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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第四章 京城動乱
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最終話 新たな征途へ



 ――朝鮮総督府占拠事件。



 2010年10月3日に発生した朝鮮総督府占拠事件は当日午後八時過ぎに、帝国陸軍の治安部隊が庁舎に侵入し事件は終了した。

 朝鮮総督府占拠事件は、朝鮮独立派を中心とする武装集団約三十八名によって起こされた事件だった。

 10月3日の朝方に実行された襲撃により、多数の死傷者を出すと同時に総督府内に居合わせていた東亜連合各国の閣僚・高官とその家族、民間人を合わせ六十二名が人質となった。

 死傷者の大半は最初の襲撃時に発生したものだった。武装集団の一味が帝国陸軍大邱駐屯地にて攻撃ヘリを強奪後、地上の警備員や庁舎施設に対して空爆を実施。攻撃ヘリは撃墜されたが、その直後に装甲車が突入。四十名以上の武装集団が一斉に襲い掛かり、総督府全体が占拠された。

 占拠後、武装集団は主に朝鮮の独立を確約させる旨の要求を日本政府に向けて開示した。日本政府の要求拒絶に備え、施設諸共人質を道連れにする爆弾の設置まで用意していた。


 占拠直後、総督府は直ちに軍と警察によって包囲され、武装集団との間で交渉が始まった。当時日本政府は人質の安全を重視するため交渉を優先し早期の武力による制圧を実行しないと宣言したが、実際にこの事件は治安部隊の活躍によって終結したように、既にこの時点で日本政府側は治安部隊の投入を決定していたとされる(当時発せられた宣言は武装集団を油断させる意図があったと、日本政府は説明している)。

 人質には総督府での経済協力会議を行うために集まった東亜連合加盟国の閣僚や高官が含まれていた。その事情も加え対テロ宣言に基づき、東亜連合軍の介入も示唆されたが、大日本帝国が独力による事件の解決を望んでいたという説がある。


 午後七時四十分頃、事件終了の二十分前に武装集団が「日本軍の抵抗があった」として人質を一名殺害した。殺害されたのはベトナム政府関係者だった。後に人質殺害の原因となったとされる日本軍の行動が適切であったのかが問題視される。


 午後八時頃、庁舎に侵入した治安部隊により武装集団が全員死亡し、事件は終了する。

 結果的に人質一名を含む五十二人の死者、人質十一名を含む百八名の負傷者を出した。死傷者の国籍は多国籍に上り、大半が警備に携わっていた日本の警察官と憲兵だった。

 更に負傷者の中には、突入時に発生した銃撃戦の流れ弾に当たった者やグレネードの効果による負傷も含まれているとされる。


 建設以降初めて占拠された朝鮮総督府は、一日も経たずして武装集団の手から解放されたのだった。



 2010年12月8日

 朝鮮半島

 京城


 占拠事件以降、満州地域に進駐していた日本軍は撤退する方針が決まった。朝鮮光復軍の拠点を殲滅しつつある事を確認し、同地域の中華民國領からの地上部隊を随時撤退させる声明を発表した。

 日本政府の討伐作戦が功を為したのか、占拠事件の解決を端に朝鮮光復軍の活動は急激に沈静化した。

 まるでそれと並行するように、国際社会では東亜連合とソビエト連邦の間で閣僚級会議が開催、進展するようになった。

 東亜、取分け極東地域に平和が訪れたと誰もが感じるようになった。

 しかしテロの脅威は完全に根絶されたわけではない。

 今日もまた、社会の安定を維持するために多くの者が働いている。

 「先日逮捕した八名の移送は問題無く行われました。後日の軍法会議に必要な資料も既に提出済みです」

 京城憲兵隊本部。大邱駐屯地から帰ってきた近江は新発田大佐に捜査に関する報告を済ませていた。

 「一度掴んでしまえば後は芋づるだな。このまま順調に進めば、陸軍内の掃除も成功するだろう」

 テロ組織との戦いに勝利した帝国陸軍であったが、陸軍内に内通者が居た事もまた見逃せない事実だった。占拠事件の際に攻撃ヘリを強奪された件を含め帝国陸軍に対する捜査が行われた。逮捕された兵士は軍法会議に掛けられ例外なく実刑に処されるだろう。今回の失態を踏まえ、兵部省は陸軍首脳を含めた大幅な人事異動と軍全体の改革に乗り出すを得なくなった。

 「この先、陸軍には大きな試練が待っている。我々も例外ではない」

 例えテロの脅威が薄まったとしても、憲兵隊の任務は終わりではない。捜査は今後も続けられる見通しだ。

 「……ふふ」

 新発田が笑う。近江はふと気になった。

 「如何されましたか」

 「いや、……貴様の顔がまるで若返った青年のように見えてな」

 「………………」

 近江は微かに困ったような微笑を浮かべる。目の前で笑みを浮かべている上官に悪気がない事は近江にもわかっていた。

 事件の後、近江の中で過去の蟠りが解けたような居心地の良さを感じるようになっていた。事件後直ちに捜査が行われ眠れない日々が続く程に多忙を極めたが、近江の中で何かがふっ切れていた。

 先の占拠事件後、捜査の過程で11年前に起こった事件が再び取り沙汰されるようになった。

 歴史の闇に封じられてきた事件が、再び日の目を浴びる事になったのだ。朝鮮総督府を占拠した武装集団は、その大半が中華民國国籍の支那人だった。彼らは11年前の中ソ国境付近で脱走した中華民國軍の兵士達だった事が明らかになった。

 日本当局は中華民國だけでなくソ連にまで捜査の手を伸ばすつもりだが、同時にソビエト政府との閣僚級会議が見計らったようなタイミングで開催された事を受け、交渉相手のソ連を配慮し(もしくはソ連側の圧力を受け)捜査が難航する可能性もあった。

 それは11年前と全く同じであったが、東亜連合――取分け日本側はこれを逆にソ連との外交カードとして手札に加え、交渉を優位に進める意図がある事も自ずと知れた。

 しかし政治の域でどんな抗争が行われるのかは、近江達にとっては知る由もない。政治でどんな取引やら抗争があろうが、自分達は本来の職務を遂行するだけだ。近江は自分にとって何が重要であるかに既に気付いていた。

 「とりあえずは一段落といった所だ。久しぶりに今日は家に帰って休むと良い」

 「ありがとうございます」

 「明日の事もあるしな」と、新発田は呟いた。そんな新発田に頭を下げ、近江が立ち去ろうとする。その直前、新発田の声が近江を呼び止めた。

 「近江大尉、雪だ。少し冷えるかもしれんな」

 振り返ると、窓の先にちらちらと降る雪が見えた。朝鮮ではこれからの時期はどんどん寒くなる。近江はコートを着て外に出る事にした。




 雪が降る京城の都心から国道を通じて郊外に向かう。まず先に向かったのは龍山区。その中でも一際大きな豪邸の前に車を停めた。

 斎間家。近江には最早懐かしさを感じてしまう程だ。

 占拠事件の際、人質の一人となった斎間家当主、斎間京斗。その孫娘斎間京の肉親に当たる元朝鮮光復軍のメンバー、斎間旭に関する処遇は一応の保留として扱われていた。

 一方で、逮捕された林昊乗の身柄に関しても厳しい取調が行われた。何らかの手段を用いて会議に潜入した林昊乗。彼の裏で糸を引いていた者が必ず存在する。その方向でも捜査は行われ、捜査線上に浮上した台湾にまで捜査の範囲が広げられたが、明確な答えは未だ見えていない。

 その捜査結果も考慮し、林昊乗に関する処遇は後に京城地方裁判所にて裁判に掛けられる事となった。

 彼は自分自身がどんな境遇に陥る事も厭わず、ただ斎間旭の救出に身を投げ出したのだった。

 陸軍病院に移送された斎間旭は隔離室に入れられ直ちに検査の対象となった。彼女にマインドコントロールの疑いがあったためだった。

 更に記憶障害も確認され、斎間旭は治療に専念された。容態は回復しているが、未だその身柄が自由になる日は見えない。

 治療の経過を見守ると同時に、彼女には捜査の手も加えられる事になる。彼女の今後に大きな試練が待っている事は想像に容易い。

 だがその試練も彼女は乗り越えられると近江は確信していた。何故なら彼女には京が傍に居るのだから。

 「………………」

 本邸を訪れた後、近江は斎間道場に足を踏み入れていた。

 冷たく張り詰められた空気の中、近江は一人道場の端に立つ。やがて近江の背後に近付く気配があった。

 「近江さん?」

 近江は振り返った。視線の先に、学生服を着た京がいた。

 「……お久しぶりです。来ていらっしゃったのですね」

 「ああ。ここに来るのも、暫く無いと思うしな」

 近江の言葉に、京はひどく悲しむような表情を浮かべた。

 「京、君にお別れと礼を言いに来た」

 「近江さん、どこかへ行ってしまうのですか?」

 悲しそうな顔を向けながら、京は近江に訊ねる。今にも泣き出しそうな顔をしている京に対し、近江は至って普段と変わらない風を装っていた。

 「ソ連だ。明日の昼にはモスクワに発つ予定だ。なに、ちょっとした出張のようなものだ」

 「でも、暫く会えないんですね……」

 「無期限だからな。いつ帰れるかはわからない」

 近江がソ連に旅立つ理由。きっと自分のような子供には想像し得ない事だと、京はわかっていた。

 「京斗氏には既に挨拶を済ませてきた。 京が学校から帰ってくるまでここに待たせてもらった」

 「………………」

 「京」

 近江が京を正面から見据える。

 「今まで有難う、京。 君と過ごした日々は俺にとっても忘れられない思い出だ」

 「……私も、近江さんには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました」

 「いや、俺は君に随分と迷惑を掛けた。軍務とはいえ、君に不自由な思いをさせてしまった事には変わりない」

 「それでも、私は……! 貴方といられて……」

 既に京の瞳からは涙がこぼれていた。ぽろぽろと流れる雫を拭い、京は真っ直ぐに近江の目を見詰める。

 そんな京の顔を見据えていた近江は、フッと微笑んだ。

 「京、忘れたのか? 俺は斎間道場の門下生だ。必ずまたここに戻ってくるよ」

 京は顔をハッとさせた。そしてこぼれていた涙を完全に拭い取ると、力強く顔を上げた。

 「まだ一回しか君の稽古を受けていない。 帰ってきたらもう一度ご指導願いたい」

 「はい、喜んで。 近江さん、それまでに私はもっと強くなります。だから、ずっと待ってます」

 「ああ、楽しみにしている」

 近江と京は互いに笑っていた。もう京の頬に涙は流れていなかった。

 道場を後にした近江を、京と京斗が見送りにやって来る。

 「近江さん、さようなら。お体には気を付けてください」

 「ああ。これからの季節、もっと寒い場所に行く事になるからな。京も元気で」

 「はい、近江さん」

 京と京斗に見送られながら、近江は車を発進させた。

 「近江さーん!」

 ハンドルを握っていた近江は、フロントガラス越しに手を振る京の姿を見た。

 近江が運転する車は角に曲がり、見えなくなった。

 しかし京はいつまでも、近江が去った方向を見詰めていた。



 龍山区から南側に一時間程車を走らせると、近江は山沿いの墓地に足を運んだ。

 街の方と比べて降り積もった雪を払い、花を添える。

 線香を上げ、近江は兄の名前が刻まれた暮石に手を合わせた。

 近江は伝える事を伝えると、すっくと立ち上がった。

 「……一宇」

 聞き慣れた声に振り返った先に、花束を抱えた憲政の姿があった。

 「お前も来ていたのか」

 「……義姉さん」

 「ふふ、やはり閣下よりそっちの呼び方の方が良いな」

 くすくすと微笑むと、憲政は近江の傍に腰を下ろした。

 「明日、ソ連に向かうんだろう? いつ頃だ」

 「昼には空港から飛び立つ予定だよ」

 「そうか。 ふふ、お前は心配する要素がない。ソ連に行ってもお前ならきっと順調に行くさ」

 「俺は昔とは違うぞ。子供の時とは」

 「そうだったな」

 憲政は束の間に手を合わせると、「さて」と勢い良く立ち上がった。長髪がふわっと舞った。

 「頑張れよ、一宇。こいつも空からお前を見守ってくれるさ」

 そう言って、憲政は近江の肩を叩いた。憲政は近江を残し、その場から立ち去っていった。

 「……じゃあ、行ってくる」

 近江は墓に刻まれた兄の名前に向かって敬礼する。近江が立ち去ると、少し冷たい風が何かの意思を持っているかのように、近江の背中をゆっくりと撫でた。



 終




とりあえずこの作品はこれで終了です。


正直言って風呂敷の広げ方、畳み方が下手なのは相も変わらずなのですが、本作は特に雑になってしまった感が我ながら否めない。これはこれで完結と言う事に私自身不満はありませぬが。

もっと上手く書けるようになりたいですね。

読者の皆様、感想をくださった方、本当にありがとうございました。

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