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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第二章 不逞鮮人
8/29

第八話 朝鮮総督府

 

 朝鮮半島 京城。

 朝鮮総督府―――


 朝鮮総督府は日韓併合によって日本領となった朝鮮を統治するために設置され、庁舎は京城中心部にある朝鮮王朝の景福宮敷地内に建設された。五階建ての鉄筋コンクリート造の建物で、先の連続テロ事件では、自動車に仕掛けられた爆弾の爆発によって一部が損害を受け、修復工事が早急に行われている。


 その会議室に、朝鮮総督府のトップである総督とその統率下にある朝鮮軍の各師団長達、総督府内各部長官、局長などと言った、総督府が管轄する部署や局の長達が集まっていた。東亜会議の結果と、それに続く中華民國政府の声明を受け、朝鮮総督による臨時会議が召集されたのである。

 集まったのは朝鮮の国防を担う各師団長達や総督府内の幹部達である。朝鮮には朝鮮半島を防衛するための軍事力として、第19、20、21師団の三個師団が配備されており、天皇から勅任された朝鮮総督が指揮権を持っている。

 「先日東京で開かれた東亜会議において『対テロ宣言』が採択された。これにより、軍は対テロ作戦に対する行動の制限が大きく緩和されることとなった」

 東京の政府から総督府に届いた東亜会議の結果を朝鮮総督、長巳ながみ允武いんぶ帝国陸軍大将の口から直々に伝えられた。

 「これで我々の計画に、大きな前進が得られたわけね」

 第20師団長の会津あいづまこと中将が、強面の顔に似合わない甘い舌使いで言った。彼は女性のような言葉遣いが特徴的だが、師団どころか帝国陸軍の中でも大柄な体躯の持ち主で、同じ会議室に居る第21師団長がまるで子供のように見える。

 「そうは思わない? あんたも」

 そう言って、会津はにやけた目で第21師団長を見た。

 第21師団長は女だった。会議室に居る女性は、彼女一人だけだった。

 しかし彼女は全く堂々としていた。

 「うむ。これで対テロ作戦と言う名目の上で、我々は大分動きやすくなったわけだからな」

 同意を返答とした第21師団長の小早川こばやかわ憲政けんせい中将は白い歯を見せて言った。笑っている顔も、元が童顔過ぎて実齢と相容れない青々しさを宿している。

 これまでテロ対策における主役は特高を含む警察、憲兵隊などの警察組織だった。しかし朝鮮光復軍が再び活動を始めた近年から日本国内において、一定以上の緊急事態に対し警察や憲兵の装備では不十分である点が議論されるようになった。

 帝国議会が過去に可決していった対テロ法も失効時期に近付きつつあり、今はその殆どの部分を延長する方針が決定している。

 こうして国内での軍の対テロ出動は法的に整備されつつあるのだが、本命となる朝鮮光復軍は国外を拠点としていることは既に確認済みであり、彼らの殲滅を目的とした日本にとって、攻撃を実行するにはまだ遠い道だった。

 京城の連続テロ事件は日本軍が国外で堂々と対テロ作戦に踏み切ることが出来る大義名分を得る好機となった。

 「朝鮮光復軍やつらを討ち滅ぼすには、大陸まで進出しなくちゃいけないものねぇ」

 「中國人に頼るわけにもいかないからな」

 仕方ない、と言わんばかりの溜息を吐きつつ、憲政は肩をすくめる。

 朝鮮光復軍の拠点があるとされる中國国内では、以前から中國当局が捜査を進めていたが、明確な成果を得られたことは一度もなかった事もあって、日本が自ら出て行きたいと言う思惑も、無くも無かった。

 今回の東亜会議で採択された対テロ宣言と中國政府の承認により、日本政府が切望していた対テロ朝鮮光復軍殲滅作戦がようやく実行される運びとなるのだ。

 「というよりは、朝鮮が絡んだ問題は私達が片を付けるべきなのよ。これは100年前から決められた、私達の義務なのだから」

 普段の女言葉に台無しにされていた強面を活かすような、真剣な表情を垣間見せた会津に、憲政がおおう、と声を上げて驚いた。

 「会津が珍しく真面目な顔で、真面目な事を言っている……」

 「ワタシは何時だって真面目よッ!」

 憤慨する会津に対し、憲政はからからと笑うだけだった。

 一世紀前の日本は朝鮮を併合する前、朝鮮を保護国とし、当時の清や露西亜の侵略から守ってきた。保護国から領土として迎え入れた後も、日本は本土を防衛するためにも大陸と繋がる朝鮮を自らの庇護に置き続けた。

 「これが無かったら、11年前のようにかの国といざこざを起こした名分でしめしめと進出することも出来たかもしれないのだが。それでは本命の方に構っていられる余裕が無くなるかもしれないと言う、正に本末転倒なリスクを背負う可能性がかなり高いからなぁ」

 「あ、あんたがそれを言う……?」

 会津は様々な意味を以て、複雑な視線で憲政を見据えた。

 当人はあっけらかんとしているが、11年前の有事に彼女が只の他人事のような立場に居たわけでは無いことを知っているからこそ。

 しかし、会津は深い追求は避けることにした。

 「ま、まぁ……そうね。だからこそ、今回の東亜会議の結果は実に最良ね。平和的に事が定められたわけなのだし」

 「最終的には平和的なものにはならないがな」

 「……………」

 またしても複雑な表情を浮かべた会津は、平然としている憲政を羨ましそうに見詰めた。

 「―――で? もし出て行くとして、誰が中國まで旅行に行くのだ? まさか全員留守にするわけにもいくまいて」

 冗談を言いながら一人笑い出した憲政に、会津は顎に指を添え考える仕草を見せる。

 「そうね……その時の状況にもよるでしょうけど。やはりここはワタシの部隊が行くべきじゃないかしら」

 「柳条湖事件に赴いた20師団か! 成程、確かに適任っぽい」

 「面白いからってそういう風に言わないで頂戴! あと、それ全然面白くないから!」

 関東軍の陰謀とされる柳条湖事件は、20師団の侮辱の歴史と受け止める会津にとって、持ち上げられ不本意な扱いをされた事に怒りを覚えるのは当然であった。先帝の統帥を無視した関東軍の野望に、当時の第20師団が利用されたことを会津は忌々しく思っている。

 「……いい加減、少しは黙れ。貴様の五月蠅い声は聞き飽きたわ、馬鹿者が」

 今まで沈黙を守ってきた第19師団長の北条ほうじょう忠孝よくこう中将が、会津に容赦の無い言葉を突き付けた。鋭い視線を向ける北条に対し、会津はぎろりと睨みを返す。

 「……馬鹿者ですって? あんた、今ワタシにそう言ったわね」

 「言ったが、何か?」

 ぴりりとした空気が二人の間から発せられる。二人から放たれる余りにもぴりぴりとした一触即発の雰囲気に、総督府の幹部達が震え上がった。

 「ワタシを馬鹿呼ばわりするなんて」

 「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。俺は事実を言ったまでだ」

 「へぇ、良い度胸じゃない……」

 「ついでにこれも言わせてもらおう。その家鴨のような口を閉ざせ、禿」

 「……………絶対殺す」

 今にも互いに腰の拳銃か軍刀を抜いてしまいそうな雰囲気の中、自制を効かせたのは長巳総督の一声だった。

 「止めろ。子供か、君達は」

 長巳総督の一喝に、二人の師団長が押し黙る。

 自分達のトップに渇を入れられたことで、二人の固い軍人は立ちかけた身を静かに下ろした。

 「お恥ずかしい所をお見せしました、閣下。ご無礼をお詫び致します」

 「申し訳ございません、総督……」

 北条、会津が各々の謝罪を口にする。

 その光景をにやにやと眺めていた憲政が、変わった空気に乗じるように言葉を紡いだ。

 「まあやはり何にせよ、赴くのは会津の20師団か、忠考の19師団だろう。私は留守番だな」

 「まぁ、あんたは攻めるというより守る側だものね。朝鮮軍唯一の機甲師団だし」

 日本が介入した国共内戦後の1960年代に、日本は二個師団が置かれていた朝鮮軍の隷下に新たな一個師団を編成した。それが二個戦車連隊を中核とした第21師団だった。

 「戦車と言えば、例の次世代戦車(TK-X)はどうなっているのだ。こちらにも調達されるのだろうな?」

 2010年現在、帝国陸軍は国産の次世代主力戦車として2009年に制式化された新型戦車を開発していた。

 前年末に『10式』と命名された新型戦車は、今年から既に調達が開始されていると言う。

 朝鮮軍唯一の機甲師団である第21師団も当然、調達の対象だ。

 新型戦車『10式』は世界最高水準に値する兵器であり、大陸を目の前にした最前線の朝鮮において重要な戦力となり得る代物だった。北方防衛に特化した前世代戦車の補完として、本土防衛用に対ゲリラ・コマンド戦闘能力と情報共有能力を高め、全体の性能もこれまでの水準にあった戦車を超えると見られている。

 「さてね。されるにはされるだろうな」

 「……どういう意味だ?」

 憲政の意味ありげな言い方に、北条は眉を顰めた。

 「これまでの主力戦車だったら、私達や北海道の第7師団といった機甲部隊のメッカには優先的に配備されただろう。しかし今度の戦車は戦略機動性に優れた性能を有しており、その性能に準じ全国の一般の戦車大隊に重点的に配備される」

 憲政はTK-X開発の初期段階から定められていた防衛総省の方針を説明した。しかし北条は納得いかない様子だった。

 「全国に配備するにしても、対ソ戦を想定した朝鮮と北海道に優先的に配備されるべきでは」

 「対ソ戦と言われても、そんな話は半世紀前からある話だ。いくら米国と並ぶ超大国だろうと、我が国に堂々と侵攻してくる可能性はそれ程高くない。むしろ今の時代、一定の地域にしか適せなかった前世代の主力戦車を補ったTK-Xを、全国的に配備することこそ、敵に対し戦略的に有利な態勢を占めるため、全国的規模又は方面各部隊の作戦区域内で行う部隊の移動の容易性を重視した方が得策なのだ」

 現在の帝国陸軍の主力戦車である90式戦車は、諸外国の同じ第三世代主力戦車に比べ約10トン程度軽量な戦車だが、それでも50トンという重量は運搬車両による同戦車の輸送を著しく制限するものであり、実質的に朝鮮や北海道以外での運用は放棄せざるを得ない状況であった。

というのも、元々は90式戦車自体がソ連の北海道侵攻を想定したものだったため北海道に集中配備されており、朝鮮には北海道と同じソ連との最前線と言う共通点からお零れを頂いたに過ぎず、本州以南の日本本土への運用を考慮した装備ではなかったのだ。

 これに対し、TK-Xは重量が90式より軽量の40トン級の戦車となり、日本本土への全国的な配備・運用が可能になったことで、全国配備が実施される予定だ。

 「戦略機動性とはそういうことだよ、忠考」

 「………………」

 まるで姉が弟を嗜めるようだった。微笑む憲政に対し、北条は無粋な表情を浮かべて口を閉ざすだけだった。

 「……まぁ、例外ってのもあるかもしれないが」

 「ん? あんた、今なにか言った?」

 「何でもないよ」

 ぽつりと呟いた憲政に会津が問いかけるが、憲政は首を横に振った。

 「―――では、尚更俺が行くべきだな」

 その言葉に、誰もが注目を集めた。注目を浴びた男―――北条忠考が、宣言する。

 「この俺の第19師団が中國まで赴き、不逞鮮人共を根絶やしにしてこよう」

 北条の毅然と言い放った宣言に、室内にいる者が各々の反応を見せた。

 驚嘆する者。

 感嘆する者。

 恐怖する者。

 肯定する者。

 笑う者。

 それは北条という個人に対し、各々の者がそれぞれに抱く、解答であった。

 「ほう? 理由を聞こう」

 唯一笑うという反応を見せた者、小早川憲政がやはり笑みを浮かべつつ、楽しそうに問う。

 「この中では俺の第19師団が適任と思った。確かに貴様の第21師団は此処に留まるべき兵力だ。そして禿の第20師団は単に頼り無いので、必然的に俺の第19師団が行くべきという結論に至った」

 「ちょっと!? 頼り無いってナニよッ!」

 会津の抗議を完全に無視した北条が、長巳総督に向き直る。

 「では、19師団の派遣に異議がある者」

 長巳が訊ねた結果、誰一人として異を唱える者はいなかった。

 「それでは、中華民國領内における掃討作戦は第19師団を派遣することとする」

 総統府のトップである朝鮮総督の決定により、今後実施される掃討作戦の投入兵力が決まった。作戦を展開する場合には、北条忠考中将の第19師団を中國領内に派遣する方針が、朝鮮総督府から日本政府に伝えられた。




 会議が終わった後、総督府の門前から立ち去ろうとした北条の背中を憲政が呼び止めた。

 「待て、忠考」

 「………………」

 ぴたりと足を止めた北条は、無粋な表情で振り返った。対して憲政は相変わらず綻んでいる。

 その間に、一台の車が二人の傍にやって来た。総督府での用を終えた北条を迎えに来た車だった。

 門前に停まった迎えの車の運転席から若い軍人が姿を現した。女性と見間違う程の細い顔付きをした青年だった。

 青年は二人の姿を認めると、何も言わず、二人の成り行きが終わるまで待ち始めた。

 憲政はそんな青年をチラリと見詰めたが、その口元がにやりと笑った。

 「貴様、中國に行くと言ったが。何故だ?」

 憲政の質問に、北条は怪訝な表情になった。

 「先も言ったが、聞いていなかったのか?」

 「あれは本音ではないのだろう? 本当の理由を聞きたいのだ、私は」

 「………………」

 北条はますます無粋になった表情で、憲政を凝視した。憲政の口元はにやりと笑っていた。

 傍にいる青年の気配を抱えたまま、北条ははっきりと言った。

 「恩も知らぬ無礼極まりない朝鮮人共に、この手で天誅を下すためだ。それ以外に理由があるか?」

 「ふむ。よろしい」

 北条の言葉に対し、憲政は頷いて見せた。改めて、ちらりと青年の方を確認するが、青年も全く動じていない様子だった。

 「言わずとも知れたことを、わざわざ言わせるな」

 「お前の素直な言葉が聞きたかっただけだ、許せ」

 北条は憲政の真意が掴めなかった。しかし問題ではなかった。これが二人の普段と変わらないやり取りだからだ。

 「やはりお前が適任だよ。しっかりと務めを果たしていけ」

 「貴様にわざわざ言われなくとも、そのつもりだ」

 怒気が孕んだ声が、北条の口から放たれる。相反して、憲政の緩んだ口元からは穏やかな声色が流れる。

 北条は憲政を睨んだ後、車に乗り込んだ。青年が憲政に頭を下げ、憲政は笑って彼に手を振った。青年は特に表情も変えなかった。青年が運転する車は北条を乗せ、憲政の目の前から離れていった。

 一人残された憲政の背後からは、大柄な男がぬっと現われる。

 「全く、ホントに無粋な男ね」

 「そう言ってやるな。あれが奴なのだ」

 今までの二人のやり取りを遠目から眺めていた会津が、呆れがちに息を吐いた。

 「あんたもあんたよ。あの子が居る前でも、あいつがああいう事を言うって判っていたでしょ」

 あの子―――北条を車で迎えに来た若い軍人。女のような青年。

 彼は北条の傍に何時も居るが、その素性は朝鮮系日本人の士官である。

 「さてね。だが、何も問題はない」

 憲政は何かを確信したように言うと、首を傾げる会津を残し颯爽と一人、総督府の門前から立ち去った。

■解説



●朝鮮軍(第19・20・21師団)

大日本帝国陸軍の軍の一つ。朝鮮を管轄区域とし、司令部は京城の龍山にある。第19師団長は北条忠考中将。第20師団長は会津誠中将。第21師団長は小早川憲政中将である。



●『10式』

2009年に制式化された大日本帝国陸軍の新型国産戦車。

前級の第三世代主力戦車と比べ軽量化されているが、日本本土への作戦展開が可能になった戦略機動性の向上と、対ゲリラ戦と高度な情報共有能力を有し、世界最高水準の戦車に仕上がっている。

『10式』と命名され、2010年から順次日本全国の戦車部隊に調達される予定。



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