00 正攻法
王国暦六〇七年、リヨンの二十九日。
ラングリオン王国、王都。オルロワール家。
「んーっ。とっても美味しいわ。流石、リリーね」
オルロワール家の御令嬢、マリアンヌが、タルトを優雅に口に運ぶ。
「ありがとう。マリー」
私の親友の彼女が食べてるのは、今朝焼いたばかりのミラベルのタルトだ。
故郷のグラシアル女王国にはなかった甘い果実は、ラングリオンでも夏の終わりにしか取れない貴重な果実らしい。
「ミラベルのジャムも美味しかったわ」
「もう食べたの?」
「今朝、スコーンにつけて食べたのよ」
「そっか」
『本当にたくさん貰ったよねー』
イリス。
イリスは私が生まれた時から一緒に居る氷の精霊だ。私と契約しているわけではないのだけど、良く一緒に居てくれる。
「もしかして、まだミラベルって残ってる?」
「うん」
「一体、どれだけもらったの?」
「すごくたくさん……?」
ミラベルは、結婚式の後にエルと一緒に行った、プリュムという村で貰った。
王都南方のセズディセット山にある温泉村で、ミラベルの収穫が出来る土地としても有名らしい。そこで収穫を手伝ったら、宿の女将さんが、お土産にって、山のようなミラベルをくれたのだ。
ミラベルは、ジャムにして結婚式に来てくれた人にプレゼントして、エルが今日、ワインを作って貰うと言ってパッセさんのお店に持って行って。
それから、女将さんから聞いたレシピでタルトを焼いて持って来たのだけど。
それでも、まだ残っている。
「後はどうしようかな……」
「リリーって本当に誰からも気に入られるのね。余っているなら、全部タルトにして礼拝堂で配ったらどう?」
「礼拝堂で?」
「毎年、年末は礼拝堂前の広場で無償で食べ物を配っているのよ。お腹を空かせたまま新しい年を迎えないようにって」
「そうなんだ」
『作っていくの?』
「うん。作って行きたい」
「リリーがタルトを焼くって聞いたらみんな喜びそうね。詳しいことはルイスとキャロルに聞いたら良いわ。二人は去年、礼拝堂を手伝っていたはずだから」
「二人?エルは?」
「エルは去年は居なかったわ。年が明けてからようやく顔を出したって感じね」
居なかったんだ。
「そういえば、リリー、この前の話し考えてくれた?」
「この前の話しって?」
「舞踏会よ」
年始に、お城で舞踏会があるらしい。
「リリーに似合いそうなドレスもいくつか用意してあるの。とっても可愛いのよ。見ていかない?」
「舞踏会なんて、無理だよ。ドレスを着るのだって……」
「相変わらず、そういうのを嫌がるのね。でも、剣術大会は出るんでしょう?」
「剣術大会?」
「知らないの?毎年、ラングリオンでバロンスの十三日から十七日まで開かれている大会よ。興味ある?」
「ある!」
騎士の国の剣術大会なんて。きっと強い人がたくさん出るに違いない。
「こっちは即答なのね」
「誰でも参加できるの?」
「一般参加枠なら誰でも参加できるわ。剣術大会には貴族枠と一般参加枠があって、貴族枠は、貴族が自分の名代を出す枠のこと。一般参加枠は、バロンスの朔日から始まる予選で勝ち上がった人が出場する枠のことよ」
予選で勝てば本戦に参加できるんだ。
『ねぇ、それって真剣勝負なの?』
真剣って……。
『真面目な勝負って意味じゃないよ。怪我する武器で戦うのかって意味だからね!』
「わかってるよ」
「え?」
『わかってると思うけど、ボクの声はリリーにしか聞こえないんだからね』
精霊の声は、基本的に人間には聞こえない。
顕現していなければ、見ることも出来ないのだ。
『お喋りな精霊が一緒だと大変ね』
「ナインシェ」
「あぁ、そういうこと」
ナインシェは、マリーと契約している光の精霊だ。
契約者は、契約中の精霊と自由に話すことが出来る。
私みたいに、精霊の姿が見えて、声も聞こえると言うのは、少し変わってるらしい。と言っても、すべての精霊が見えて聞こえるってわけじゃないんだけど……。
「あのね、マリー。それって演習用とかじゃない、本物の剣で戦うってことだよね?」
「もちろんよ」
『良いの?怪我するかもしれない大会なんて、エルは反対しそうだよ』
「あ……」
「なぁに?」
「エルが怒るかなって」
「エルのことなんて気にしてどうするのよ。決めるのはリリーじゃない」
「でも……」
ノックの音が鳴って、メイドさんが現れる。
「失礼いたします。リリーシア様、エルロック様が到着されました」
「もう迎えに来たの?」
「パッセさんの家にミラベルを置いたら、すぐ来るって言ってたから」
思ったより早く終わったみたいだ。
『今日は、どこも寄り道しなかったみたいだね』
帰る支度をしなくちゃ。
立てかけておいた愛剣、リュヌリアンを背負う。
「詳しいことを知りたかったら、いつでも聞きに来てね」
「うん。ありがとう。またね、マリー」
「えぇ。今度はゆっくり来ると良いわ」
マリーに手を振って、部屋を出る。
※
「リリー。迎えに来たぜ」
エルロック・クラニス。
短く切りそろえた金色の髪に、宝石のカーネリアンを彷彿とさせる紅の瞳。腰には私が作ったレイピアのイリデッセンスを下げている、私の大切な人。
「エル。迎えに来てくれてありがとう」
私の大好きな人だ。
「もう用事が終わったの?」
「ミラベルを渡して来るだけだからな」
「そっか」
「行こうぜ」
「うん」
今日は、誰かに捕まったり、急な用事ができたりはしなかったらしい。
エルが差し伸べた右手に、左手を絡めて手を繋ぐ。
今日は、これから買い物に行く予定だ。
その前に、聞いてみようかな。
「あのね、エル」
「ん?」
「私、剣術大会に出たいんだけど……」
「は?」
『剣術大会って何?』
『毎年ラングリオンでやってる大会よぉ』
エルと契約している精霊のお喋りが聞こえる。
『マリーから聞いたのか?』
「うん」
『リリー、参加するのー?』
「まだ決めてないんだけど……」
エルの顔を見上げる。
怒ってる。
「あの……。だめかな」
「俺が何て答えるかわかってて聞いてるんだろ?」
「そうだけど……」
やっぱり、だめだよね。
どうしよう。
今年はどういう大会なのかを見るだけにするべきなのかな。
でも、ラングリオンの剣術大会なら、きっと強い人がたくさん出るに違いない。
「あの、本当にだめ?私……」
予選だけでも良いから参加してみたい。
でも、エルは私が怪我するのをすごく嫌がるから……。
「リリー。決闘だ」
「え?決闘?」
それって。
「私と戦ってくれるの?」
「そうだよ」
エルが、私と?
本当に?
「勝った方が負けた方の願いを聞く。これでどうだ?」
「もちろん!ありがとう、エル」
嬉しい。
また、エルが相手してくれるんだ。
王都守備隊三番隊。
ラングリオンに来てから何度もお世話になっている守備隊の宿舎には、ガラハド隊長さんが居る。
「こんにちは」
「おぉ。夫婦そろって何の用だ?」
「演習場借りるぜ」
「演習場?まさか、また決闘でもやろうって言うのか」
「はい」
エルと戦うのは久しぶりだ。
いつも通りのルールなのかな。
「また賭けでもしてるのか?リリーシアの頼みぐらい聞いてやれ」
「何も頼まれてないよ。……暇なら審判をしてくれ」
「審判ぐらいやってやるが。良いのか?」
「良いんだよ。演習用の武器は要らない。リリー、真剣勝負だ。リュヌリアンを使え」
「えっ?」
「手加減しない」
そう言って、エルが演習場の中央へ行く。
どうしよう。
すごく、ドキドキする。
「エルの奴、本気で勝ちに来たな」
「え?」
隊長さんの視線の先。
エルが、右手に短刀、左手にイリデッセンスを持っている。
いつもと逆?
「気をつけるんだぞ、リリーシア」
「気を付けるって……」
隊長さんがにやりと笑う。
「不公平になるから、助言はここまでだ」
どういうこと?
エルの利き手は左。そして、エルの得物は短刀のはず。
演習場の中央に行ってエルの正面に立つ。
―勝った方が負けた方の願いを聞く。
エルに勝てば、大会に参加することを許してくれるってことだよね。
「エル、負けないよ」
背中から大剣のリュヌリアンを抜いて、両手で構える。
「あぁ。かかって来い」
エルが構える。
構え方まで、いつもと違うの?
いつもはレイピアを伸ばすように構えるのに、今日は両方の武器を逆手に持ってる。
その真意は……。
「では、合図を」
隊長さんが手を上げる。
迷ってる暇はない。
「はじめっ!」
隊長さんの合図で、リュヌリアンを大きく振りかぶる。
そのまま勢いをつけて……。
「!」
嘘。
初めてだ。
エルが初撃で私に向かって走って来たの。
しかも、風の魔法で加速してる。
お互いの距離が予測よりも数倍早く縮んでしまった結果。
……だめ、間に合わない。
攻撃に入る途中のリュヌリアンが、上手く振り切れないまま、中途半端な位置でイリデッセンスと交差する。
その瞬間、視界がぶれた。
闇の魔法だと気づいた時には遅い。
エルの姿があったと思う場所には、エルは居なくて。
視認で理解できることと実際に起きていることのずれを認識できないまま、不自然な形でリュヌリアンごと体が左手へ引っ張られる。
剣を引き戻そうとするのに、上手く力が入らない。
これは、真空の魔法。リュヌリアンがイリデッセンスにくっついて、引っ張られてる。
違う。それだけじゃない。エルが合図と共に風の魔法で近づいてきたのは、風の魔法で加速した勢いも利用する為だ。
たぶん、私がリュヌリアンを振った時の勢いまで利用されてる。
力の流れのすべてが、エルと共に私の左手に向かう。
「あ……」
これじゃ、リュヌリアンを力ずくで引き戻すことなんてできないし、倒れないようにその場に踏みとどまるだけで精一杯。
エルは、すでに私の背後に回っている。
短刀を手にしたエルの右手が私の首に当たった。
「終わりだ」
「……」
一瞬だった。
エルがやっていることの一つ一つに気付いても、すべてが遅かった。
……これ以上は、だめ。
手から、リュヌリアンを手放す。
「勝者、エルロック」
負けた。
「ごめん、リリー」
「えっ?」
どういうこと?
エルの右手にあるはずの短刀が、ない。
「いつ、しまったの?」
「開始の合図の直後だよ」
あぁ……。
エルは、最初から私を傷つけるような選択をすべて捨てていたんだ。
私は、最初から負けていた。
「リリー、約束だ」
「はい」
エルの方を向く。
こんなにあっさり負けてしまったなら、剣術大会に出るなんて言ってられない。
これで、良かったんだ。
「俺の願いはこうだ。剣術大会が終わるまで、リュヌリアンの持ち主を俺にする」
「えっ?」
リュヌリアン?
「あの、大会に出場しちゃダメって言うんじゃ……」
「リュヌリアンなしで出場できるのか?」
そんなこと、考えてなかった。
リュヌリアンなしで戦う?
一番得意な武器でエルに負けたのに?
……無理だ。
「ほら、行くぞ」
いつの間にかリュヌリアンを背負ったエルが、私に手を差し伸べる。
「はい」
その右手を取って、手を繋ぐ。
……なんだか、体がふわふわした感じ。
剣術大会はバロンス。二か月もリュヌリアンのない生活をするの?
「パーシバル」
エルの声に顔を上げると、三番隊の隊員さんたちが並んでる。
「お前ら、暇なのか」
「今回は何を賭けてたんっすか?」
「これだよ」
リュヌリアン……。
「良いなぁ。リリーシアさん、その剣、エルロックさんにあげちゃったんですか?」
「えっ。あげてないよ!」
エルが大剣を好んで使うとは思えない。
「剣術大会まで、エルに預かってもらうことになったんだ」
「また、変わった約束っすね。リリーシアさんが勝ったら何をもらう予定だったんっすか?」
「えっと……」
「関係ないだろ。邪魔したな」
大会に出場して良いって言ってもらいたかっただけなんだけど。
私がエルに勝って、それをお願いしたところで、エルが本心から私の出場を願ってくれることなんてないよね。
エルもそうだ。
きっと、私に剣術大会に出るなって願ったところで、私の本心を変えられるなんて思ってない。
だから、リュヌリアンを選んだんだ。
……エルは、どこまでも完璧。