第二十一話 会議
書き溜めたので随時投稿していきます。
併合百周年の記念日に起こった京城連続テロから一ヶ月半が経過し、大陸では未だに皇軍が駐留する10月の3日。
秋の晴天に恵まれた京城では、テロ事件の傷跡から着々と復旧しつつあった。
大陸に進駐した皇軍により、朝鮮光復軍の拠点は着々と殲滅しつつある状況下、日本政府は「テロ組織の根絶は目前に迫っている」と声明を発表した。
国民は政府の発表を受け、テロの脅威が薄まっている事を知り、安心感が確かに広まっていった。
『本日から朝鮮総督府にて開かれる東亜連合経済協力会議のため、東亜連合加盟各国大臣が来日。8月の朝鮮併合百周年の日に起きた連続テロ事件を踏まえ、軍や警察等の現場当局が厳重な警備体制を――』
車内に取り付けられているテレビのニュース画面を見ていた京は、その視線を車外の方に移した。
一ヶ月半前にテロがあった事が嘘のように、街の中は平穏に満ちていた。
自動車爆弾の被害を受けた斎間グループの傘下企業の本社ビルも、復旧工事が終わっている。
斎間家当主であり斎間グループを司る祖父に呼ばれ、本社ビルにやって来た京も、花束が添えられた現場に手を合わせたばかりだった。
施設等は直っても、失われた命は帰ってこない。
現場が綺麗に直されても、その下に存在を主張する花束が、唯一、テロの傷跡を示している。
内側に刻まれた傷は、癒える事はない。
斎間グループの関係者として出席した葬儀で見た遺族の涙は、現場に添えられた花束と共に、京にとっては忘れられない光景であった。
「……あれから一ヶ月以上も過ぎてるなんて」
京はこれまでの体験を思い出した。
この一ヶ月半の間に様々な事が起こった。
事件の後、京はテロの実行犯である朝鮮光復軍に拉致された。京は自分達を攻撃した人間達と直接顔を会わせる事となった。自分の家が経営する会社を襲い、多くの人の命を奪った彼らに、京は出会ったのだ。
結局、京は陸軍に救出され、助かった。救出された後も長々と事情聴取に付き合わされた。
近江と共に龍山駐屯地の憲政の下にも赴いた。
京が提供した情報は、捜査の役に大いに立った。
龍山駐屯地を出た後、近江が運転する車で家まで送られた時の事を、京は何度も思い出す。
「京」
斎間家の門前に着き、送ってくれたお礼を言おうとした京より先に、近江が口を開いた。
名前を呼ばれた京は、思わず身体を硬直させ、じっと見詰めてくる近江の視線に引き寄せられた。
「――ありがとう」
「………………」
近江の口から紡がれたお礼の言葉。京の情報が捜査の進展に貢献した事への礼だろう事は京も瞬時に理解できたが、それよりも、彼から感謝の言葉を贈られると言う現実が、京の心を縛り付けた。
今思い出しても、顔が熱くなってしまう京だった。
「――京」
「――! はい!」
運転席にいる祖父の声にようやく気付き、京は慌てて返事をする。
「京、もうすぐ着くぞ」
「は、はい、お爺様」
深く追求をしてこなかった祖父の気遣いに感謝しつつ、浮ついていた己を恥じる京だった。
やがて車の窓から、朝鮮総督府のコンクリート造の建物が見えた。門の前に到達し、警備員からチェックを受ける。問題のテロ組織を殲滅しつつあるとは言え、テロへの警戒は怠っていない事が伺える。門前に立つ警備員に許可を貰うと、車はいよいよ朝鮮総督府の庁舎に向かった。
庁舎に辿り着くまでの道中、敷地内には巡回する警備の者でいっぱいだった。事件の日、総督府の庁舎もテロ攻撃を受けたからか、厳重な警備が敷かれている。
車の中から敷地を見渡していた時、大きな体躯をしたドーベルマンの姿が京の視界に入った。
庁舎前に辿り着くと、スーツを着た総督府職員が待っていた。
「御待ちしておりました、斎間様」
二人を出迎える職員の傍には、数人の憲兵が立っている。
車から出て、憲兵の顔を見上げた途端、京はハッとなった。
「(近江さん……)」
職員に随伴する憲兵の中に近江の姿もあった。しかし近江も京も、互いに言葉を発する事はしなかった。
「では、こちらへ」
職員に招かれるように、京は祖父の斎間京斗の後ろを付いていくような形で、庁舎の中に足を踏み入れる。
その周りを、近江を含む憲兵が囲んで同行する。
「さすがに厳重な警備ですな」
「先のテロの件がありましたからね。 警戒するに越した事はありません」
京斗と職員が会話をしながら、庁舎の大理石のメインホールから階段を昇っていく。
庁舎の中は、職員や通常の警備員だけでなく、拳銃を携えた黒服の姿さえあった。
それらの環境が、京の心臓を高鳴らせる。
窮屈に感じるような、少し恐怖さえ覚える空気だった。
「………………」
ふと、京は自分の傍を歩く近江の気配に気付いた。近江は何も言わなかったが、その姿が京には頼もしく見えた。
いつしか、京の中にあった緊張感は薄れていた。
会議室には東亜連合に加盟する各国の閣僚が集結していた。その中には、日本の商工大臣の姿もあった。
東亜連合経済協力会議。東亜連合の加盟各国のエネルギー、経済担当大臣が集まり、加盟国間の経済協力に関して話し合う場である。
加盟各国の大臣が席に着くと、今回の議長国である日本の商工大臣が挨拶を始めた。
「本日は遠い所から御集り頂き、真にありがとうございます。ここ、京城ではテロなどの騒ぎがあったにも関わらず、こうして御集り頂けた事に感謝致しております。今後の東亜連合における平和と発展のある未来を願いながら、本会議を開催させて頂きます」
併合記念日にテロ事件が起こった事で、警戒態勢が敷かれた京城だったが、会議はテロが起こる以前から京城での開催が決められていたために、予定通りに実施される運びとなった。掃討作戦が順調に進んでいる証を強調するためにも、京城での予定通りの開催は、日本政府にとっても譲れないものであった。
「各国大臣の皆様とは他に、今回の会議には東亜連合各国に支社を置く斎間グループの斎間会長にもお越し頂いております。どうか宜しくお願い致します」
斎間京斗がこの場に招かれたのは、世界的企業とされる斎間グループの代表者として会議に参加する意味が含まれていた。
東亜連合の加盟各国に支社を展開している斎間グループは、東亜連合経済圏においても大きな影響力を持っている。代表者の斎間京斗が各国大臣が集まるこの会議に参加する事にも意義があった。
そして女学生の身に過ぎない京がこの場に同席しているのは、斎間家の正式な跡取りとして居る事に他ならない。
「――それではまず加盟国間における貿易協定に関して。モンゴル側の意見も交えて議論を始めたいと思います」
会議は、粛々と行われた。
東亜連合の加盟国間において構成されている経済圏は、東・東南・西アジアにまで拡大しているが、半世紀の間に成長を続けてきた東亜共同体経済は未だ完成には達していない。新たな加盟国が加われば、当然新加盟国との間で新たな経済関係と秩序が作られる。
近年、東亜連合に加盟したモンゴル人民共和国との間には、東亜連合の新たな目標として、輸入品やサービス貿易、知的財産権等の関税引き下げを定める交渉が行われていた。将来的には他の加盟国間でも成立している関税の完全撤廃や投資の自由、それらの対象拡大をビジョンとしている。
この会合には議長国の日本を始め、中華民國、モンゴル、タイ、フィリピン、ベトナム、ラオス、ミャンマー、インドネシア、マレーシア、ブルネイ、カンボジア、インド、台湾等の各国大臣・各地域の関係者が出席。帝国自治領に当たる台湾からは台湾議会の関係者が出席。新参のモンゴルも議題の中心国として席上に居た。
東亜連合内において、特に無資源国家であった日本は従来から「資源の確保」が重要項目だった。そのためにも資源が豊富な東南アジアや西アジアの加盟国との繋がりがあるが、近年加盟したモンゴルは日本にとって最も近い資源国となった。
東アジアにおいて、モンゴルは世界的に見ても資源豊富国である。モンゴルの東亜連合への参加は、関税同盟への参加の可能性が高まったものになったが、問題はモンゴル国内に賦存する地下資源へのニーズと採掘に伴う技術及び輸送の経路とコストの三点にあった。
モンゴル国内のウラン鉱や銅鉱資源等へのニーズは、モンゴルの盟主であるソ連が主導権を握り、既に採掘も行われている。既存の輸送経路(鉄道)はソ連領に接続している。従って、加盟直後のモンゴルとの間では難しい問題となっていた。
だが、近頃のソ連との関係改善が見え始めた機会を狙い、日本を中心とした加盟国はモンゴルとの協定への動きにようやく乗り始めた。
東亜連合とソ連の間で関係改善が見込まれれば、東亜連合の加盟国でありソ連の衛星国でもあるモンゴルとの協定締結も実現する可能性が大きくなる。
今回の会議では、モンゴルとの協定締結に向けた議論が交わされた。
■解説
●東亜連合経済協力会議
東亜連合加盟国間において同地域の経済協力を議論するフォーラム。その歴史は古く、東亜連合設立以来毎年一回の頻度で開催されている。
●関税同盟
密接な関係にある複数の国家間で相互間の関税を完全に撤廃し、他国に対しては同一の関税を適用するといった取り決め。1946年の新京関税同盟の調印に伴い、日華満の三ヶ国間の関税撤廃が行われたのを始めに、1968年に東亜域内加盟国間の関税を撤廃する関税同盟が完成した。