71 甘い香りに包まれて
キャロルと一緒に隊長さんの家へ。ポリーは後からマリーと来る予定だ。
正門から入るのって初めてだよね。
「ロドリーグ!シメーヌ!」
キャロルがそう言って走って行った先に、大きな犬が二匹居る。
目が見えないぐらい、ふさふさの毛の犬だ。同じ犬種なのかな。
「紹介するわ。黒い立ち耳がロドリーグで、」
黒い方が一声吠える。
「アイボリーの垂れ耳がシメーヌよ」
今度はクリーム色の犬が吠える。
「リリーシアです」
『犬に挨拶してどうするんだよ』
二匹が吠えて、私の周りを走る。
手を出すと、ロドリーグが尻尾を振って鼻先を付けて来たので、その頭を撫でる。
可愛い。
今度はシメーヌが私の脇の下から顔を出す。
人懐っこい犬なのかな。
「リリー、会ったことあるの?」
「え?初めてだよ」
「リリーって犬に懐かれやすいのかしら。初めて会った人にこんなに懐くなんて」
『一度来たことがあるから憶えられてるんじゃないの?』
リックさんと一緒に通り抜けた時は、犬なんて居なかったと思うけど。
オルロワール家の裏口を通ったから、場所は同じはずだよね?
オルロワール家の正門を出ると遠回りになるらしいので、裏口を使わせてもらったのだ。エグドラ家に行く時も、ノイシュヴァイン家の外周をずっと歩くのは遠回りだったことを思い出す。
「ようこそ。キャロル様、リリーシア様」
屋敷の中から出て来たのは、メイドさん?
「こんにちは、ブリジット」
「お久しぶりですね、キャロル様。……リリーシア様、私はこのお屋敷を任されているブリジットと申します」
ブリジットさんが頭を下げたのに倣って、頭を下げる。
「はじめまして。リリーシアです」
「お伺いいたしております。どうぞ、こちらへ」
振り返ると、二匹の犬が行儀よく見送ってくれる。
『賢い犬だね』
「うん」
ブリジットさんに連れられて、キャロルと一緒に屋敷の中に入る。
広くて天井の高いロビー。
「あちらが食堂でございます」
ロビーからすぐ見える大きな扉がそうみたいだ。
「あの、台所を借りたいんですけど」
「はい。お伺いいたしております。オルロワール家より預かっている材料は、すでに台所に運んでおります」
「ありがとうございます」
「花はテーブルに飾ろうと思ってるのよ」
「はい。すでにお飾りしておりますよ」
「ありがとう。流石、ブリジットね」
「お褒め頂き光栄です。少し休まれますか?」
「私は大丈夫よ。リリーは?」
「大丈夫です」
「手が足りないようでしたらメイドを手配いたしますが、いかがいたしましょう」
「要らないわ。お菓子を作るだけだもの。エルはまだ来てないの?」
「いらっしゃっていませんね」
「もーぅ。遅いんだから」
オルロワール家に寄ったから、私たちの方が遅れたと思ったんだけどな。
「ルイス様とヴィルジニー様はご到着されていますよ。お二人とも書斎にいらっしゃいます」
ルイス、ジニーを迎えに行ってたんだ。
「書斎はロビーの階段を上った場所にございます」
ブリジットさんが上の方を示す。ロビーの階段を上ったところにある、二階のあの扉だ。
「では、台所にご案内いたします」
案内してくれるブリジットさんについて行く。
「このお屋敷で働いてるのって、ブリジットさんだけなんですか?」
「常時居るのは私一人ですよ。使っていない御部屋の方が多いですから。月に数回、清掃を頼むことがあるぐらいです」
リックさんと通って来た場所も使ってない場所なのかな。
メイドさんが一人ってことは、ここに住んでるのって隊長さんだけ?あ、今はファルとフランカさんが居るんだっけ。
『リリー、迷子にならないようにね』
ブリジットさんに迷惑はかけられない。
「今日って誰が来るのかな」
「オルロワール家とシュヴァイン家には連絡済みでございます」
マリーとシャルロさんも来るってことは、きっとカミーユさんも来て……。いっぱい集まるかもしれない?
「どれぐらいお菓子作れば良いかな」
「これから来るのは、ポリシアさんとマリー、シャルロ、カミーユね。他にも来るかもしれないけれど……。パーシィは三番隊が忙しいし、カーリーもお客さんが家に居るから来ないと思うわ」
エレインとイレーヌさんのことだよね。
「ポリシアさんが来るなら、アリシアさんも来るかしら」
『メルが置いてけぼりになったら怒るから、来ないんじゃない?』
メルはお姫様だから簡単に外出できないはずだ。
「アリシアはメルと一緒に居なくちゃいけないから、来ないんじゃないかな」
「残念ね」
『拗ねるだろうね』
お土産用のお菓子を包んでおこう。マリーとポリーに頼んだら渡してくれるよね。
「ケーキは二つが良いかな。三つが良いかな」
「三つで良いんじゃないかしら。余ったら、明日ユリアに持って行ってあげたら喜ぶと思うわ」
確かに。
カウントダウンの時にホールのタルトがあっという間に消えたのを思い出す。
「それなら、サブレもたくさん焼いて良いかな」
梨を煮ている間、サブレを焼こうと思って、材料は用意してあるのだ。
「フランカ様とファルクラム様もいらっしゃいますから、甘い物はいくらあっても大丈夫ですよ」
「フランカと……?リリーは知ってる?」
「うん」
「グリフレッド様が養子に引き取られた方で、現在、当家でお預かりしているお客様です」
グリフさんの養子だったんだ。
「私は会ったことないわ。小さい子なの?」
「誰が小さい、だよ」
「えっ」
「え?」
びっくりした……。
全然気配を感じなかった。
いつから後ろに居たんだろう?この廊下って一本道なのに。
「こちらがファルクラム様です」
「お前がキャロルか」
「まぁ。いきなり女の子にお前なんて失礼だわ」
「はぁ?何言ってるんだよ」
ブリジットさんが大きく咳払いをする。
「ファルクラム様。キャロル様のおっしゃる通りです。お客様には失礼のないように」
「私が挨拶を教えてあげるわ。はじめまして。キャロルです」
キャロルが丁寧に礼をする。
「俺はファルクラム。ファルで良いぜ」
ブリジットさんがファルの頭を押して、頭を下げさせる。
「よろしくね、ファル」
「よろしく」
「ファルクラム様。宿題は終わったのですか?」
「……終わったよ」
「宿題?」
「家庭教師を頼んでいるのです。お兄様のフランカ様はシャルロ様の元で秘書見習いをされていて、お暇そうですから」
「フランカはファルのお兄さんなの?」
「そうだよ」
「ファルクラム様、お二人のお手伝いをされてはいかがでしょう」
「えー?」
「いつも暇を持て余していらっしゃるようですから、丁度良いでしょう」
「俺、ナイフでリンゴの皮を剥くぐらいしか出来ないぞ」
「充分だわ」
それ、私より上手いってことだよね。
※
「おい、これってどんだけ混ぜれば良いんだよ」
「もう少しツヤが出て、硬くなるまでだよ」
「こんな力仕事なんて聞いてないぞ」
「え?そんなに力は要らないよ」
『リリーは鍛えてるからね』
「くっそー。重てぇ」
大変そうだ。
「続きは私がやるね」
ファルからボールを受け取って、メレンゲを泡立てる。
もう少しツヤが欲しいかな。
「すげー」
砂糖の配合が多いこのメレンゲは、メレンゲドールを作るのに向いている。けど、今日はお店でココナッツファインを見つけたから、ロッシェ・ココを作る予定だ。余った卵黄はアマンドサブレに混ぜて焼いているところだけど……。
「リリー、サブレが焼けたわ」
焼け色も綺麗で良い匂い。
「良い具合だね」
「ここに置くわね」
キャロルがテーブルの上にオーブンから出した鉄板を置く。
「美味そう!食べて良いか?」
「もう少し冷めてからじゃないと……」
「あっち!」
『あーぁ』
「すぐに冷やさなきゃ!」
「うわっ」
ボールを置いてファルの手を引き、火傷をした指を流水にさらす。
「この馬鹿力女!腕がもげるだろ!」
『リリー、気を付けなよ』
「ごめんなさい」
「ファルって小さくて軽そうだものね」
「うるせー。小さいって言うな。お前だって変らないだろ」
「私、あなたより背は高いわ」
「どこがだよ」
「まぁ。測ってみる?」
「おい、リリーシア。ちゃんと見ろよ」
二人が背中合わせに並ぶ。
『どんぐりの背比べだね』
火傷、大丈夫なのかな。
「どう?」
「どうなんだよ」
『どうなの?』
「えっと……。同じ?」
「そんなことないわ」
「そんなわけあるかよ」
二人とも、可愛い。
「笑い事じゃないのよ、リリー」
キャロルがこんなに子供っぽい事言うのなんて、珍しい。
「皆様、楽しそうですね」
「ブリジットさん」
「こちらの台をお借りしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
ブリジットさんが持って来た荷物を台に置く。すごい量だ。
「もしかして、エルが買ってきた材料?」
「はい」
「魚介がたくさんね」
「市場は午前で閉まっちゃうのに、どこで買い物して来たのかな」
「市場の売れ残りを買い取ったんじゃないかしら。売れ残りは宿や料理店に引き取ってもらうけれど、その前に行けば買えるはずよ」
「そうなんだ」
「閉まった市場に入れるのは商人ギルドの人だけだけど」
「商人ギルド?」
「エルはお店をやってるから商人ギルドにも入ってるのよ」
『相変わらず、顔が広いね』
エルは、冒険者ギルド、魔術師ギルド、商人ギルドに所属してるんだ。
職人ギルドや盗賊ギルドにも所属してる、なんてことはないよね?
「こんなに用意して、何を作るつもりなのかしら」
「え?お前たちが作るんじゃないのか?」
「私、料理なんてできないよ」
「エルに聞いてみないと解らないわ」
「あいつが料理するのか?」
「エルは料理が得意なのよ」
「魚が捌けるのなんてプロの料理人だけだと思ってたぜ」
「あら。私も捌けるわよ」
「捌けるの?」
「簡単なやり方ぐらいならできるわ」
『リリーだって、キャロルの魚料理ぐらい食べたことあるだろ』
そうだった。
「ファルクラム様はもう少し勉強が必要ですね」
「関係ないだろ」
「家庭教師の先生から出された宿題をやっていませんね?」
「げ。見て来たのかよ」
「さぁ、お部屋に戻りますよ」
「えー」
ブリジットさんがファルの服を掴んで引きずるように引っ張っていく。
「待って」
キャロルがサブレを一掴みハンカチに包んで、ファルに渡す。
「もう冷めてると思うわ」
「……ありがとう」
「どういたしまして。ロッシェ・ココが焼き上がるまでには戻って来てね」
「それ、俺が苦労して混ぜたんだから、全部食うなよ」
「ふふふ。待ってるわ。いってらっしゃい」
ファルを見送って、メレンゲ生地にココナッツファインを混ぜる。
『子供ってすぐに仲良くなるな』
さっきまで喧嘩してたはずなのにね。
「リリー、オーブンの温度、下げておくのよね?」
「うん。お願い」
これを絞り出して、オーブンで焼けば完成。焦げやすいからオーブンの手前に置いておこう。
「後は何を作るの?」
「ペッパルカーコルとショコラサブレを焼く予定だよ」
この二つはオーブンの奥で焼く予定だ。ロッシェ・ココの方が焼き上がりは、この二つの後になるかもしれない。
「ペッパルカーコル?初めて聞くわ。サブレなの?」
「そうだよ。サブレが全部焼き上がる頃には、梨のタルトタタンの準備も出来てると思う」
「リリーって手際が良いわ」
「え?」
そうかな。
『材料を上手く使ってるんだし、褒められて良いんじゃない?』
「ファルが戻って来るまで、私もたくさん勉強しなくっちゃ」
※
煮込んだ梨にブリゼ生地を乗せたものを三つ、オーブンに入れる。
「ひっくり返すまで出来が解らないなんて、ドキドキするわ」
「うん」
綺麗な焼き色が付きますように。
『にしても、たくさん作ったねー』
テーブルには焼いたサブレがたくさん並んでる。
スパイスの効いたペッパルカーコルにメレンゲサブレのロッシェ・ココ。ブリゼ生地に使った余りのアーモンドプードルを使ったアマンドサブレと、チョコを混ぜ込んだショコラサブレ。
やっぱり、誰かとお菓子を作るのって楽しい。
「エルったら何をしてるのかしら。ファルも戻って来ないわ」
「そうだね」
「ひと段落ついたし、私、ルイスとジニーにお菓子を持って行こうかしら。アマンドサブレとショコラサブレを持って行くわ」
「私もメルとアリシアのお土産に包んであげよう」
ペッパルカーコルはグラシアルではメジャーなお菓子だから、甘いサブレの方が喜んでくれるかな。
キャロルと一緒にサブレを包んでいると、台所にエルが顔を出す。
「エル」
「エル」
あれ?眉をしかめて口元を抑えてる?
!
「あ、待ってて」
「手伝うわ」
慌てて窓を開くと、少し涼しくなった空気が部屋に入って来る。
この部屋、甘い匂いが充満してるに違いない。
「あの、大丈夫?」
エルが口元を抑えたまま、周りを見る。
大丈夫じゃなさそうだよね。
「リリー、キャロル、伏せてくれないか」
「え?」
「うん」
キャロルの肩を抱いて、その場に伏せる。
「何をするのかしら」
「うーん?」
何するんだろう?
『解らないの?』
キャロルがくすくす笑う。
「リリーって素敵ね」
どういう意味?
頬に風を感じて、周囲を見回す。
窓から入ったわけじゃない優しい風。
もしかして、風の魔法?
こんなことも出来るなんて。
『おー。エルも風の扱いが上手くなったねー』
「ありがとう」
ジオが褒めてる。
難しい事なんだ。
「もう良い?」
「あぁ。良いよ」
キャロルと一緒に立ち上がって、深呼吸する。
新鮮な空気だ。
「今のも魔法なの?」
「そうだよ」
「空気の入れ替えが出来るなんて、魔法って本当に便利ね」
使い方次第だよね。
「エル、ファルに会った?」
「フランカの所に居るよ」
「お兄さん、帰ってたのね」
「あぁ」
宿題が終わって、ゆっくりしてるのかな。
「じゃあ、私、サブレをルイスとジニーに届けて来るわ」
「うん。いってらっしゃい」
キャロルが台所から出て行く。
台所も片付いているし、エルが料理をするなら丁度良いタイミングだったかもしれない。
「食べて良い?」
「これがお勧めだよ」
エルが、渡したサブレを食べる。
あ、その顔。美味しかったんだ。
「美味い」
良かった。
「これが、ペッパルカーコル?」
え?
「知ってるの?」
「前に、作ってくれるって言ってただろ?」
「言ったけど……」
一回しか言ったことないのに、覚えててくれたんだ。
エルがもう一枚ペッパルカーコルを食べながら、私に瓶を渡す。
なんだろう?蜂蜜?
「オランジュミエル。エミリーからだ。フレッシュクリームに混ぜて使うと良いって言ってたぜ」
「そっか。あれって、香りの良いミエルを使ってたんだ」
これって、すごいヒントだ。
スコーンのクリームに使われてた秘密の材料の一つに違いない。
残りの材料や配合は解らないけれど、クリームにミエルを混ぜたものがベースだったんだ。
『エルってリリーのお菓子が好きなのね』
エルがサブレを食べてる。
こんなにお菓子を食べてるところ見るのって、珍しいかも。
「菓子作りは終わったのか?」
「ケーキは今焼いてるところだよ。ヴィアリさんに聞いたタルトタタンの林檎をポワールに変えてみたんだ」
そうだ。
「せっかくだから、添え物のフレッシュクリームにオランジュミエルを使ってみるよ。きっと美味しいと思う」
何が足りないかは味見しながら考えて行こう。この蜂蜜って、ミエルの専門店に売ってるのかな。
「じゃあ、夕飯の支度手伝ってくれないか?」
「えっ?私、その……」
エルみたいに料理を作れる自信がない。包丁だって……。
「これを作って欲しいんだ」
エルからレシピを受け取る。
これもエミリーさんのレシピみたいだ。
パンかな。……大きく丸く伸ばす?
「ソースは俺が作るよ。ピッツァの台を作って欲しいんだ」
これ、ピッツァの生地なんだ。
エミリーさんって博識。
「これなら手伝えると思う」
「なら、頼んだぜ」
ってことは……。
「この魚介って、ピッツァに載せる具だったの?」
ブリジットさんが持ってきた、たくさんの魚介。
「そうだな。魚介を載せても良いか」
「え?別の材料だったの?」
「ピッツァには、あまり具を載せ過ぎるなって言われてるんだ。これはアクアパッツァの材料」
「アクアパッツァ?」
「魚のスープだよ。美味しそうな魚が手に入ったからさ」
「これ、全部使うの?」
「そうだよ」
この魚全部なんて、すごく豪華なスープだよね。
エルが魚の尻尾を掴んで持ち上げると……。
「!」
目が合った!
「いま、うごいた?」
「活きが良いからな」
魚って水中に居なくても動くの?
活きが良いって、生きてるってこと?
魚って新鮮じゃないといけないって言うけど……。
『大丈夫か?』
『苦手なものが多いんだねー』
『見たことないだけだよ』
見たことぐらいあるけど……。
こういうのは……。
「ただいまー」
「おかえり、キャロル」
キャロルが戻って来た。
「リリー、どうしたの?」
「ピッツァの生地、作れるか?」
私も料理を勉強しなくちゃ。
「大丈夫。まかせて」
……大丈夫。美味しくなるから。




