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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第四章 京城動乱
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第二十五話 決意

 部屋を出た後、近江と李菊倫は人質が集められている会議室の方に向かった。

 会議室には東亜各国の大臣や高官が人質にされ、総督府を襲撃した武装集団の首謀者達が居るという情報は既に尋問したテロリストの一人から聞き出していた。

 会議室の位置や敵の情報は、外の包囲部隊に伝えている。

 通路の壁にあった時計の針を見てみると、もうすぐ日が落ちる時間帯だった。

 会議室の近くまで到達した二人は、尋問した部屋で手に入れた総督府内の地図を広げた。

 「会議室はこの通路を左に曲がった先、100メートルの位置にある。これまでに排除した敵の数は三人だが、おそらくこの施設の中にはまだまだ敵が居るはずだ」

 総督府襲撃時に見ただけでも、ざっと三十人以上は居た。おそらくそれ程の数が施設内に居るだろう。それぞれの配置に分担され、軍の突入を警戒しているらしいが、首謀者を中心とした10人程度の敵が会議室に居る事はわかっていた。

 総督府は広い。地図を見、突入に警戒するために数を分担したとすれば、内部から向かえば十分に目的地まで辿り着ける。三人を排除した事で、穴が開いたのも同然になっている。

 「……おい、日本人」

 「いい加減、その呼び方はどうなんだ。俺は近江と名乗ったはずだし、それに元は同じ日本人だっただろう」

 一瞬、李菊倫が複雑な表情を浮かべたがすぐに口を開いた。

 「悪かったな。だが、俺は自分を日本人とは思っていないんでね」

 自治権を得られ将来の独立が有望視されているとは言え、元は同じ日本国民だった台湾人にそう言われる事は近江には少し寂しい思いを抱かせた。

 李菊倫のような台湾人も居ると言う事か。いや、確かに彼の言う通り、彼らが政治的、文化的に日本人だったというだけで、根本的な部分は異なるのだ。それは朝鮮系にも同じ事が言える。

 だが、近江にはそれだけに留まらない違和感を、李菊倫に対して抱いていた。

 「それより、誰か居るぞ」

 「!?」

 近江は驚いたが、すぐに問い質した。

 「居る? どういう意味だ」

 「そこに居る」

 李菊倫が顎で指し示す。まさか、と近江は目を疑った。

 そしてゆっくりと、部屋の壁に耳を当てる。壁の奥から足音が聞こえた。

 「………………」

 近江は李菊倫と顔を見合わせ、ゆっくりと足音が向かう先に忍び寄る。

 その先には暖炉があった。暖炉の端、積み重なった煉瓦の一部に違和感を覚える。触れてみると、少し力を入れただけで簡単に煉瓦が壁の一部ごと崩れてしまった。

 塵や埃が舞い上がる。その中から人影が現れた。

 李菊倫が咄嗟に銃口を向ける。だが、人影に気付いた近江がすぐさま手を振った。

 「撃つな!」

 近江は李菊倫が構えた拳銃の矛先を下げるように言った。

 そして、その場を動かない人影に向かって、近江は駆け寄る。

 その先にいたのは、京だった。

 「――近江さん!」

 「無事だったか、京」

 「はい!」

 近江が京の傍に駆け寄った途端、京が近江の胸に飛び込んできた。近江はそれをしっかりと受け止める。

 「良かった、近江さん……」

 安堵する京の呼吸が胸に伝わる。近江が京の頭に手を伸ばすと、京はハッと近江の身体から離れた。

 「す、すみません!」

 近江に会った途端に目を潤ませていた京の顔は、今は真っ赤になっていた。

 「しかしよく無事でいてくれた」

 「はい、会議が襲われた時に……お爺様が私を匿ってくれたんです。お爺様のおかげで、私だけがあの場から逃げる事ができました」

 「……京、この通路は」

 「秘密の通路みたいです。会議室から入って、ずっとここに隠れていました」

 近江は地図の方に目を配らせた。地図にはこのような通路は記載されていない。本当に秘密の通路のようだった。

 併合後の朝鮮と共に歩んできた朝鮮総督府の庁舎は築百年に及ぶ。その間に幾度と改修工事は行われているが、このような秘密通路があっても不思議ではない。

 斎間京斗は朝鮮総督府とも深い関わりを持っている人物だ。この通路の存在を知っていてもおかしくない。

 「では、この通路を通じて会議室に行けるというわけか。 ……どうした?京」

 近江は京の様子にふと気付いた。

 京は驚愕した表情で、何かを見ている。

 その視線を辿っていくと、一人の男に行き着く。

 「………………」

 京の視線の先に居た李菊倫もまた、無言で京を見詰めていた。

 「近江さん、この人は……」

 「彼は李菊倫という、台湾代表団のSPで……」

 近江は途中で京の様子に違和感を覚えた。京の驚き様が近江には異様なものに見えた。

 だから、近江は言葉を詰まらせてしまう。

 「……どうして、貴方が」

 その間に、京がぽつりと声を漏らす。

 知っているのか?近江が問い質そうとした時――

 「伏せろ!」

 突然、李菊倫が叫んだ。彼の声に、近江は咄嗟に京を庇い、身を伏せた。

 李菊倫は近江達の頭上に向かって、拳銃を構えて発砲した。サプレッサーで抑えられた銃声と共に、銃弾がさっきまで京がいた通路の方に消えていった。

 直後、一瞬詰まった物を吐き出すような声が聞こえたかと思うと、通路の方から倒れた人の手が見えた。その手からみるみるうちに血の池が広がっていく。

 その光景に京は愕然としていた。

 「……敵も通路の存在を知っていたのか」

 通路に逃げた京が近江達に接触するのを待っていたのか。だが、李菊倫が気付いてくれたおかげで敵を排除できたようだった。

 「俺達の存在を、奴らも気付いているようだな。おい、日本人」

 李菊倫と近江の視線が合う。

 「ここからが正念場だぞ。どうする?」

 「………………」

 近江は腕の中で震える京を見下ろす。京がゆっくりと顔を上げた。

 「……京は安全な場所に隠れていてくれ。おそらく軍の部隊が潜入してくるから、彼らが来るまで待っていれば必ず助かる」

 「近江さん?」

 近江は京に微笑みかけると、李菊倫の方に視線を向けた。

 「我々は舞台を整えなければならない。敵の本陣に向かう」

 「……近江さん!」

 近江の顔を見た京はハッとなる。

 そして京は近江の瞳を見ると、意を決したように口を開いた。

 「私も行きます……。案内させてください!」

 「駄目だ、危険過ぎる。君は民間人だ。巻き込むわけには……」

 「もう巻き込まれています。それに、もう逃げたくないんです」

 大切な人を残して、自分だけ助かるのはもうご免だった。

 妹だけでなく祖父まで見殺しにして自分だけ生き延びる事を、京は許さなかった。

 「通路は暗くて複雑です。でも私がいれば、まっすぐ会議室まで行けます」

 「しかし」

 近江は京の同行を認めないが、京も頑として聞かなかった。

 困り果てた近江に追い打ちをかけるように、意外な所から京の援護射撃が起こった。

 「良いじゃないか」

 「――!」

 思わず顔を向ける。そこには李菊倫が笑みを浮かべていた。

 「大した度胸じゃないか。 帝国の存亡に女子供も関係ないのが日帝のやり口だろう?」

 「馬鹿を言うな」

 ふざけているとしか思えない李菊倫の発言に近江は憤慨した。大日本帝国に対する歴史上の偏見に悪意が重なった台詞であった。

 「貴様が帝国をどのような国だと思っているか知らないが、帝国は臣民を見殺しにしたりなどしない。陛下が御自ら範を示されている以上、帝国軍人もまた無辜の臣民を放置する事など絶対にあり得ん!」

 近江ははっきりと言い放った。現在の日本帝国は人命を重視している。民間人の保護は軍人の責務だ。主上と民草を守る事こそが帝国軍人の任務だ。

 近江は帝国軍人になってから、上官や先輩、家族の背中を見て成長してきた。

 脳裏に兄の姿が浮かんだ。

 「――近江さん」

 言葉を続けようとした近江の腕を、京がぎゅっと掴んだ。

 「そうです。私も、栄えある帝国の一臣民です! この命は他の臣民同様、天皇陛下に捧げたものです!」

 京は必死に言葉を吐き続ける。

 「その命を……家族を見捨ててまで生き永らえた汚いものにさせたくありません! 私は家族を助けたいんです!家族を見捨てる事より、家族を助けるために行動した事の方が……きっと陛下もお認めて頂けると思います!」

 ただの少女がここまで言うというのは、単なる軍国主義の賜物ではない。

 彼女の本心はただ一つだけだ。

 家族を助けたい。それだけなのだ。

 だが、近江も譲れない。

 「……駄目だ。民間人を連れていく事はできない」

 「近江さん……!」

 「まだわからないのか。民間人が傍にいると、足手まといにしかならないのだ!」

 「――!」

 近江の怒号が飛んだ。衝撃を打たれたように、京はその場に力なく座り込む。

 これで良い。彼女をこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 だが、話はそれで終わりにはならなかった。

 「ご立派だな。さすがは“帝国軍人”だな?」

 「………………」

 近江は無言のまま、李菊倫を睨んだ。

 「志願兵を拒絶するなんて勿体ない事を。人質が全員殺されたら、帝国どころか東亜連合の存続が危ういって言うのに」

 「……お前はこんないたいけな少女を、戦闘に駆り出す事に抵抗は無いのか?」

 「なにも戦闘に駆り出せとは言っていない」

 李菊倫は首を横に振った。

 「その娘が言ったように、文字通り案内させるだけだ。戦うのは当然俺達だ。娘は見学でもさせていれば良い」

 「その事自体が危険だと言っているんだ。民間人に被害が及ぶような事は決してあってはならない」

 「娘を守りたいのはわかるが、この施設に安全な場所なんて無いと思うが?」

 近江は黙った。

 李菊倫は笑みを浮かべる。

 「むしろ俺達に付いていた方が安全だと考える」

 「馬鹿な」

 「敵は通路に隠れていたと思っていた娘の存在も認知していた。どこに隠れようと、ウロウロしてる敵に探られるのも時間の問題だと思うが」

 「………………」

 口を噤む近江の腕に、羽毛のようなふわりとした力が触れる。

 視線を向けた先に、京の懇願するような顔があった。

 「……近江さん。お願いします」

 「京……」

 「私、近江さんにもう迷惑はかけません」

 先の拉致事件もあって、近江は京に対して強く思う所があった。彼女を今度こそ守り通すと決めていた。

 そう、今度こそ守り通すと。

 「……わかった。案内を頼む」

 「近江さん……!」

 京の顔が喜色に満ち溢れる。

 「ただし、俺の言う事には絶対に従う事」

 「はい!」

 「必ず、俺が守る。だから……俺の傍を離れるな」

 近江の言葉に、京は深く頷いた。

 三人は集まり、今後の作戦を立て始める。近江は無線機を手に取った。




 移動指揮車の憲政達は総督府に潜伏中の近江達から無線連絡を受け取った。憲政は近江に機動旅団による潜入を伝え、今後の近江達の行動との調整を行った。

 近江達が秘密の通路を通じ、敵と人質がいる会議室に向かうタイミングを見計らって、機動旅団を潜入させる作戦が再構築された。

 憲政は近江の提案とそれに伴う作戦の調整を了承。機動旅団に作戦の内容を報告した。

 「――という事だ。出来るか?」

 「小早川中将、我々を舐めてもらっては困ります」

 憲政は自分より頭一つ分の大柄な男を目の前にしていた。その男こそが機動旅団の部隊長だった。

 部隊長の近藤中佐は胸を張った。

 「敵を見事に殲滅し、人質を救出する所存です。どうかお任せください」

 「頼んだ。日本の、東亜の未来は機動旅団に懸っている」

 「は!」

 近藤中佐は敬礼を返すと、準備を整える部隊の下に戻っていった。

 「一宇、待っていろよ……。貴様だけは、死なせはしない」

 憲政は、懐からペンダントを取り出す。その中には夫婦の写真が収められていた。


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