45 無花果
朝。
支度を整えて隣の部屋に行くと、アレクさんもレシェフも居ない。
というか、この続き部屋。明らかに私が使っていた方が主賓室だ。アレクさんが使ってた方って、従者の人が泊まる場所なんじゃないのかな……。
「どこに行ったんだろう」
『あんまり出歩いて迷子になるなよ』
「大丈夫だよ」
部屋を出て、廊下を歩く。
兵士の詰所って言ってたよね。
あ。良い匂いがする。
扉を開くと、何人かが食事を摂ってる。食堂かな。
「おはようございます」
声をかけると、全員が一斉にこちらを見る。
「おはようございます。今、朝食を用意するので座って頂けますか」
「えっと……。何か手伝います」
「いえいえ。お客様ですから座っていて下さい」
「大したものはないですが、果物は美味しいですよ」
勧められるままに席に着く。
「あの、アレクさんは……」
『お前、ちょっとは言い方に気をつけられないのかよ』
「あっ、えっと、アレクシス様は?」
食堂に居た人たちが笑う。
「大丈夫ですよ。殿下は気を許した方にしか名前を呼ばせませんから」
「散歩に行かれてると思いますよ」
「散歩?」
「昔はよくこの辺りで遊ばれていましたから」
「え?」
「幼少期は、良くこちらにおいでになっていたんです。乗馬の稽古も、東の砦でされていましたね」
東の砦?
えっと……。
ここが西の兵士の詰所だから、セズディセット山の麓の砦のことかな。
「グリフレッドはご存知ですか?」
「はい」
ここに来る前に会った人だ。常盤のグリフレッド。
「彼は殿下と幼馴染で、この辺りの出身なんです」
そうなんだ。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
野菜がたくさん入ったスープに、パンとチーズ。
あ。ミラベルのジャムだ。
今が旬なんだろうな。
「本当に近衛騎士になるなんて、大出世だよなぁ」
「あっちはドラゴンが来て大変なんだろ?こっちはのんびりしたもんだぜ」
「え?……ここにも、ドラゴンのウィリデが居るんですよね?」
「大人しいクレアドラゴンが来たところで、何の被害もありませんよ。情報を嗅ぎつけて、ドラゴン狩りに行こうって馬鹿を粛正するのが大変なぐらいです」
「えっ、そんな人が居るんですか?」
「竜殺しの異名欲しさ、カーバンクル欲しさ。冒険者ってのは命知らずが多いですからね。ドラゴンなんて普通の人間が戦って勝てるわけがないのに」
「俺たちに追い払われるようじゃ、挑む資格なんてないってことだ」
そっか。ここ居る人は、ウィリデを守ってるんだ。
『あ。アレクが帰って来たな』
食堂の扉が開く。
「ただいま」
「おかえりなさい、殿下」
「おはよう、リリーシア」
「おはようございます」
「無花果を取って来たんだ。みんなで食べよう」
無花果?
「この辺にありましたか?」
「もちろん」
「まだ秘密の場所があるんですか」
「君たちも、まだまだだね」
「殿下よりもこの辺りには詳しいはずなんですけどね」
「殿下には叶わないですねー」
なんだか仲が良さそう。
『叶うわけないだろ。アレクは果物がある場所を精霊に聞いてるからな』
「そうなの?」
「殿下は、果物狩りをすると、必ず一番採ってくるんですよ」
『俺の声に返事するなて言ってるだろー』
そうだった。
「これ、どうやって食べるんですか?」
「知りませんか?無花果」
「ドライフルーツなら見たことはあるけど、生の無花果は初めて」
「この山は色んな果物がありますからね」
「こうやって食べるんです」
そう言って、半分に割って、するり、と皮をむいてそのまま頬張る。
「美味しそう」
こんなにみずみずしい食べ物なんだ。
「食事が終わったら出発するよ。ここには戻らない予定だから、陽炎と不知火は砦に返しておいてくれるかい」
「わかりました」
「え?戻らない?」
「ここからまっすぐエルのところに向かう予定だからね」
そっか。北を目指すんだもんね。ここは山の西側だから……。
「北に向かって下りるんですか?」
「そうだよ。北に向かって降りるんだ」
うん……?
※
山には精霊がたくさん居る。
詰所の人と別れて、外に居たレイリスと合流して、三人で山の上を目指す。
『アレク、ウィリデのところに行くの?』
「そうだよ。案内してくれるかい」
『まかせて。ちゃんと声を聞いてね』
『君、どうしてアレクと同じ瞳なの?』
「うるさいな。どうでも良いだろ」
レイリス、人間だと思われてるのかな。
『アレク、向こうにミラベルの実がまだ生っているんだよ』
『アレクはウィリデに会いに来たんだよ』
『そうなの?あぁ、つまらない。せっかく遊べると思ったのに』
『今日はバイオリンは持ってないの?』
『歌を覚えたんだよ。歌ってあげるよ』
みんな、アレクさんのことが好きなんだな。
『ねぇ、今日も誰とも契約しないの?』
「すまないね」
確か、瞳を交換したら、他の精霊と契約が出来なくなるんだよね?
『一緒に行きたいのに』
『私の方が一緒に行きたいよ』
『ねぇ、アレク。連れてって』
「うっとおしいな。散れ」
『君、僕たちが見えるの?』
『この女の子も見えるみたいだよ』
精霊が一人、私の目の前に来る。
『アレクも見えるようになった?』
「声を聞くことしかできないかな。……顕現はしなくても大丈夫だよ。声を聞くだけで楽しいからね」
『アレク、こっちだよ。人間が通るならこっちの方が良いよ』
「あの……。お願いがあるの」
『なぁに?』
「無花果のある場所、教えてもらえる?」
『いいの?アレク』
「教えてくれるかい。お土産にしたいんだ」
何も言ってないんだけど。どうしてわかったんだろう。
『どこが良いかなぁ』
『通り道にあるかな。ちょっと待っててね』
アレクさんの顔を見る。
「君はわかりやすいからね」
そんなに、わかりやすいかな……?
※
精霊とおしゃべりしたり、無花果を採集したり、お昼にランチの休憩を取ったりしながら、のんびり歩いて行った先。
「わぁ。大きな滝」
見上げるほどの高さから、水が落下してる。
滝を見るのって初めてだ。水しぶきもすごい。
「虹もできているよ」
「本当だ。綺麗……」
水の精霊たちもたくさん居る。
「そういえば、この前、初めて夜の虹を見たんです」
「月虹だね。十五日の夜かな」
「はい」
虹に向かって手を伸ばす。
『何やってるんだ?』
「近そうに見えるんだけど」
手を伸ばすと、絶対に触れられないのが解る。
「虹が視覚的に見える角度は決まっているからね。もしリリーシアが虹の見える位置に立ったとしても、そこから虹は見えないはずだよ」
『変な子』
『ねぇ、アレク。ウィリデはこの上に居るんだよ』
「この上?」
目の前には絶壁がある。
この崖の上ってことは、滝の上ってことだよね。
どこから登ろうかな。
近づいて、掴めそうな場所に手をかけてみる。
登れないことはなさそうだけど……。
『おい、まさかこの絶壁を登ろうなんて考えてないよな?』
「……違うの?」
「レイリス、リリーシアを頼めるかい」
「しょうがないな。リリー、捕まれ」
「え?」
レイリスが私を抱えて、近くにあった岩に飛び乗る。
「おい、精霊たち。離れてろよ」
『何するの?』
「みんな、こっちにおいで」
精霊たちがアレクさんの傍に集まる。
「じゃあ、行くか」
「え?」
浮き上がった?
「飛んでる?」
地面がどんどん離れていく。
「岩に魔法を使って飛ばしてるんだよ。俺の魔法は攻撃魔法だからな」
空、飛んでる……。
「……ほら、着いたぜ」
レイリスが岩から跳躍して、着地する。
乗っていた岩が、砂になって消えた。
「あっという間」
「当然だろ」
少し間をおいて、アレクさんが飛んでくる。
「飛べる魔法なの?」
「攻撃魔法として自分に使う魔法だから、飛べる魔法というのは語弊があるかな。飛行しようとするならば、風の魔法と同じように自分が傷つくことを覚悟しなければならないだろう。私はレイリスと契約を交わしているから砂の魔法で傷つくことがないだけだよ。エルもそうだね」
「それ以前に、普通の人間は魔力が持たなくて途中で墜落すると思うぜ」
「そうだったね」
「飛ぶってそんなに大変なことなの?……アレクさんは?」
「私はレイリスの力を借りられるからね。レイリスの魔力が尽きない限り、墜落はしないと思うよ」
「自由に飛べる人間が居てたまるかよ。ほら、ウィリデが居るぜ」
どこに?
あ……れ?
「あれが、ウィリデ?」
木々の合間に見える、大きな、濃い緑色のドラゴン。
「昼寝をしてるのかな」
「横にあるのって温泉?」
「そうだよ」
尻尾が温泉に浸かってる。
「……あの、アレクさん」
「何かな」
「ドラゴンと精霊って違うものですか?」
『何言ってるんだよ。違うに決まってるだろ。ドラゴンは生き物なんだから』
「そうだね。精霊と生き物は違う存在だ」
「えっと、そうなんですけど……」
「大きな違いを上げるとするなら、生まれ方と役割の違いがあるかな」
「生まれ方と役割?」
「精霊が生まれる方法は、親となる大精霊からの魂の割譲。そして、精霊の役割とは自然の維持、もしくは自然を作ること。精霊は自然そのものであり、いずれ自然に還る存在だ。そして自然に還った時に、その魂が死者の世界へ赴くと言われている。けれど、生き物はそうじゃないね」
「はい」
「生き物は、卵や母体の中で成長し、死者の世界からやって来た魂を宿して生まれてくる。生き物の役割とは、生まれて死ぬことによる魂の循環。生者の世界と死者の世界には対になる魂がそれぞれ存在し、その片割れが同じ世界に留まることのないよう、循環させなければならないからだ」
対になる魂は、引かれあう存在。
だから、同じ世界に居てはいけない。
「生き物とは決められた生を全うして死に、そしてまた生まれてくる。殺人や自殺が非道徳的なものとされるのは、決められた生を全うせずに死者の世界へ魂が赴けば、死者の世界で魂が一つになり、根源の神、オーへと還ってしまう可能性があるからだね」
それは、魂の消滅。
一度オーに還った魂は、二度とこの世界に存在することはない。
すべての魂が根源の神へと還り、世界がもう一度始まるその日まで。
「これで、生き物であるドラゴンと精霊が違うという説明になったかな」
「はい」
生き物と精霊は違う。
……私が見ている光は、常に精霊の光。
「ドラゴンが精霊と契約することもできるんですか?」
「面白い質問だね。その質問は精霊に聞いた方が良いかな」
「できない」
『できるわけないだろ。精霊が契約できるのは人間だけだよ』
「そうなの?どうして?」
『どうしてって……。昔っから決まってるんだよ』
「説明になっていないね」
「突っかかるなよ。アレク」
「慣習を理由にすることほど粗略な説明はない。理由は?」
「精霊が殺してはいけないのが人間だけだからだ」
精霊が人間を殺してはいけないから、精霊が人間としか契約出来ない?
「それは理由じゃないね」
「どうして、人間にこだわるの?」
契約って精霊と会話が出来れば、出来るんじゃないの?
「それが事実だ。目的は、あそこで昼寝してるドラゴンだろ?」
「リリーシア。他の質問は?私が答えられることならば答えよう」
「私、生まれて初めて見たドラゴンが、紫竜だったんです」
「それは、王都を襲撃した紫竜フォルテのことかな」
フォルテって言うんだ、あのドラゴン。
「はい。それで、その時、ドラゴンは斑に光って見えたんです」
「斑?……変わった見え方だね。何の精霊の光なのかな」
「わかりません。ああいうの、初めてだったから。複数の精霊と契約してる人だって、色が綺麗に混ざって見えるから、あんな、斑色にはならないんです。だから、ドラゴンってそういう色をしてるのかと思ったんですけど……。ウィリデは何の光も持っていないんです」
「レイリス。心当たりは?」
「あるよ。俺が砂漠に来たあいつを殺さなかったのはそれが理由だ」
「ドラゴンと戦ったの?」
「あんなのが砂漠に居たら邪魔なだけだ。追い払っただけだよ」
殺しちゃいけない?
「リリーシア。他に気付いたことはあるかい」
「え?……えっと」
気づいたこと……。
あ。
「ウィリデが、目を開いてる」
アレクさんとレイリスが、私が指した方を見る。
―「おはよう、ウィリデ」
―「アレクシス。地上の王が、何か用か」
―「大精霊を連れて来た。ケウスの卵を孵したい」
「え?ケウスの卵?」
―「俺のこと、覚えてるか?ウィリデ」
―「まさか、月の大精霊?何故こんなところに?」
―「砂漠に居るより優先すべき事情が出来たんだよ。ほら、卵を寄越せ」
ウィリデが、温泉の中に顔を突っ込む。そして、その口に卵を咥えて、私たちの目の前に置く。
大きい。
私の身長よりも、アレクさんの身長よりも大きい。
レイリスが、卵に手を当てる。
「祝福を」
卵が、光り輝く。
「卵の孵化って、大精霊じゃないとできないの?」
「少なくとも、ウィリデは大精霊に頼もうと思っていたようだよ」
そっか。これが、ウィリデがセズディセット山に来た理由。
ウィリデが炎の大精霊に会いたかったのは、卵の孵化の為だったんだ。
「ケウス討伐後の調査で明らかになったことなのだけどね。クレアドラゴンだったケウスは、自分が産んだ卵を人間に奪われたんだ」
「え……?」
「ケウスは卵を取り返す為、人間を脅かし、ブラッドドラゴンに堕ちたんだ。一度ブラッドに堕ちたドラゴンは血に飢える宿命。原因が何であれ、討伐の対象になっただろう」
人間が原因を作ってブラッドドラゴンにしてしまったドラゴンを、共存できないからと言って、人間が討伐する。
「なんだか、悪い事をしているみたい」
「そうだね」
「アレクさんは、卵の孵化の為にここに来たの?」
「大精霊の知り合いがいるからね」
「俺は砂漠から離れないって言ってあるだろ」
「エルが呼べば、レイリスは来るだろう」
絶対来るよね。
「だから砦でエルを待っていたの?」
「そうだよ。少し予定が変わってしまったけれど。リリーシアが一緒なら、レイリスも来てくれたと思うよ」
「そうなの?」
「うるさいな。ほら、生まれるぞ」
卵にひびが入ったところで、レイリスが卵から手を離す。
卵に入ったひびが徐々に大きくなって。
ドラゴンの手が、裂け目から飛び出す。
そして、咆哮と共に、ドラゴンが一気に卵を割って這い出てきた。
「わぁ。可愛い」
小さいドラゴン。
頭が大きいせいか、体がアンバランスに小さく見える。手足も短い。お腹は大きいかな。尻尾は長いよね。
「可愛いか?随分でっかい子供だぜ」
「赤ちゃんじゃないの?」
「卵から出てくるものが赤ん坊の訳ないだろ。すぐに空も飛べるはずだぜ。っていうか、名前、なんなんだよ?」
―「名前は?」
―「名づけは頼まれていない」
「リリーシア、何か良い名前を付けてあげてくれるかい」
「えっ、私?」
『変な名前つけるんじゃねーぞ』
『プレッシャーを与えるな』
「ええと……」
何にしよう。
「早くしないと飛んでいっちまうぞ」
子供のドラゴンが、羽を大きく広げる。
あぁ、どうしよう。そうだ。
「フィカス!」
紫色のドラゴンが咆哮を上げて、空に飛び立つ。
「気に入ったようだね」
『どういう意味だ?』
「あの……」
良かったのかな、こんな名前で。
空を見上げると、ドラゴンが頭上を旋回している。
「無花果、早くエルに届けてあげようね」
「はい」
―「ウィリデ、頼みがあるのだけど」
―「なんだ」
―「カトルサンク山まで連れて行って欲しいんだ」
―「良いだろう」
「カトルサンク山って?」
「トゥンク村がある場所だよ」
「えっと……」
つまり。
「ウィリデに乗って行けば、すぐに追いつけるよ」
「空を飛んで行くの?」
「そう。北に向かって飛ぶんだよ」
そして、村の近くで降りるんだ。
エル。
もうすぐ会える。




