第七話 対テロ宣言の採択
日本の事実上の首都とされる東京は厳しい暑さが襲う一方、会議には最適の晴天に恵まれていた。
東亜一の規模を誇る東京の街並みに煌めく太陽は、ぎんぎんと直射日光を浴びせ気温は今夏の最高記録に迫り、熱中症への注意喚起が市民に伝えられていた。
一方、会議の場とされた帝国ホテルの室内は冷房がよく効いていて正に快適だった。会議場に集まり会話している各国首脳の顔は爽やかで、団欒とした雰囲気に満ちていた。
各々の国旗を差した席に座った各国首脳が注目する先で、会議の準備進行役を務める中華民國の羅杰倫議長の開催の辞を端に、半世紀以上の伝統ある東亜会議は今回も開かれた。
「今回の議題は、朝鮮半島の京城で発生した連続テロと、それに関わる東亜連合の立場です」
持ち上げられた議題は、日本の領有下にある朝鮮の京城で起こったテロに関するものだった。当然提案を持ちかけたのは当事者足る日本であり、これを後押しする形で東亜連合加盟国が集う会議場に議題として持ちかけることに賛同したのが中國やタイ等の初期加盟国陣である。
議題の提案者として、日本側の代表として出席した西條俊也首相が発言する。
「この議題の根元となった事件は、歴史博物館で開かれた記念行事を意図的に襲ったものであり、同時多発的に政府関連施設や民間にも危害を与えた許し難いものである。テロの標的とされた行事は、朝鮮が日本の領有となって百年の節目を祝う意味で準備、進行されたもので、このような平和的行事に卑劣なテロ行為を行うことは断固として許されるものではなく、糾弾するものであります。我が国はこのテロ行為と犯行に及んだテロ組織に対し、激しい遺憾の意を表明すると共に、加盟各国の皆様の意志を伺いたいと思います」
西條首相の言葉に耳を傾けていた加盟国各国首脳の顔触れが固いものとなる。羅議長の進行に従い、会議は各国首脳の意見が飛び交うようになる。
各国首脳の意見の中でも西條が特に注目したのが、隣国中華民國の代表だった。
「我が中華民國としましては、議題の根幹となったテロ行為に激しい怒りを覚えます。友好国の苦痛は決して見逃せないものであり、心身を共にする共同体として我々は義務を果たすべきだと考えます」
中華民國側の代表首脳が口を開く。日本側は中國側の言葉の端にあった意味に気付き、賛同の意を示すように各国首脳の頷く光景も見られた。
「つまり、これは日本だけの問題ではありません。連合の加盟国に起こった問題は、連合全体の問題。連合各国は一丸となって対抗に当たるのが最善と提案致します」
この中華民國代表の意見が発端となり、東亜会議は加盟国がテロ攻撃を受けた場合、連合を挙げて支援、対抗することを謳った『対テロ宣言』を採択した。
東亜会議にて採択された対テロ宣言は以下のように盛り込まれた。治安に関する情報交換の強化、国境警備の厳格化、全加盟国に対する共通逮捕状の早期導入等。採択と同時に任命されたテロ担当官は、東亜連合各国の警察や情報機関と、東亜連合憲兵隊、東亜警察機構との間の連絡と調整に当たり、米国やEU等の域外との協議の窓口となる。
朝鮮光復軍による京城での連続テロ事件を契機に採択された対テロ宣言は、連合に加盟する国へのテロ攻撃に際しては直ちに東亜各国が支援や救援、共闘を行い、軍隊を派遣するなど、団結して対応することを確認している。これは連合に加盟する何れかの国がテロ攻撃を受けた場合、他の加盟国が軍事支援等を行えることが明確化されていた。
更に状況に応じ、本来必要な各国の国防及び外務大臣の協議を省略し、東亜連合軍司令官の判断で東亜連合軍の派遣も可能としている。
これは東亜憲法の改正草案にある『連帯条項』の一部を先取りした措置でもあり、東亜連合の設立根拠を構成する諸条約に含まれる東亜安全保障条約の集団自衛権事項(加盟国が攻撃を受けた場合、全加盟国に対する宣戦布告と見なし反撃することが出来る)を対テロに適用の範囲を広げたものであった。
テロの犠牲者に対し、連合の総意によって緊急経済支援を実施することでも基本合意した。
ここまで東亜連合が結託の意志を見せるのは、単に共同体としてだけではない。
同盟国とは言え、結局は他国である。加盟国が襲われたら自国の兵士を派遣しなければならなくなる。
それは他国のために自国民を死なせてしまうことにもなる。
しかし、それは彼らにとっては今更な話でもある。
彼らは、東亜の国々は何時だって攻撃を受けては助け合ってきた。
武力にしろ、経済にしろ、災害にしろ。
彼らは日本を中心に手を取り合い、確かに助け合った。
発端は、西洋の国を初めて打ち負かした日本だった。
西洋に負けないこと、自分たちは西洋人と変わらないことを、東亜の国々は日本に教えられた。
欧州では泥沼の大戦が行われ、大陸では日華両軍が共産党軍を討伐に乗り出していた頃まで、東亜の国々取り分け東南アジアの国々は欧米列強の植民地だった。大戦で疲弊した宗主国達の隙を突いた形で独立戦争に踏み切った東南アジアの国々の見詰める先には必ず日本があった。
故に、日本への信頼は揺るぎ無かった。第一回東亜会議には東亜各国の代表たちが喜んで日本まで足を運んだ。そして独立を勝ち取ってからも、日本が呼びかけた東亜共栄の道に進み出した。
日本は名実ともに東亜諸国に認められたアジアの盟主となったのだ。
欧米諸国から独立した東亜の国々は次々と東亜連合に加盟していった。二大超大国の米ソや欧州のEUと並び、東亜連合は世界を構成する重要な一柱と成り得た。
会議は円滑に進行された後に閉幕を迎えた。今回の東亜会議では対テロ姿勢の確立を謳った対テロ宣言が無事採択され、それ以外の諸問題を含めた議題も順調に話し合われることとなった。
東亜会議で採択された対テロ宣言により、後日、朝鮮半島と地続きにある隣国の中華民國政府は朝鮮光復軍に対する日本の姿勢を評価し、全面的に支援する声明を発表した。京城の連続テロで多数の府民を死傷させた朝鮮光復軍を痛烈に批難した中華民國政府は国内に潜伏する朝鮮光復軍に対し軍の出動を決定し、同時に以前から水面下で日本が要求していた日本軍の進駐を認めた。
しかし中國国内では、日本軍の進駐を巡っては抵抗感を抱く者も多かった。
中華民國 南京市
立法院議事堂。
中国四大古都の一つとしても知られる南京市は中華民國の伝統ある首都である。そして立法院議事堂とは、中華民國の立法府(国会)の議事堂である。国民党が中国統一を成し、軍政期から訓政期に移行した民國17年(1928年)に首都南京で成立した。建国者である孫文の五権分立理論に基づいて、行政院、司法院、考試院、監察院と共に成立した一院制の立法機関である。
その立法院内で先程、日本軍の進駐が承認されたことを受け、反対派の議員達が乱闘騒ぎを起こしたばかりだった。立法院では乱闘は日常茶飯事である。平和賞を授与されている由緒正しき民國政治の伝統であり、それは問題では無い。
「政府は簡単に認め過ぎだ。同盟国とは言え、他国の軍の進駐を易々と認めるなど主権国家のすることか!」
国民党に次いで四十席と言う二番目の勢力議席を有する民政党立法委員の孫敬恒は立法院の廊下をどかどかと歩いていた。通りかかる人々が彼を避けていく程に、その怒りは露となっていた。
「群! 貴様!」
彼は目の前に現れた男の顔を見るや、先程の立法院内での乱闘を再現するように飛びかかった。しかし彼の打撃に対し、群と呼ばれた男はまるで落ちる木の葉を避けるように身をかわされた。
「出会うや否や、いきなり殴りかかってくるとは血気盛んな事だな。ゴングはどこからも鳴っていないぞ」
「黙れ! この売国奴!」
「俺が国民党委員だからって酷い言い様だな。国民党の立法委員が全員、賛成しているわけじゃないぞ?」
暴君のような孫敬恒に対し、周群は終始冷静な男だった。彼は第一の議席を誇る国民党の立法委員であるが、国民党内でも日本軍進駐に反対の意を唱えている人物だった。
「落ち着けよ。暴力では何も解決しないぞ」
「その言葉、そのまま日本人に言ってやったらどうだ」
「彼らは時に刀を抜き脅迫染みた事もするが、話をすれば理解を共有できる方だよ」
辺りのざわついた雰囲気から逃れるように、周群は警備員が来る前に興奮を抑えきれない様子の孫敬恒を無理矢理引き連れて、人気のない場所に移動した。
「さて、ここだったら周囲を気にせず話せるだろう」
「俺は別にどうでも良かったんだけどな」
「お前も一人の立法院委員なら、周囲を少しは気にしたらどうだ。国民党委員と民政党委員が日本軍の進駐について言い合い、果ては殴り合った姿なんてものをマスコミにでも見つかってみろ。タダでは済まないぞ」
「貴様みたいに周囲を気にし過ぎて、己の保身を忘れるような輩が多過ぎるからこうなるのだ」
「保身を強く意識しているからこそ、周囲に気を配るのだ。お前は自分の事すら何も考えていない、ただの馬鹿だ」
「もう一度言ってみろ!」
顔を一瞬にして真っ赤に染めた孫敬恒が拳を振り落とす。その拳は周群の頬に触れることも無く、目の前に現れた手のひらに抑えられた。
「すぐにカッとなるお前は、政治家としてはつくづく向いていないと思うよ。格闘家にでも転向したらどうだ?」
「俺は祖国を想って、拳を振り上げているんだ! 日本人の言いなりになっている貴様らとは違う!」
「日本人の言いなり、か……」
「………ッ」
握り締められた拳を振り解こうとしても、その握力は凄まじい程に強力だった。孫敬恒の拳を握り締めたまま、周群が顔を近付かせて言った。
「確かに我々のみならず、東亜諸国において日本の存在は遥かに大きいものだ。事実上のアジアの盟主となった日本の言い分を無視できない体制になっていることは、否定しない」
アジアが欧米列強の侵略に晒された中、極東の島国は一筋の太陽の光を東亜諸国に射しこんだ。西洋に勝利した日本の影響は大きく、東亜諸国の独立の裏では日本の支援があったとも言われている。日華同盟の果てに、日本の協力を伴って内戦に勝利した中華民國にとっても、日本の発言や意志は無視できないものとなり果てていた。
「今回もまた日本の思惑通りに事が進んだが、我が中華民國は決して日本の属国になったわけではない。これは昔も今も、そしてこれからも変わらない」
対テロ宣言に基づく日本軍の進駐には賛否両論あるのも確かだが、中華民國が日本の言いなりになった証拠としては不十分だ。中華民國はあくまで自分の意志で方針を決め、日本軍の進駐を許したのだ。実際、東亜連合内で対テロ宣言が採択されるまでは、日本が自国の軍を進出させることを水面下で要求し、それを政府が拒み続けていたのも事実なのだ。今回の中華民國政府の決定は、宣言を採択した東亜会議で民國代表が発言したように、東亜連合に属する加盟国としての義務を果たしているに過ぎない。
「日本軍の進駐は、どうやら認めるしかないようだ」
「貴様、国民党の反対派だったのではないのか! そう簡単に―――」
「やはり同盟国とはいえ他国の軍が自国に腰を据えてくるのは、余り良い気分ではなかったからね。それに、問題は中日両国に限らず、周辺諸国に影響を及ぼす懸念がある……」
周群はゆっくりと手を放した。孫敬恒の拳は既に戦意を喪失していた。
孫敬恒も唇を噛みしめる。
「俺もなぁ……11年前の悪夢は、もう二度と拝みたくないんだよ」
11年前。国境部隊兵士が脱走し、中ソ国境で中ソ両軍が衝突した紛争。
ソ連軍の脅威に対抗するために、当時の中華民國政府は東亜安全保障条約に基づき、日本の支援を要請した。
結果的に日本軍が加わり、日中蘇の三ヶ国軍が交戦状態に入ったが、最終的に停戦合意に至り脱走兵を発端とした国境紛争は終結した。
だが、結果としては日中軍側の一方的な敗北に終わったものとする見方が占めた。日中軍合わせて300名以上の死傷者を出し、結局脱走兵はソ連領に逃れたまま行方が知れず、11年の月日が流れた。
孫敬恒もまた中華民國軍の一将校として紛争を経験した。ソ連軍の圧倒的な近代兵器と強さに、味方が次々と殺されていく様を、孫敬恒も今でも夢に見る。
「日本軍が大陸北部に進駐すれば、近い所のモンゴルやソ連を刺激する可能性が高い。日本もわかっているはずだ」
「なら、何故……ッ!」
「それでも彼らには、やらねばならないことなのだろう」
周群は大学生時代に、日本へ留学した時に聞いた日本風の言葉を思い出した。座して死を待つくらいなら、それが敵わぬ相手でもやらねばならない時がある。日本ではそれ程までに、強い覚悟を抱かなくてはならない時があるのだ。例えば歴史が少しでも違った道を進み、当時国力に大きな差があった米国と戦争状態に陥ったとしても、日本は最後まで戦っただろう。国中を焼け野原にされても、その言葉を信じるなら、日本人は戦い続けたかもしれない。
「それに政府もさすがに日本一人に勝手はさせないだろう。国内で動くには、何事も我が国の承諾が必要だ。軍が日本軍を監視していれば、恐らく大丈夫だろう」
「それで本当に良いのか、お前は……!」
「東亜連合は一蓮托生だ。栄える時も、滅びる時も一緒さ……」
■解説
●東亜会議
東亜連合に加盟する各国の国政最高責任者が集結した首脳会議。不定期に毎回開催され、開催地は事有る事に異なる。第一回東亜会議は1943年に開催されたが、当時のアジアは未だ列強から独立していない国が多く、唯一の独立国だった日本やタイ王国、内戦中だった中華民國、満州国等の日本の影響下にあった国だけだった。東亜諸国が独立を果たし東亜連合が設立すると、参加国は徐々に増え、今やその規模は伝統ある東亜会議の名にふさわしい会議となっている。主に東亜諸国での問題を議題に話し合い、対抗策・方針を決定している。2010年現在の議長国は中華民國。
●対テロ宣言
東亜連合が対テロ作戦の基盤として確立したもの。これにより日本は、朝鮮光復軍殲滅を目的とした大陸進出の基盤を固めることに成功した。
●南京市
中華民國の首都。成立から内戦を経て、首都機能を有する伝統的な都市。日本との経済関係としては、中華民國の首都として多数の日本企業が進出している。立法院議事堂は日本で言う所の国会議事堂。
●平和賞
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞。議員同士が殴り合い、乱闘騒ぎばかり起こしている世界でも珍しい国会として、立法院が本賞を受賞した。