48 美味しいものならいくらでも
朝になったけれど。
寝る前と何も変わってない。
隣のベッドは使われたような痕跡は一切ないし、エイルリオンもそのまま。
レイリスも部屋に居ないみたいだけど……?
着替えて、窓から顔を出す。
「レイリス?」
『ん?起きたか』
やっぱり屋根の上に居るんだ。
朝陽で透けてる。顕現してない。
「ずっと外に居たの?」
『俺は精霊だぞ。何でもかんでも人間と同じ感覚で言うなよ』
こんなに人間みたいなのに。
「アレクさんは?」
『戻らなかったみたいだな』
「何かあったのかな」
『あいつのことは心配するだけ無駄だ』
ちょっと出かけて来るとしか言ってなかったと思うけど……。
ちょっとじゃないよね?
でも、レイリスがここに居るってことは大丈夫なのかな。
『エイルリオンはエルが到着したら回収するから、エルが来るまで宿から出るなよ』
「宿に居なきゃだめ?」
『留守中にエイルリオンを見られても知らないぞ。あれが誰の剣だって聞かれたら、何て答えるつもりだ?』
「えっと……」
『リリーは一人にしておくと、どこに行くかわからないからな』
もしかして、アレクさんがエイルリオンを置いて行ったのは、エルと合流するまで、私が宿から出ないように?
※
レストランに行くと、良い匂いがする。
お客さんは誰も居ないけど、厨房に昨日のメイドさんが居た。
「おはようございます」
「おはようございます。タルトタタンを焼いたんです。お召し上がりになりますか?」
「わぁ、美味しそう。食べたいです」
「少し冷ましてから型から外しますので、少々お待ち下さいね。……何か軽いものもご用意いたしますか?」
「はい。お願いします」
カウンター席に座ると、メイドさんがサラダを出してくれる。
「どうぞ」
林檎の入ったサラダだ。
「美味しい」
このドレッシング、林檎にすごく合う。
「本当に林檎の村なんですね」
「えぇ。そうですよ」
あれ?厨房に居るのはメイドさんだけ。女将さんも居ないのかな?
「女将さんは?」
「この村は旅の方がいらっしゃることは滅多にありませんから。復興の為に、村人のほとんどは果樹園で仕事をしているんです」
「そうなんだ」
大変なんだな。
「この村について、どのぐらい御存知ですか?」
「えっと……。新しい村なんだよね?土砂崩れで村がなくなっちゃったけど、奇跡的に誰も死ななかったってシュヴァリエが言っていたよ」
「えぇ。その通りです」
「みんな無事で良かった」
「はい。……お連れ様は、昨夜は帰られなかったようですが」
「うん。どこに行ったんだろう」
レイリスも教えてくれなかった。
何か調べてるのかな。
「ご心配じゃないんですか?」
目の前にコーヒーが置かれる。
「大丈夫だと思う」
あったかい。
「山に恐ろしい亜精霊が出るという噂がありますが」
「亜精霊って……、蜘蛛の?」
「御存知でしたか」
「うん」
「冒険者の多くが恐れて逃げ出すと言われています」
アレクさん、土砂崩れを見に行ったの?
でも、また亜精霊に会ったとしても、絶対負けないと思う。
「大丈夫。すごく強い人だから」
「そんなにお強い方なんですか」
「うん。たぶん、私が知ってる中で一番強い人だよ」
隊長さんにも勝ったって言っていたから。
「そろそろタルトタタンをご用意しましょうか」
型をひっくり返して出したタルトタタンを、メイドさんが見せてくれる。
「良い匂い」
林檎がたくさん入ってる。少し冷ましてから型から抜かないと、きっとこの林檎が崩れ落ちてきちゃうんだろうな。
「今、切り分けるのでお待ちくださいね」
メイドさんが淹れたてのコーヒーと一緒に、切り分けたタルトタタンを私の前に置く。
「いただきます」
林檎がたっぷり入ったタルトタタン。少し焦げたキャラメルの苦みに、甘酸っぱい林檎の味と、香ばしい林檎とバターの香りが混ざり合って、口中に広がる。
この味……!
「すっごく美味しいです。レシピ教えてもらえませんか?」
「え?レシピですか?特別なことは何もしていませんよ」
「こんなに美味しい林檎のケーキ、初めてです。キャラメルの部分がすごく美味しい。焼き色も、とっても綺麗。林檎の食感も丁度良いです」
「そんなに喜んでいただけたのでしたら光栄です」
「私の好きな人も、きっと好きだと思うんだ」
「それは、御一緒にいらっしゃった方ですか?」
「違うよ。今日、ここに来る予定の人」
「そうなんですか?……では、お連れ様の為に一緒に焼きましょうか?」
「え?良いの?」
「材料なら揃っていますから」
「作りたい」
「では、朝食がお済みになりましたら、一緒に作りましょう」
「うん。ありがとう」
ほんとうに美味しい。このタルト。
帰ったら、キャロルと一緒に作ろう。
コーヒーにも良く合うし。
エル、今どの辺りに居るのかな。
お菓子を作り終わる頃には、きっと来てくれるよね。
※
メイドさんと一緒に何とかリンゴの皮をむいて、半分を四等分に、半分を六等分に切る。
「林檎は酸味の強いものを使うと美味しいんですよ」
メイドさんが差し出した林檎を食べる。
「酸っぱい……」
「どこでも手に入る林檎ですよ」
果物屋さんで買う時に詳しく聞いてみよう。
「砂糖をまぶして、しばらく置いておきましょう」
切った林檎をメイドさんがボールに入れて、砂糖をまぶす。
「アップルパイに入れる煮林檎と同じ?」
「そう変わらないと思いますが、最初にバターと砂糖を溶かしておいて、その中に切った林檎を敷き詰めて、林檎から出た水分も入れて、一緒に煮るんです。水分が減り、林檎が透き通るまで煮込んだら、パイ生地を乗せてそのままオーブンに入れて焼くんですよ」
「それで、表面にあんなに綺麗な焼き色がつくの?」
「えぇ。後は……。そうですね。私は、オーブンに入れる前に、カルヴァドスで林檎をフランベしていますよ」
「フランベか……。それであんなに香りが付くんだね」
「では、ブリゼを作りましょうか」
ブリゼってパイ生地の一種だよね。
「はい」
「名前、なんて言うんですか?」
「名前?」
「私はリリーシア」
「リリーシア様ですか」
「リリーでいいよ」
「では、リリー様。私の名前はヴィアリと申します」
「この村って、あまり人が来ないんですか?」
「そうですね。まだ復興の途中で旅の方を御出迎えする準備は整っておりませんから」
「こんなにたくさんお菓子を作っても大丈夫?」
ヴィアリさんが笑う。
「レストランを利用してくれる人は多いんですよ。昨日、夜に店に居たのは、シュヴァリエ様とリリー様以外は、全員村の住人です」
「そっか」
そういえば、夕食を食べてる時には人が結構居たよね。
「シュヴァリエ様は、有名な騎士様なのでしょうか」
「えっと……。騎士なんだけど……」
たぶん、ラングリオンで一番有名な騎士なんだけど。なんて言ったら良いのかな。
こういう時、イリスが居てくれると良いんだけど。
「お名前は、おそらく偽名ではありませんか?」
「え?どうして?」
「騎士様でしたら、余計にこの御名前を付けないのではないかと思いまして」
シュヴァリエって、ラングリオンの古い言葉で騎士だもんね。
「本名はご存知ですか?」
「えっと……。シュヴァリエって呼ぶように言われたんだ」
ヴィアリさんが驚いた顔をして、くすくす笑う。
「嘘を吐けない方なんですね」
「えっ?あの……、ごめんなさい。本名は本当に言えないの」
「いいえ。きっと高貴な方なのでしょう。リリー様がお待ちになってる方も、騎士様ですか?」
「エルは騎士じゃないよ」
「そうなんですか?」
「うん。王都で薬屋をやっているの」
「薬屋?」
「久しぶりに会うから楽しみなんだ」
エル、元気にしてるかな。
ヴィアリさんが言った通り、キャラメリゼした林檎をカルヴァドスでフランベして、そこにブレゼを乗せて、オーブンに入れる。
焼いている間、タルトタタンのレシピをメモに書いて、美味しい林檎ジャムの作り方を教えてもらった。
帰ったらキャロルと一緒に作ろう。
「そろそろオーブンから出しましょうか」
そう言って、ヴィアリさんが鍋つかみを持って、オーブンからフライパンを……。
「あっ」
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
何もなかったかのように、ヴィアリさんがフライパンをオーブンから出し、その後で右手を水にさらす。
近くに行ってみてみると、人差し指に火傷の痕が出来てる。
「大丈夫?」
「えぇ。すぐに治りますよ」
水ぶくれになってる。きっと、すごく痛かったと思うんだけど……。
「待って、薬があるんだ」
荷物の中を探して、火傷の薬を出す。
「エルの作った薬は良く効くんだよ。手を貸して」
ヴィアリさんが差し出した右手の火傷の痕に薬を塗る。
「すぐに良くなるよ。ガーゼをしておく?」
「いえ、大丈夫です」
「でも……」
「どうしても治らなかったら、後でつけますよ」
「じゃあ、この薬、あげるね」
「とんでもない」
「レシピを教えてもらったお礼。受け取って」
「……ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」
「何か手伝う?」
「いいえ。タルトタタンは少し冷ましてからひっくり返さないといけませんから、もうしばらくお待ちくださいね」
「なんだ、誰も居ないのか?ここ」
急に声が聞こえて、ヴィアリさんと一緒に、カウンターからレストランを見る。
お客さんかな?
「いらっしゃいませ」
あ!
「エル!」
「リリー」
エルの瞳が紅色じゃない。まだ目薬を使わなきゃいけないのかな。
ヴィアリさんと一緒に厨房から出ると、エルと一緒に、知らない男の人が居た。さっきの声はこの人だろう。
「なんだよ、連れって女だったのか」
「そうだよ。リリー、遅くなってごめん」
「大丈夫。今、タルトタタンを教えてもらってたんだ」
「これ、もらうぞ」
エルが私の背中を指さす。
そうだった。
背負っているリュヌリアンをエルに渡す。
もともと、これをエルに届ける約束だったっけ。
そういえば、アレクさんの盾って、シールが持ったままだ。エルに渡さなくて良かったのかな?
「あのね、シュヴァリエが帰らないの」
「先に帰ったよ」
「帰った?」
あ。エルが腰に差してる剣。アレクさんが持ってたのだ。
「会ったの?」
「あぁ。昨日の夜に」
「そうなんだ」
アレクさん、エルに会いに行ったの?
一緒に連れて行ってくれても良かったのに。ひどい。
『アレクは急いで戻らなくちゃいけない用事があったんだから仕方ないだろ』
でも……。
「リリーちゃんって言うのか?俺の名前はブルース。よろしくな」
ブルースさんに手を差し伸べようと思ったところで、エルがブルースさんの手を叩く。
「触るな」
「なんだよ、挨拶ぐらい礼儀だろ?っていうか、シュヴァリエって誰だ?」
「お前に関係ないだろ」
「あの、お客様。シュヴァリエ様から、ポム・プリゾニエールを用意するように承っております。代金は既に頂いているのですが……」
「それは俺がもらう約束なんだ」
アレクさん、エルの為に注文して行ったんだ。
「そうでしたか。では、後でお部屋にお届けいたしますね。そちらのお客様もご宿泊でしょうか」
「俺はもう少し周辺を見て決める。何もなければ、まっすぐ帰るからな」
「かしこまりました。宿もレストランも、村ではこちらのみとなっております。大したおもてなしもできませんが、御休憩の際にはこちらをご利用ください」
「本当に何もない村だなー」
そうだ。そろそろ冷めたかな。
「エル、タルトタタン食べる?」
「あぁ。食べたい」
「用意するから待ってて」
「リリー様、私が、」
厨房に戻ると、ヴィアリさんが後からついて来る。
「だめだよ。火傷をしてるのに。もう、ひっくり返しても大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ」
「やっても良い?」
ヴィアリさんが笑って、お皿を出してくれる。
お皿をフライパンに付けて、一気にひっくり返す。
どうか、綺麗に出来ていますように。
ゆっくりとフライパンを持ち上げると、綺麗にキャラメリゼされたタルトタタンが出て来た。
「綺麗な出来上がりですね」
「良かった」
「では、切り分けましょう」
「火傷は大丈夫?」
「はい。コーヒーもお淹れ致しますので、リリー様は、お席でお待ちください」
「もう少し何か手伝うよ。……そうだ、切ったタルトタタンは私が運ぶよ」
「そうですね。では、お願いいたします」
ヴィアリさんが切り分けたタルトタタンをお皿に乗せて、持って行く。
「お待たせ」
厨房側からカウンターにタルトタタンを置くと、カウンター席に着いたブルースさんがタルトタタンにフォークを刺す。
「コーヒーは今、メイドさんが持って来てくれます」
「美味い!」
良かった。
「流石、林檎の村だな」
厨房を出て、エルと一緒にカウンター席に座る。
「いただきます」
大丈夫かな。エルが林檎を口に入れる様子を見守る。
「美味いな」
「本当?」
嬉しい。
「あぁ。美味しいよ」
「香りもすごく良くて、そんなに甘くなくて。林檎の食感も絶妙で、きっとエルも好きだと思ったんだ」
エルが微笑む。
「ありがとう、リリー。すごく好きだよ」
「良かった」
気に入ってくれたんだ。
「リリーも食べたらどうだ?」
「うん。いただきます」
やっぱり、焼き立てが美味しいよね。
エルも気に入ってくれたし、また挑戦してみよう。
「お待たせいたしました」
ヴィアリさんがそう言って、右手でトレイを持って、左手でコーヒーを並べる。
やっぱり痛いのかな。
「この宿で働いてるのって、一人だけなのか?」
「いいえ。女将もおりますが、果樹園の手伝いに行っています。夕刻までには戻りますよ」
皆、居ないみたいだよね。
「村長も?」
「はい。何か御用でしたか?」
「ブルースが立札をぶっ壊したんだよ」
「こら、言うなよ」
「立札?」
立札なんて、ここに来る途中にあったかな?
「分かれ道にあった立札だよ」
分かれ道って……。どこだろう。村までは真っ直ぐだった気がするけど。
「こいつと戦ってる最中に、ぶっ壊しちまってさ」
「立札のことでしたら、わざわざ村長に謝りに行かなくても大丈夫ですよ。しょっちゅう壊されていますから」
「しょっちゅう?」
「はい。土砂崩れの辺りに恐ろしい亜精霊が出るという話しはご存知ですか?」
「亜精霊?」
亜精霊って。昨日の……。
「危険を知らせるために通行止めにしているのですが、何故かあちらに向かう冒険者の方が多くて。亜精霊から逃げる冒険者が、逃げる途中で立札を壊していくそうなのです」
上半身は綺麗な女の人なのに。
下は、六本足の……。
コーヒーを一口飲む。
「大丈夫か?リリー」
だめ。考えないようにしよう。
「うん」
「なんだ。お嬢ちゃんは亜精霊が怖いのか?」
あの蜘蛛は、怖いと思う。
エルはどうなんだろう。
あんまり苦手なものはなさそうだけど。
『誰か来た』
エルと一緒に振り返ると、宿の扉が開いてお客さんが入ってくる。
「いらっしゃいませ」
「空いてるか?」
今日はお客さん、多い日なのかな。
「はい。四名様ですか?」
「そうだ。……こんにちは。何食べてるんですか?」
「タルトタタンだよ」
「美味いぜ。お前たちも食ってみたらどうだ?」
「それは是非」
「良い匂いの正体はこれか」
「この辺の名物だっけ?」
名物なんだ。
「エル。まだ食ってるのかよ。早く行こうぜ」
「俺はお前の仲間になった覚えはないぞ」
エル、また知らない人に気に入られたんだ。
「メイドさん、タルトタタンは、いくらだい?」
「いえ、これはお客様と一緒に作ったものですので、お代は結構です」
「それじゃあ、コーヒー代ぐらいは置いて行くぜ。じゃあな、お二人さん。また会おうぜ」
「じゃあな」




