119 夫婦
「機嫌直して」
「別に、怒ってないよ」
さっきのは、ちょっと笑い過ぎだと思うけど。
別に、そんなに怒ってるわけじゃない。
「じゃあ、こっち見て」
今は、レインコートを探しながら歩いているところだ。
周りのお店を見ても、あまり良いものは見つからない。
視線をエルに向ける。
「後で甘いものでも食べに行こう。行きたいところはあるか?」
行きたいところ……。
そうだ。
「ウォルカさんのお店」
「ウォルカの店?」
いつもお土産を買って帰るだけだけど、お店で食べられるケーキも置いていたはずだ。それに。
「今行ったら、ウォルカさんの奥さんに会えるかもしれないんだ」
「奥さん?あいつ、結婚してたのか?」
エルも知らないんだ。
「そうみたい。ウォルカさん、今はアレクさんのところに絵を描きに行ってるから、奥さんが店番をしてるって言ってたよ」
会うのが楽しみだ。
それに、ショコラのケーキも。
「絵を描きにって、どういうことだ?」
「アレクさんと近衛騎士が並んだ絵を頼まれてるんだって。アレクさんが暇な内に仕上げるって、お城に描きに行ってるみたい」
どれぐらい描き上がってるのかな。近衛騎士全員を描かなきゃいけないから、大変だよね。
「だったら、リリーも描いてもらわないといけないんじゃないのか?」
「え?」
私?
「撫子のリリーシアだろ?」
「……うん」
そうだった。私も描いてもらわなくちゃいけないんだ。
でも、マリユスが増えた時も困ってたのに、私が増えたらよけい困っちゃうんじゃ……。
「あ」
「あ」
可愛い。
同時に声を上げたのに気付いて、思わず笑う。
「良いのが見つかったな」
「うん」
素敵なレインコート。
淡い紫色で、マントのように大きく広がるタイプみたいだ。
あれなら、リュヌリアンを背負ったままでも着られるかもしれない。
※
買ったばかりのレインコートを羽織って、ウォルカさんの店を目指す。
リュヌリアンを背負ったままでも着られるのはとっても便利だ。
抜く時は気を付けなくちゃいけないけれど。
「雨だ」
霧雨。
微細な雨を見上げると、エルが私の頭にフードを被せる。
「あの人は、どうして雨を降らせるのかな」
ずっと、降ったりやんだり。
「雲で世界を覆う分には魔力は使わないが、雨を降らせるのには魔力を使うらしいぜ」
やっぱり、雨を降らせるのはわざとなんだ。
「ヴィエルジュの為に降らせてるのかな」
「なんで?」
「だって、名もなき王の物語には、二人が恋人だって書いてあったよ」
「あれに書かれてるヴィエルジュが、大樹のヴィエルジュとは限らない」
「そうかな」
私が読んだ感じだと、二人のイメージにぴったりだけど。
「エルは、ヴィエルジュの意味を知ってる?」
「聖母だろ?」
「グラシアルでは、乙女って意味なんだよ」
「乙女?ただの少女ってことか?」
「そうだよ。好きな人を呼ぶ言葉なの」
だから、ヴェラチュールはヴィエルジュのことが好きなんだと思う。
「リリー」
「うん?」
顔を上げると、エルと目が合う。
「たとえ、どれだけ離れていたとしても。俺の帰る場所で居て」
どういう意味?また、一人でどこかに行っちゃうの?
エルの腕を掴む。
「離れないよ。どこにでも連れて行ってくれるって、約束したよね?」
もう、置いて行かないで。
「そうだったな。一緒に行こう」
良かった。
「ありがとう。エル」
一人で危険な目に合うなんてさせない。
エルは私が守る。
「ほら。着いたぜ」
顔を上げると、見覚えのある店が見える。
「ウォルカの店だ」
※
エルと一緒にお店の中に入る。
「いらっしゃい」
え……?
「あら。あなたがエルロックだね。隣に居るのがリリーシア。甘いものでも欲しくなったの?色々あるよ。商品の説明なら任せて頂戴。どんなのが欲しい?」
エルに手を引かれて、前に進む。
でも、待って。
目が離せない。
「リリー、どれにする?」
茶色い髪。翡翠の瞳。
そして、この黄緑色の輝き。
「あなたが、デルフィ?」
「は?」
相手が、にっこりと微笑む。
「そうよ」
「ウォルカさんの奥さんなの?」
「そうよ」
結婚してる……。
「リリー。帰るぞ」
「えっ?エル?」
エルが私の腕を引く。
「待って、だって、風の大精霊を見つけたのに」
「今日はリリーとゆっくりする日だって言っただろ」
「でも……」
笑い声が聞こえて、デルフィの方を見る。
「私はしばらく王都に居るつもりだから用がある時に声をかけてくれれば良いよ。でも私も商売人だからね。砂漠の封印の棺の封印を解きたいって言うのならそれなりの対価を要求するよ」
この人、ウォルカさんと似てる……。
でも、ウォルカさんよりは言ってることが聞き取りやすいかも。
『エル。下手なことを言うなよ』
『精霊との取引は慎重にねぇ』
「わかってるよ」
『本当にわかってるの?』
エルって、すぐに何でも言うことを聞くって言っちゃうよね。
「対価って何だ」
「何?乗り気?今日は一日その子とデートするんじゃなかったの?」
「な……」
「ちなみにエルロック。君は王子から護衛任務完了のサインをもらってギルドに行かなければならないんじゃなかったのかい。あぁ急ぐ案件ではなかったかな。でも大陸会議が終わるまでにはやっておかないとね」
「なんで、そんなに何でも知ってるんだ」
「私を誰だと思ってるんだい。王都中の噂話なら把握済みさ。昨日の夜にはアイフェルとも情報交換を済ませているし次は私を頼って来ると思っていたよ」
風の大精霊だから、移動範囲も広いんだ。
「リリーシア。キウイと林檎のエードは美味しかった?」
「はい。あれを買って来たのもデルフィだったの?」
「そうだよ。ここで売ってるショコラは鮮度が命の食材も多いからね。私があちこちに買い付けに行っている食材もあるんだ」
「ウォルカの頼みなら、代償を得ずに聞くのか?」
「ふふふ。伴侶の頼みぐらい無条件で聞いてやるもんじゃないのかい」
本当に夫婦なんだ。
「それで、何が欲しいって言うんだ。それだけ情報を持ってるってことは、俺が用意できるものなんだろうな」
「もちろんだよ。冒険者ギルドでもトップのランクブ……」
「冒険者としての依頼を出すなら、ギルドに行け」
「エルのランクを知ってるの?」
『気にするの、そこ?』
「だって……」
エルは、冒険者の話しは全然教えてくれないから。
「良いから欲しいものを言え。時間がかかるものだったら困る」
「わかったよ。依頼は簡単。私が知らない宝石を見たい」
「宝石?」
「君たちにぴったりの依頼だろう。宝石に詳しいリリーシアと冒険者のエルロック」
宝石……。
珍しい宝石なら、思いつくのはいくつかある。
でも、私より長く生きていて行動範囲も広い風の大精霊が知らない宝石なんてある?
「人魚の鱗は?」
「琥珀だね。セルメアに行けば手に入る」
「イリデッセンスの輝きを持つ黒真珠」
「あれも綺麗だね。本物を手に入れるなら南の海に行けば良い。最近は着色したものも出回っているから困るね」
こんなに宝石に詳しいなんて、グラン・リューみたい。
「太陽の大精霊の精霊玉は?」
「見たことあるよ。ルネが持っているだろう」
ルネって月の大精霊だ。会ったことあるのかな。
「これは?」
エルが私の耳を指す。
「流浪の真珠と泡沫の真珠だね。どっちも見たことがあるものだ」
「揃って見たのは初めてだろ」
「でも依頼の要件は満たさない」
なんだか楽しそうだ。
デルフィが見たい宝石って何だろう。
これだけ色んな宝石を知ってる人が驚くような宝石なんてある?
エルが言った宝石は、どれも魅力的なものばかりだ。たぶん、デルフィが好きなものばかり。中でも精霊玉は特別だ。あの不思議な輝きは他の宝石にはない。あれは、精霊の信頼の証。
でも、精霊の知り合いが多いデルフィが知らない精霊玉なんて……。
あ。
「この宝石は?」
エルの右手を引いて、デルフィの前に出す。
「これは……」
デルフィがエルの手を引いて、中指に嵌められた指輪を眺める。
「美しいヴィオレットだね。アイオライト?でも少し違うな……」
「あなたの知らない宝石で間違いない?」
「ちょっと貸してくれるかい」
エルが指輪を外してデルフィに渡すと、デルフィが指輪を鑑定する。
「見れば見るほど不思議な輝きだ。どっちかっていうと精霊玉に近い匂いがする。でも雷の精霊のはもう少し濃い紫のはず……」
エルと顔を見合わせる。
これは、エルと私しか知らない宝石だ。
「これは一体何?どれにも分類できそうにない。だめ。悔しいけれど降参だ」
「依頼達成で良いのか?」
「良いよ。結構難しい依頼を考えたと思ったんだけどね」
十分難しかったと思う。
「これはね、エイダとパスカルが消えた跡に残っていた宝石なの」
「大精霊が一つになった後に残った宝石?」
「うん」
エイダとパスカルの愛の結晶。
「そういうこと。確かにこれは私が知らない宝石だ。ありがとう」
デルフィがエルに指輪を返して、ため息を吐く。
ありがとう。エイダ、パスカル。
「これでもランクブランの冒険者への依頼を準備したつもりだったんだけど。こうも簡単に用意されちゃうなんてね。舐めてたわけじゃ無いけど流石ってところか」
ランクブラン?
「ブランって、白?エル、一番上のランクなの?」
「なんで、リリーが冒険者のランクの話しを知ってるんだよ。まさか、冒険者ギルドに登録したのか?」
「してないよ。この前、クエスタニアの冒険者に聞いたの。ランクが九つあるって。一番上は昇りつめた人しか知らない色で、表には出ない依頼を受けられるらしいって」
エルのギルド証に何も書いてなかったのは、ランクの色が白だったからなんだ。
「リリーシア。知りたいことがあるなら私が教えてあげようか」
「勝手に何でも教えるな」
他の人に聞けば、きっと簡単に教えてくれることはたくさんある。
でも。
「私、エルの口から聞きたい」
「え?」
「私、ちゃんとエルから、エルのことを聞きたい」
「リリー……」
ちゃんと、エルから信頼してもらえる人になりたい。
「ふふふ。そうだね。目の前の相手に聞けば一言で済む内容を砂漠まで遠回りして聞きまわった身にもなってみたら良いんじゃないのかい。それに夫婦の間に隠し事は良くないって言うじゃないか。あぁ良いことを考えた。君たち私の代わりに店番をしてくれない?」
「え?店番ですか?」
「は?なんでそうなるんだよ」
「今日の夜までお願いするよ。エルロック。君ならこの商品説明を覚えるぐらい朝飯前だろう。リリーシア。君がにこにこ立ってるだけで千客万来さ。どうせ……」
ちょっと、待って。早口過ぎて聞き取れない。
売ってる品物を覚えなくちゃいけないってこと?ショコラだけでも多いのに、ケーキも焼菓子も何種類もある。
「……に理由は簡単。私も旦那とデートの時間が欲しい。あいつもここのところずっと……」
デート?
そっか。ウォルカさんと二人で出かけたいから私たちに店番をして欲しいんだ。
「……ねぇ?」
「はい」
「仕方ないな」
『え?今の、聞き取れたの?』
たぶん、大事なところはちゃんと聞き取れたと思う。
「承諾してくれるんだね?」
「良いよ」
「任せて」
「ありがとう。それじゃあこっちに来てくれるかい」
デルフィに連れられて、ショーケースを挟んで売り子さんが居る方に回る。
その奥には小さな部屋がある。正面には扉。左側はコーヒーやお茶を淹れる場所みたいだ。右側は机と本棚、それから、デルフィの絵が飾ってある。この絵って、ウォルカさんが描いたのかな。
「エルロックはこれを覚えておいてくれるかい」
「ん」
「リリーシアはこっちで着替えてもらうよ」
「はい」
エルがデルフィから貰ったノートを見てる。ショコラの説明でも書いてあるのかな?
※
奥の扉を開くと、廊下がある。
デルフィと一緒に、廊下を挟んだ扉の一つに入る。
ここが着替える部屋なのかな。
「どれにしようかな」
従業員用の服?にしては色んな種類があるみたいだけど……。
「どうして従業員用の服があるの?デルフィが着るの?」
「気分によって色々着るよ。同じのばかりじゃつまらないからね。古今東西あらゆる働く女性の衣装を集めているのさ。やっぱりこれかな。私にはあまり似合わないけれど君には似合いそうだ」
渡された服に着替えて、その上にエプロンをつける。頭には、エミリーたちがつけているようなホワイトブリム。
あれ?これじゃあ、店番の人と言うよりもメイドさん……?
「良いねぇ。似合ってる。今度はこっちに来て」
次にデルフィに案内されたのは、冷たい部屋。
「ここは?」
「追加のショコラが保管してある場所だよ。ケーキは売り切りだけどショコラの追加はここにあるんだ」
「ここ、どうしてこんなに寒いの?」
「神の台座から持って来た氷の冷気を私の力で循環させているんだ。上手くやれば一年ぐらいは持つ。でも今はあいつが居るから取りに行けなくってね」
「あいつって、ヴェラチュール?」
「そうそう。なんだか気が立ってるみたいだからねぇ。まぁ他にも氷があるところはあるから問題ないけれど」
「イリスに頼んで、氷を出してもらう?」
「大丈夫だよ。その内人間が氷を作る道具を作り出すだろうから」
「えっ?そんな道具、出来るかな……」
「出来ないなんて思っちゃいけない。人間は無限の可能性を秘めた生き物だからね。さぁ凍えるといけない。エルロックのところに行こう」
デルフィと一緒に戻ると、ノートを見ていたエルが顔を上げる。
「聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい」
「これとこれの区別がつかない」
エルがショコラを指している。
「食べてみれば良いじゃないか」
デルフィが慣れた手つきでショコラを出す。
「リリー、食べて」
「え?私?」
貰ったショコラを一口食べる。
口どけが滑らかで甘くておいしい。
そして、もう一つを齧る。
えっ?
「これ、全然違うよ。最初のは、口に入った瞬間、すーっとショコラが溶けて、口の中に香りがふわって広がるの。もう一個の方は硬くてパリパリしてて……。味はちょっと苦めな感じかな。でも、一瞬で全部溶けてなくなっちゃう」
どっちも美味しい。
「なんで?」
「保管温度の違いだろうね」
「同じショーケースだろ」
「私の秘密の魔法がかかっているんだよ。ちゃんと説明書きに書いてあったよね?これはすぐに食べなきゃ食感が損なわれるショコラだって。聞きたいことはそれだけ?」
「気になったのはそれぐらい」
「それじゃあ後は頼んだよ。そうそうショコラの味見は一人に付き一個までだからね」
「うん。わかった」
手を振って出て行くデルフィを見送る。
すごく楽しそうだ。
そうだよね。デートだもん。
「お店、頑張ろうね」
「どうせ、天気が悪いんだから客なんて来ないだろ」
エルがノートを机に置く。
「もう全部覚えたの?」
「あぁ」
エルが置いたノートを手に取って開く。
『すごい情報量だね』
商品一つにつき、ノート一ページ以上もある説明が、綺麗な字で書いてある。
お酒が使われてるのは出す時に気を付けなくちゃいけないよね。焼菓子は大丈夫みたいだけど……。あ。このショコラには隠し味に香辛料が使われてるんだ。……あっ。これは秘密だから、言っちゃ駄目って書いてある。気をつけなきゃ。
……どうしよう。今すぐ、これを全部覚えるのは無理そうだ。
でも、商品の名前を覚えなくちゃ接客なんて出来ない。焼菓子とケーキは特徴が解りやすいから覚えられそうだけど、問題は種類の多いショコラだ。ノートには絵も描いてあるから、お客さんが来る前に頑張って覚えよう。
「リリー。マーメイドっていうショコラを取って」
「えっ?ちょっと待ってね」
ノートの中からマーメイドを探す。あった。貝の形をしたホワイトショコラだ。
ショーケースの中からマーメイドを探して、トレイの上に乗せる。
あ。これはエルが好きそう。
もう一つ選んで、机のところに居るエルに持って行く。
「持って来たよ」
作業中のエルが顔を上げる。
何をしてるんだろう?
短剣で枝を加工してるみたいだけど……。
「ニュイポレール?」
「うん」
本当に全部覚えてるんだ。
見た目にはあまり特徴のないショコラだと思ったんだけど、流石だよね。
「エルが食べるかなって思って」
エルがニュイポレールを口に入れる。
「おぉ」
一瞬で表情が変わった。
「美味しい?」
「あぁ。すごく美味い」
「良かった」
続けてマーメイドを手に取ったかと思うと、今度は私の口に入れた。
噛んだ瞬間、口の中で音が鳴る。ショコラの中に何か食感が違うものが入ってる?
「面白いショコラだね。美味しい」
味がこんなに甘いってことは、最初から私に食べさせるつもりだったのかな。
本当に、自分のものは選ばないんだから。
お店のドアに付いているベルが鳴る。お客さんが来たみたいだ。
「いらっしゃいませ」
お仕事しなくちゃ。




