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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第四章 京城動乱
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第二十話 接触

 高雄市街の中心部にある高尾駅を経由する電車に乗り、林昊乗は美麗島駅びれいとうえきに降りた。

 馬瑞漢から譲られた衣服を着込んだ林昊乗は、周囲に溶け込み、台湾人の若者と相違ない姿だ。

 しかし油断は禁物である。自分が今いる場所は、監視の目が何処にあっても、不思議ではないのだから。

 「(……ここはまだ日本の影響が強い地域だ。 何処に“目”があるか、判ったもんじゃない)」

 台湾は統治時代の名残もあって未だ日本の影響が強く残っている地域だ。高雄港には日本海軍の軍艦が停泊している。朝鮮から抜け出せても、決して安心はできない。

 「(それにしても一体、彼は何者なんだ……?)」

 林昊乗は馬瑞漢と名乗る台湾人に助けられ、数日の間を台湾の地で過ごしていた。台湾南部の街・高雄市にある馬瑞漢の自宅に招かれた林昊乗は、彼の庇護の下、隠居生活を続けていた。

 「(わからない。彼はどうして、俺を……)」

 彼が何者なのか、林昊乗は知らない。林昊乗の質問に、馬瑞漢は答えようとはしなかった。林昊乗は馬瑞漢の思惑がわからなかった。

 馬瑞漢は、何故、日本軍に追われていた林昊乗を助けたのだろう。

 この数日、林昊乗が馬瑞漢の下で過ごしていく中で、馬瑞漢が林昊乗を密告したり、怪しい動きをするような所は見せなかった。

 「(組織と日帝双方に命を狙われるなんて、思ってもみなかった)」

 そう。林昊乗は、組織から殺される所だった。

 正確には組織のリーダー格に当たる朴と言う男に殺される所だった。朴の陰謀により、林昊乗は他の8人と共に日本軍に抹殺される所だった。林昊乗は以前から、朴の事が気に食わなかった。

 朴と言う男は冷酷で性根が腐った人間だ。日帝に潰されかかった組織を、若くして再建させたと言う点に同志から尊敬を集めているようだが、林昊乗の目は騙されなかった。朴を支持する者は、只、日本を攻撃してくれる存在が欲しかっただけに過ぎない。無条件愛国主義者の支持を集めた朴は、自分に少しでも歯向かう者は、容赦なく力でねじ伏せた。無条件愛国主義者は、朴に同調した。おかげで組織は延々と有効性のない事を繰り返す羽目になってしまった。

 林昊乗は朴から嫌われている事は知っていた。だが、組織の優秀な戦力と見なされる光復勇士の一員である林昊乗を粛清するのは難しい事のはずだった。

 だが、朴は林昊乗を切り捨てる事を選んだ。

 林昊乗はこの時、決定的に朴と言う男を愚かな人間だと思った。そして確信した。朴は本気で朝鮮を解放するつもりがないのだと。

 これまでに調達した武器や装備。その元となる資金。朴が資金を私的に横領してる疑いは確かにあった。奴は金のために動いている。無条件愛国主義者の連中はそれに気付いていない。

 民族のためでなく、金のために生きる醜い下郎。林昊乗は朴を許さなかった。

 大勢の人々が行き交う雑踏の中を歩いていた林昊乗は、目の前にカップルらしき二人組の男女を見つける。その内の一人の若い女を見た途端、妹の面影が浮かび上がった。

 「((純姫はどうしているだろうか)」

 ――どんな事よりも、林昊乗にとって最も気がかりだったのが、妹の存在だった。

 組織に残してしまった妹は無事なのか。自分の帰りを待ってくれているだろう妹、純姫の事が何よりも気がかりだった。

 拾った日本人の娘に、朴が何をするかわかったものではない。

 「(……くそ)」

 高雄市内の平和な街並みが、まるで非現実の世界に迷い込んだかのような錯覚を林昊乗に植え付ける。今まで戦ってきた自分や、その過程で共に過ごした妹や仲間との思い出が、まるで夢のように思えてくる。

 「俺は……」

 林昊乗は、朝鮮に戻りたかった。



 林昊乗は高雄市の南東にある新興区に訪れていた。既に日が落ち、空が闇に溶け込み始めた時間帯に、大通の両脇に並んだ屋台がぽつぽつと営業を始めていた。

 新興の大通・六合二路の中を歩いていた林昊乗は、先程から自分に纏わりつく気配に気付いていた。

 「(……尾行けられているな)」

 美麗島駅から五分ほど歩き、六合二路と言う大通に踏み込んだ辺りから、林昊乗は尾行の存在を察知した。

 林昊乗は気付かないフリを保ちながら、冷静に歩を刻んでいた。この場で尾行している者が仕掛けてくるとは思えない。ここは夜市のど真ん中だ。雑踏の中に紛れ込み、巻く機会は必ず訪れる。

 ――なんて、甘い事は考えていなかった。この地域は敵の影響下にある。簡単に抜け出せるとは思えなかった。

 「(やはり、そういう事だったのか……)」

 林昊乗をこの場に呼び寄せたのは、馬瑞漢によるものだった。

 馬瑞漢は、林昊乗に新興区の六合二路に行けと言った。

 やはり彼は敵だったのか。ここに自分を招き入れるために?

 「(何も変な事はない。 考えなくても判る事だ……)」

 ただの素人がテロリストと指された自分を理由も無く助けるわけがない。賭けに負けた。只、それだけだ。敵の言う事を聞いた自分がそれまでの人間だったと言う事だけの話だ。

「………………」

 突然、林昊乗はまるで大通を駆け抜けるかのように全力疾走した。行き交う人の肩にぶつかりながらも、林昊乗は一人雑踏の中を駆け抜ける。尾行の事は既に頭には入っていなかった。

 大勢の人が行き交う夜市を抜け、林昊乗が辿り着いた場所は寂れた小さな公園だった。息を切らしながら、公園の中に踏み込んで足を止める。

 「巻いたか……?」

 林昊乗は背後を振り返ったが、追ってくる気配は無かった。

 「(やはり、馬瑞漢は日帝の手先だったのか? 俺を助けたのも、奴らに引き渡すためだったのか。いや……)」

 単にあの男が日本当局の息がかかった者だとしても、何かが引っかかる。奴らがこんな手の拱いた事をするだろうか。先程の確かに現実であった尾行の存在。馬瑞漢の意図。考えれば考える程、意味がわからなかった。 

 直後、林昊乗は車の急ブレーキ音を聞いた。

 路上の方に視線を向けてみると、黒塗りの高級車が何台も停まっていた。反対側にも同じ高級車が現れる。辺りを見渡すが、この場を脱する方法は無さそうだった。

 日本製の高級車から、スーツを着た屈強の男達が現れた。林昊乗が息を呑む中、後部座席から男の枯れた声が聞こえた。

 「安心しなさい、我々は君の敵ではない」

 林昊乗の視線の先に、声の持ち主が車から出てくる。屈強の男達に囲まれながら、杖をついた老人が姿を見せた。

 「派手な登場で驚かせてしまって悪かったな。 しかし君に逃げてもらうのは我々も困るのでね」

 「誰だ、お前は」

 警戒心を抱いた林昊乗の鋭い視線が、老人に突きささる。

 「馬瑞漢の古い友人だよ」

 老人は友好的な笑みを浮かべた。

 「手荒な真似はしたくない。どうか大人しく、我々に付いてきてくれまいか。君の大好きな焼肉を奢ってあげよう」




 林昊乗を乗せた車は新興区のもう一つの大通である五福二路の方に向かった。再び人々が賑わう街中に戻ってきた林昊乗は、ある店の前で車から降ろされた。

 後から老人も降り立つ。林昊乗の目の前には、提燈が掲げられた日本風の居酒屋があった。

 林昊乗は京城の商店街で見た居酒屋を思い出した。提燈には店名と思われる『乾杯』と言う漢字が書かれていた。

 「ふむ? おかしいな、昔から時間に遅れるような奴ではなかったのだが――」

 店の前に着くと、老人は腕時計を見た。どうやら誰かと待ち合わせているらしい。

 「すみません、お待たせしました」

 横から声を掛けられ、林昊乗は視線を向けた。背広を着た、眼鏡を掛けた長身の男が立っていた。

 「久しぶり。 元気そうだな」

 老人が先程林昊乗に見せたような笑みを作る。

 「はい、少佐殿。 しかしこちらからお呼び立てしたのに遅れてしまってすみません。乗っていた電車が遅れてしまって――」

 「いや、私達も今さっき来た所だ。 それより、“少佐殿”はもうよしてくれ」

 「すみません、少佐ど……っとと、貴方を前にするとつい、昔の癖で。もう店に入りましょうか」

 親しげに笑う二人の様子から、林昊乗は二人が昔馴染みの関係だと言う事が容易に知れた。

 「では、入ろうか」

 老人に促され、三人は目の前の居酒屋に足を踏み入れた。





 「この店は台北でも人気の居酒屋でして、最近になって遂に高雄にもオープンしたんですよ。この店の肉はこだわりがあって、とても美味しいですよ」

 個室の席に腰を下ろした三人。先に注文した生ビールを手に持ちながら、男は言った。

 「では、乾杯しましょう」

 「ああ、乾杯」

 「………………」

 彼らはあえて、日本風の『乾杯』を口にした。

 台湾人の『乾杯』は本来、日本人が宴会等で行う『乾杯』とは意味が異なる。日本人はどんなに小さな事でも、他の者と囲めば何でも『乾杯』と言って一口飲む儀式をするが、台湾の『乾杯』はグラス(杯)を空にする(乾)と言う意味があるので、台湾で『乾杯』を言うと、一気飲みと言う意味になってしまう。

 しかし彼らは杯にあるビールを少し口に流し込んだだけで、飲み干すような事はしなかった。

 「こんな焼肉臭い場所で密会と言うのもまた変な光景だが、欺くには意外と良い場所だ。それに昔と比べて、特高などに怖れる心配は無い」

 老人がそう言うと、同席した男が苦笑いを浮かべた。林昊乗は何も語らず、二人に鋭い視線を突きさす。

 老人が注文したオーストラリア産和牛の盛り合わせが届くと、男が肉を焼き始めた。香ばしい肉が焼ける匂いが林昊乗の鼻に漂う。肉が焼ける傍らで、老人が口を開く。

 「私は台湾議会国防会議議長の周仲壽チュウ・チョンソだ。 見ての通り老いぼれだが、軍人を引退してからは国防会議の議長を務めている」

 「国防、会議……議長……」

 自治政府の樹立によって生まれた台湾議会は、台湾における最高機関に当たる。そして国防会議とは、台湾議会内に設置されている安全保障分野の機関だ。その機関を統率する役職が国防会議議長である。

 「驚くのも無理はない。だが、冷静に私の話を聞いてほしい」

 「………………」

 周仲壽の言葉を無視するように返事を返さない林昊乗は、もう一人の男の方に視線を向ける。

 「ああ、彼の紹介がまだだったな。 彼は柚木と言って、かつての私の部下だった男だ」

 周仲壽の言葉を聞いた林昊乗は驚いた。なんとなく察してはいたが、男はやはり日本人だった。

 日本人とわかった途端、林昊乗の目から更に敵意を孕んだ視線が柚木に向けられる。

 「そんなに怯えなくとも良い」

 そんな林昊乗の心情を察したのか、周仲壽が言葉を掛けた。

 「彼は君の敵ではない」

 「何故、そう言い切れる」

 「少佐殿……いえ、周さんの仰る通り、私は貴方を捕まえに来たわけではありません。どうか私の話を聞いてください」

 「信用できると思うか?」

  林昊乗は柚木と名乗った日本人を睨んだ。と同時に、周仲壽の存在にも警戒した。

 「俺を引き渡す気か?」

 林昊乗は周仲壽に訊ねた。

 「……確かに、東亜会議で採択された対テロ宣言には、我が台湾議会も署名している。しかし私は君を日本政府に引き渡すつもりはない」

 「信用できると思うか?」

 慎重な姿勢を崩さないまま、林昊乗は言った。自分が宗主国が捜し求めているテロリストにも関わらず、国防会議議長とされる相手がこのような場を整えたのは明らかに異常だ。正規な手順でセッティングされたわけではない事は容易に判別できる。そしてあの馬瑞漢が自分を助けた理由にも何らかの関係があるはずだ。

 周仲壽は軽く微笑んだ。

 「簡単に信じてもらえるとは考えていないよ。 ただ、これから話す事を聞いてくれるだけで良い」

 周仲壽は一度、柚木の方を一瞥すると、頷き合った。

 じっと待つ林昊乗の方に、周仲壽は顔を向ける。

 「我々は『東亜会』のメンバーだ」

 林昊乗は怪訝な顔になった。

 「東亜会、だと?」

 「そうだ」

 周仲壽は言葉を続ける。

 「東亜連合の連邦国家化を目指し、活動している超党派組織だ。メンバーは東亜諸国の出身者から構成されている」

 馬瑞漢の説明に、柚木が頻りに頷いていた。

 東亜会。東亜連合に属する加盟国の国民が結集した超党派組織。現在の東亜連合に加盟する国家群を統一国家とし、更なる共存共栄を提唱していると、周仲壽は語った。

 「欧州連合よりも一足早く、東亜諸国が真の統一国家となる事を夢見ている。東亜連邦は我々、東亜会の夢だ」

 「………………」

 林昊乗は周仲壽の言っている事が理解できなかった。

 まるで意味のわからない数式を突然教えられた気分のように、林昊乗の頭は混乱していた。目の前にいる男が本気でそんな話をしている事が信じられなかった。

 「本気で言っているのか?」

 「君には理解できないだろうな。 それは重々承知している」

 朝鮮の日本からの独立と言う朝鮮光復軍の目的を、周仲壽達の抱く理想とはまるで正反対の思想である事を理解していると言わんばかりの周仲壽。

 焼ける肉の匂いが鼻腔を突く最中、林昊乗は皺を刻むも尚骨格がしっかりしている周仲壽の顔を見る。

 「いずれ台湾議会は東亜連邦発足の暁には、台湾共和国として独立し、東亜連邦への編入を果たすだろう。日本人でもない、朝鮮人や台湾人でもない、全てのアジアの人々が、東亜人になる事ができたなら――真の共存が実現するのだ」

 周仲壽が語った事は、林昊乗の耳には正に夢物語にしか聞こえなかった。

 正面に座り、周仲壽の言葉に頻りに頷いていた日本人の男も同じ理想を抱いているのかと思うと、反吐が出そうだった。

 彼の話を聞いていると、食欲が無くなりそうだ――

 「お前がさっきから言っている事は、日帝の植民地支配的思想代表とも言える大東亜共栄圏と何ら変わらない。日本帝国主義の侵略を更に広める事を認めているようなものだ!」

 欧米諸国の植民地支配からアジア諸国を解放させ、日本を中心とした共存共栄の新たな国際秩序の建設を掲げた構想が大東亜共栄圏である。この構想は東亜連合の前身とも言われている。

 「アジアが一体となる事は、世界の覇権を握る事に繋がる。経済や軍事力、あらゆる分野が世界のトップに食いつく事ができるんだ。米ソ超大国に分かれていた世界が、東亜連邦の誕生によって一つになるのだ」

 林昊乗は理解した。

 汎アジア主義者の周仲壽達とは、自分とは到底相容れない間柄なのだと。

 アジア全体が一つの統一国家となる思想を唱えている輩は昔から居た事を林昊乗は知っていた。

 だが、本物を見るのは初めてだった。

 自分が朝鮮独立を掲げているように。

 彼らもまた、主義主張は違えど、譲れない想いを抱えている。

 だが、彼らが自分達を理解できないように、彼らが理解できない。

 相容れない関係なのだ、この両者は。

 「前回の大戦以降、アジアを発祥に新たな国際秩序が生まれた。しかしそれでも尚、米ソの二大超大国に翻弄されてきた。ベトナムでは米ソに唆され、あわや分断の危機となった。中東の利権を狙い、米軍やソ連軍、欧州軍が進出する始末。東亜連合が生まれても、アジアは翻弄されるばかり。東亜連邦の発足は、米国やソ連、欧州連合と対抗するためにも必要なものだ」

 「……馬鹿げている」

 林昊乗は、周仲壽の言葉が到底実現できるものだとは思えなかった。

 今や東亜連合と言う秩序が東アジア、東南アジアに長年の間確立しているが、将来、これ以上の発展は東亜連合自身望んでいるのか甚だ疑問だった。

 光復軍の自分が言うのも何だが、自分達のような反抗勢力、過激派が存在し、手を拱いている現状では統一国家などは夢のまた夢である。

 自分達の存在があるように、アジアには異なる民族、宗教、文化が多く富み、平和的な統一は想像する以上に困難な道のりのはずだ。

 簡単に彼らの理想が実現できるなら、自分達のような存在が――光復軍が生まれるような事は最初から無かっただろう。

 林昊乗は可笑しくなったように、小さく噴き出した。

 噴き出した林昊乗の様子に、周仲壽が言葉を止める。

 「……それで? 前置きはその辺で良いだろう。さっさと用件を言って欲しいのだが?」

 林昊乗にとって彼らの思想なんてどうでも良い話だった。

 「馬瑞漢の世話になった恩があって、お前達の無駄話を聞いてやったんだ。もう十分だろう? 肉が焦げる前に、さっさと本題を終わらせてしまった方が良いんじゃないか」

 「……それもそうだな」

 周仲壽は諦めたようにふっと笑った。

 これ以上話をしても逆に彼の機嫌を損ねてしまうだけだと判断したのか、馬瑞漢は笑みを消し、真剣な表情を浮かべて口を開く。

 「我々は日本での朝鮮問題をこれ以上長引かせる事は、日本にとってだけでなく、東亜全体にとっても良くないと考えている。東亜会は朝鮮での問題の一日でも早い解決を願っている」

 「まさか俺を通じて光復軍に『日本と和解しろ』とでも伝えろと?」

 「そんな事は期待していない」

 周仲壽は首を振って、言った。

 「君はもう組織の人間ではないだろう?」

 図星を突かれた子供のように、眉間に皺を寄せる林昊乗。

 そんな彼の様子を見ながら、周仲壽は柚木の方にも意識を向けさせようと顔を傾ける。

 「柚木は東亜会の一員であると同時に、帝国陸軍情報部の職員なんだ。現在の朝鮮光復軍の事をよく知っている」

 まるで天敵を見詰めるかのように、林昊乗は敵意を露にした視線を柚木に向ける。

 敵意丸出しの視線を向けられた柚木は、苦笑を浮かべながら口を開いた。

 「……バラされている時点で、情報部員と言うのも可笑しな話ですが。ここまで来た以上、隠す必要はありませんね」

 「春川での事も、彼から話は聞いている。 馬瑞漢が君を助けるよう言ったのは私だ」

 「……!」

 彼は意図して自分を助けた事を仄めかした。日本人の諜報員と台湾の国会議員を交互に見詰め、林昊乗は思いを巡らせる。彼らは各々の政府の意向で動いているわけではない。林昊乗はこの時、東亜会という組織に自分が接触している事を実感した。

 「何が目的だ?」

 「君の力を貸してほしい」

 周仲壽の言葉に、林昊乗は驚いた。

 「これは君にとっても得のある話だと思うのだが、聞くだけ聞いてみないか?」

 無言で周仲壽に鋭い視線を向ける林昊乗。だが、周仲壽は涼しげな表情を浮かべる。

 「本当は君自身も気付いているはずだ。 君もまた我々が必要だとな」

 「……何を馬鹿な」

 周仲壽が柚木の方を一瞥すると、柚木がカバンの中から何かを取り出した。それを林昊乗の前に見せ付ける。

 「――!」

 林昊乗は一瞬、目を見開いた。それは写真だった。その写真に写っているのは、自分と妹の二人であった。

 「君は前に京城の記念館に妹と二人で居ただろう? その時の写真だよ」

 京城連続テロ事件の直前に偵察目的で訪れた併合記念館での二人の姿。監視カメラが撮影したものだろう。変装はしているが、自分達である事は初めて見た瞬間から林昊乗はわかっていた。

 日本人の諜報員から出されたその写真は、自分達の正体が既に知られていた事を語っていた。妹――純姫の存在も、彼らは承知の上で林昊乗に話を持ちかけている。

 「妹の身柄は未だ組織の内にあるそうだな。 助けたいと思わないか?」

 林昊乗は顔を上げた。冷たく研ぎ澄まされた瞳が、周仲壽の顔を見詰める。

 「我々に協力すれば、君の妹を助けられる」

 「………………」

 「――話を聞いてくれるね?」

 彼らの口から純姫の事を聞いた時から、林昊乗の耳は既に彼らの方に傾いていた。

 自分を殺そうとした組織から、残してしまった妹を取り戻せる。

 林昊乗は、彼らの話を聞く事にした。

■解説



●美麗島駅

台湾高雄市新興区にある駅。近年開通されたばかりで、市内の主要二大線の乗換駅にもなっている。台湾で有名な六合路夜市の最寄りの駅として知られる。



●台湾議会

正式名称は台湾自治共和国最高会議。台湾自治共和国憲法の制定に基づき発足された台湾の最高機関。議員数は110名。最高会議によって首相を代表として任命し、閣僚会議が行政を担う。日本の国防省から指導を受けた国防会議が台湾自治軍を統率し、国防を担当する。



●国防会議

議会の安全保障分野を担う。人材は軍出身の閣僚から構成され、台湾自治軍を統率する。国防会議議長は首相から任命される。



●東亜会

アジア圏を連邦国家とした東亜連邦の発足を提唱している。組織は東亜連合加盟諸国の出身者で構成されており、その目的は現在の東亜連合を一つの連邦国家として新秩序を建設し、米ソ二大国に分割されていた世界の覇権を握る事にある。人材には各国政府の中枢や国会議員などが多く、東亜連合内では一勢力として派閥争いの一角を占めている。



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