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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第三章 端緒
18/29

第十八話 拠点制圧

 中華民國

 安東 繁華街


 安東の繁華街では、国境の街として日華両国の人間が行き交う光景が見られる。

 両国の物流拠点として経済発展した安東の繁華街では、世界的に有名な企業の看板が多く見られるが、日本語で書かれている看板も多かった。

 夜になれば、その裏にある怪しい看板が並んだ通りも別の輝きを放っている。表通りの繁華街とはまた別の世界が広がっている。

 安東は国境の街としてだけでなく、世界中の船が入港する港町としても有名で、多くの外国人観光客が訪れる街の一つである。旅の疲れを癒しに訪れる外国人が多い街でもあった。

 特に裏通りの一角を占める風俗街は盛況である。様々な国の人が訪れ、癒され、安東の夜の思い出を残していく。

 ぎらぎらと輝く街灯の下を、装甲車などの車両が通り過ぎていく。繁華街の中を歩く人々は何事かと、皆が同じ方向へ振り返った。

 夜も眠らない安東の繁華街が、一気に騒々しくなった。繁華街の中心部に突入した車両の列から、武装した兵士が次々と降り立った。

 武装した兵士達が向かった先は、裏通りの一角にある店であった。

 小銃を構えた兵士達が次々と、店のホールに入ってくる。従業員が驚いている間に、店の中はあっという間に兵士達で溢れてしまった。

 突然の来客に、従業員は声を出す事もできない。兵士達が銃口を向ける中、指揮官らしき男がやって来た。

 「我々は日本陸軍だ。これより店内を捜索させてもらう」

 有無を言わせない調子で、指揮官らしき男が従業員に告げる。男が言い終えると、兵士達が店の奥へと入っていった。

 何かを捜しているかのように、兵士達が店内の隅々まで調べ上げる。室内に裸の男女がいようが、お構いなく部屋の一つ一つを調べる。店内のあちこちから軍靴の音と悲鳴が沸き起こった。

 その中を、指揮官らしき男が歩いていく。部屋と言う部屋を調べていく兵士達の報告を聞きながら、男は店の最奥へと進んだ。

 男がカーテンにより遮られた部屋に足を踏み入れた。カーテンを強引に引っ張り、中に入る。

 その奥には、椅子に腰を下ろした老婆が、煙草を吹かしながら佇んでいた。

 「騒々しいねぇ、こんな時間に」

 老婆の前で、男は立ち止まる。

 「……崔友里チェ・ウリだな?」

 「そう言うあんたは誰だい? 随分と大勢で来たようだが、生憎、さすがのウチも全員は相手にし切れないよ」

 「安心しろ、我々に用があるのは貴様だけだ」

 老婆が笑う。

 「こんな老いぼれに? 一体、何の用なんだか」

 にんまりとした笑みを浮かべた老婆は、この店のオーナーだった。彼女の名は崔友里チェ・ウリ。彼女の下に訪れたのは、皇軍の大陸進駐に伴い安東に駐留する第76連隊の檜大尉だった。

 「貴様に逮捕状が出ている」

 檜大尉の言葉に、崔友里は視線を向ける。

 「崔友里。日本名は坂町さかまち友里ゆうり。日本人の夫とは1992年に死別。大陸従軍時に陸軍にも在籍した過去があるな」

 何が可笑しいのか、崔友里が噴き出した。

 「どこかおかしい点があるか?」

 「いんや、どこもおかしい所なんてないさ。 全て事実さ」

 「では、我々がここにいる理由も、わかっているな?」

 檜大尉の両側には、崔友里に銃口を向ける兵士の姿があった。崔友里はまるで臆する様子もなく、目の前にいる兵士達と檜大尉を見渡す。

 崔友里は白い歯を見せた。

 「私を連れ戻しにでも来たかね?」

 「生憎、現在の皇軍に慰安婦なるものは存在しない。 あったとしても、貴様を召集するような趣味は栄えある皇軍に無い」

 「あっはははは」

 涙を流して大笑いする崔友里。笑っているのは彼女だけであった。

 若い頃、崔友里は従軍慰安婦として大陸に従軍していた。国共内戦に加わる日本軍の下で、崔友里は兵士達と共に戦線各地を転々とした。戦場から帰還した後は、従軍で稼いだ大金を元手に、結婚した元兵士の夫と共に店を経営してきた。

 今や安東一の風俗店を持つ崔友里は、安東の繁華街においては重鎮的存在であった。

 「……崔友里、貴様を逮捕する」

 「何故、私を捕まえるのかね?」

 「帝国に仇名す罪を被ったためだ」

 檜大尉は、鋭い視線を持って歩み寄る。

 「――貴様には、テロ組織に資金を提供した他、様々な関与が疑われている。その身柄、拘束させてもらう」

 椅子に座ったまま微動だにしない崔友里に向かって、低い声で言い放った檜大尉。直後、兵士達が崔友里の身体を囲み、拘束した。拘束した崔友里を二人の兵士が両側から挟むようにして掴み、立ち上がらせると、檜大尉の命令に従って、部屋の外へ連れ出した。

 崔友里が部屋の外に連れ出されると、入れ替わるようにして、店内を捜索していた別の兵士が檜大尉の下に訪れる。

 「大尉、報告があります」

 「何だ」

 「店内に隠された空間がありました。こちらへ来てください」

 「わかった」

 兵士に呼ばれ、檜大尉は隠されていたとされる秘密の部屋に向かった。

 建物の奥は、地下室に繋がっていた。地下室はそれなりに広大だが物が多い。まるで倉庫だった。照らしたライトの先に見えた箱には、漢字ではなくキリル文字が書かれていた。

 まるでロシアンマフィアのアジトを捜索している気分。暗闇が掛かった室内に、檜大尉達は慎重に降りていった。

 「ここが敵の拠点である事は間違いなさそうだな」

 室内にあった物品の数々を見渡した檜大尉が言う。地下室の存在を報せた兵士が同意した。

 「はい。風俗店の中に、こんなものがあるなんて明らかにおかし過ぎます」

 「もう少し調べてみよう」

 檜大尉は奥に進もうとした。その時だった。

 異様な気配を感じ取って、檜大尉は足を止めたのだ。

 「大尉?」

 「伏せろ!」

 次の瞬間、どこからか銃声が響き渡った。視界の端で、オレンジ色の光が発光したように檜大尉には見えた。

 「敵だ!」

 檜大尉が叫ぶ。兵士達が周囲に飛び出し、暗闇に向かって銃撃を始めた。

 携帯電灯の光を向けながら銃撃を行うが、敵の姿が中々捉えられない。

 銃弾が飛び交う中、暗闇の中を移動する敵を、銃の発光から見つけた。

 「そこだ! 逃がすな!」

 檜大尉の指示により、兵士達が銃撃をしながら前進する。やがて暗視装置を装備した兵士が後からやって来た。

 暗視装置を着けた兵士が、背を向けて逃げ出す敵を見つける。声も発さず、冷静に銃口を向け、引き金を引く。

 一発の銃声の後、暗視装置を着けた兵士だけが視界で倒れる敵を捉えた。檜大尉や他の兵士は、ドサッと倒れた敵の音で知った。

 ライトの灯りを照らすと、血だまりを作りながら倒れている男の姿が浮かんだ。

 身なりは普段着のようで普通の市民と大差無かったが、携行している銃等が男の素性を物語っている。

 その後も室内を隈なく調べたが、敵の存在は射殺した一人だけであった。

 「これは……」

 射殺した敵の遺体を調べていた檜大尉は、敵の懐からある物を見つけた。

 それは朝鮮総督府の景観を写した写真だった。





 朝鮮半島

 京城 朝鮮総督府


 朝鮮総督府では大陸進駐に関する会議が開かれていた。総督を始め、各部署等の長や朝鮮軍の師団長達が臨席していた。

 会議では、進駐軍から届けられた驚くべき情報が伝えられていた。

 「安東にて掃討作戦を展開していた第19師団の第76連隊が、敵に資金を提供していたとされる容疑者の身柄を拘束。更に捜査の結果、安東の地下に敵の本拠地があった事がほぼ確認されました」

 その報告は、会議室をざわつかせた。平静に見られるのは、総督と二人の師団長だけだった。

 「敵の本拠地が、安東に……」

 安東は朝鮮に一番近い街だ。大陸東北部(満州)に敵の拠点が点在している事は知っていたが、その本拠地がまさか安東にあるとは驚く他になかった。

 「それで、どうしたのです? 敵は殲滅したんですか」

 誰かが訊ねた。報告役の軍関係者が、首を横に振る。

 「いえ、既に本拠地と思われる場所はもぬけの空でした。その代わり、我々は多くの情報を入手しました」

 会議が始まった時から手渡された資料を見るように言われる。言われた所に目を通すと、誰もが再び驚きの色を浮かべた。

 資料には、敵の本拠地から得た様々な情報が詳細に記されていた。敵は――朝鮮光復軍は、日華両国の国境であり、同時に世界を繋ぐ港町である安東の条件を利用して、帝国に対するテロ活動の拠点を築き上げていた。

 敵は安東港で武器や装備の取引を行っていた事が明らかになっていた。取引先はまだ捜査の途中だが、両国の物流拠点でもある安東を通じて、彼らもまた武器や装備を調達していた可能性が浮上した。

 更に、武器や装備を調達する上でも最も必要な資金。これをどこから得ていたのか。容疑者の拘束から捜査の結果、安東の風俗街を資金源としていたようだが、それだけでは賄えないと日本側は踏んでいた。

 誰かが莫大な資金を援助している――誰もが、その結論に達した。

 「――以上から、敵は資金・武器・装備を安東の拠点を通じて調達していたと思われます。地下の拠点から押収された証拠品の中には、ソ連製の武器や装備等も確認されました」

 「ソ連!」

 安東の拠点では、ソビエト連邦と関連したものが幾つも発見されていた。世界中にソ連製の武器や装備が流れている現在において、テロ組織の拠点からソ連製の武器が見つかる事は今更珍しい事ではないが、それだけに留まらず、ソ連の関与が疑われる証拠が幾つか見つかったのだ。

 ソビエト連邦。第二次大戦ではドイツを破り、冷戦期は米国と並ぶ超大国とされた国家。日本にとっても長年無視できない脅威と認められていた。今は昔と比べて弱体化しつつあるが、それでも最大の脅威である事に変わりはない。

 関係が悪化している欧米諸国からは事実上テロ支援国家に認定されているソ連が、抗日組織である朝鮮光復軍を支援していた可能性は十分に考えられる。

 しかし――ここ最近の日ソ関係を見る限り、これは非常に複雑な問題のようにも思えた。

 確かに日ソ両国もまた過去に何度も衝突した経験がある。

 だが、ソ連政府が日本を含めた東亜連合に交渉を呼び掛けていると言うのだ。

 もしかしたら日ソ関係が改善の道に進もうとしているかもしれない時に、朝鮮光復軍にソ連の関与が確認されたとすれば。

 11年前の中ソ国境で起こった紛争のような事だけに留まらない事態になるかもしれない。

 「ソ連の件はともかく、問題は敵がまだ何処かに潜んでいると言う事だ。本拠地を押さえたとしても、敵を一掃しなければ真の解決には至らない」

 総督の発言に、同意の声があちこちから上がる。

 「引き続き、敵の行方を。 テロ組織の根絶は、すぐ目の前だ」




 朝鮮半島

 京城駅前


 前と同じ喫茶店の店内で、近江と朱は久しぶりの再会を果たしていた。近江の姿を見た朱は、微かに目を細めた。

 「……無様ね」

 朱の目の前にいる近江は私服姿だったが、その服の内に痛々しい程の包帯が巻かれている事は想像に容易かった。

 「返す言葉も無い」

 近江は朱の言葉に対し、肯定するように頭を下げた。

 「すまなかった。俺が付いていながら、約束を守れなかった」

 「約束……」

 「京を、守れなかった」

 「………………」

 朱は近江の顔をじっと見詰めた。

 京が朝鮮光復軍に攫われた事は、朱の耳にも入っていた。そもそも京が狙われている事を先に知っていたのは朱の方だったのだ。朱は情報と共に京の護衛を近江に託したが、実際に京は敵の手に一度奪われてしまった。

 「どうして貴方が謝るのよ」

 朱は注文したコーヒーを啜る。

 コーヒーを口にする朱に向かって、近江が顔を上げた。

 「頭を下げるのが好きね」

 「………………」

 「前もそうだった」

 前にこの場所で顔を会わせた事を思い出す。朱は言った。

 「貴方が謝る必要はない。 私は貴方に謝られる資格もないのだから」

 「しかし……」

 「私は彼女を守ろうともしなかったのよ。 管轄の範疇を越えているからって、あんたに丸投げしたに過ぎない。捜査情報を流出した挙句、一人の市民を見捨てた。だから、謝罪なんてものは必要ない」

 朱は捜査で得た情報を憲兵隊である近江に流した。正式な手続きもなく、個人の勝手で捜査情報を外部の人間に渡した事はレッキとした違法行為だ。しかし朱が渡してくれた情報のおかげで、捜査が進展する事にもなった。

 「そういう事。 わかったら、頭を上げなさい」

 「……だが、君は捜査の進展を願って、京の事を想って、俺に情報を寄越してくれた。そうだろう?」

 「……さぁね」

 朱がした事はただの違法行為という事ではない。下手をすれば、今までに築き上げてきた朱のキャリア人生を一挙に失わせてしまう恐れもあったのだ。そんな危険な行為を犯してまで、朱は近江の無茶な願いを聞き届けた。


 ――お願い。彼女を、守ってあげて――


 そしてあの日、朱が近江に言い放った言葉。あれは当然、嘘ではない彼女の想いが詰まった言葉だった。京の身を本気で案じ、その無事を願い、近江に託したのだ。

 「……俺は君の願いを叶えられなかった。京を危険な目に遭わせた」

 「………………」

 「俺は君に対して謝りたい気持ちもあるが、他にも君に伝えたい事がある」

 近江の視線が、朱の瞳を見据えた。

 「俺は君に感謝している。 何時か必ず、この恩は返すつもりだ」

 「……ふん」

 近江の言葉を気に留めていない風を装うように、朱はコーヒーを口にした。

 その顔が、ほんのりと赤みを帯びていた。

 「――もう、こんなのはここで終わりよ。こんな事のためだけに、わざわざ会ったわけじゃないでしょう?」

 コーヒーカップを置き、朱の目の色が変わる。

 「一応、奴らに対する捜査は進んでいるわ。敵の拠点は潰れた。後はテロリスト共を殲滅するだけよ」

 朱の言葉に、近江が頷いた。

 「……これも一応、貴方にだけ伝えておくわ」

 「?」

 朱は周囲を気にするような素振りを見せると、腰を上げ、その唇を近江の顔に近付けた。

 近江の顔を素通りするように、朱の唇が近江の耳元に到達する。その唇が、ぼそぼそと近江の耳元で囁いた。

 「……!」

 その時、近江の目が大きく見開いた。。

 朱はすぐに近江の下から離れる。

 「……そうか」

 「あまり驚かないわね」

 「不思議な事ではない。 本当は誰もがわかっていた事だ」

 「……そうね、その通り」

 近江は朱から聞いた情報から、これまでに逮捕されたテロリストを思い出す。

 朱は、特高が内部の洗い出しを始めた事を告げた。警察から内務省にまで捜査の手は及んでいるらしい。

 国内の防諜組織としては憲兵隊をも上回る捜査能力を持つ特高警察が本気になれば、その程度の事は造作も無い事だった。

 朝鮮系日本人だけでなく、純粋な日本人にまで、民族や家系などに限定せず、幅広い視野で捜査の網を広げているようだ。

 それは軍も警察も、当初から察していたものでもあった。敵の勢力が、軍や警察の内部に浸透している事。これまでに逮捕された二人は、いずれも軍人と警察官だ。軍や警察の内部にまで、敵が他にも潜んでいる事は簡単に推測できる。

 絶対にあってはならない事だが、実際に起こってしまった。遂に当局は、自らの家の中に蔓延る蚤を洗い出す事を選択したのだ。

 そもそも行き詰まりかけていた捜査が進展したのは、特高ではなく軍が得た情報がきっかけだった。朝鮮光復軍に攫われた斎間京を救出し、更に満州各地にあった拠点を掃討した事で多くの敵の情報を得た軍の成果だ。それに対し、特高が変なライバル心を滾らせたと言う事だろう。

 軍と警察。憲兵と特高。同類のようで相容れない関係を持った両者の因果。似たような資質を持った組織とは成熟し切れないものなのだと近江は思った。

 特高も敵に対して大部分の情報は掴めたようだが、さすがの特高も軍内部にまでは手を出せない。軍の内部は憲兵隊の役目だが、特高に限らず、利権に釣られた工作員や官僚、企業に手を出される可能性は決してゼロではない。可及的速やかな行動が不可欠だ。

 だが――そんなしがらみは、近江にとっては関係なかった。

 「亜厂あかり、とりあえず伝えておこう」

 「な、何よ」

 「俺は今回の捜査に命を賭けている。 誰の邪魔が入ろうと、俺は最後まで戦う」

 近江の強固な意志を表わすような炎が、彼の目の奥で燃えている事を、朱は知った。毅然として言い放った近江の言葉は、朱の内に強くぶつかってきた。近江の強気を帯びた言葉と鋭い瞳に、朱は身体を思わず硬直させてしまう。

 「例え、私でも?」

 「無論だ。 今度の俺は、仲間の制止さえ振り解いてでも往くつもりだ」

 近江の頭の中に11年前の記憶が蘇る。卓上にあった近江の拳は、無意識に強く握られていた。

 その拳を見た朱が、一つ息を吸い込むと、安堵したかのように「そっか」と呟いた。

 彼の中にも譲れない想いがある。ここまで生きてきた過程の中から起因させるものを抱いて、近江はこの捜査に身を捧げているのだ。彼の言う通り、その行く手を阻む者は誰であっても許されないだろう。

 「(こいつに賭けた甲斐は、あったって事なのかな……)」






 京城 帝国陸軍朝鮮軍管区憲兵隊本部


 

 「……そうか。では、敵の狙いは王宮で間違いないのだな?」

 「は! 第76連隊による安東拠点の捜査報告からも、同じ結論に至っております。問題の時期ですが、おそらく今月下旬から来月上旬辺りに開催される『会合』の期間中ではないかと思われます」

 朝鮮方面の憲兵隊本部。その副官執務室。朝鮮軍憲兵隊司令部所属の出雲陸軍少将は副官として、司令官に伝えるための報告書作成の捜査資料に目を通していた。

 「わかった。 引き続き、捜査を継続してくれ」

 「は」

 資料を持ってきた准士官が退室すると、出雲副官は一人椅子に身体を深く預けた。

 この類の捜査報告は、副官自身が指名した者だけで賄われていた。外部への漏洩防止と、何よりも敵の勢力が内部に潜んでいる可能性があるからだ。司令官への報告は、副官が一人自ら行い、他の者には知られないように心がけている。

 「(この手の情報は、もっと確信のある物に変えねば、あの頑固者の集まり政府を納得させる事はできない。それに政府、東亜連合も一枚岩ではない)」

 先の連続テロ事件を端に、日本国内で再燃した朝鮮問題。朝鮮への扱いは、併合当時から百年続く課題だ。台湾や南洋諸島とはまたワケが違う。朝鮮の一般市民は独立に関心は無いが、抗日組織の活動は日本の国際的地位にも影響を及ぼしかねない。

 これまでに日本が獲得した外地・領土の末路を出雲は思い出す。日華平和条約に伴い、満州国の解体と中華民國への返還。当時、国会前には満州返還に反対する大勢の民衆が殺到して暴動に発展した。満州の教訓を経て、南洋諸島と台湾は自治権を得た。

 以前から日本は外地の領土に対する悩みを抱えてきた。朝鮮問題の解決は、日本の面子や地位に関わる事だった。

 「(……今更、あの半島を独立又は自治権を与えた所で、一人前の国家には到底なり得ない。抱えても手放しても地獄とは、昔から厄介な地域だな)」

 手元の資料には、朝鮮光復軍に限らず複数の情報が舞い込んでいた。その中に興味深い情報を見つける。東亜連合内の派閥勢力とソ連絡みの二種類の情報だった。

 「(あらゆる勢力から板挟みにされるのは、あの半島の宿命と言うべきか。ソ連がモンゴルでの会談を呼び掛けている、このタイミングは関係があるのだろうか)」

 様々な因果関係や動きが、全て関係があるように思えてしまう。唯一、共通点がある箇所があった。それがソ連関係だった。

 「(ソ連もまた、一枚岩ではないと言う事か……?)」

 あの国は昔から何を考えているのかわからないが、調べてみる価値はありそうだ。朝鮮に関わるソ連側の情報を洗い出してみよう。恐らく自分達の好敵手に当たるKGBの関連も予想される。

 「……面白い。日露戦争の頃から、あの国とはつくづく縁がありそうだ」

 帝国陸軍朝鮮軍管区憲兵隊副官の出雲少将の目には、捜査対象の背後で糸を引いているより大きな存在の姿が見えていた。

■解説



●朝鮮軍管区憲兵隊本部

日本帝国陸軍直轄の国家憲兵隊は、日本各地を地方毎に管区分けし憲兵隊本部を配置している。京城府を含む朝鮮半島は朝鮮軍管区となる。



●日本の外地・領土に関する過去

日本が外地に有する領土においては様々な過去がある。下関条約によって獲得した台湾や第一次大戦の結果に得た南洋諸島は現在自治領となっている。満州は日華条約に基づき、満州国が解体され旧満州国の全領域が中華民國に返還。その際は満州返還に反対した運動が国内で起こった。この反対運動は満州暴動と呼ばれる程に熾烈さを極めた。




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