141 お屋敷探索
「おはよう」
食堂に行くと、ルイスとキャロルが顔を上げる。
コーヒーの良い匂い。
朝食が終わった後らしい。
「おはよう、リリー」
「おはよう、リリーシア。エルはまだ寝てるの?」
「起きるって言ってたから、もうすぐ来ると思うよ」
「なら、朝食の準備をしましょう。ブリジットは出かけて居ないのよ」
「そうなんだ」
そういえば、今日は静かだ。
「他の子たちも居ないの?」
「うん。皆、昨日から出かけてるんだ」
「そっか。今日は、家族だけなんだね」
大きなお屋敷に四人だけ。
「そうだね」
「そうね」
※
キャロルと一緒にキッチンへ行く。
「あのね、リリーに謝らなきゃいけないことがあるの」
「謝らなきゃいけないこと?」
キャロルがキッチンの棚から、ブリキの缶を取り出す。
熟成ケーキが入ってるのだ。
キャロルがブリキの缶を開く。
「ごめんなさい。リリー。後、これだけしかないの」
缶の中には、ケーキが残り二切れしかない。
「この前、ケーキの様子を見ようと思って開いたら、ファルが勝手に食べちゃって。みんなで一口ずつ食べようってことになったんだけど、美味しかったから……」
皆で、いっぱい食べちゃったんだ。
「美味しく出来てた?」
「すごく美味しかったわ。今まで食べたことのない味で」
「良かった。エルも喜んでくれると思う?」
「もちろんよ。だから……。ごめんなさい」
「大丈夫だよ。謝らないで。私、全然手伝えなかったし、ケーキが美味しくなったのは、キャロルが頑張ったおかげだから。皆で美味しく食べてくれて嬉しいよ」
キャロルが頷く。
「だから、朝食の準備を手伝ってくれる?」
「そうね。でも、リリーも食べてみて。すごく美味しいの」
「じゃあ、半分にして食べよう」
「でも……」
「家族で食べたかったものだから、キャロルと一緒に食べたいの。……あ、ルイスも食べたんだよね?」
「もちろんよ」
「じゃあ、二人で食べよう」
熟成ケーキを半分に割って、一つをキャロルの口に入れる。
「美味しい」
もう片方は、自分で食べる。
美味しい。
熟成ケーキは、食べるたびに仕上がりが変わるような気がする。
「今度、また一緒に作ろう」
「そうね」
まだ、少し元気がなさそうだ。
「そういえば、今の家を他の人に貸すことになったんだ」
「え?」
「お城の料理人さんなんだけど。エルが独立を勧めて、そのまま貸すことが決まっちゃって。だから、今月中に引っ越し先を決めなくちゃいけなくて……」
「えっ?今月中?」
「そうなんだ。元々、お城から通えるような、皆で住める新しい家を探さなきゃって話はあったんだけど……」
「待って、リリー。もう少し、ゆっくり話してもらっても良い?」
『そうだね。順を追って説明しないと』
えっと……。どこから話したら良いかな?
※
朝食の準備を整えて、ワゴンに乗せて食堂へ運ぶ。
ベルクトのことは話せなかったけど、だいたい説明は出来たはず。
「もう。本当に、何でも勝手に決めちゃうんだから」
「ごめんね」
「良いのよ。リリーは悪くないわ」
元々、私が始めた話なんだけど……。
「今日の予定は大丈夫?皆で見に行きたいんだけど……」
「大丈夫よ。午後に合唱団に行くだけだもの。ルイスも大丈夫だと思うわ」
話しながら食堂の扉を開くと、目の前にルイスが現れた。
「え?ルイス?」
「ごめんね」
ワゴンを避けて、ルイスが走って出て行く。
急いでるみたいだ。どうしたんだろう?
「おはよう、キャロル」
「おはよう、エル。……ルイス、どうしたの?」
「さぁ?見せたいものがあるらしい」
すぐに戻ってくるのかな。
ワゴンを押してエルの方へ行くと、エルがケーキを見る。
「これは?」
「熟成ケーキって言うの。スパイスとドライフルーツがたくさん入ったケーキだよ」
朝食でデザートを出すことなんて無いから、珍しいよね。
テーブルにケーキを置く。
「エル、ごめんなさい」
隣で、キャロルが大きく頭を下げる。
「本当は、エルが帰ってきたら家族で食べようって言ってたんだけど、この前、皆で、たくさん食べちゃったの。だから、残りはこれしかなくて……」
エルが苦笑する。
「良いよ。レシピを知ってるなら、いくらでも作れるだろ?」
「レシピは知らないわ。リリーが作ったんだもの」
「リリーが?」
「違うよ、ほとんど、キャロルが作ってくれたんだよ」
「私は、ラム酒を塗っただけだもの」
それが一番大変な作業なのに……。
キャロルのことだから、毎日、丁寧に塗ってくれていたに違いない。
「いつ作ったんだ?」
「確か……。ヴィエルジュの十日ぐらいだったかしら」
「は?」
あっ。エルは何も知らないんだよね。
「あの、これは熟成ケーキって言って、焼いたフルーツケーキにラム酒を添付しながら、ゆっくり熟成させながら作るケーキなの」
「熟成?ワインみたいに?」
「そう。そんな感じ。キャロルが毎日ラム酒を塗ってくれてたから、すごく美味しくなったんだよ」
エルが帰ってきたら食べる予定だったケーキ。
一か月ぐらいで食べる予定が、二か月も熟成することになっちゃったけど。
「食べて良いか?」
「うん」
エルがケーキを食べる。
きっと、気に入る味のはず……。
「美味い。こんなの初めて食べた」
そう言いながら、エルが一気にケーキを食べてしまう。
思った以上に気に入ってくれたみたいだ。
「前にリリーが食べてもらいたいって言ってたのは、これか」
「ごめんね、ずっと隠してて」
「ごめんなさい。勝手に食べちゃったりして。エルが帰ってきた時に食べようって、リリーが作ってくれたものだったのに。この前、出した時に、ファルがつまみ食いして。それで、皆でたくさん食べちゃったの」
エルがキャロルの頭を撫でる。
「これだけ美味いなら、すぐになくなるのもわかるよ。また、二人で作ってくれるか?」
キャロルと顔を見合わせる。
「リリー。今度は、もっとたくさん作りましょう」
「うん。そうだね」
ようやく、キャロルが笑ってくれた。
元気になってくれたみたいだ。
「さぁ、リリーも座って。今朝のスープは私が作ったのよ。冷めない内に食べてね」
キャロルのスープは久しぶりだ。
座って、エルと一緒に朝食を食べる。
「リリーから聞いたわ。セントラルに引っ越すって」
「これが資料だ」
隣に座ったキャロルに、エルが書類を渡す。
キャロルが、お屋敷の見取り図を眺める。
「大きなお屋敷なら、掃除が大変そうね」
「掃除は定期的にメイドに頼むよ。もしかしたら、家政婦を頼むかもしれない」
「家政婦?ブリジットさんみたいな?」
「あぁ。広い家なら、家の管理人が必要だからな」
「なんだか貴族みたいね」
そんなに広い家じゃなくて良いんだけど……。
「お掃除も店番もしないなら、私、何をしようかしら」
「好きなことをやれば良いよ。勉強したいなら家庭教師を探しても良い」
「私は……」
キャロルが俯く。
何か勉強したいことがあるのかな。
扉が開く音がして振り返ると、ルイスが来た。
「エル、これを見て」
ルイスがエルの横に何か広げる。
「錬金術研究所の研究員募集要項?」
「養成所の卒業生以外にも、一般向けに研究員の募集が行われてるんだ。僕、見習いで研究所に入ろうと思ってる」
見習い?
ルイス、研究所に入りたかったんだ。
キャロルの方を見る。
「キャロルは知ってた?」
「えぇ。カミーユにも相談してたから。見習いの採用があることは前から知ってたのよ」
「そうだったんだ」
「図書館でジニーと勉強してるのも、その一環なの。セリーヌから二人で勉強することを勧められたのよ」
「じゃあ、ジニーから錬金術を教わってるの?」
キャロルが首を振る。
「違うわ。単に、研究所で働くのに必要な勉強を一緒にしてるって感じかしら。ジニーって、ルイスよりも錬金術の知識がないらしいの」
「え?養成所を卒業してるんだよね?」
「良くわからないけど、専門が違ったみたい」
ってことは、元々、錬金術が専門じゃなくて、魔法が専門だったのかな?
「キャロルは何の勉強をしたいの?」
「私?」
「さっき、エルに何か言いかけてたから」
「私は……。歌うことが好きなだけよ」
ってことは、歌を勉強したいのかな。
「ラングリオンでは、歌の勉強が出来るところはないの?」
「あるわ。音楽院が」
あるんだ。
「音楽院って、どんなところ?どこにあるの?」
「色んな音楽が勉強できるところよ。楽器も教えてくれる。音楽堂の近くにあるわ」
音楽堂……。
―闘技場と対になってるのは音楽堂。
―同じぐらいの広さの建物が西側にもあるんだ。
「セントラルの西側?」
「そうよ」
「じゃあ、セントラルに引っ越すなら通えそうな場所なんだ」
「え?駄目よ。音楽院は、貴族が通うところだもの」
貴族だけ?
でも、エルが通ってた養成所も、貴族以外の優秀な学生を募集してたよね?
「一般の人は入れないの?」
「入れるけれど……」
何か、難しい試験とかがあるのかな。
「別に、行きたいってわけじゃないのよ」
そうかな。
興味があるように聞こえるけど。
※
朝食が終わった後は、皆で家探しに行く。
最初にエルに案内してもらったのは、隊長さんの家からも近い場所。
「大きなお屋敷ね……」
「これは広過ぎるんじゃない?」
隊長さんの家よりも大きいんじゃないかな?
こんなに広かったら、自分の家で迷子になりそうだ。
「私も、ここは大き過ぎる気がする」
エルが頷く。
「じゃあ、次に行こう」
エルも興味がなかったらしい。
※
貴族街を抜けると、いつもの王都の雰囲気に戻った。
次の家は、セントラルの西側。貴族街ではない場所で、ウエストストリートに近い場所にあるらしい。
セントラルの奥の方を歩くのは初めてだ。
セントラルは、研究所とか闘技場とか公共の施設がたくさんあるイメージだったけど、この辺は住宅街っぽい。
でも、不思議な通りだ。古い家や新しい家が立ち並んでいたかと思うと、急にカフェや帽子屋さんがあったりする。道幅もばらばらで、馬車が通れないぐらい細い路地もある。
「エル、次はどっち?」
「左だ。曲がったら、すぐ右の道に入る」
「わかった」
可愛い家。あ。ここは、ぬいぐるみを売ってる店なんだ。
『リリーに、この道は無理じゃない?』
「え?」
えっと……。ここまで、どうやって来たっけ?
ようやく、屋敷の門の前に着く。
でも、目の前にあるのはお屋敷っぽくない建物だ。
「これって、正門じゃないよね?」
「裏門だな」
裏門?
門を開いて、皆で敷地の中に入る。
「あれは?」
「礼拝堂跡だよ」
そう言って、エルは建物の裏の方に行ってしまった。
「礼拝堂があるなんて、変わったお屋敷だね」
「中に入れるのかしら」
「入り口はあっちだね」
ルイスに続いて、礼拝堂の正面に回る。
入り口に扉はないみたいだ。
中は、ところどころに草が生えていて、壊れた椅子が放置されている。
「このお屋敷って、ずっと使われてないのかしら」
「そうかもね」
高い天井を見上げると、ガラスのついていない窓から精霊や妖精が出入りしているのが見えた。
「精霊が飛んでるの?」
「うん」
「じゃあ、ここは良いところなんだね」
精霊や妖精が気に入る場所。
「妖精が居るから、綺麗な花が咲いてる場所があるかも」
「本当?」
「庭に出てみようか」
礼拝堂を出ると、目の前の庭にも妖精が飛んでいる。
「素敵な花壇ね。色んな花が咲いてるわ」
『あら。リリーシア』
『珍しいお客さんね』
「こんにちは?」
どこかで会ったことがある……?
「専属の庭師でも居るのかな」
「そうかもしれないわ。私、エルを呼んで来る」
そう言って、キャロルが走って行く。
……思い出した。
「フローラの店で会った?」
『そうだよ。ここは、フローラの店の裏だからね』
「え?そうなの」
『ここが店だよ』
正面にある、裏口がついてる家。
「どうしたの?リリーシア」
「あの家、フローラの店なんだって」
ルイスが首を傾げる。
「ここって、たぶん、屋敷の正門だった場所だよね?」
「本当だ」
他は全部石の塀で覆われているのに、この辺りだけ塀がない。
「裏口から出入りさせてもらえたら、すぐウエストストリートに出られるんだけど」
『フローラに頼んでみたら?』
「使わせてくれるかな……」
「まずは、屋敷を見に行こうか」
「うん」
右側に礼拝堂、隣に給水塔があって、左側にあるのが、お屋敷だ。
貴族街の屋敷を見た後だから、そんなに大きくない屋敷に見える。
「あれ?鍵がかかってるね」
頑丈そうな扉だ。
「エル!この家の鍵ってある?」
ルイスが大きな声を出すと、礼拝堂前の花壇を見ていたエルとキャロルが、こちらを見る。
「あるよ」
中は、どんな感じになってるのかな。
※
エルに鍵を開けてもらって、屋敷の中に入る。
「広いね」
「うん。天井が高いわ」
「あの豪華な扉の先は何?」
「食堂だ」
エルが資料を見ながら話す。
ルイスとキャロルが開いた扉の先は、広い食堂。
隊長さんの家の食堂と、どっちが広いかな。右側は大きな窓があって、中庭が見えるようになっている。左側は壁だ。
「こっちは壁なのね」
絵画や美術品が飾られていて、豪華な壁だ。
「隣は図書室らしいな」
図書室もあるんだ。
「上に行っても良い?」
「良いよ」
エルは、資料に目を落としたままだ。
ルイスとキャロルに付いて行こう。
食堂を出ると、ルイスとキャロルが左右に分かれて階段を上がっていく。
「待って」
ロビーの正面には、緩やかに曲がった階段が二つある。キャロルを追いかけて右側の階段を上がると、二人が廊下の中央にある窓から外を眺めていた。
一緒に覗くと、食堂からも見えた中庭が見える。
「他の部屋も見てみよう」
「勝手に見て良いのかしら」
振り返って見下ろすと、エルが一階の部屋に入るのが見えた。
二階の廊下からは、一階ロビーが見渡せる。
「見て良さそうだね」
「皆で住むかもしれない家だから、ちゃんと見ておいた方が良いと思う」
「そうね。じゃあ、私は、こっちの部屋を見るわ」
「じゃあ、僕はこっち」
キャロルが右側の部屋、ルイスが左側の部屋に入っていく。
『リリーは、どうするの?』
えっと……。
迷っていると、それぞれの部屋に入った二人が、窓越しに手を振る。ここから、左右の部屋の様子も見えるんだ。
一階の左側には食堂。右側の小さな窓は何の部屋かな。
部屋から出てきたキャロルが、私の腕を引く。
「向こうは応接室だったわ。ルイスの方も見てみましょう」
キャロルと一緒に、ルイスが居る左側の部屋に入る。
書棚と大きな机がある部屋だ。
壁には絵画も飾られている。大きな木の絵だ。これって……?
「何の部屋かな。書斎にしては本がないよね」
ルイスが見てる本棚には、本が数冊しか入ってない。
「執務室じゃないかな」
「執務室って、なぁに?」
「アレクさんとか、アルベールさんが仕事してる部屋?」
「えっ?そうなの?」
「なら、重要な書類は処分されてるのかな」
だから、本棚が空っぽなんだ。
「リリーシアって、本当にお城で仕事してるんだね」
「もう。近衛騎士なんだから当然でしょう?」
そう言われると……。変な感じ?
「その絵が気になるの?」
「え?……うん」
これ、ヴィエルジュの大樹に似てる。
「何か落ちてるよ」
ルイスに言われて足元を見ると、本棚の影に棒が落ちていた。
しゃがんで取ろうとするけど、全然取れない。本棚に挟まってるのかな?
壁に手をついて引き抜こうとすると、急に壁が動いた。
「あ、」
『リリー!』
「リリー?」
「リリーシア、」
ルイスに腕を掴まれたものの、そのまま壁が動いた方に手をつく。
顔を上げると、たくさんの本棚が見えた。
「大丈夫?リリー」
「うん」
「そっか。隣は図書室だっけ」
『そういえば、エルが言ってたね』
ここは食堂の上だから……。図書室の二階部分の隣でもある?
「どうしよう。壁、壊しちゃった」
ルイスが笑う。
「元々、壁が動く仕掛けみたいだよ」
「え?」
動いた壁を見ると、中央部分が天井と床に付いている。
「壁が回転する仕組みみたいだから、逆側を押せば元通りになるよ」
執務室に戻って、棒が付いていない方の壁を押すと、ぴったり元通りの壁になった。
床の棒は、壁のストッパーだったらしい。
「他にもこんな仕掛けの場所があるのかな」
「面白いわ。調べてみましょう」
執務室を出ると、キャロルが前を指す。
「あっちのバルコニーは、どうやって行くのかしら」
ロビーの二階部分にはバルコニーがある。けど、こっちの廊下があるのは執務室の前までだから、向こうとは繋がってない。
「西側には別の棟があるみたいだよね。向こうから行けるんじゃないかな」
「通路って、分かりやすいところにあるかしら」
「どうかな。変わった屋敷みたいだから」
「あっちの扉は?」
キャロルが、廊下の端にある扉を指す。
「行ってみよう」
「うん」
皆で、廊下の右端にある扉へ。
付いていた錠前を開けて、扉を開く。
「外?」
「ルーフバルコニーだね」
広いバルコニーからは、隣の給水塔や礼拝堂、さっきの花壇まで見える。
「ここなら、色んな植物が育てられそうね」
「何か育てたいものがあるの?」
「そうね……。色んな野菜を植えてみたいわ。エルが育ててる変な葉っぱだけじゃなく」
それって、錬金術に使う薬草のこと?
「野菜なら、庭で育てたらどう?」
「それもそうね」
庭も広そうだ。
「見晴らしも良いから、ここで歌ったら気持ち良さそうだね」
「そうかも。歌っても良い?」
「もちろん」
「うん。聴きたい」
キャロルが呼吸を整えて、歌を歌う。
良く響く綺麗な声。
エルにも聞かせてあげたいな。
……どこかで、聞いてるかな。
歌が終わって、ルイスと一緒に拍手をする。
「素敵だった」
「ありがとう。次は、どこを探検しましょうか」
「僕は図書室を見て来ようかな」
「じゃあ、私は西側を見てこようかしら。バルコニーに行けるところを探してみるわ」
中に戻って鍵をかけると、早速、二人が階段を下りていく。
『リリーはどうするの?』
どうしよう?違うところを見た方が良いよね。
「この下を見ようかな」
『大丈夫?一人で歩いて』
「大丈夫だよ。大きな部屋ばっかりだし」
『まぁ、住むかもしれない家で迷子にはなれないか』
迷子になんてならないよ。
階段を下りて、すぐ近くにある扉を開く。
薄暗い。何の部屋だろう?
小さな部屋の奥には、もう一つ部屋があるみたいだ。
奥の部屋を覗く。
「お風呂?」
『そうだね』
シャワー設備はないけれど、お湯を貯められるお風呂がある。
ってことは、手前の部屋は脱衣室だったのかな。
ロビーに戻って、右隣の部屋に入る。
こっちはキッチンだ。
長い間使われてなかった場所なのかな。
結構、広い場所だよね。
古いオーブンを開く。
『誰かが掃除してるのかな』
そんなに埃をかぶってない。
『これは何だろうね』
イリスが見てるところには、変わった装置がある。深くて大きな鍋みたいなものが乗った暖炉みたいな場所。
「鍋でお湯を沸かすところ?」
『かなりの量だよ?』
近くにあるレバーを引くと、鍋の向こう側が開いた。
『あ。お風呂のお湯を作るところか』
「そうかも」
お湯が、隣のお風呂に流れていくんだ。面白い仕掛け。
キッチンを出て、ロビーに戻る。
次はどこを見ようかな。
「リリー」
エルの声?
聞こえた方を見上げると、行き方がわからなかった二階のバルコニーにエルが居た。
「エル」
「ルイスが、そこの図書室に居るはずだから、ロビーに呼んでおいてくれ」
エルが図書室の方を指で示す。
「うん。わかった」
図書室に入ると、口元にスカーフを巻いて本を眺めていたルイスが、こちらを見る。
「ルイス。エルがロビーに来てって」
「わかった」
ルイスが本を戻して、スカーフを取る。
埃だらけだから付けてたのかな。
ルイスと一緒にロビーに戻ると、二階のバルコニーにエルとキャロルが姿を現した。
「これから何か始まるの?」
「たぶん……?」
キャロルが一歩前に出て、エルが後ろに下がって。
キャロルが、歌い始める。
さっきとは違う歌だ。
広いロビーにキャロルの歌が響く。
楽しそうな歌声だ。
こんなに歌が好きで、もっと勉強したいって思ってるなら、やっぱり音楽院に行った方が良いんじゃないかな。
どうして、行くのを躊躇うんだろう。
歌が終わって、皆で拍手をすると、キャロルが手を振る。
「聴いてくれて、ありがとう」
そう言って、キャロルが向こうに行く。
「小さな舞台みたいだったね」
「うん。素敵だった。……キャロルって、やっぱり歌の勉強がしたいんじゃないかな」
「音楽院の話?」
「ルイスも聞いてたの?」
「キャロルと一緒に調べたからね」
「ルイス、リリー」
エルに呼ばれて、バルコニーを見上げる。
「洗濯室の鍵、開けっ放しだから、閉めておいてくれ」
「え?」
「洗濯室って、どこ?」
「外に出られる場所だよ。探してみな」
「わかった」
「探してみる」
そんな部屋、あったかな?
「洗濯室ってことは、水回りだよね。シャワー室とかキッチンの辺りかな」
「じゃあ、向こうかな。一番向こうがキッチンで、その手前がお風呂だったから」
「お風呂?確かに、古い建物ならシャワーはないか」
いつも使ってるから気づかないけど。シャワーって、クララの時代にはなかったんだよね。
だとすると、この建物って、それぐらい昔のもの?
「でも、出入口なら外から探した方が早いかな」
「そうかも」
ルイスと一緒に屋敷の外に出て、屋敷の周りを歩く。
「音楽院っていうのはね、エウリディーチェ家……、ユリアの家がやってる音楽家の養成所なんだ」
「え?ユリアの家って、音楽家なの?」
「音楽家でもあるし、音楽堂の管理を任されてる名門だよ」
「そうだったんだ」
貴族の家が色んな事業をやってるっていうのは聞くけれど。ユリアの家が音楽の名門だったなんて知らなかった。
そういえば、ユリアはピアノがすごく上手いって言ってたっけ。
「リリーシアは音楽堂に行ったことある?」
「ないかな?」
「音楽堂では、色んな劇団や楽団が活動していてね。そこで活躍する音楽家を育てる為に作られたのが音楽院なんだよ」
「そうなんだ。入るのは難しいの?」
「音楽を勉強したいなら誰でも入れるって言われてるけど……。入学金も高額だし、学用品や楽器も自分でそろえる必要があるから、貴族の後援なしには入れない場所って言われてるね」
楽器は、どれも高級品だ。
「それに、基礎的な勉強を学んだところで、有名な音楽家の指導を受けられるかどうかはわからない。その先は、個人の才能にかかってるんだ」
「どういうこと?」
「国中の有名な音楽家が出入りする場所だけど、誰を弟子に取るかは彼ら次第。育てたいって思ってもらえなきゃ、誰かに師事することなく卒業するしかないんだよ」
『なかなか厳しい世界だね……』
「歌が好きってだけじゃ難しいのかな」
「僕は、興味があることなら勉強した方が良いと思うよ。でも……」
「でも?」
「エルに遠慮してるんだと思う」
「遠慮?」
遠慮って……。
「ここが洗濯室かな」
そう言って、ルイスが扉を開く。
薄暗い部屋だ。
でも、大きな流し台があるし、洗濯室で間違いなさそう?
「鍵は内側しかかけられないみたいだね」
ルーフバルコニーの扉と同じのかな。
ルイスが錠前を下ろす。
「これで完了だね」
洗濯室の隣の扉を開くと、キッチンに繋がっていた。
『さっき来た場所だ』
ここに繋がってたんだ。
もう少しちゃんと調べてたら、洗濯室もわかったんだけどな。
でも、遠慮って、どういう意味だろう。
エルは、キャロルがやりたいことがあるなら応援してくれると思うけど……。
「ルイス、リリー。ここに居たの?」
「キャロル」
「ロビーに行ったら居ないんだもの。探したわ」
キャロルがキッチンに入って来る。
「ごめんね。そろそろ見終わったし、エルを探そうか」
「私は疲れちゃったから、ロビーで待ってても良い?」
「良いよ。リリーシアはどうする?」
「私も探すよ」
「わかった。エルが居そうな場所と言えば……」
一つしかない。
「図書室」
三人の声が揃って、皆で笑う。
キャロルにロビーで待ってて貰って、ルイスと一緒に図書室に行く。
「居ないね」
見晴らしの良い図書室だから、隠れるところなんてないはずだ。
二階も全部見渡せるようになっている。
「あの部屋に居るのかな」
図書室一階の奥には、机が置いてある小さな部屋がある。
ルイスは、その部屋を見に行ったみたいだ。
『リリー。向こうの絵が動いてるよ』
イリスが言った方を見ると、絵画が不自然に奥の方にずれているのが見える。
あそこも何か仕掛けがある?
「ルイス。二階を調べてくるね」
「わかった」
二階の左側にある絵の場所へ行く。
ここは、壁が扉みたいになっていて、奥の部屋に向かって開いている。
暗くて埃っぽい。
もしかして、隠し部屋?
暗い部屋に入って手を伸ばすと、壁に当たった。
自分の周りだけぼんやりと光る。
そっか。リュヌリアンの明かりもあるんだっけ。
でも、近くしか見えない。
「エル!ここに居るの?」
呼びかけると、自分の声が響いた。そんなに広くない部屋なのかも。
「居る……っ」
エルの声が聞こえたかと思うと、咳き込む声に変わった。
「エルっ?」
こっちの方からだ。
前の壁に手を付けながら壁の裏に回ると、下の方から明かりが見えた。
『リリー、気を付けて』
イリスの水色の光が足元を照らす。
ゆっくり階段を降りると、明かりと共にエルが階段を上がってきた。
「大丈夫?」
「平気。埃を吸っただけだ」
エルは、ルイスみたいに口元にスカーフを巻いている。
そんなに埃だらけの場所に居たのかな。
エルの頭についてる埃を払う。
「ここ、隠し部屋なの?」
「あぁ。下にも古い本がある。ラグナロクが書いた名もなき王の物語を見つけた」
見覚えがある本。
「これ、グラシアルにあったのと同じのだよ」
本の雰囲気も装丁も同じ。
「屋敷は見終わったのか?」
「うん。洗濯室の鍵を閉めたから、エルを探してたの。皆、待ってるよ。ロビーに行こう」
「あぁ」
エルと一緒に隠し部屋を出る。
隠し部屋は、絵の後ろにある鍵穴に屋敷の鍵を使うことで入れるらしい。
お屋敷の鍵は、持ち手の装飾が凝った丈夫そうな鍵だ。古いものなのかな。
不思議なお屋敷だ。
※
ロビーに戻って、皆で集まる。
「どうしたの?エル。埃だらけね」
「隠し部屋があったんだよ」
お屋敷は、どこも埃をかぶるほど汚れてなかった。
隠し部屋は、長い間、誰も知らなかった部屋なのかな。
「それで?この屋敷の感想は?」
「素敵なお屋敷だと思うわ。庭も広くて」
「僕も良いと思う。この図書室、すごいよね」
「私も、良いところだと思う」
どの部屋もロビーに繋がってるから、迷いにくそうだ。
「ただ……」
ここに来るまでの道のりは難しそうだけど。
ルイスとキャロルがため息をつく。
あれ?私、心配されてる?
「あのっ、私、大丈夫だよ。一人でも来れると思う」
『それは言い過ぎじゃない?』
どうやって来たかは全然覚えてないけど。
帽子屋さんとかぬいぐるみ屋さんもあったし。
「それに、ほら。困ったら、フローラに頼んでみるから」
「フローラに?」
「ここってフローラの家の裏だから」
エルが資料を覗き込む。
そうかと思うと、急に走って屋敷から出て行った。
「エル、どうしたのかな」
「フローラと交渉しに行ったんじゃない?」
「どういうこと?」
キャロルが首を傾げる。
「礼拝堂の前にあった、裏口が付いた家。あれ、フローラの店らしいんだ」
「そうだったの?」
「だから、通れるようにしてもらえないか、交渉しに行ったんだと思う」
「そんな簡単に行くかしら?」
「どうだろうね。……二人とも、屋敷は全部見た?僕は、もう少し西側を見たいんだけど」
「あ、私も見たい」
「なら、私も行くわ」
そういえば、西側はまだ見てなかった。
皆で、ロビーの左側についてる廊下から西の棟に行く。
西の棟の一階。
廊下沿いに部屋が二つ、奥に部屋が一つあるみたいだ。こっち側は、個室が並んでる場所なのかな。
二階に上がる踊り場には三面に窓が付いた広い踊り場がある。小さな部屋みたいだ。
二階へ。
廊下沿いに部屋が三つ並んでいて、奥にも小部屋があるみたいだ。
「右側の廊下から、ロビーのバルコニーに出られるのよ」
「そうなんだ」
「仕掛け扉はないみたいだね」
「そうね」
階段を上がると、下と同じような広い踊り場があった。
更に上がって、三階へ。
上がった先には部屋が一つ……?
扉を開くと、間取りの広い部屋の奥には、更に別の部屋がある。一つはウォークインクローゼットとして使えそうな小部屋。奥の部屋は主寝室だ。
「見晴らしが良いお部屋ね。こっちの窓からは、音楽堂とお城も見えるわ」
「本当だ」
高い建物があんまり無いから、どこも良く見える。
「こんなにたくさん部屋があるなんて。どうやって使うのかしら」
必要な部屋……。
「きっと、研究室はどこかに作るよね?」
「それなら、ロビーの横にあった部屋で良いんじゃない?」
「そうよ。危ないことするんだもの」
確か、ロビーには左右に部屋があったっけ。
「そろそろ、エルの所に行こうか」
「フローラと喧嘩してないと良いけれど」
「えっ?」
喧嘩なんて、してないよね……?




