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旧作3-2  作者: 智枝 理子
Ⅶ.七色の弧
144/149

154 七つ葉と縁

「おはよう」

「おはよう、キャロル」

 家の中は静かだ。

 台所には、キャロルしか居ない。

「おはよう。エル、リリー。その服、とっても素敵ね」

 この前、オーレリーのお店でエルが選んでくれた服。

 ……を、さっき、エルが今日着る服として選んでくれた。

「……ありがとう」

 可愛いのは確かだよね。

 温かいし。

「ブリジットが、昨日の余りで、ブールグラタンを作ってくれたのよ。オーブンで焼くから待っててくれる?」

 椅子に座って本を読んでいたキャロルが立ち上がって、台所の踏み台に立つ。

 くり抜いたブールに、昨日のクリームソースを入れてあるみたいだ。

 それに、チーズを載せてる。

 仕上げは任せて……。

「コーヒー淹れるね」

 私は、サイフォンの準備をしよう。

 と言っても、粉までセットしてある。

 私たちがすぐに起きると思って準備しておいてくれたみたいだ。

「キャロルは、もう食べたのか?」

「当たり前でしょう。さっき、片付けが終わったところよ」

 まだ温かい薬缶からお湯を移すと、エルがランプに火を付ける。

「ありがとう」

 セットは完了。

 冷たい水じゃないから、仕上がりも早そうだ。

 コーヒーカップを持って来よう。

「貸して。後は、自分でやるから良いよ」

 エルがブールグラタンをオーブンに入れる。

「食べたら、音楽院に行こう」

「今から?ルイスは、エルに課題を見てもらいたいみたいよ」

 ルイスは、今日も研究室に居るんだ。

「じゃあ、出かけるのは午後にするか」

「そうしましょう。私、リリーに相談があったの」

「私に?」

「今度、ジニーと一緒にお菓子を作ろうって話になってて……」

「えっ?」

 ジニーと?

「余計なものが入らなくて、絶対に失敗しないお菓子ってある?」

 計量さえしっかりすれば、どんなお菓子もそんなに失敗しないと思うんだけど……。

 失敗が少なくて、アレンジの余地がなさそうなもの……。

「あ。ガトーショコラは?材料も基本的なものしか使わないし……。混ぜて焼くだけだから失敗も少ないと思う」

 配合の違いで、見た目も味も食感も変わるけど。出来上がりはチョコレートのケーキに違いない。

「良いわね」

 後は、工程も出来るだけ簡単にしよう。

 全部混ぜて焼くだけでもどうにかなるはず?

「ここにある材料で作れるかしら」

「小麦粉、砂糖、卵、バターとショコラだよ」

 コーヒーが仕上がりそうだ。

 吸い上がってきたお湯をかき混ぜて、火を消す。

「ショコラって、あるのかしら。ブリジットに聞いてくるわ」

「うん」

 昨日、ダコワーズ用にスプレッドを作った時の余りじゃ、ちょっと足りない。まだあったら良いけど……。

 カップにコーヒーを注いでいると、キャロルが走って台所から出て行くのが見えた。

 テーブルには、美味しそうな焦げ目のついたブールグラタンも置いてある。

 良い匂い。

「コーヒー、入ったよ」

 テーブルにコーヒーを並べて、準備は完了。

「じゃあ、食べよっか」

「あぁ」

 

 ※

 

 あつあつのブールグラタンは、すごく美味しかった。

 後片付けの後、エルはルイスの課題を見に行ってしまった。

 ガトーショコラ……。

 たぶん、簡単に作れると思うけど……。

 焼き加減も簡単にするなら、小さくしても良いかも?

 お菓子に使う道具と材料を準備していると、キャロルがブリジットさんを連れて戻って来た。

「遅くなってごめんね」

「大丈夫」

「ショコラは、こちらにございます」

 ブリジットさんが、上の棚から新しいクーベルチュールを出してくれた。

「ありがとうございます」

 良かった。これだけあれば足りるよね。

「他に入用なものはございますか?」

 欲しいもの……。

「マドレーヌとかフィナンシェの型ってありますか?」

「どちらもございますよ」

 そう言って、ブリジットさんが奥の方へ行く。

「作るのはケーキじゃないの?」

「小さく作った方が生焼けになりにくいかと思って」

「……そうね」

―ルイス、生焼けじゃないだろうな。

―今日はちゃんと火が通ってるよ。

 ジニーは、ルイスに生焼けのお菓子を渡したことがあるみたいだったから……。

「お持ちいたしました」

 マドレーヌ型とフィナンシェの型、それから、これは小さいタルト型だ。これも使えそう。

 どれも使い込まれてて、ほんのり甘い匂いがする。

 良い型だ。

「ありがとうございます」

「何かお手伝いしましょうか?」

「大丈夫です。出来上がったら、持って行きますね」

「それは楽しみです。では、失礼いたしますね」

 ブリジットさんが微笑んで、台所を出る。

「じゃあ、材料を全部計っていこう」

「わかったわ。卵は、卵黄と卵白で分けておいたら良い?」

「分けなくて良いよ」

「そうなの?」

「今日は、なるべく簡単なレシピにしようと思って」

 材料をすべて計量して、全卵を割りほぐしておく。

「溶かす作業は任せて良い?」

「良いわよ」

 バターとショコラを湯煎で溶かす作業はキャロルに任せて、型にバターを塗っていく。

「リリー、キャロル」

 声をかけられて台所の入口を見る。

 エルとルイスだ。

「どうしたの?」

「オルロワール家に行ってくる」

「出かけちゃうの?お昼はどうするつもり?」

「昼までには戻るよ」

「わかったわ。いってらっしゃい」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

「いってきます」

 二人を見送って、作業に戻る。

「ちゃんと帰って来るのかしら」

「うーん?」

 ルイスが一緒なら大丈夫だと思うけど……。

「お昼までに帰らなかったら、呼びに行こうか」

「そうね」

 オルロワール家なら、すぐそこだ。

「そういえば、他の皆は?」

「三人とも、朝から出かけてるわ」

「そっか」

 ファルとフランカさん、プリュヴィエは居ないらしい。

「ショコラとバターが溶けたわ。次はどうするの?」

「後は、このボールに順番に材料を入れて混ぜるだけだよ」

「え?これに全部?」

 ボウルを湯煎から降ろす。

「まずは、卵」

 割りほぐした卵を、溶けたショコラとバターが入ったボールの中に入れると、キャロルが中身を混ぜる。

「混ざったら、砂糖を入れて、小麦粉を入れて、型に入れて焼くだけだよ」

「すごく簡単だわ」

 続けて、砂糖を入れる。

「計量も、少しぐらいなら間違えても大丈夫。配合によって重くて濃厚な仕上がりになったり、軽い仕上がりになるけど……」

 最後に、小麦粉を入れる。

「それぐらいなら平気よ。火が通っていれば、美味しく食べられるものが出来上がるってことでしょう?」

「うん」

 ……大丈夫だよね?

 簡単だし、他のものを入れる余地もないはずだし……。

 材料が全部混ざった生地を、スプーンですくって型に入れる。

「このスプーンだと……。三杯ぐらいかな。全部同じ量を入れて行けば、焼き上がりも同じになるよ」

「わかったわ」

 キャロルと一緒に、型にスプーンで生地を入れていく。

 たくさん出来そうだ。

 

 三種類の型をオーブンの中に入れて、時計を見る。

「後は、焼き上がりを待つだけだね」

 綺麗な焼き上がりになりますように。

「リリー、熟成ケーキのレシピも教えて貰って良い?」

「熟成ケーキ?あれは材料がたくさん必要だし、下準備もあるから、作るのは帰って来てからでも良い?」

「いつ出発するの?」

「明日だよ」

「……やっぱり、明日行くのね」

 そういば、昨日は勇者の話ししかできなかったんだっけ。

「今日は家族で過ごしたいって言ってたから、もしかしたらってルイスと話していたの。熟成ケーキ、二人が出発したら私が作るわ。だから、食べ頃には帰って来てね?」

「え?ケーキの完成まで、一か月ぐらいかかるよ?」

「だって……。出掛けたら、いつも、ひと月ぐらい帰らないでしょう?」

 ……確かに、そうかも。

「でも、今回は、もっと早く……」

『ちょっと待ってよ。行きはデルフィが手伝ってくれるけど、帰りはわからないんじゃないの?』

「えっ?帰りも熱気球で帰って来るんだよね?」

『あれって、膨らませるの大変なんだろ?上手くいかなかったらどうするのさ』

「ヴィエルジュに手伝ってもらったり、転移の魔法陣を使う……?」

『あそこで使える方法だったら良いけどね』

 神の台座じゃ使えない方法かもしれないの?

 うーん……。

「リリー、精霊とお話してるの?」

「うん。あのね、行く方法は決まってるけど、帰りの方法は決まってないかも……」

「魔王が居る場所って、そんなに変な場所なの?ちゃんと帰って来るのよね?」

「もちろん」

「本当に?」

 キャロルが心配そうな顔をしてる。

「大丈夫だよ。勇者って、色んな人の助けを借りられるんだ。大精霊たちも力を貸してくれるって言ってくれたし、何とかなると思う」

『適当だなぁ』

「もう。全然大丈夫な理由になってないわ」

 そうかな。

『グラシアルまで行けたら、後は船とか使って帰れそうだけどね』

「そっか。私もエルも、魔法で飛べるから、グラシアルまで飛べば良いんだ」

『あの距離を飛ぶ気?かなり離れてるよ?』

「そんなに遠くないよ。飛べると思う」

 神の台座は、グラシアルから見える距離にあるんだし。

「リリーに、私のお守りを貸してあげるわ」

「お守り?」

 キャロルがポケットから、しおりを出す。

「珍しいクローバーなの」

 しおりには、いくつもの葉が付いたクローバーがくっ付いている。

 クローバーは、丁寧にニスでコーティングされてるみたいだ。

 葉の枚数が、すごく多い。

 全部で……。

「七枚?」

「そう。七つ葉のクローバーよ」

『すごいね。四つ葉でも珍しいのに、七つも葉が付いてるなんて』

「すごい。こんなのがあるんだ」

「これ、持って行って」

「借りても良いの?」

「もちろん。きっと、良いことがあるわ」

 綺麗にコーティングされた七つ葉。

 いつも持ち歩いてるみたいだし、キャロルにとって、すごく大切なものなんだろうな。

「ありがとう。キャロル。大事に持ってるね」

 どこに仕舞っておこうかな。

 そうだ。懐中時計……。

 蓋に月と星のモチーフが描かれた懐中時計を出して、蓋を開く。

「可愛い。懐中時計ね」

「これに入れても良い?」

「えぇ。入りそうね」

 蓋の内側に、七つ葉のしおりを張り付けるように押し込む。

「ごめん。少し、しわになっちゃったかも」

「大丈夫よ。時計に合わせて、丸く切った方が良かったかしら」

「ぴったりくっついてるし、あんまり時計を見ることないから、大丈夫だと思う」

 キャロルが、くすくす笑う。

『それ、時計持ってる意味ある?』

「それじゃあ、時計持ってる意味がないわ」

 そういえば、買ってもらってから全然使ってないかも。

 ……でも、こうしていれば失くさないから大丈夫。

「私は、これを貸すね」

 持っていたレシピのノートを出して、キャロルに渡す。

「熟成ケーキのレシピも、これに書いてあるの」

「ありがとう、リリー。今度は、途中で食べちゃわないように気を付けて作るわ」

「大丈夫だよ。帰るのは、ひと月もかからな……」

『リリー。グラシアルの王都からラングリオンって、船旅でも半月ぐらいかかるよね?』

「えっ?グラシアルから半月もかかったっけ?」

『覚えてないの?』

「船の移動だったし、結構早かったよね?」

『ボクは、リリーが歩いた歩数じゃなくて日数の話をしてるんだよ?』

「それぐらい、わかってるよ」

 急に、キャロルが笑いだす。

「もう。笑わせないで。リリー」

『本当にね』

 ……キャロルには、イリスの声は聞こえてないんだよね?

 不安な顔よりも笑顔の方が嬉しいけど。

 そんなに面白いこと言ってたかな?私。

『エルが居たら、その頬っぺた潰されてるよ』

 ……エルのばか。

 

 ※

 

 約束通り、お昼までにルイスとエルが帰ってきた。

 オルロワール家には、ルイスが開発した薬の登録に行って来たらしい。

 登録をすれば、国が発行する薬図鑑にレシピと名前が載るのだ。

 図鑑に載るようなレシピを作るなんて、すごいよね。エルが出した課題も完璧にこなしたみたいだし、ルイスは夢に向かって真っすぐ進んでる。

 

「いただきます」

 今日のランチは、ブリジットさん特製のバジルソースで作った具沢山ショートパスタ。ゆで卵にブロッコリー、じゃがいもまで入っていて、すごく美味しい。

 あれ?

 この味、前にも食べたような……?

「エル。このバジルソースって……」

 エルが頷く。

「俺がいつも作ってるのは、ブリジットから教わったレシピなんだよ」

「そうだったんだ」

 だから、同じ味だったんだ。

「あら。まだ覚えていたんですね」

「これが一番美味いからな」

「私もそう思うわ」

「僕も。この味が一番好きだよ」

「まぁ」

 ブリジットさんが照れたように笑う。

「とても光栄です」

 

 ※

 

 お昼ご飯の後は、皆で音楽院へ。

 バイオリンも持ったし、ユリアから借りたバスケットに焼き立てのお菓子も入れた。準備は万全だ。

 オルロワール家を通って中央広場へ。広場を抜けて歩いて行くと、賑わう通り沿いの大きな建物の前でエルが止まる。

「ここが音楽院だ」

 すごく大きな建物。

 色んな所から音楽が聞こえてる。

 

 音楽院の中に入って、受付けへ。

「ようこそ。エルロック様とリリーシア様ですね」

「はい」

 ユリアが伝えておいてくれたのかな。

「ユリアは居ますか?」

「申し訳ありません。御嬢様は、昼食会にご出席中です」

 ……やっぱり、忙しいよね。

「このバスケット、ユリアに渡してもらっても良いですか?中にプレゼントのお菓子も入ってます」

「承りました」

 会えないかもしれないって思ってたから、バスケットには、お菓子と一緒にお礼の手紙も入れてある。

 受付けの人が、バスケットをメイドさんに渡す。ユリアに届けに行ってくれるのかな。

「では、本校を御案内致しましょう」

「案内は要らないよ。こっちで見て回る」

 えっ?

「あの、声楽は、どこで見学出来ますか?」

「声楽科は西棟にございます。本日は休日で授業は行われておりませんが、多くの卒業生や音楽家たちが集まっておりますから。御自由に御見学ください」

「ありがとうございます」

「器楽科は東棟になります」

 楽器を使う学科は、東?

 エルの先生は、東に居るってこと?

「じゃあ、別行動ね」

「なんで?」

「だって、エルはバイオリンの方を見てくるんでしょう?」

「キャロルが勉強する場所を見るのが先だ」

「私だって自由に見て回りたいもの。リリー、エルをお願い。行きましょう、ルイス」

「そうだね。こっちの見学が終わったら、そっちに行くよ」

 エルがため息を吐く。

「わかった」

「うん。後でね」

 二人とも、エルがゆっくり先生と会う時間を優先してくれたのかな。

「ピアノも東?」

「はい。ピアノ専攻の生徒が学習する場所は、東棟にございます」

「ん。わかった」

 エルに手を引かれて、ルイスとキャロルが向かったのとは別の入口に向かう。

「どうしてピアノを聞いたの?」

「空いてるピアノがあったら、一緒に演奏出来るだろ?」

「先生に会いに来たのに?」

「それはそれ」

 なんだか、楽しそう?

 私もエルとの演奏は好きだけど……。

 良いのかな。

 

 ※

 

 東棟に入って階段を上がっていくと、バイオリンの音が聞こえてきた。

 バイオリンの教室は三階らしい。ざわざわとした声も聞こえるから、上には人がたくさん居そうだ。

 でも、エルは上に行かずに二階の教室へ向かう。

「行かないの?」

「後で良いよ。ピアノ教室は静かだし、今の内に演奏しよう」

 二階はピアノの教室がある場所なんだ。

 でも、ピアノの音も聞こえない。

 廊下も静かで誰も居なさそう?

 エルが、近くの部屋を開ける。

「勝手に使って良いの?」

「良いんじゃないか?」

 部外者だけど……。

 誰も居ないから良いのかな。

 薄暗い部屋に入って、エルがカーテンを開く。

「可愛いピアノ」

 どっしりとしてるけど、足の形がおしゃれだ。楽譜を置くところも装飾が丁寧で可愛い。

「何を弾く?」

「何でも良いよ」

 音楽院にあるものだから、きっと音色もきれいだよね。

 鍵盤を覆う布を取って、ピアノとお揃いの脚の形をした椅子に座る。

 ……足が床に着かない。

「調節するか?」

 これ、調節できるのかな……?

 でも、他にも椅子はある。

 ……あれなら、丁度良さそう。

 手ごろな椅子を持って来て、ピアノの前に置く。

 こっちは、ぴったり。

「この椅子を使うから大丈夫」

 ピアノとお揃いじゃないけど、これならペダルもちゃんと踏める。

 一音鳴らすと、音が部屋中に響いた。

 ……綺麗な音。

「スプリングソナタをやろう」

「うん」

 春。

 この曲は一番好きな曲だ。

 バイオリンを用意したエルと一緒に、すぐに演奏を始める。

 アリシアたちとも一番演奏した曲。

 グラシアルで姉妹で過ごした穏やかな日々を思い出す。

 そして、今の家族と過ごしているような温かい日々を。

 

 ※

 

 最後。

 第四楽章まで綺麗に弾けた。

 エルと一緒だと、何も考えずに気持ち良く弾けるから不思議。

『エル』

『お客さんが来てるみたいよぉ』

 メラニーとユールが扉の方に居る。

 お客さんって、もしかして……?

 部屋の扉が開くと同時に、エルが声を上げる。

「先生」

 やっぱり。

 この人が、エルのバイオリンの先生なんだ。

 とても穏やかな顔つきの人だ。

「美しい演奏だった。以前よりも明るく美しい音色を出せるようになったようだね」

 エルの先生が、杖を突きながらゆっくり歩いてくる。

 足が悪い人みたいだ。

 手伝いに行こうと思ったけど、付き添いの男の子も居るし、大丈夫かな。

 男の子が勧めた背もたれ付きの椅子に座ると、先生がバイオリンを出す。

「君とは、何を練習するんだったかな」

 課題があったらしい。

「二台のバイオリンの為の二重奏曲」

 言いながら、エルが頭を抱えてる。

「全然、練習してない」

「君のことだ。楽譜は頭に入っているね」

「覚えてるけど……」

 自身がなさそうだ。

 難しい曲なのかな。

 先生は、バイオリンを弾く準備をして待ってる。

 二重奏曲って、二人で演奏する曲だよね。一緒に練習しなくても出来る曲なのかな。

 エルが大きく息を吐いて、それからバイオリンを構える。

 頑張って。エル。

 二人が呼吸を合わせて、音を奏でる。

 ……息、ぴったりだ。

 緩急のある曲なのに、二人のリズムがずれることはない。

 どちらの旋律もしっかり聞こえるのに、二つの音色が調和していて、とても不思議で惹かれる曲だ。

 ……なんて、完成された綺麗な音なんだろう。

 

 演奏が終わって、エルがバイオリンを下ろす。

「今日は、ここまでかな。二楽章は、次の機会にしよう」

「はい」

 エル、すごく楽しそうだ。

「まだ弾き足りないだろう。久しぶりに演奏してくれるかな」

 エルがバイオリンを好きなのは知ってたけど。

 今でも勉強し続けたいってぐらいの想いがあるのは知らなかった。

「リクエストは?」

「では、妖精の踊りを頼もうか」

「妖精の踊り?」

 難しい曲だよね。

 ポリーが弾こうとして諦めてたっけ。

「リリー、弾けるか?」

「えっ?」

 伴奏?

 私が?

「えっと……。楽譜を見ても良い?」

「あぁ」

「御用意致します」

 先生と一緒に居た子が持って来てくれるらしい。

 ……出来るかな。

 練習したことはあるけど、一緒にやろうって言っていたポリーが、すぐに飽きちゃったから……。あんまり覚えてない。

「どうぞ」

 楽譜を受け取って、音符を読む。

 そういえば、短めの曲だったっけ。

 頭の中に音楽をイメージして……。

 横でエルが足音を鳴らしてる。

 結構早い。

 その速さで弾けるかな?

 ……とりあえず、やってみよう。

 楽譜をピアノに置くと、男の子が隣に立つ。

 演奏に合わせてめくってくれるみたいだ。

「エル、準備できたよ」

 足音を止めて、エルがこちらを見る。

「あの、あんまり自身が無いから、途中で間違えちゃうかもしれないけど……」

「良いよ」

 バイオリンの為の曲だから、しっかりエルに合わせなくちゃ。

 ピアノの上に指を置いて、エルを見る。

 ……合図。

 さっきの速さで、ピアノを叩く。

 エルのバイオリンが入って……。

 だめ、早い。

 追いつけない。

 待って、エル。

 置いて行かないで。

 音楽が崩れた。

 呼吸が合わなくて、お互いに演奏を止める。

「ごめんなさい」

「いや。俺が焦り過ぎた」

「ごめんなさい……」

 私のせいだ。

 もっと、頑張って追いつけるぐらいの速さで弾かなくちゃ。

「リリー。ピアノだけで、少し弾いてくれないか?」

「え?」

 私だけで?

 ……練習しろってことかな。

「わかった」

 落ち着いて、さっきより早く弾かなくちゃ。

 さっきより……。

 だめだ。

 焦ったら、また崩れちゃう。

 今、私に出来ることを聞いて貰おう。

 深呼吸してから楽譜を見て。

 もう一度、ピアノを弾く。

 エルの速さだと、一緒には弾けない。

 一緒に走る曲だから、エルの音をちゃんと聞きながら弾きたい。

 これぐらいなら楽しく弾けそう。

「リリー」

 呼ばれて、弾くのをやめる。

 まだ途中だけど……。

「もう一回、そのリズムで弾いて」

「うん。わかった」

 良かった。

 合わせてもらえるみたいだ。

 もう一度、最初から。

 エルの合図でピアノを鳴らすと、バイオリンの音がさっきよりも綺麗に重なる。

 これなら大丈夫。

 一緒に走れる。

 それに、すごくエルっぽい音で、弾きやすい。

 ピアノの音がバイオリンの音に絡む。

 

 今度は、少し遅れてもエルが合わせてくれる。

 ありがとう。

 これなら最後まで進める。

 

 ……あっという間。

 本当に短い曲だよね。

 拍手が聞こえて、顔を上げる。

 あれ?拍手の音、一人じゃない。

 いつの間にか部屋の扉が開いていて、外からもたくさん鳴り響いてる。

 こんなにお客さんが居たなんて……。

「新しい演奏の仕方を切り開いたようだね。音楽の世界は深いだろう。こちらの道に進む気はないのかな」

「先生から教わることがなくなったら考えてみるよ」

「あの方は、バイオリニストではないのですか?」

 横で、男の子が楽譜を閉じる。

 なんて答えたら良いんだろう?

『薬屋じゃない?』

 そっか。

「今は、薬屋が本業かな」

「薬屋?」

「うん」

 私が知ってるエルの夢。

 ……バイオリンは、エルの夢になったことないのかな。

 

 ※

 

 誰も居なくなったピアノの部屋で、エルがバイオリンの練習をしていると、一通り音楽院を見て回ったルイスとキャロルが来た。

 声楽科には、いろんな場所で活躍している歌手が来ていたらしい。オペラのような舞台で活躍する人も居れば、合唱団で活躍する人、各地に歌を届ける活動をしている人等、様々だ。他にも、作曲や指揮を専門にする音楽家にも会えたらしい。

 キャロルの目指したいものに、前よりも近づけたのかな。

 

 ルイスとキャロルの話を聞きながら、レストランで夕食を食べた後は、隊長さんの家に戻る。

 早めに寝る支度をして。

 明日の為にも、ゆっくり休養を取らなくちゃ。

 ……って、思っているのだけど。

 緊張して、上手く寝付ける気がしない。

『何やってるの』

「少し、身体を動かしておいても良いかなって」

 まだエルも来ないし。

 ……そう思っていたら、扉が開いて、エルが部屋に入って来た。

 紅茶の良い匂いがする。

 けど、もう少し。

 腕を伸ばして。

 足を伸ばして。

 円を描くように立ち回って……。

「紅茶が冷めるぞ」

「……うん」

 ベッドに座って待っているエルを見る。

 サイドテーブルには、淹れたての紅茶と、今朝焼いたプチガトーショコラ。

 紅茶を飲んだら、落ちつくかな。

 エルの前に椅子を持って行って、座って紅茶を飲む。

 あったかい。

「眠れないのか?」

 頷いて、椅子の上に足を乗せて身体を丸める。

「怖いような気もするし、楽しみな気もするの。戦いに行くのに。命のやり取りになるかもしれないのに。……気持ちが、落ち着かない」

 どんなことが起こるのか、何が待っているのか。上手くいくのかとか……。

「エルは、平気?」

 見た感じは、いつも通りだけど。

「リリーとの勝負の前よりは、緊張してないよ」

「……えっ?」

 あの時、そんなに緊張したの?

「あの、明日は、私よりずっと強い人と戦いに行くんだよ?」

「強いかどうかなんて戦ってみなきゃわからないだろ。今のところ、負ける要素はない」

「何してくるかわからない相手なのに?」

「まず、魔法に対する心配はしなくて良い。神の力は大精霊に吸収してもらえる。それを潜り抜けて放たれた魔法があったとしても、俺とリリーの装備ならダメージを食らうことはない。魔法に関しては、こちらに分があるんだ」

 確かに、大精霊たちの力も借りれるし、あの人が持つ神の力や、魔法に対抗する手段は充分に揃ってる……?

「それに、物理的な攻撃に対しても、防具が信頼できることはわかってるだろ?」

 虹のワンピースが、どれだけすごいものかは、バニーとの実験でも十分にわかってる。

 流れ星のリボンだって。

 エルが着る防具だってそうだ。

 全部、皆が、私たちの為に準備してくれたもの。

 ……でも。

 皆の期待に応えられるかどうか……。

「心配しなくても、だめだと思ったら引けば良いだけだ」

「逃げるってこと?」

「どうせ、何度でも挑戦できる。少しずつ相手を分析して、態勢を整えてから再戦しても良い」

 確かに。

 私は、まだあの人のことを良く解ってない。

「エルは、あの人の名前を知ってる?」

「知らない。あいつの記憶には、あいつの名前もヴィエルジュの本当の名前も出て来なかった」

「私も。二人の名前は、わからないままなんだ」

 二人が、お互いの本当の名前を忘れているとは思えない。

 エルが見た記憶にもなかったってことは。

 二人が手放さなかった記憶である証明だ。

 大切な人の、大切な名前。

「リリーシア」

「!」

 急に、名前をちゃんと呼ばれると……。

 心の準備が出来てない。

 えっと……。

「エルロック」

「ん?」

 エルがこちらを見て、軽く首を傾げる。

 いつもと違うのって、照れたりしないのかな。

 エルは、いつも通り。

 違う。ちょっと楽しそうだ。

 ……からかわれた。

「エルの夢を教えて」

「俺の夢?」

「バイオリニストを目指したことはないの?」

 ……全然、ないらしい。

「リリーは、ピアニストになりたかったのか?」

「えっ?私?」

 ピアノは、姉妹と遊ぶものだったから。

 エルにとっても、そんな感じのものだったのかな。

 あんなに上手いのに。

「俺の夢は、リリーと一緒に幸せな家庭を築くことだよ」

 それは、私の夢……。

「エル……」

 大丈夫。

 二人で居るなら、どんなことでも叶えられる。

 だから、傍に居て。

 その優しい瞳で見つめて。

 エルと一緒なら、どこへでも行ける。

 


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