよ。固まったイメージは利用しやすいからね。私が菫のマントを身に着けて歩けば、直接顔を確認できない遠くからでも皇太子を確認することが出来るだろう」
そっか。
アレクさんの顔をはっきり確認できるぐらい近くに行けることって、そんなにないはずだもんね。
「リリーシア。この瑠璃は特殊な瑠璃なんだよ。気づいたかい」
アレクさんが出したブローチを受け取る。
「はい。黄鉄鉱が入ってない瑠璃ですよね」
「流石だね。この瑠璃は、黄鉄鉱を全く含まない一つの原石から作ったものなんだ」
やっぱり、黄鉄鉱を含まない瑠璃が存在したんだ。
「このブローチを持った人たちは、みんなエルを守っているんですよね?」
「エルを守ることは姉上との約束でもある。けれど、私がずっとエルの傍に居るわけにもいかないんだ。エルは旅が好きだからね。柔軟に対応できる組織が必要だったんだよ」
それがシリルさんたち。
「この間はエルの行動が読めなくて失敗してしまったけれど。エルはヌサカン子爵の家を目指すと思っていたのに、カトルサンク山に向かってしまったから」
「だからエルを追いかけたんですか?」
「そうだよ。でも、一番の目的は、君をエルの元に届けることかな」
「私を?」
「君なら、どんなことがあってもエルを守ってくれると信じているから」
「……はい」
本当に、信じてくれてるんだ。
『過保護過ぎじゃないの?』
「アレクさんがエルのこと心配なの、すごくわかります。エルはもう少し自分のことを大事にした方が良いと思う」
アレクさんが微笑む。
「君と私の目的は同じ。だから、君にブローチは必要ないね」
アレクさんが私の手からブローチを取る。
ブローチ……。
―これはタリスマンと呼ばれる守り石です。
―きっと災厄からリリーシア様をお守りして下さいます。
そうだ。エレンさんから貰ったタリスマン、エルにあげよう。守り石なら、エルが持っていた方が良いよね。
「戻ろうか。きっと、ロザリーも待ちくたびれているよ」
「はい」




