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旧作3-2  作者: 智枝 理子
Ⅵ.大陸会議編
137/149

148 地に足がつかない

 勇者。

 様々な物語に登場する英雄たちは、小さい頃から憧れの人だった。

 前人未到の土地を冒険し、自分の命も顧みず勇猛果敢に敵に挑み、時には小さな願いにも快く協力し、そして、世界に、多くの人に平和と幸福をもたらす存在。

 ……どうしよう。

 今まで、たくさんの英雄譚を読んだ。

 初代国王をモチーフにした聖杯伝説も。光の勇者の物語も、英雄ジョージのドラゴン退治の物語も。そういえば、名もなき王の物語も、冒険したり強い敵と戦う英雄譚だっけ。

 ……自分が、そんな物語の当事者になるなんて。

 勇者とは。

 強くて。

 慈愛に満ちていて。

 皆の為に命をかけて敵に立ち向かって。

 そして、伝説として語り継がれる存在になる。

 ……そんなの、無理。

 どうして、引き受けちゃったんだろう。

 こんな大役。

 エルと一緒に行きたいけど。

 私には、エルと並ぶ勇者を名乗る資格なんて、ない。

 ……物語の英雄たちと重なるところなんて、何一つないのに。

 それなのに。

 皆、私たちに協力してくれるって。

 国王陛下も、大陸中の国々も。

 冒険者ギルドも、魔術師ギルドも、商人ギルドも。

 大精霊や妖精たちも……。

「ただいま」

 え?

 顔を上げると、エルが目の前に居る。

「エル。おかえりなさい」

 いつ戻って来たんだろう。

 扉を開く音にも気づかなかった。

 マリユスとライーザに送ってもらって、部屋に戻って。

 ベッドに座って……。

「着替えて、出かけよう」

「え?」

 出かける?

「これから、あの人の所に行くの?」

「行かないよ。しばらく休みだ」

「え?」

 休み?

「でも、勇者がやらなきゃいけないことは……」

 エルが私の隣に来る。

「別に、気負う必要なんてない」

「でも……。人も、精霊も、皆が協力してくれるって……」

「そんなの、これまでと何も変らないだろ。今までだって精霊たちは味方してくれたし、俺たちのことを助けてくれる奴はたくさん居た。この防具だって、皆が協力して作り上げてくれたものだろ?」

「そうだけど……」

 でも。

 勇者だって。

「私……。勇者なんて引き受けて良かったのかな。今までの勇者は、英雄って呼ばれるぐらいすごい偉業をなした人ばかりなのに……。私、世界の為になるようなこと、出来るのかな……」

「英雄になる必要なんてない」

 そうじゃなくって。

 結果として、勇者は英雄になるはずなのに……。

「私……。勇者なんて向いてない」

 エルに抱きしめられて、そのままエルの胸に顔を押し付ける。

 どうしよう。

 ……こんなところで泣いてる人が勇者だなんて。誰が思うの?

 いつも、足手まといにならないよう頑張るので精一杯で。

 目の前のことしか出来ないのに。

 皆の為にとか、大局を見るようなことなんて出来ない。

 だって。

 私が優先することは、勇者とは言えないことだ。

「私、エルを守りたい」

「俺を?」

 涙を拭って、エルを見る。

「もし、エルに危険があったら。あの人と戦うことよりも、勇者の使命よりも、エルを助けることを優先したい」

 だから、勇者なんて……。

「良いよ」

「良いの?」

「俺もリリーを助けることを優先するから」

「勇者なのに?」

「肩書きなんて関係ない。リリーを失うなんて……」

 エルが、途中で言葉を切る。

 そして。

 私を強く抱きしめる。

「二度と、あんなことしないで」

 ……あの時のことだ。

「……はい」

 身体の力がどんどん抜けて。目を開けていることすら出来なくなって、意識が途切れて……。

 だから、何が起こったのかは見ていない。

 でも、あの時、エルは……。

「勝っても負けても、何が起こっても。必ず、二人で一緒に帰ろう」

「はい」

 誓って。

 自分の命を大事にするって。

 必ず、二人一緒だって。

「でも……。それだけじゃないの。私、あの人と戦うべきなのか、迷ってる」

 あの人とヴィエルジュの関係。

 あの人は、本当に悪い人なの?

 戦う以外に解決方法はないの?

「戦うことは決まってる」

 ……それが、勇者の目的だから?

「でも、決着の付け方は俺たちで決めよう」

 決着の付け方?

 勝敗以外の方法がある?

「それが、勇者らしくなくても?」

「俺とリリーは、月虹の勇者だ。あの時、一緒に答えただろ?」

―両名を月虹の勇者として選出する。

―この決定に従ってくれるか?

 国王陛下の問い。

 ……どれだけ、私に勇者の素質がなかろうと。

 ……どれだけ、私がだめでも。

 私は、エルと一緒に答えた。

「私とエルは、月虹の勇者」

 これは、もう覆すことが出来ないことなんだ。

 紅の瞳が私を見つめて。

 私の手を握る。

「だから、俺たちが出した答えが勇者らしい答えだ。それが間違いだって言うなら、勇者の選出の時点で間違ってたんだよ」

 ……そっか。

「そうだね」

 エルらしい。

 私は、伝説で語り継がれるような英雄にはなれないかもしれない。

 選んでくれた人の期待には応えられないかもしれない。

 それでも。

 エルは、私と二人で勇者になることを望んでくれた。

「リリー。リリーは勇者である前に、俺の大切な人だ。それを忘れないで」

「ありがとう。エルは、私の大切な人だよ」

 だから、大丈夫。

 大切なことは何も変わらない。

「明日は、アーランに会いに行こう」

「闇の大精霊に?」

「あぁ。アーランは、グラム湖の光の洞窟に居るんだ。そこに、今日来ていた他の大精霊も居るかもしれない」

 グラム湖?

「そこって、初代国王がエイルリオンを授かった聖地だよね?ヴィエルジュに頼めば連れて行ってくれるかな」

―あの場所は私の御使いの保管場所であり、アークトゥルスとの契約を行った契約の地。

「明日、聞いてみよう」

「うん」

 グラム湖がどこにあるのか、良くわからないけど。

「あいつと戦うのは、十六日。デルフィに頼んで、熱気球で神の台座に向かう予定だ。それまでに、やっておきたいことを考えておいて」

 あの大きな風船で行くんだ。

 あれって、船よりも早いのかな。

 風が味方をしてくれるなら、すごく早そう?

「帰ったら、すぐに大陸会議に参加しなくちゃいけない」

「えっ?あ……。うん」

 確か、今夜は大陸会議の晩餐会があって、明日、大陸会議の開催宣言がある。

 儀式に参加人たちだって、本当は大陸会議の為に集まってるんだ。

 エルも自分が担当してる議題があるし、帰ってきたら大事な仕事が待ってる。

「それが終わったら、リュヌドミエルの休暇を貰える予定。一か月あれば、グラシアルにも行けそうだな」

「旅に出るの?」

「王都に居たら、何を頼まれるかわからないだろ」

 確かに、家でゆっくりしてることって、あんまりないかも。

 でも、グラシアルは、だいたい知ってるし……。

「行き先はどこでも良い?」

「あぁ。行きたいところがあるのか?」

「西南諸国。あ、でも、南部の方にも行ってみたいかも」

 せっかくだから、行ったことのない場所が良い。

 西南諸国は、グラシアルからちょっと下に行っただけのところだし、そんなに遠くないはず……。

「一か月じゃ足りないな」

「え?」

 足りない?

 ……そんなに笑わなくても良いのに。

 エルが楽しそうに私の頬をつつく。

「良いよ。ずっと遠くへ行こう」

 ……本当に、楽しそう。

「そろそろ出かけるか」

 そういえば、着替えて出かけるって言ってたっけ。

 そろそろ夕飯の時間なのかもしれない。

 でも……。

 立とうとしたエルの腕を引く。

「もう少し、ぎゅっとしてて……」

 上手く言えないけど。

 もうちょっとだけ。

 こうしていたい。

 

 ※

 

「気分は?」

 えっと……。

「お腹空いたかも……」

「なら、食堂に行くか」

「まだ開いてるの?」

「夜中でも開いてるよ。夜勤の兵士も居るからな」

「そっか」

 王国兵士の子から、夜勤中の話も聞いたっけ。

 

 ※

 

 夜は冷えるから、温かい服に着替えて。

 エルと手を繋いで食堂を目指す。

 夜のお城は、昼間とは雰囲気が全然違うよね。暗くて、とても静かで……。

 少し、怖い。

 耳の近くを風が通り抜ける音がして。遠くで、何かがゆらめいて。

 思わず、繋いだ手に力が入る。

「どうした?」

「だって……。王国兵士の子が、お化けが出るって言ってたから」

「お化け?」

「夜勤してると出るって」

―お化けなんて居るわけないでしょう。

 って、バニーは言ってたけど。

「お化けって、亜精霊のことか?」

「えっ?亜精霊じゃないと思う……?」

「じゃあ、どんな奴?」

 どんなって言われても……。

「なんか……。白いシーツが踊ってる?」

 エルが眉をひそめる。

「誰かが脅かして回ってるのか?」

「違うよ。中には誰も入ってないと思う」

「風の精霊の悪戯?」

「そうかもしれないけど……」

 エルには、怖いものなんてなさそうだ。

「他にも何か聞いたのか?」

「えっと……。女性王国兵士の為のお風呂は広いって」

 皆、気に入ってるみたいだったよね。

「後で風呂に行こう」

「王国兵士の?」

「違う。王族用の浴室がいくつかあるんだ。露天風呂とか」

「あ、露天風呂はロザリーと一緒に入ったことがあるよ」

「じゃあ、別のところにするか」

「勝手に使って良いの?」

 王族用なんだよね?

「この時間なら、大丈夫だろ」

 大丈夫じゃなさそうだけど。

 エルなら怒られない気がする。

 

 ※

 

 食堂も薄暗い。

 いつも、あんなに賑やかで明るいのに。

 座席もほとんど片付けられてるし、料理を置いてるテーブルも小さめだ。

「紅茶で良いか?」

「うん」

「頼んで来るから、適当に選んでて」

「待って、私も行く」

 置いていかないで。

 慌てて、エルの腕を引く。

『そんなにお化けが怖いの?』

「だって……」

 食堂は人も少ない。食事中の人は居るけど、メイドさんも居ない。

 それに、今はリュヌリアンも持ってない。……お化けが剣で斬れるのかわからないけど。

 エルの腕を掴みながら食堂の端の方へ行くと、エルがカウンターの中を覗いた。

「また夜勤か?」

 知り合いが居たみたいだ。

「そりゃあ、こっちの台詞だ。大陸会議が始まるって言うのに、こんな時間にふらふらしてて良いのか?」

 デュグレさん?

 そっか。この中は厨房なんだ。

「良いんだよ。紅茶を二つ頼む」

「二つ?……承りました。少々お待ちください」

 急に敬語になったデュグレさんが、私に向かって会釈をする。

 どうして、敬語?

 皇太子近衛騎士だから?

「おい。新しい店の話、レオナール様から聞いたぞ。ウエストの一等地だって話じゃないか。前は、イーストの端って言ってなかったか?」

「あれから色々変わったんだよ。店のことは、レオナールが世話をしてくれることになったんだ。開店資金は心配しなくて良いから、新しい店のメニューと仕入れは考えておけよ」

 また、何か変わったらしい。

 というか。エルに敬語を使わないなら、私も敬語じゃなくて良いはずだよね?

「本当に、お前に関わると予定がめちゃくちゃだ」

「リリーに甘いものでも作ってくれ。なんでも作れるだろ?」

「なら、丁度、試作品がある」

「変なものじゃないだろうな」

「ティルフィグンでは有名な菓子だ。ティラミスって言うんだが。……御存知ですか?」

 ティラミス!

「知ってます」

「では、食後にお持ちしてもよろしいですか?」

「はい。お願いします」

 レシピは知ってるけど、見たことも食べたこともないデザートだ。

 楽しみ。

 あっ。そうじゃなくって……。

「温かいスープもご用意しますか?」

「あぁ。頼むよ」

「かしこまりました」

「あの……。敬語じゃなくて大丈夫です」

「しかし、」

「私、その……。エルと結婚してるから……。エルと同じ感じで扱ってもらえた方が……」

 だから……。

 エルが私を抱き寄せる。

「ってわけだ。どうせ城を出るなら身分なんて気にしなくて良いだろ?わかったな」

「お前は、本当に……」

 エルに手を引かれて、その場を離れる。

 顔が熱い。まだ、ちょっと慣れない……。

「適当に選んで座ろう。この時間は残り物しかないけど」

「うん」

 目の前には、残り物とは思えないぐらい、充分な量の料理が並んでる。

 どれにしようかな?後で、スープとデザートを貰うから……。

 

 薄く切られたローストビーフや、コンキリエのサラダを選んで、空いている席へ。

 座ったところで、デュグレさんがスープを持って来てくれた。フェンネルのクリームスープらしい。

「いただきます」

「いただきます」

 美味しそう。

 控え目に選んだつもりだけど、充分、豪華な夕食だ。

 そういえば。

「さっき、デュグレさんが言ってたことって?」

 色々変わったって言ってたよね。

「フローラの店の隣を貰うって話になっただろ?レオナールの案で、そこを改築することになったんだ。屋敷の通り道を作って、残りはデュグレに貸す。料理屋ならメインストリートにあった方が良いからな」

「じゃあ、薬屋は続けるの?」

「薬屋が出来るかわからないけど。しばらくは残しておく。ルイスが研究所で働くようになったら、一時的にレオナールに預ける予定だ」

 そっか。

 誰も使わない間、レオナールさんに任せるってことにしたんだ。

「レオナールさん、あそこでお店をやりたいの?」

「エンドの開発拠点にでもするんじゃないか?あの辺も、一般市民が住める場所に整備していくはずだ」

「え?じゃあ、あそこで暮らしてる人たちはどうなっちゃうの?」

 だって、エンドに住んでる人って……。

「もし、誰かの不利益になるようなことが起きるなら、俺とリリーの立場を使って介入できる」

「私も?」

「あぁ。皇太子近衛騎士だろ?」

 身分を上手く使うってこと?

「でも、上手な解決方法を見つけられるかな」

「困ったら相談すれば良い。相手はたくさん居るだろ?」

 相手……。

「そっか」

 私には、頼りに出来る人がたくさん居るんだ。

 アレクさんも、近衛騎士もライーザ達も、秘書官の二人も。

 マリーも、アルベールさんもバニーも。

 そして、エルも。

 この先、困ったことがあっても一人じゃないんだ。

 ……この先?

「あの人と戦うことばっかり考えてたけど。終わった後にもやることがたくさんありそう」

「当たり前だろ。リリーは、近衛騎士になったばかりなんだから」

 なんだか変な感じだ。

 勇者になったことで頭がいっぱいだったけど。やることが終わったら、すぐに日常に戻るんだ。

 やらなきゃいけないことも勉強しなくちゃいけないことも、たくさんある。

 ……そう考えると、エルが休みって言ったのも納得?

「城ではもう迷わなくなったか?」

「えっ?……主君の部屋には行けるよ?食堂と、皇太子総務事務室と、後、北大門の方も行けると思う」

 もう、何度も往復してるから、大丈夫。

「すごいな」

「うん」

 お城も、慣れてきたよね。

『そんなにすごい?まだ迷う場所があるっていう方が驚きじゃない?』

『十分、迷わなくなっているだろう』

『今、アレクが使っている部屋は、少し複雑な場所だからな』

『外から行くと早いんだけどねー』

『……何それ。エルの影響?皆、リリーに甘過ぎだよ』

『一番、リリーに甘いのはイリスでしょう?』

『え?なんで?』

『そうねぇ』

『うん』

 イリスは、優しい。

 

 食事が終わったところで、デュグレさんが紅茶とデザートを持って来てくれた。

「俺は頼んでないのに」

「出資者なら、試作品の味見ぐらいしてくれ」

「どっちがティラミスだ?」

「どっちもだよ」

 一つは、プリンカップに入ったティラミス。

 もう一つは、平皿に乗ったティラミス。二種類あるけど、私がイメージしてたのは、こっちの方だ。

「もしかして、昼用と夜用ですか?」

「その通りです」

「なんで、わかったんだ?」

「えっと……。食べてみよう?」

 先にプリンカップの方を食べよう。どんな味かな。

「美味しい」

 ふわっとした食感で、すごく美味しい。

 エルが私の持っていたスプーンを取って、プリンカップのティラミスを食べる。

「コーヒーと……?なんだこれ?」

 ちょっと変わったクリームだよね。

「マスカルポーネだよ。ティラミスは、濃いコーヒーをしみ込ませたビスキュイと、マスカルポーネで作ったクリームを使ったお菓子なんだ」

「面白い菓子だな」

 本来なら、クリームには生卵も使われるんだけど。

 プリンカップのクリームには使われてないよね。

 ……こっちが本番。本物のティラミスだ。

 どんな味かな。

 エルからスプーンを貰って、平皿に乗ったティラミスを食べる。

 これ……!

「すごく香りが良い。舌触りも滑らかで……。エルも食べてみて」

 こっちの方が大人の味だし、きっと好きなはず……。

 スプーンですくったティラミスをエルの方に向けると、エルが口を開く。

 食べてくれた。

「生卵?」

「正解。良くわかったな」

 すごい。

 レシピを知らないのに、わかったんだ。

「生食出来る卵なんて手に入るのか?」

「もちろん。他のソースにも使うからな。取引先は見つけてある」

 ティラミスは、材料を集めるのが難しくて作るのを断念した覚えがある。

 プレザーブ城では卵の生食は推奨されなかったし、コーヒーを飲む文化もなかったから。

「っていうか、もう少し感想をくれ」

「こっちの方が美味かった。昼も出せば良いのに」

 ……それじゃ、駄目だと思う。

「あの、どっちも美味しかったです。プリンカップの方は、食後のデザートにぴったりな味で、子供も好きだと思います」

「そう言っていただき、安心しました。ありがとうございます」

 もう少し食べても良いかな。

 ……うん。美味しい。

 すごく贅沢なデザートだよね。

「お前の感想は当てにならないな」

「だったら、試食はリリーに頼めば良い」

「では、新しい料理が出来たら、お願いします」

「えっ?役に立てるかわからないですけど……。よろしくお願いします」

 食堂のデザートって、豊富で美味しいものばかりだし。デュグレさんは、お菓子のレパートリーも多そうだよね。

 

 ※

 

 紅茶とデザートをのんびり食べた後は、エルと一緒にお風呂に行く。

 ここも、露天風呂みたいに外が見えるようになってる場所だ。一方の壁だけなくて、お風呂に入りながら紅葉が見えるようになってる。

 暗いけど、小さな明かりに照らされた紅葉は綺麗だ。

『ボク、向こうに行ってるよ』

『私も。ここは、ちょっと熱いわ』

『じゃあ、私も行くわぁ』

「いってらっしゃい」

 イリスとナターシャに続いて、皆が飛んで行った。

 エルの精霊は、皆、仲良しだよね。

 足元の方にある湯口を見る。お風呂のお湯は満杯なのに、お湯は全然止まる様子がない。

 なんだか勿体ない気がするけど……。

「お湯って、ずっと流れっぱなしなの?」

「深夜だし、そろそろ止まるんじゃないか?」

「勝手に止まるの?」

「ボイラーが止まれば止まるよ。お湯は、貯水槽にある水を利用してて……」

「貯水槽って、給水塔?」

「それとは別。王都は平地で水害に弱いから、大雨でシレーヌ川が氾濫しないよう、雨水や河川の管理を徹底してるんだ。城や貴族の邸宅、王都のあちこちには、雨水を貯めておく貯水槽が設置されていて、お湯を作るのに利用されてる。この浴室に流れてるのは、余った一の湯だ」

「一の湯って?」

「沸かしたての湯。一の湯は、各施設のお湯用蛇口に流れる仕組みだ。でも、ボイラーは動きっぱなしだから、湯温の調節の為に、使われなかった一の湯は風呂に流れるようになってる」

 でも、浴槽に溜まったところで、溢れた分は……。

「風呂から溢れた湯は、二の湯として洗濯や掃除に使われるようになってるんだ。ほら。再利用する風呂用の排水口はこれ。洗い場の排水口とは別になってるだろ?」

「本当だ」

 一の湯と、再利用する二の湯があるんだ。

 ここから流れ出るだけなら、二の湯も十分、使える水だよね。

 あれ?でも、貯水槽が空になったら、お湯は使えないってこと?

「雨がない時期は、お湯を作れないの?」

「あぁ。水不足の時は、貯水を優先する為に湯を止める。大雨の時も廃水制限で止めるけど。最近は、滅多に聞かないな」

 貯水槽で上手くバランスを取ってるらしい。

 目に見えないところで、こんな工夫があるんだ。

「じゃあ、お湯が出てる間は、王都に水害の心配は要らないってこと?」

「そうだな」

 お湯がたくさん使えるのは、平和の証ってことだよね。

 あれ?でも、王都で貯水槽なんて見たことないような?

「家で使ってるシャワーは?」

「あれは、イーストにある貯水の一の湯を使ってる」

「一の湯?王都にも二の湯があるの?」

「公衆浴場の排水だ」

「えっ?イーストに大きなお風呂があるの?」

 公衆浴場って、皆で使う大きなお風呂のことだよね?

「家の近所にはないけど。貯水槽の近くには、だいたい市民向けの浴場があるんだ」

 知らなかった。

 イーストの公共施設はだいたい知ってるつもりだったけど、まだ知らないことがあるなんて。

 王都って広い。

 流れ出る水の音が止んだ。

 お湯が止まったらしい。

「静かだね」

 静か過ぎて……。

「夢みたい」

「夢?」

「こんなことしてる場合じゃないのに。こんなにゆっくりしてるから」

 すごく安らげる時間のはずなのに。

 ……なんだか、不安。

「言っただろ?行く日は十六日だって。それまでは、休みだ」

「でも、あの人の方から来るかもしれない」

「王都に来たところで、ヴィエルジュが追い返すだろ」

「他の所に来るかも。港とか……。人の多いところ」

「どこに来ても一緒だ。守りに関してはヴィエルジュに頼めるから、心配しなくて良い」

「……そっか」

 ヴィエルジュが味方してくれるから、たくさんの人を守ることが出来る。

 それに、大精霊も協力してくれる。

 戦うのは、私たちだけじゃない。

 ……大丈夫。

―あいつと戦うのは、十六日。

 まだ、日にちはたくさんある。

―それまでに、やっておきたいことを考えておいて。

 やっておきたいこと……。

 やっておくべきこと?

「行く前に、ルイスとキャロルと一緒に過ごしたいな」

「じゃあ、家族で過ごす日を作ろう」

「うん」

 私たちが帰る場所。

 必ず、帰って来るって約束しよう。

 きっと二人は、いつもみたいに快く送り出してくれるはずだから。

 いってきます、って言おう。

 大丈夫。

 少し落ち着いたかも。

「ティラミスは、私を引っ張り上げてっていう意味で……」

「なんで、引っ張り上げるって意味なんだ?」

「元気にしてって意味」

 熱い。

 少しくらくらする。

 向こうには壁が無いから、涼しい風が吹いてるはずなのに。

 外の方に目を向けると……。

 何か居る。

「そろそろ出よう」

 あれは、何?

 白い……、影っ?

「あっ、あっち……」

 外!

 外の方!

「お化け……」

「お化け?」

 青くて、白い影。

「あそこに誰か居るか?」

 無理。

 見ることなんてできない。

「リリー。精霊じゃないか?」

「え?」

 精霊?

 影は、そんなに小さくなかったはず……。

 ゆっくり、視線を外に向ける。

 湯気の向こうには、青い光。

 光?

 あれ?この光って?

「あなたは……。え?精霊なの?」

『驚かせるつもりはなかったのだが』

 喋った。

 お化けじゃない?

 それに、良く見ると人の姿をしてる?

「姿を現してくれ。リリーに見えても、俺には見えないんだ」

 白いのは、着てるドレスだ。

 風になびいてふわふわしてる。

「水の大精霊か」

 そっか。この青い光って、水の精霊の光だよね。

 あ。

 この精霊、儀式にも来てた?

『私の名は、パール。手伝いが必要な時は呼ぶと良い』

 それだけ言うと、パールの体がスライムのように半透明になって、水のように床に落ちた。

 水と同化した?

「お化けじゃなかったな」

「ごめんなさい」

 怖がらずに、ちゃんと見てたら……。

「もう怖くないか?」

「うん」

 あぁ、怖かった……。

 まだ、心臓がどきどきしてる。

 あぁ。もう、だめ……。

 

 ※

 

 結局、歩けなくて。

 エルに、部屋まで抱えて連れてきてもらった。

「イリス、ナターシャ。リリーの傍に居て」

『了解』

『わかったわ』

 ナターシャが、のぼせた私の顔に触れる。

『大丈夫?リリー。顕現した方が良い?』

「大丈夫……」

『平気だよ。このままでも、涼しい空気を感じてるはずだからね』

『そうなの?』

『そうだよ』

 イリスとナターシャが暑い場所で暑いと感じるように、冷気の精霊が居る場所は他の所よりもひんやりしている。

『ねぇ。リリー。リリーは、勇者になりたくなかったの?』

 なりたくなかったというか……。

 そんな器じゃないっていうか……。

『勇者なんて、嫌ならやめれば良いだけだろ』

『えっ?あんな盛大な契約をしたのに?』

『出来ないことは、出来なくて良いじゃないか。ボクは、二人に命なんてかけて欲しくないよ』

『イリス……』

 私たちのことを心配してるのは、私たちだけじゃない。そして、私たちも。

「大丈夫だよ、イリス。エルも私も、必ず一緒に生きて帰るって約束したから」

 それを一番に考えるって。

「だから、私、頑張るよ。……頑張りたい」

 勇者っぽいことは出来ないかもしれないけど。それでも。

 イリスが、呆れたように肩をすくめる。

『それ、そんなぐったりして言う台詞?』

 そうだけど。

『大人しく寝てなよ』

『そうよ。私たちが付いてるわ』

「ありがとう」

 エルの精霊は、皆、優しい。

「誰一人欠けることなく、生きて帰ろうね」

 目の前に居るイリスを見つめる。

『当たり前だろ』

 良かった。

 これで、安心して前に進める。

 


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