02 初心者は形から
目が覚めて、体を起こす。
『おはよう、リリー』
「イリス。おはよう」
『早起きだね』
「早起き?」
『だって、まだ陽が昇ったばかりだよ』
そっか。
ベッドから出る。
『起きるの?』
「うん。キャロルの手伝いをするよ」
『ボクも行くよ』
イリスは優しい。
エルの精霊なんだから、私の心配なんてしなくても良いのに。
着替えを済ませて部屋を出る。
せっかくウォルカさんのショコラをもらったんだから、ショコラのパンを焼こうかな。
それから、エルにコーヒーのパンを焼こう。
※
「おはよう、リリー」
パンの一次発酵中。オーブンの準備をして、台所にあったお菓子の本を読んでいると、キャロルが起きてきた。
「おはよう、キャロル」
『相変わらず規則正しいよね。エルの子供って』
キャロルは、ふわふわの茶色い髪に翡翠の瞳の可愛い女の子だ。
「早起きね、リリー。何のパン?」
「コーヒーのパンとショコラのパン。コーヒーの方はシナモンロールにしようと思ってるんだ」
「わぁ、美味しそう」
キャロルが発酵中のパンを指で突く。
「もう少しかかりそうね」
「うん」
「ね、リリー、ちょっと私の部屋に来ない?」
「良いよ」
手を引かれて、キャロルの部屋へ行く。
キャロルの部屋は可愛い。
『すごい部屋だよね』
天井部分が丸くて可愛いクローゼットと、同じデザインの衣装箪笥。
細い足のドレッサーも鏡の周囲に散りばめられたビーズの装飾が素敵だ。
天蓋付きのベッドだってお姫様みたい。
「どれにしようかな……。ねぇ、リリー。水色とオレンジ、どっちにしようか」
「え?」
キャロルが出したのは、明らかにキャロルのサイズより大きいワンピースだ。
「リリーは女の子なんだから、もっとこういうの着たら良いわ」
『どうせリュヌリアンがないんだから、大人しくスカートを着たら良いんじゃない?』
それとこれとは関係ないよ。
「どうして、私の服がこんなにあるの?」
「マリーが置いて行ったの。リリーは絶対自分じゃ着ないから、機会を見て着せてって頼まれるのよ」
酷いよ、マリー。
「ね、どっちにする?」
どうしよう。
『水色は?』
「じゃあ、水色」
水色のワンピースに着替えて、鏡の前に立つ。
『似合ってるじゃん』
「可愛いわ」
そうかな……。
あれ?
イリスと、鏡の中に映ってるはずのイリスを見比べる。
『何?』
「えっと……」
精霊って、鏡に映らないの?
「サイズもぴったりね」
サイズ?
そういえば、全然気にしてなかったけど。
「どうして?」
「リリーは、ジーナのお店に行ったんでしょ?」
「うん」
前にマリーと一緒に行ったお店だ。
「その時に、リリーのサイズ計ってると思うわ」
計測されてたのかな。全然、そんな覚えはないんだけど。
でも、あの時買ってもらった服は、サイズがぴったりに直されてたっけ。
「このエプロンも使ってね」
真っ白くて、裾にフリルがついたエプロンだ。
「可愛い」
キャロルが出したエプロンを身に着ける。
「リリー、可愛いわ。マリーにも見せてあげたいぐらい!エルも喜ぶと思うわ」
「そうかな」
「そうよ」
『リリーが可愛い服着たら、いつも喜ぶだろ』
喜んでるのかな。あれ。可愛いって言う気はするけど……。
鏡を見る。
似合ってるかな。
こんな可愛い服、私に似合ってるようには見えないけど……。
※
台所に戻って、パン作りの続きをする。
コーヒーのパン生地を広げてシナモンをまぶして巻き、スケッパーで切る。
胡桃とオランジュピールを練り込んだショコラのパンは、一つずつ同じ大きさに丸めて、スケッパーで切り込みを三か所入れる。
二次発酵が済んだら焼こう。
上手く出来ると良いな。
布をかぶせて、キャロルの方を見る。
朝食のスープを作ってるみたいだ。
「何か手伝う?」
「これ切ってもらえる?」
茄子?
『大丈夫?』
「えっと……。包丁は苦手なの」
「教えてあげる。見てて。こうやって、同じ大きさになるように……」
キャロルが器用に包丁で茄子を切っていく。
結構、細かく切るみたいだ。
ヘタを落としてから、縦に切って……?
「続きをお願いできる?」
出来るかな。
「うん」
キャロルが縦半分に切った茄子に包丁を入れる。
あれ?これじゃ、ちょっと違う?
厚さが……。
『リリー、落ち着きなよ』
ええと、これじゃ変わっちゃうから、もう一回切って、ええと……。こうじゃなくって?あれ?
「あっ」
指を切った。
『あーぁ』
「大丈夫?リリー」
「うん」
切った親指を口にくわえる。
「薬取って来るから待ってて」
止める間もなく、キャロルが走って行った。
薬を使うまでもないと思うんだけど。
『大丈夫?リリー』
「うん」
キャロルを追って廊下に出たところで、ルイスと会う。
「おはよう、ルイス」
キャロルと同じ茶色い髪の男の子が、翡翠の瞳で私の顔を見る。
「おはよう、リリーシア。……指、怪我でもしたの?」
ルイスは年下だって思えないぐらい、いつも落ちついた子だ。
「うん」
キャロルが薬を持って戻ってくる。
「おはよう、ルイス」
「おはよう、キャロル。リリーシア、指、見せて」
キャロルから薬を受け取ったルイスが、私の指に薬を塗る。
薬を塗った箇所は、すぐに血が止まって傷が塞がった。
うっすらと傷跡だけが残る。
「傷が深いね。強くぶつけると開くかもしれないから気を付けて」
「うん」
「すぐ綺麗に治るよ」
「ありがとう」
「何か手伝う?」
キャロルと顔を見合わせる。
「大丈夫よ」
「大丈夫」
「そう」
ルイスが研究室に向かうのを見送って、キャロルと台所に戻る。
「リリー、親指はなるべく手の中に隠した方が良いのよ」
そう言って、キャロルが親指を内側にして食材を押える。
「こうすると、怪我しにくいわ」
キャロルのやってる通りにやってみる。
こういう細かい動きは、難しい。
神経を使う。
「あ」
今度は人差し指を切った。
「待って、薬を塗るわ」
作業を中断して、キャロルが私の指に薬を塗る。
「ごめんね、キャロル」
「大丈夫。私も、良く怪我してたもの。さぁ、煮込みましょう」
「え?」
切った茄子を、キャロルが全部鍋に入れる。
「良いの?全然ちゃんと切れてないよ?」
「大丈夫よ。スープなんて煮込めば全部一緒だわ」
そうかな……。
『リリー、そろそろパンを焼いたら?』
「うん」
良い感じに膨らんだパン生地をオーブンの中に入れる。
「リリーのパンって美味しいから楽しみ」
「ありがとう」
料理も上手くなれたら良いんだけどな。
※
朝食が出来上がってエルを起こしに行く。
『良く寝てるねー』
「エル、起きて?」
「ん……」
エルの頬をつつくと、エルが目を開く。
「おはよう、リリー」
「おはよう、エル。朝食出来たよ」
欠伸をしながら起き上がったエルが、寝ぼけた顔で私を見る。
「エプロン?」
寝起きの少し低い声でそう言って、エルが首を傾げる。
「うん」
私がエプロンつけてるなんて珍しいよね。
フリルが可愛いから、エプロンの両端を持って広げて見せる。
「似合ってる」
「え?あの、」
「可愛いよ」
エルは、いつもそう。
急に、そういうことを言う。
「すぐ、からかうんだから」
だから、困る。
可愛いって言われるのはすごく嬉しいんだけど……。
そんなこと、私が言われても良いのかわからない。
ドキドキして、何て言ったら良いのか……。
「リリー、ちょっと来い」
そう言ったエルの方が私に近づいて、両手を掴まれた。
「怪我した?」
「どうしてわかったの?」
「傷跡がある」
どうして見えちゃったんだろう。
「包丁で切っちゃったの。薬をつけたから大丈夫だよ。もう少し、上手くなるように頑張るから」
せめて、怪我をしないようにならなきゃ。
エルはすぐ心配するから。
「先に行ってるね」
「あぁ」
※
「おはよう」
食事がすっかり終わって食器を片づけている所で、ようやくエルが台所に顔を出した。
「おはよう、エル。お寝坊さんね」
スープ、まだ温かいかな。
「おはよう。遅いよ、エル。もう食べ終わっちゃった」
「悪かったな」
スープをよそって、席に着いたエルの前に朝食を並べる。
ちゃんと食べてくれると良いけど。
エルがスープに口をつける。
……だめ。反応が怖い。
キャロルの隣に並ぶ。
「手伝うよ」
「うん」
キャロルが洗っている食器を拭く。
「洗い物が終わったら礼拝堂に出かけなくちゃ」
「もう行くの?」
「えぇ。色々やることがあるのよ」
ルイスとキャロルは、今年も礼拝堂前の広場で食べ物を配るボランティアに参加する。ミラベルのタルトは礼拝堂に持って行けば配ってくれるらしいから、これから作る予定だ。
「夜中まであるんだよね?眠くならない?」
「大丈夫よ。礼拝堂に、ボランティアが休んで良い部屋があるから」
「そっか」
良かった。
年末年始の礼拝堂は、守備隊の拠点となって、怪我人を受け入れたり迷子を預かったりする場所になるらしい。だから、いつもみたいに自由に出入りは出来ないのだけど。ボランティアが休む部屋は、ちゃんとあるみたいだ。
※
「じゃあ、エル、リリー、いってきます」
「いってきます。戸締り宜しくね」
「あぁ。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい、ルイス、キャロル」
ルイスとキャロルを見送って、エルの隣に座る。
「あの、どうだった?」
「ん?……美味いよ。どっちのパンも。コーヒーとシナモンって合うんだな」
良かった。コーヒーシナモンロール、喜んでもらえたみたいだ。
「あの、スープは?」
「野菜切ったの、リリーだろ」
「うん」
やっぱりわかるよね。
「無理に同じ厚さを目指さなくても良いよ。同じぐらいの大きさなら火の通りは一緒だ」
「うん。もう少し、上手く包丁を使えるようになるから」
「使っていれば、そのうち慣れる」
「頑張るね」
何事も鍛錬あるのみ。
「コーヒー淹れるね」
サイフォンを用意していると、エルが魔法でランプに火を灯す。
「ありがとう」
挽いたコーヒー豆をセットして、水が沸騰するのを待つ。
「リリー、ケーキを焼いてほしいんだけど」
「ケーキ?ガレットデリュヌじゃなくて?」
「ヴィエルジュの十五日はキャロルの誕生日。バロンスの九日は、ルイスの誕生日なんだ」
「誕生日ケーキだね。わかった。どんなのが良いかな」
「キャロルはマロン、ルイスはポワールのケーキを買ってるな」
「栗と梨?」
「あぁ」
二人が好きな食べ物なのかな。
「毎年、お祝いしてるんだね」
「親なんだから、それぐらいするよ」
カウントダウンには居なくても、ガレットデリュヌを食べる時と二人の誕生日には居てあげるんだ。
甘いもの嫌いなのに、そういうところはちゃんとしてるんだな。
それって、すごくエルらしい。