143 マリアージュ
『ようやく終わったね』
靴を履いて、腰にリボンを巻いて、ストールをコサージュで留めて、完成。
「香水は、どれに致しましょうか」
……終わりじゃなかった。
「こちらの花の香りがお勧めです」
「じゃあ、それで」
メイドさんが出したのは、練り香水だ。
塗る場所は、首の後ろと耳の裏?ちょっとくすぐったい。それから、腕の内側に塗られた。
食事会だから、手首には塗らなかったのかな。
腕を鼻に近づけると、ほのかに薔薇の香りが薫る。
「お支度が整いました」
長かった……。
「どうぞ、こちらへ。紅茶をお楽しみくださいませ」
メイドさんに手を引かれて、紅茶が用意されている席へ。
いつの間にか用意してくれていたらしい。
椅子に座ると、メイドさんが私のドレスに大きめのハンカチを広げてくれた。
カップに紅茶が注がれると、良い香りが漂う。
「着心地はいかがでしょうか」
「大丈夫」
あんなに締め付けられたのにドレスの着心地は、すごく良い。これなら、ご飯も食べられそう?
「支度を手伝ってくれてありがとう」
「良くお似合いです」
「他に何か御用がございましたら、何なりとお申し出ください」
「ありがとう」
頭を下げて、二人が化粧道具を片付けに行った。
とりあえず……。
ゆっくり紅茶を飲もうかな。
美味しい。
落ち着く。
『さっきと全然雰囲気が変わったわ』
『そうだね。一からやり直してたもんね』
そんなに変わったかな?
ずっと鏡を見てたから良くわからない。
カップにピンク色の口紅の跡が付く。
可愛い色。
……私なんかに似合ってるのかな。
ノックがあって、扉が開く。
エルだ。
「おかえり、エル」
「ただいま。リリー」
もう一度、鏡を見るんだった。変なところないよね?
「遅くなってごめん。そろそろ食堂に行こう」
「うん」
持っていた紅茶のカップをテーブルに置いて、ハンカチも折りたたんで置くと、目の前に来たエルが、私に手を差し出す。
「お姫様。お手をどうぞ」
……王子様。
「はい」
前も、このドレスを着た時に言ってくれたっけ……。
差し伸べられた手に、自分の手を重ねる。
顔を上げてエルを見たけど、エルは私の手を取ったまま動かない。
「エル?」
エルが微笑んで、私の手の甲にキスをする。
「綺麗だよ」
「え?」
それは……。えっと……。
「あの……。ありがとう」
気に入ってくれたのは確かみたいだ。
視界の端で、メイドさんたちが喜んでるのが見える。
※
エルと一緒に食堂へ。
ドレスだから、転ばないように気を付けて歩かなきゃ。
食堂の前には、深い赤色のドレスを身にまとったマリーが立っている。スカート部分の左側に、大きな赤い薔薇が飾られたドレスだ。薔薇の辺りでドレープがまとめられていて、その下に広がる薄い赤色のレースからは足が透けて見える。すごく大人っぽくて綺麗だ。
頭に付けてるのは、リックさんから貰った薔薇で作った髪飾りだよね。
「エル、リリー。待ってたわ」
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
エルと一緒に、フローラに作ってもらった花束を渡す。
「素敵なお花ね。ありがとう。……リリー。とても綺麗よ。オレンジ色も似合うのね」
「ありがとう、マリー。マリーも、とっても素敵だよ。薔薇の髪飾りも似合ってる」
「ふふふ。ありがとう。今日は、のんびり楽しんでいってね」
「うん」
ドレスを軽く持って、丁寧にお辞儀をする。
それから、エルに手を引かれて、食堂の中へ。
天井まで飾りつけがされた食堂は、きらきらしていて、とても華やかだ。
『皆、もう来てるみたいだね』
メルがアルベールさんと一緒に、アリシアがレオナールさんと一緒に居る。
メルは、鮮やかなシアン色で、何段もフリルが入ったふわふわのドレスを着ている。上半身は、たくさんの花があしらってあって可愛い。
アリシアは、細身でワンショルダーになっている青みがかった濃い紫色のドレスを着ている。広がらないタイプのスカート部分は、ふんわりとした薄い光沢のあるレースに覆われていて、歩く度に、上品になびいて揺れる。
二人とも、すごく素敵だ。
エルを見上げる。視線の先に居るのは……。
オルロワール伯爵?なら、隣に居るのは、伯爵夫人かな。
夫人は、ノースリーブでハイネックの深いグリーンのマーメイドドレスを着ている。形は違うけど、雰囲気がマリーのドレスと似てる気がするから、作った人が同じなのかもしれない。
エルが、真っ直ぐ二人の方へ歩いて行く。
えっ?待って。
えっと……。ちゃんとした挨拶の仕方……。
「伯爵、伯爵夫人」
「エルロック」
「本日は、お招きありがとうございます」
丁寧にお辞儀をする。
どうしよう。ちゃんと出来てるかな。
「リリーシア様。お会いするのを楽しみにしておりました。ロクサンヌと申します」
「お初にお目にかかります。皇太子近衛騎士、撫子のリリーシアです」
「美しい騎士様にお会いできて光栄です。どうか、お見知りおきを」
夫人が微笑む。なんて上品で綺麗な人なんだろう。華やかな微笑み方はマリーと良く似てる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「エルロックも大きくなりましたね。良く顔を見せてくださる?」
そっか。エルは、オルロワール家の人とは皆、知り合いなんだよね。
「少し大人びたように見えますね。秘書官として真面目に働いていると聞いていますよ。マリーの研究の手伝いをしてくれたとも。皇太子殿下も、さぞお喜びでしょう」
「お褒め頂き光栄です」
「良い噂ばかりとも限らないが……」
……マリユスも言ってたけど。お城で働く伯爵なら、エルの悪い噂は、たくさん聞いてそうだ。
「成長したな。元気そうで何よりだ」
「ふふふ。そうですね」
二人とも、エルのことを大事に思ってくれてるみたいだ。オルロワール家の人って、エルの家族みたいだよね。
夫人が私の方を見る。
「リリーシア様。貴女の御話しは、マリーからも良く聞いておりますよ。剣術大会での御武勇も拝見いたしました。ラングリオンでは、まだまだ女性の騎士は少ないもの。女性を代表して、リリーシア様が騎士となられたことに感謝申し上げます」
「はい。光栄です」
そんな風に言って貰えるなんて……。
「お噂以上に可愛らしい方ね。お困りのことがあれば、いつでも当家いらっしゃってね。歓迎いたしますよ」
「ありがとうございます」
「では、そろそろ失礼いたします」
「また、ゆっくりお話をしましょうね」
二人が歩いて行く。
……あぁ。緊張した。
「どうした?」
「緊張して……」
呼吸を整える。
いきなり伯爵に挨拶に行くから、少しびっくりしたけど。どこでも、落ち着いて挨拶出来るようにならなくちゃ。
騎士っぽく。
あれ?ドレスなら、騎士っぽくじゃなくて、貴族っぽく?でも、騎士も貴族扱いなんだっけ?ロニーから借りた本には、なんて書いてあったっけ……。
急に、音楽が鳴り始めた。
食堂の後方で準備をしていた楽団が演奏を始めたみたいだ。
「エルロック様、リリーシア様。お席へ御案内いたしましょうか」
「いや、良いよ」
エルがそう言って、席の方へ向かう。
マリーが右側の奥、その手前に伯爵夫人が座ってる。
手前が二つ空いてるから、そこが私とエルの席かな。
エルが私の椅子を引く。
「ありがとう」
楽団に一番近い席だ。
私の正面に座ってるのは、レオナールさん。その隣がアリシア。それから、伯爵、メル、アルベールさんの順で並んでる。
皆、音楽を楽しんでるみたいだ。
隣に座ったエルと目が合う。
「こんなに豪華な晩餐会なんて、はじ……」
あっ。
皆、音楽を聴いてるのに。
「どうしたんだ?」
『お喋りしちゃいけないと思ってるんじゃない?』
「そんなに堅苦しく考えなくて良いよ」
でも、ちゃんとした晩餐会なんだよね?
誰かが背後に立って振り返ると、テーブルのグラスに飲み物を注いでくれた。
『リリーは、こういうの慣れてないからね』
後ろに急に立たれるのは、ちょっと……。
「正式な晩餐では、ホストの到着や着席を合図に演奏が始まるんだ。客はホストの着席後、決められた席に付く。身動きの取りやすい男性は、女性をエスコートするのがマナーだ。って言っても、身内の晩餐だし、堅苦しく考える必要はない」
ホストって、マリーのことだよね。
『そう?この先こういうことがあるかもしれないんだし、リリーはちゃんと覚えておかなきゃいけないんじゃない?』
「心配しなくても、席を担当してるメイドが教えてくれるよ」
さっき、後ろに立った人?
でも、あの人は全員のグラスにドリンクを注いでるから、席の担当は別の人っぽい?
「客が座れば、乾杯用のドリンクがサービスされる。曲が終わればマリーが挨拶をして乾杯。その後は、食事を楽しめば良いだけだ」
「うん」
乾杯までは、静かにしてなきゃ。
エルが私の顔に触れる。
「まずは、ゆっくり音楽を楽しんだらどうだ?」
音楽……。
そっか。
楽団の方を向くと、ようやく音楽が耳に入ってきた。
「楽しい曲だね」
「あぁ」
こういう曲を聞くと気持ちも楽しくなる。
ルイスとキャロルは、エルのバイオリン聞いたことあるのかな。
「また、エルと一緒に演奏したいな」
「バイオリンとピアノがある場所なら、どこででも出来るよ」
「そっか」
音楽は、どこにでもある。
最初の音楽が終わって、マリーが立ち上がる。
「皆様、お集まり頂きありがとうございます。霧のブリュメールの月となり、ラングリオンも寒くなってまいりました。本日は、温かいお料理で皆様をおもてなししようと考えております。どうか、お楽しみください。それでは、皆様、どうかグラスをお持ちになってください」
グラスを持つ。
持ち方は……。みんな、ばらばらかな?
「グラシアル女王国からお越し下さった素晴らしい友人に感謝を。乾杯」
「乾杯」
皆で、グラスを高く掲げる。
グラス同士は合わせないらしい。皆に倣って、グラスのに口を付ける。
爽やかで美味しい。
飲んでいると、テーブルに料理が並んだ。
「ディルとサルモのタルタルでございます」
懐かしいディルの香り。色鮮やかなオレンジ色のサルモだ。丸く形どられたタルタルの周囲には、黄色いソースがある。
そのまま食べても美味しいけど、ソースを付けるとまた雰囲気が変わる。爽やかに香るレモンのオイルソース?
隣で、エルがパンにソースを付けて食べてる。
「美味しい?」
「あぁ。美味いよ。香りの良いオリーブオイルだ」
パンは自由に食べて良いのかな。籠に盛ってあるパンを取って、ソースを付けて食べてみる。
「美味しい」
すごい。パンにすごく合う。
食べ終わると、早々に空いた皿が下げられて、次のお皿が来る。
「エビとブロッコリー、粒マスタードソースでございます」
大きな海老だ。
ナイフとフォークで切って……。
ソースを付けて、口に運ぶ。
「美味しい」
口の中で弾けるような食感に、粒マスタードの辛味が加わる。
今度は、食感にこだわった一皿みたいだ。
ブロッコリーも歯ごたえのある茹で加減で美味しい。
もっと食べたくなる味だけど、これはまだ前菜なんだよね。
「焼き南瓜の彩りサラダでございます」
色とりどりの野菜が詰まったサラダだ。
香ばしく焼かれた薄切りの南瓜が甘くて美味しい。アイスプラントの食感も楽しいし、それにトレビスやラディッシュの辛味が加わって、味も色とりどりなサラダだ。
美味しかった。
グラスを手に取ると、空いた皿を誰かが下げる。
あれっ?
今の、男の人だった?
食事を運んできてくれてたのは、女の人だった気がする?
エルも気づいたみたいで、お皿を下げた男の人を目で追ってる。
『コランタンだね』
コランタンさん?
あの、長い黒髪の人が?
どうして、こんなところに?
―面白いね。髪の色を染めさせようか。
―君がそう言うなら、別の方法も考えることにしよう。
別の方法って、伯爵のお手伝いのことだったの?
でも、もともと伯爵の秘書官だし、処分は伯爵に任せたってことなのかな……。
っていうか、あの黒髪、鬘だよね?染めてないよね?
「カリフラワーのポタージュ、雪の結晶添えでございます」
メイドさんがスープを運んで来る。
食事を運んでくれるのは同じメイドさん。この人が、私たちの席の担当の人なのかな。
目の前に置かれたのは、雪みたいに真っ白なポタージュ。
雪の結晶の形をしたものが添えてある。何だろう。野菜?
「これも、飾り切り?」
「そうだよ。カリフラワーの芯の部分で作ってるみたいだな」
「すごく綺麗」
食べるのが勿体ないぐらいだ。
スプーンですくって、ポタージュを食べる。
すごく舌触りが滑らかだ。甘みがあって、体も温まりそう。
音楽に耳を傾けると、軽やかでゆったりとした曲が演奏されている。
綺麗な曲。
……気持ちも落ち着く。
『そろそろ、メルに手を振ってあげたら?』
えっ?
メルの方を見ると、笑顔になったメルが、私の方に上品に手を振る。
慌てて、メルに手を振り返す。
そういえば、食事の前に挨拶出来なかったよね。
ここからじゃ、ちょっと話すには遠い。
斜め前に居るアリシアを見ると、アリシアが微笑む。
「リリー、エルロック。こんばんは」
「こんばんは」
「こんばんは。挨拶が出来なくてごめんね」
「心配いらないよ。レオナール様との話し合いが長引いたのだろう」
「話し合い?」
「リリーは関係ないよ。俺の用事が長引いただけだ」
「すまないね。僕からも話したいことが多かったものだから、時間がかかってしまって」
そうだったんだ。
私の支度もぎりぎりだったと思うけど……。
「挨拶が遅れたね。こんばんは、リリーシア。素敵なドレスだね。その髪飾りは本物の薔薇を加工したものかな」
「はい。こんばんは、レオナールさん。これは、リックさ……、フェリックス王子がくれたものなんです」
「じゃあ、ドレスは、それに合わせたのかな」
「えっと……」
「ドレスは、ポルトぺスタで買ったものだよ。たまたまリックがオレンジの髪飾りをくれたから合わせたんだ」
「では、そのドレスで夜船に乗ったのか?」
夜船?
「ドレスで乗るわけないだろ」
『ちょっと怖がってたからね』
あ。ポルトぺスタで夜に乗った船?
「でも、すごく綺麗だったよ。空にも水面にも星空が広がってて」
「楽しめてたのか?」
「うん。夢みたいに綺麗な光景だった」
「なら、良いけど」
アリシアとレオナールさんが、くすくす笑う。
「エルは、そういうところがあるよね」
「そうだな」
そういうところ?
続いて、魚料理が運ばれてきた。
「ルージェのポワレ、ブールブランソースでございます」
「ルージェって?」
「白身魚だよ。リリーも食べたことあるだろうけど、今日のは、たぶんマリーが厳選して仕入れた奴だから、別物に感じるかもしれないな」
食べたことがある魚らしい?
白いソースの上に、皮が赤い白身魚が乗っていて、その上にフェンネルが飾られている。付け合わせは、アスパラ、人参、マッシュルームだ。
見た目は定番っぽい?野菜もグラシアルでも手に入りやすいものばかりだ。
でも、香りがすごく良い。どんな味かな……。
「美味しい。すごく食べ応えがある魚だよね?それに、このソースもバターの美味しいところが詰まってるってる感じがする」
エルが笑う。
「そうだな。ルージェのポワレは王道メニューだけど、料理人によって雰囲気が変わる料理でもある。美味いって言ってもらえたら、喜ぶよ」
付け合わせの野菜も一つ一つ味付けが違ってて、すごく楽しめる。
「お口直しの、香る薔薇のソルベでございます」
カクテルグラスに、薔薇が飾られたソルベが入っている。
すごくお洒落だ。
それに、薔薇の良い香り。
「この薔薇って、飾りかな」
「食用薔薇じゃないか?」
「エルロックの言う通り。食用薔薇ですから、どうぞ、ソルベと一緒にお召し上がりになってくださいね」
「だってさ」
「これ、リックさんが育てたものですか?」
『こら』
夫人が口元を抑えて笑う。
「仰る通り、フェリックス様から頂いた苗を当家で育てたものとなっております」
「あ、フェリックス王子……」
「今更、直さなくても良いだろ」
「すみません」
「構いませんよ。マリーの恋のお手伝いをしていただいたんですもの。フェリックス様とも親しくされていると聞いておりますわ」
親しく……。してるのかなぁ。
「鴨のロースト、リンゴンベリーソースとジンジャマーマレードソース、ルタバガのマッシュ添えでございます」
ええと?
お皿の上では、鮮やかな赤色のソースとオレンジ色のソースが美しいラインを描いている。どの料理でも思ったことだけど、一皿一皿が、まるで絵画のように色彩豊かに飾り付けられている。
鴨肉とリンゴンベリーソースの組み合わせは、すごく好き。
辛味と酸味の効いたマーマレードソースもすごく合う。
それに、ルタバガのマッシュも懐かしい。
「どっちのソースが好きだった?」
「どっちも好き」
エルが楽しそうに笑う。
「そうだな。どっちも美味い」
『リリー、大丈夫?』
「結構、お腹いっぱいかな……?」
「フロマージュは、絶対に食べた方が良いものがある」
「フロマージュ?」
メインの料理は終わったのに、目の前に、空のお皿が置かれる。
そして、別のメイドさんがワゴンを運んできた。
「フロマージュをお持ちいたしました。お好きなものをお選びくださいませ」
ワゴンの上には、色んな種類のチーズがたくさん乗っている。
『何、これ?』
「ラングリオンでは、肉料理の後にフロマージュが振る舞われるんだ」
「そうなんだ。さっき言ってたのって?」
「オルロワール家の自家製のフロマージュ。すごく美味いんだ。俺とリリーに切り分けてくれ」
「かしこまりました」
メイドさんがハーブの入ったチーズを切り分けて、私とエルのお皿に乗せる。
「後は、どんなのが食べたい?」
結構、お腹いっぱいだから……。
「あっさりめのかな」
「じゃあ、このチーズかな。小さめに切ってくれ」
メイドさんが、エルが指したチーズを私とエルのお皿に乗せる。
「後は、これもリリーに」
柔らかそうなチーズを、メイドさんが私のお皿に盛る。
「他に気になるのはあるか?」
「大丈夫」
「じゃあ、一旦これで終わりだ」
「かしこまりました」
メイドさんが頭を下げて、ワゴンを運んでいく。
チーズとワインって、最初に食べるオードブルみたいなイメージだけど。
ハーブが練りこまれたチーズを一口食べる。
……え?
「これ、すごい……」
「だろ?」
これだけで一品の料理って言えるぐらい、複雑な味わいがするチーズだ。
「お気に召していただけて光栄ですわ。そちらは当家自慢のチーズ。時代に合わせ、創意工夫をしながらオルロワール家に代々受け継がれてきた味なのですよ」
「歴史が詰まってるから、誰もが喜ぶ味に仕上がるんですね」
もう一度チーズを楽しむ。
なんて計算されつくされた味なんだろう。
「美味しい」
どの料理も完璧だ。
流石、マリーだよね。
こっちのチーズは、チーズなのに、あっさりしていて美味しい。
もう一つの柔らかいチーズはデザートみたいに甘いチーズだ。
こんなに色んな種類があるなんて、すごい。だから、フロマージュの時間があるのかな。
あれ?
音が止んでる?
楽団の方を見ると、楽器の手入れをしたり、楽譜の準備をしたりしている。
そういえば、ここにもピアノとバイオリンはあるよね。
「本日のデザートをお持ちいたしました」
大きなケーキが、メルの前に置かれた。
あれって……。
「プリンセストルタだ」
特別な時に食べる特別なケーキ。
「薔薇を飾った姫君のケーキでございます」
「まぁ、素敵」
メルが嬉しそうにしてる。
大きなドーム状のケーキは、ピンクのマジパンで可愛らしく覆われていて、上に赤い薔薇が飾られてる。
「あれ、グラシアルのケーキなのか?」
「うん。マジパンで覆ったケーキで、中にはスポンジやフレッシュクリーム、ジャムが入ってるの。上に飾ってある薔薇もマジパンで作ってるんじゃないかな」
すごく甘くて美味しいケーキだ。
「エルは苦手かも」
「たぶんな」
「じゃあ、一緒に演奏しよう」
「え?」
「メルが、エルのツィガーヌを褒めてたから」
きっと、メルもエルのバイオリンを聞いたら喜んでくれるんじゃないかな。
マリーが私たちの方に来る。
「お母さまから聞いたわ。今すぐ準備する?」
『伝言が早いね』
そっか。演奏するなら、マリーの許可が必要だ。
「じゃあ、ピアノとバイオリンを貸して」
「わかったわ」
そう言って、マリーが楽団の方に行く。
『大丈夫なの?』
大丈夫。
ツィガーヌはエルと演奏したことがあるから。
エルが椅子を引いて、私に手を差し伸べる。
その手を取って、一緒に楽団の方へ。
「座って」
「ありがとう」
ピアノの椅子に座る。
ちょっと足が届かない?
「調整しますね」
「ありがとうございます」
楽団の人が、私の椅子の高さを変えて、ドレスを整えてくれた。
「急な変更になって悪い」
「いいえ。こちらのバイオリンをお使いください」
ピアノの音を鳴らす。
綺麗な音色だ。
「楽譜が要るなら用意するわ」
うん。楽しく弾けそう。
「リリー。何を弾く?」
「ツィガーヌじゃないの?」
「もう少し明るい曲が良い」
「じゃあ、春?」
「冗談だろ?」
冗談……。
うん。大丈夫。
「わかった」
弾けるよね。
鍵盤の上で指を動かしてみる。
「楽譜がなくても弾けるか?」
「うん」
エルは、どんな風に弾くのかな。
楽しみ。
「マリー。準備が出来た」
「え?結局、何を弾くの?」
「冗談だよ」
正式な名前は何だっけ。
確か……。
「皆様。本日のゲストのエルロック様とリリーシア様が、バイオリンとピアノの演奏をして下さることになりました。どうぞ、お楽しみください」
エルの演奏を、皆に聴いて貰おう。
エルの方を見る。
「良い?」
最初は私から始める曲だ。
「ん。良いよ」
エルがバイオリンを構える。
はじまりの合図。
ピアノに向かって、指を動かす。
速くて、息を吐く間もないぐらい急かす曲だから。
……合わせて。
あぁ、やっぱり好きな音。
バイオリンの音をよく聞いて、楽譜の音符を頭に描いて。
掛け合いも気持ち良い。流石、エルだ。
でも、この辺からは、少しピアノがリードしても良いよね。
ゆっくり弾こう。速く弾いたら、早く終わっちゃうんだもん。
エルと目が合う。
ね?ほら。この方がもっと楽しめる。
あぁ、楽しい音。
……でも、そろそろエルの番。
綺麗。もっと遠くまで誘って。
そう、そんな感じ。
あぁ、でも、こっちにも行けそうな気がする。
だめ?良いよね?
だって、エルの音、すごく強いから。
こっち見て。見てくれた。
行けるところまで行こう。
ずっと先まで音が華やかに伸びていく。
最後の一音まで、楽しい音を響かせて。
※
楽しかった。
まだ、余韻に浸ってる。
エルに手を引かれて席に戻ると、伯爵夫妻が皆に挨拶をして食堂を出た。
これでお開きになるのかと思ったら、今度は、皆で別の部屋に行くらしい。
案内された応接室には、テーブル一杯にデザートが並んでいる。
色鮮やかなマカロンに、小さなセムラ、ボンボンショコラに果物まで。
「後で迎えに来るから、ゆっくりしてて」
「うん」
男の人は別の部屋?
エルは、アルベールさん、レオナールさんと一緒に部屋を出ていった。
部屋に居るのは、マリー、メル、アリシアと私。それから、メイドさんが何人か。
「晩餐会は楽しんでいただけたかしら。デザートの時間は、寛ぎながら楽しみましょう」
「アリシア、私もゆっくりして良い?」
「構わないよ」
「やった!美味しそうなお菓子がたくさんある!マリー、食べても良い?」
「もちろんよ」
ノックがあって、メイドさんが扉の方へ行く。
「少々お待ちくださいませ。……マリアンヌ様、ポリシア様がいらっしゃいました」
「お通しして」
「かしこまりました」
メイドさんが扉を開く。
「いらっしゃい、ポリー。どうぞ、座って」
「ありがとう、マリー」
『なんで、ポリーがここに居るの?』
「メルの護衛をしてたのよ。って言っても、食堂には入れないから、ぶらぶらしながら毒見係をしてただけだけど」
「毒見?」
「形式だけよ。姫を招いた公式なイベントだから、立ち合いが必要なんですって。フィオは厨房の立会人だったから、私は料理の味見してたの。どれも美味しかったわ。流石、オルロワール家ね」
「じゃあ、チーズも全部味見したの?」
「そこ、聞く?」
「だって、お腹いっぱいで食べられなかったから」
「流石に全部は食べないわ。どうせシェアして食べるものだもの」
「これをどうぞ」
「これは?」
「葡萄のエードよ。乾杯は、メルに頼めるかしら」
「えぇ?仕方ないなぁ」
メルが咳払いをする。
「本日は、素敵な晩餐会にお招きいただき、ありがとうございます。どれもとても美味しく、また、ラングリオン王国とグラシアル女王国の友情を感じる品の数々に感動いたしました。秋も深まる中、身も心も温まる素晴らしい晩餐を用意してくださったマリアンヌ様に感謝を。乾杯」
「乾杯」
皆で、グラスを掲げる。
「姫君にお気に召していただけたようで何よりです」
「もーぅ、マリー。いつもみたいにして?」
「ふふふ。あまりにも素敵な御挨拶だったんだもの。すごく嬉しいわ」
「だって、どれもすっごく美味しかったよ。どれも完璧。流石マリーだよ」
「ありがとう」
「メル、今のは誰の入れ知恵なのー?」
ポリーがメルの頬をつつく。
「ちゃんと自分で考えたもん」
「すごいね、メル」
「当然よ。御挨拶のテンプレートはたくさん覚えさせられたんだから」
「こういう時に、焦らずに答えを返せるようになったのは立派だよ」
「もっと褒めて」
「メル、えらい」
「メル、素敵だよ。ちゃんとお仕事してて、すごく偉い。それに、ドレス姿もすごく可愛い」
「……リリーも、素敵よ」
『おぉ。リリーのドレスアップ姿に怒らないなんて珍しいね』
「だって、すごく可愛いんだもん。ピンクって聞いてたけど、オレンジにしたの?なんか、グラシアルっぽいデザインだよね」
「これは、グラシアルでエルに買ってもらったの」
「あぁ、ポルトぺスタで買ってもらったって奴ね」
「また、あいつの話なのー?」
「もう結婚してるんだから、いい加減、突っかかるのやめたら?」
「むぅ」
可愛い。
「だから、リリーがあいつじゃなきゃ駄目な理由って何?」
「え?」
「そんなの、好きだからに決まってるでしょ」
「そうね」
「聞く必要もないことだろう」
「そんなの理由になってないよ」
『それ以上の理由なんてないだろ』
そうだなぁ……。
「私の夢を叶えてくれるのが、エルしか居ないからかな」
「え?」
「夢?」
「うん」
叶うことなんてないと思ってたこと。
「リリーの夢って、素敵な恋をすることでしょ?」
「それもエルが叶えてくれたんだけど……。それだけじゃないの。ずっと憧れてたこと」
それを聞いてくれたのもエルだった。
「えぇ?どんなこと?」
「秘密」
「教えてよー」
夢のままで終わるはずだったこと。
「イリス、知ってるんでしょ?」
『なんで、ボクが言わなきゃいけないんだよ』
「教えなさーい」
エルが大切にしてくれてる私の夢。
「内緒」
私の夢は、エルが大事に思ってくれているだけで、叶ってる。
※
涼しい風が頬に当たる。
うっすら目を開くと、金色の光に包まれてる。
エルの腕の中だ。
揺れてる。
ってことは、今、歩いてる?
「エル?」
エルがこちらを見る。
「起きたのか」
えっと……。何してたんだっけ?
確か、応接室で皆でお菓子を食べてて……。
「もうすぐガラハドの屋敷に着く」
そっか。
エルが迎えに来てくれたんだ。
「寝てて良いよ」
「歩けるよ?」
「お姫様なんだから、ちゃんと捕まってて」
……その言い方は、ずるい。
抱えられたまま、隊長さんのお屋敷へ。
中に入ると、ブリジットさんが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
「まぁ、素敵なドレスですね。何かお手伝いしましょうか」
えっと……。
「化粧を落としたいかな」
「かしこまりました。お手伝いいたします」
「お願いします」
「じゃあ、お茶の準備をして待ってるよ」
「うん」
ブリジットさんに手伝ってもらって、化粧を落とす。
あれだけ時間をかけて化粧をしてもらったけど、色を落とすのはあっという間だよね。ブリジットさんが、私の髪を解いて、軽く櫛を通してくれた。
「眠る前には、きちんとケアをしないといけませんよ」
そう言って、ブリジットさんが私の頬に何かを付ける。
ひんやりとしていて気持ち良い。
「ルイスとキャロルは、もう寝てるの?」
「はい。フランカ様はお戻りではありませんが、ファルクラム様とプリュヴィエ様もお休みになられています。ガラハド様もいらっしゃいますよ」
「隊長さんも?」
「はい。もうお休みなられましたが」
皆、帰って来てるんだ。




