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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第三章 端緒
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第十六話 ソ連人

 現在の朝鮮光復軍を統率している朴は、実質的な組織のリーダーであった。以前の組織の首脳陣は日本当局に逮捕されてしまったので、若くして組織を再建させた朴の手腕はメンバーの信頼を得るには十分なものだった。

 しかし彼の本性は、多くのメンバーが知らない事だった。冷酷で残忍、と言う表現が合っているのが彼であった。彼の方針に従わない者、異論を唱える者は容赦なく粛清の対象となった。だが、彼は自らの手を汚すような真似はしない。例えば意味のない作戦を立案し、日本軍に始末させると言う手は、彼の常套手段であった。

 夜の安東の港を一望できるホテルの一室で、朴は背広を着た一人のソ連人と会合を開いていた。

 「春川での粛清は上手くいったようだな、パク。実に見事だ」

 「虐殺に長けた日本軍に任せれば、綺麗に掃除をしてくれる。まったく、実に優秀だ」

 朴は嘲笑するように笑った。それは大勢の者に対する嘲笑だった。

 先日、朝鮮王朝の国璽と仲間の釈放を要求するために民間人を拉致した8人の朝鮮光復軍のメンバーが、日本軍によって掃討された。国璽と仲間を取り戻す事は出来なかったが、朴の目的は別にあった。

 それは朴に反抗的な内部勢力を一掃する事だった。彼らは普段から朴の方針に嫌疑を、あるいは敵意を向けていた。その意志を察した朴は、日本軍を利用して、粛清する事にした。

 目的は達成された。朴に騙された彼らは、日本軍に殺された。

 これで、朴に反する勢力は一掃された。

 「ありもしない朝鮮五千年の歴史と自尊心を餌に釣れば、奴らは簡単に引っかかってくれる。国璽など、今更何の意味がある? この程度で騙されるのだから、いつまで経っても自立できないのだ」

 普段、部下に対して言っている事。そして拉致した斎間京に対して発言した時とは正反対の言葉を並べる朴だった。

 「しかし、だからこそ利用価値がある。駒は最低限の知能さえあれば良い」

 「朝鮮人を利用して、大日本帝国を攻撃するのは半世紀以上前からの常套手段だ。奴らは自尊心が何よりも高潔な民族だ。高いプライドのために、平気で他者を貶める。駒として使うには、都合の良い存在だ」

 朴はソ連人との間で、そのような会話をロシア語で話していた。ソビエトの軍事顧問からロシア語の教育も受けた彼にとっては、当然の技能であった。

 「ところで、そっちにはイポーシュカが一匹紛れているだろう。その娘はどうするつもりだ?」

 「ふん」

 朴は鼻で一笑した。

 「飼い主がいなくなった奴に、居場所はない。コリアン共の便器にするのも構わないが、もっと別の利用価値もありそうだ」

  そんな事より――と、朴が身体を前に乗り出す。

 「我々は近々、大日本帝国に対する大規模な作戦を計画している。 それに際して、貴国に更なる支援を要請したい」

 「大規模な作戦?」

 「そうだ。 これが成功すれば、日帝に対する――いや、東亜連合に対する大きな打撃となる」

 



 ホテルを出たミハイルは、待たせていた領事館の車に乗り込んだ。

 「待たせたな。ホテルまで、頼む」

 朴との会合を済ませたミハイルは、宿泊先のホテルへと車を向かわせるように指示を出した。

 ポケットから取り出した葉巻を口に咥えると、ライターの火を点けた。ネクタイを緩め、背中を預ける。窓を開けさせ、ふぅーと外に向かって煙を吐いた。

 「如何でしたか、少佐」

 助手席に座った男が後部座席に座るミハイルに訊ねる。彼はミハイルの宿の手配等を担当している領事館の職員だった。

 「これではキリがない。猿に金や武器を渡しても、所詮、猿は猿だな」

 ミハイルは不機嫌そうな目で、車外に流れる夜景を見詰めた。

 ホテルに向かう途中、職員の携帯電話に連絡が入った。通信を終えた職員は、後部座席の方に振り返った。

 「少佐、コルニーロフ大使から安東領事館に、少佐宛の暗号電が届いているとの連絡です」

 「コルニーロフから?」

 ミハイルは怪訝な顔になった。

 「俺は疲れているのだが。 明日に回せないのか」

 「急ぎの用件だそうです」

 ミハイルは舌打ちした。

 車は進路を変更。ホテルではなく、領事館の方に向かった。




 在華ソビエト連邦安東領事館


 領事館の執務室に入ったミハイルは、職員から封筒を受け取った。封筒には『機密』と封が切られていた。

 ハサミで封を切り破ると、中から書類の束を取り出した。大使館から送られた電報の内容に、ミハイルが目を走らせる。

 「………………」

 紙は何枚もあり、ミハイルは黙読に数分の時間を要した。

 全てを読み終えたミハイルは、紙の束を卓上に置いた。その顔はやはり不機嫌そうだ。

 「おい、日本軍の状況は知っているか?」

 「日本軍ですか?」

 職員は予想外の質問の内容に驚きを隠せなかったが、すぐに答えた。

 「満州に進駐した日本軍は、中華民國軍と共同で朝鮮光復軍を対象とした掃討作戦を展開、依然継続中です。先日は、瀋陽の集落にあった朝鮮光復軍の拠点を攻撃しました」

 「日本軍はまだ満州にいるのか」

 「はい。日本軍は朝鮮光復軍の活動拠点が未だ満州の何処かにあると睨み、殲滅を目指しています。瀋陽以外でも、幾つかの箇所で日本軍による検挙や掃討が続いています」

 「モンゴルはどうしてる?」

 日本軍が進出している大陸東北部の国境に接するモンゴル人民共和国は、モンゴル共産党が政権を握っている社会主義国だ。ソ連が東欧やアジアに抱える衛星国の一つであり、ソ連軍も駐屯し、軍事的な繋がりも濃い。

 「中華民國との国境付近に兵力を傾け神経を尖らせていますが、それ以上の懸念は無いでしょう」

 職員は、ミハイルの様子から違和感を感じ取った。

 「どうかなさいましたか?」

 「どうもこうもない、本国が方針を変えた。コルニーロフを調整役にして、東亜連合圏における反社会、反政府勢力に対する如何なる支援も中止すると言っている」

 ミハイルは憎々しげに続けた。

 「更にモンゴル政府の協力を仰ぎ、東亜連合との交渉の席を設けるつもりらしい。ますますモスクワの連中は正気なのかと疑いたくなるな」

 「それはどういう事ですか、少佐」

 「わからんかね、君」

 ミハイルは彼を睨んで、言った。

 「我がソビエト連邦は、日本を中心とした東亜連合との関係改善の道を選んだと言う事だ。今、我々と仲違いしている欧米に対抗する措置の一環だそうだ」

 ソ連と世界を二分する超大国の米国を始めとした欧米諸国との関係が悪化している現在において、ソ連は国際社会から孤立しつつある状態が10年も続いていた。近年、指導者が変わったソ連は他勢力との融和政策を決定した。

 「それは、良識ある判断では? 日本や中華民國とは過去に中立条約を結んだ仲ですし」

 「馬鹿を言え」

 「しかし……」

 職員は何か言いたげに口を閉ざしたが、ミハイルが無言の圧力で、その口を語らせた。

 「米国や欧州連合と対等に渡り合うためにも、同程度の勢力と認められる東亜連合をこちら側に付ければ、我がソビエトの国益にも適うのではないでしょうか。 我がソビエトの目的を成就するためにも、東亜連合の存在を利用する手も――」

 「俺が言いたいのは、そういう事ではない」

 ミハイルは首を横に振った。

 「ですが、少佐も仰ったではないですか。 朝鮮光復軍に支援を続けても、無駄だと――」

 「確かに、いくら武器を供与しても成果が見受けられない朝鮮光復軍にこれ以上支援しても、結果は無駄に終わるかもしれない。少なくとも、モスクワはそう判断した」

 「でしたら――」

 「だが、見ろ」

 ミハイルは執務室の壁にあった世界地図を指差した。

 「我々は冷戦期間を通じて、日本や米国、欧州諸国などの西側諸国、南米やアジア、アフリカ諸国の非革命主義国における革命勢力、反政府勢力等を資金や武器、装備を供与する事で支援してきた。人材も派遣した。君も言った祖国ソビエトの偉大なる目的のために、非合法組織やテロ組織にまで手を貸し、今や欧米諸国からテロ支援国家と断定されたのも同然だ。そして――その中において、このミハイルが加担した戦いが、勝利しなかったものでもあるか?」

 「……いいえ」

 「モスクワの連中が何を言おうが知った事ではない。 俺は俺なりに、これまで我がソビエトの悲願を達成するために働いてきたんだ。俺が関わった以上、途中で抜ける事は許されない」

 「ですが、少佐……」

 「我らが偉大なるソビエトが、猿共と手を結ぶだと? そんな事になる前に、俺は何としてでも今の戦いに勝利する」

 職員はそれ以上、口を開かなかった。

 ミハイルは決心したような笑みを浮かべると、電話機を手に取った。

■解説



●ソビエト社会主義共和国連邦

通称ソ連、ソビエト連邦。世界初の社会主義国家として成立し、2010年現在に至るまで世界屈指の社会主義国。冷戦期間から米国と並ぶ超大国と言われたが、欧米諸国との関係悪化や経済の衰退などにより弱体化しつつある。本作品の冒頭において、1999年に日本及び中華民國と武力衝突したが講和。現在は東亜連合との接近を図っている。史実と異なり、1992年に解体する事なく2010年に至るまで存続している。



●モンゴル人民共和国

ソ連に次ぐ世界で二番目の社会主義国家。成立当初、独立を認めない中華民國からソ連軍に守られた経緯から、ソ連一辺倒の政策を続けてきたソ連の衛星国。中華民國に独立を承認された後も、ソ連に従順し軍事、文化、経済、政治面においてソ連化を進めてきた。その経緯からソ連を仮想敵国とする日本や中華民國などからは長らく距離を置かれていたが、1997年に東亜連合に加盟した。



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