75 過去を辿る
「待って」
誰も居ない長い廊下は、走る度に硬質な音が鳴り響く。
『リリー?どこ行くの?』
急いで追いかけないと、見失いそうだ。
『待ってよ!』
初めて見る。あの精霊。
たまにこっちを振り返るから、私が追いかけているのも知ってるのに。
追いつかせてくれない。
「あ……」
急に眩しい光を浴びて、思わず目元に腕を掲げる。
外に出たらしい。
さっきの精霊は?
天を仰ぐと、さっきの精霊が空高く昇って……。
え?
『もう。どうして勝手に走って行っちゃうかな』
「イリス」
『また迷子じゃないか』
どこをどう走ったかなんて覚えてない。
ここは……。
「わぁ。見て!すごく素敵な場所だよ」
壁に囲まれた光の射す空間。
色とりどりの花が咲いているけれど、花壇もなく、誰かが手入れしている様子はない。
『城内にもこんなに花がある場所があるんだね』
「ね。花を摘んでも良いかな」
『良いんじゃない?』
鳥の姿をしたイリスが、花を摘む私の傍に来る。
「持って帰って部屋に飾ろう。他の子にもプレゼントしたら喜んでくれるかな」
『それって他の女王の娘のこと?』
「うん」
『まぁ……。喜ぶんじゃない?』
「リリーシア様。こちらにいらっしゃったのですか」
「ソニアさん」
「花を御所望でしたら、私がご用意いたしますよ」
「えっと……。違うの。その……」
『素直に迷子になったって言えば良いじゃないか』
「また可愛い精霊でも居ましたか?」
「あの……。あのね、追いかけてたら、すーって消えちゃったの」
「消えた?どこかに転移したのでしょうか」
「転移?」
「精霊は空間転移が可能です。一瞬で別の場所に行けるのです」
「本当?イリスも出来る?」
「はい」
『出来るけど。無目的にあちこち飛べるってわけじゃないよ。リリーの傍に行けるってだけ』
「そうなんだ」
「ご覧になったのは何色の精霊でしたか?」
「えっと……。何色って言うのかな。白っぽかった気もするんだけど」
「雪の精霊でしょうか?」
「雪の精霊とは違う感じ」
「では、氷の精霊でしょうか?」
『これだけ一緒に居る氷の精霊を見間違えるって言うの?』
「違うよ。それだけは絶対に違う」
「申し訳ございません」
「あの、違うの。今のはイリスに言っただけで……」
「いいえ、私の質問が浅はかでございました」
「そんなこと……」
『ねぇ、リリー。ボク、そんな精霊見てないよ』
「イリス、見てなかったの?」
『見てないよ』
「では、真空の精霊かもしれませんね」
「真空の精霊?」
「地上にはほとんど居ないと言われている精霊です。私も見たことはありませんが、銀色の光を持つ精霊だとか」
「銀色……?じゃあ、あれは真空の精霊だったのかな」
『そうかもね』
ユールとは全然違ったと思うけど。
「もう一度会えると良いですね」
「うん」
「城の者も探しております。そろそろ戻りましょう」
城?
そっか。ここはグラシアルの、プレザーブ城内の中庭だ。
「ごめんなさい、ソニアさん」
そして、これは私が女王の娘に選ばれて間もない頃の話し。
「どうか謝らないで下さい。貴方にお仕えすることが私の喜びなのです」
「私……。迷惑ばっかりかけてるのに……」
「迷惑なことなどございません。私はリリーシア様のことが好きですから」
「え?」
「リリーシア様は私のことがお嫌いですか?」
「そんなことない。嫌いじゃないよ。ソニアさんは優しくて良い人だと思う。……毎日、ベッドから落ちたジョージを私の腕に戻してくれてるの、知ってるよ」
「お気づきだったのですか?」
『気づいてたの?』
「だって。ここに来る前はいつもベッドの下に落ちてたのに、ここに来てからは必ずベッドに居るんだもん」
『リリーは寝相が悪いからね』
そうだったっけ?
「いつもありがとう。ソニアさん」
「勿体ないお言葉でございます。リリーシア様。どうか私のことは、ソニアと呼んでいただけないでしょうか」
「え?」
「私をもっと、リリーシア様の御傍に置いて頂きたいのです。私は、誰よりもリリーシア様の信頼を得られる存在になりたいのです」
「呼び捨てにすることが、信頼の証になるの?」
「はい」
「あの……。ソニア」
「はい。リリーシア様」
「私、ソニアのことが好きだよ。ソニアが居てくれるから、ここでも寂しくないんだ。……これからも、一緒に居てくれる?」
「もちろんです。私のすべては、リリーシア様の為に」
ソニア……。
懐かしい夢。
ソニア、元気にしてるかな。
目を開くと、あの時とは違う姿になったイリスと目が合う。
『おはよう、リリー』
「おはよう、イリス」
『どうしたの?ご機嫌だけど。良い夢でも見た?』
「イリスって、昔は尻尾があったよね」
鳥の姿も可愛かったんだけど。
『いつの話ししてるんだよ。あんな姿でずっと居られるわけないだろ。精霊が妖精の姿を保てなくなったら、普通は自然に還るんだ』
「そうなの?」
『精霊の役割は自然の維持。その為の魔力がない精霊なんて、存在してる意味がないじゃないか』
「そんなことないよ」
『慰める必要なんてないよ。精霊は魔力が尽きたら、自然に還って魂が死者の世界へ行く。人間だって、死んだら魂が抜けて肉体は自然に還るだろ。同じだよ』
「……そっか」
この世界に生きる者は、最期には魂が死者の世界に向かい、ここに残ったものは自然に還るように作られてるんだ。
それは精霊も人間も、同じ。自然なこと。
『昔の夢を見てたの?』
「うん。女王の娘になりたてで、ソニアと会ったばかりの頃の夢」
『それって、慣れない城内で毎日のように迷子になって泣いてた時のこと?』
そうだった。
『どうして迷うってわかってるのに勝手にあちこち行くかな。ソニアには苦労かけたよね』
私が迷子になる度に、いつも私を見つけてくれるのはソニアだったよね。
「ソニアにプレゼントを作ろう」
『プレゼント?』
「キャラメルなら日持ちがするから。メルにお願いして、ソニアに渡してもらおうと思って」
『良いね。きっと喜ぶんじゃないかな』
「ねぇ、イリス」
『何?尻尾はないよ』
「違うよ」
イリスのしっぽを掴んだ時の、あの可愛い声がもう聞けないのは残念だけど。
「私って、そんなに寝相悪かった?」
『あー。小さい頃は酷かったっけ。治って良かったよね』
イリスが笑う。
※
「おはようございます、リリーシア様」
「おはようございます、ブリジットさん。……すみません、台所を勝手に使ってしまって」
ブリジットさんが微笑む。
「いいえ。滞在中は、どうぞ御自由にお使いください。とても良い匂いが致しますわ。そろそろパンが焼ける頃合いでしょうか」
「はい」
早起きしたから、朝食用のパンも焼いておいたのだ。
「お手伝い致しますね」
ブリジットさんがオーブンからパンを出す。
「可愛い丸パンですね」
初めて作ったパンは丸パンだったな。最初は上手く丸められなかったっけ。
「プレーンと、ハーブを練り込んだものと、くるみとレーズンを練り込んだものの三種類です」
キャラメル、そろそろ冷えて固まったかな。
「ブリジットさん、お願いがあるんですけど」
「なんでしょうか」
「キャラメルを切ってもらえませんか?私、包丁が苦手で……」
「まぁ」
ブリジットさんが少し驚いたような顔をした後、微笑む。
「では、御一緒に」
ええと……?
※
「美味しい」
大皿に乗ったケークサレを、メルが食べる。
「ブリジットさんに教えてもらったんだ」
「でも、メインは包丁の練習だったんでしょ?」
「うん」
キャラメルを無事に切り終わったら、今度は野菜を切る練習をして。一部は朝食のスープになったのだけど、それでも余った野菜を消費する為にケークサレを教わったのだ。
オルロワール家に着いたのは昼近い時間。
今日はアリシアとポリーも居るから、皆で少し早いランチを食べている。
「別に包丁の練習なんて必要ないじゃない。リリーって本当に流されやすいわ」
「良いじゃないか。包丁の扱いは上達したのか?」
「えっと……。野菜の皮は上手に剥けるようになったと思う」
「すごいじゃないか」
指を切ることもなかったし。少しは上達したよね。
「アリシアはすぐリリーを誉めるんだから」
「なぁに?メルも誉められたいの?」
ポリーがメルの頬をつつく。
「アリシア、私には怒ってばっかりなんだもん」
「誉める時は誉めているじゃないか」
「そんなことないよ」
『ちゃんと誉めてくれてるよ』
『この前だって、マリユスたちにちゃんとお礼を言ったことを誉めてたじゃないか』
「あっ、ポリー、それ私の!」
『本当に都合の悪いことは聞かないよね』
「同じ皿から取るのに文句言わないでよ」
『いつものことだよ』
「チーズがたくさん載ってるのが食べたかったのに!」
「早い者勝ちよ」
「ポリーのばか!」
「喧嘩をするな」
「メル、こっちにもあるよ」
チーズがたくさん載っているのを選んでメルに渡す。
チーズは生地にも練り込んだけれど、生地の上に載せたのも香ばしく焼けていて美味しい。
「ありがとう、リリー。……あーあ。イーシャが居てくれたら、皆揃ったのにね」
「イーシャは今居る場所を離れられないんだ。仕方ないだろう」
「あの山奥に行くのは大変だったわ」
イーシャは今、セルメアに居る。
辺境の孤児院で子供の世話をしているから、なかなか外出はできないらしいのだ。
「皆、イーシャに会ったの?」
「私とアリシアだけよ。リリーは行かなかったの」
「そうなんだ」
いつか会いに行けるかな。
「イーシャ、グラシアルに来てくれないかな」
「きっと会いに来てくれるさ。グラシアルが故郷であることに変わりはないのだから」
「そうだよね」
私たち姉妹の一番上。
緑の髪のディーリシア。
イレーヌさんが言ってたっけ。母親はクレアに違いないって。
「私の親って、グラシアルに居るのかな」
「親?」
「居るんじゃない?誰か知らないけど。でも、フェリシアはアリシアの伯母って言ってなかった?」
「それは……」
「え?アリシア、自分の親を知ってるの?」
自分の親を知っている人なんて居ないと思ってた。
「フェリシアって、最後の女王だよね」
「こら。最後の女王という言い方は語弊がある。国民に周知されていた女王の名はブランシュ。崩御したのはブランシュであり、フェリシアではない」
「一緒じゃないの?」
「違う。普段から言葉には気をつけるようにと……」
「説教は良いから、何を言いかけたのか教えてよ」
「私も聞きたい。どうして自分の親を知ってるの?」
「仕方ないな」
「やっぱりリリーに甘いんだから」
「メルは黙ってて」
「むぅ」
「そもそも、これは推測だ。銀髪は珍しいから自分の母親を絞り込めただけだよ」
「推測?」
「銀髪の女性で、私を出産した可能性のある女性はフェリシアと彼女だけ。女王の娘に選ばれたフェリシアは子供を産めない。だとすると、私の母親の可能性があるのは一人しか居ない」
「髪の色だけで探したの?親と全く関係ない容姿で生まれてくる子供だって居るじゃない」
「無関係ではないさ。親の面影を残さない子供などいない。髪の色や瞳の色が親の影響を受けない場合があると言うだけ。おそらくそれは精霊の祝福によるものだ。オルロワール家がそうだろう。オルロワール伯爵はコーラルアイ。御夫人は碧眼だが、マリーはピンクアイだ」
それは、光の精霊の祝福が濃い家系だから。
オルロワール家には、男性ならコーラルアイ、女性ならピンクアイの子供が生まれやすい。碧眼のこともあるらしいけれど。
「グラシアルで精霊の祝福を得る場合があるとすれば、氷の精霊だろう。私が銀髪であることが精霊の祝福を受けた結果とは考えにくい」
「じゃあ、父親は?」
「私の銀髪が父親譲りなら探すのは不可能。単純に、母親が銀髪なら探せると思って、母親候補を絞っただけだよ」
「そういうわけね。……その人、本当にアリシアの母親だったの?」
「聞きに行った時に、これを貰ったんだ」
アリシアが手のひらサイズの懐中時計を出す。
「時計?」
「これ、アリシアがいつも持ってるのだよね」
「中が開けるようになっているんだ」
アリシアがそう言って時計の裏を開くと、長い銀髪の女性が二人描かれた絵が現れる。
「これ……」
「こっちの人、アリシアそっくりだわ」
右側の女性の鼻筋や口元が。
「この人がアリシアのお母さんなの?」
「女王の命令で、親子関係を教えることは許されなかったんだ。だから、確認はとれていない」
階級による命令は絶対だったから。
この人は、母親だって名乗れない代わりに、これをアリシアに渡したんだよね。
「左がフェリシア?」
「そうだよ。兄弟関係は本人に教えられている情報なんだ。フェリシアと彼女が姉妹だということは、彼女が教えてくれたんだよ」
それで伯母ってわかったんだ。
誰も教えてくれてないってことは、私には兄弟は居ないのかな。
「今なら本当のことを教えてくれるんじゃないの?」
「あの頃は母親を恋しく思っていたが、今さら母娘関係を証明したいとは思わないよ。産んでくれたことには感謝しているが、私と彼女の間にそれ以外の接点はない。私を育てたのは彼女ではないし、私を女王の娘時代に支えてくれたのも別の人間だ。血が繋がっていようと他人と変わらないんだよ」
「私、お母さんが居るなら会いたいよ」
「……メル」
「黒髪なんて探せるわけないじゃない。名乗り出てもらったところで、本当にその人が母親だって証明する手立てはないのよ」
「アリシアみたいに、顔が似てるならわかるよ」
なんだかそれって、エルとレイリスみたい。
「私たちの親なら、もう四十前後じゃない。いくら似てる可能性があるからって、顔だけで探すのなんて無理よ」
「この絵は二人が十代の頃に描かれたものなんだ」
「え?じゃあ、フェリシアって実はおばさんなの?もっと若いと思ってた」
「失礼なことを言うんじゃない。彼女は封印魔法を使われていたから、肉体は即位した頃のままなんだよ」
「封印魔法?」
それって、レイリスが私の中の力を封印する為にかけている魔法と同じ?
「私も詳しくは知らないが。隔離と保存を目的とした魔法らしいな」
隔離と保存……。
氷に封じ込められていた、長い銀髪の女性を思い出す。
「ほら、メル。最後の一個ぐらいあげるわよ」
「食べる」
メルがポリーから貰ったケークサレを口に入れる。
そろそろ稽古に行こうかな。
あ。その前に。
「メル、お願いがあるんだ」
「何?」
「これをソニアに渡して欲しいの」
「良いよ。中身は何?」
「キャラメル。皆の分もあるよ」
三人に、包んでおいたキャラメルを渡す。
「ありがたいな。今日は何の味にしたんだ?」
「ミルクティーとショコラとフランボワーズの三種類だよ」
シナモンも作ったのだけど、あれは全部エルに渡す予定だ。
「美味しそうね。これ、メルに預けて大丈夫なの?ソニアの分も全部食べちゃうんじゃない?」
「そんなことしないよ!ちゃんとソニアに渡すから心配しないで」
「よろしくね、メル」
「ソニアもリリーのことを心配していたよ。きっと喜ぶだろう」
「あの、ソニアって今は……」
「城内に居た人々の職業訓練を行っているんだ。城外の常識を教えることから始めなければならないからな」
城内と城外って、結構違ったよね。
「もう少し落ち着いたら、ラングリオンにも来たいと言っていたよ」
ソニア、会いに来てくれるんだ。
「っていうか、ラングリオンに来てもリリーに会えるかわからないんじゃないの?」
「え?」
アリシアが苦笑する。
「そうだな。手紙を先に書くように言っておかないとな」
「どうして?」
「黄昏の魔法使いは神出鬼没で有名だからな」
神出鬼没……。それって、あちこち旅してるからだよね。
「リリーがエルと会えたのだって、エルがグラシアルに来てたからでしょ?どうせ大人しく王都に居ないんじゃないの」
そうなのかな。
エルが旅をする理由ってもうない気がするんだけど。
でも、旅は好きみたいだよね。




