第十二話 襲撃
斎間京の監禁と監視の任務を帯びた生活が二週間を経過した頃、京が近江に外出許可を乞うために直接談判に出た。
「私を外に出させてください。お願いします」
「済まないが許可出来ない。これまで通り、この家に留まってくれ」
「毎朝稽古を教えている恩義ということには出来ませんか?」
在る日を境に、近江は毎朝斎間家の道場にて京から剣道の稽古を受けている。監禁し監視する関係の二人が、朝は逆転した上主従関係になるという不思議な生活を繰り返していた。
「それとこれとは話が別だ」
しかし近江はばっさりと切り捨てる。
近江の拒絶した言葉を聞いた京の頬は、近江の目から膨らんでいるように見えた。
「しかし、これまでは一度もそのような事は言わなかったじゃないか。何故、急に外出したいと?」
「………ッ」
一瞬、京の口元がきつく締められたように見えた。
頬を微かに朱色に染め、まるで言い辛そうな表情だ。
「……今まではお爺様の言う通りに、そして近江さんを道場の門下生として迎え入れることで私自身もこの境遇を受け入れていました。でも、今回ばかりは……お爺様にも、近江さん達にも、お任せするわけにはいかないから、自分で……その……」
歯切れが悪い京の姿も珍しかった。故に、彼女が外に出たい理由は並々ならない事が知れた。
「俺は君を監禁し、監視する身だ。しかし、だからこそ君の生活も全力でサポートする。何かあるのなら、遠慮無く言ってほしい」
自分なりに出来るだけ、彼女に気を遣わせないように言ってみたつもりだった。
それを聞いた京の反応を見る限り、京もまた近江の内心に気付いているようであった。
しかしやはり京の口は簡単には開かない。まだ時間が必要だった。
静かに待ち続けた近江だったが、まだぎこちない様子を浮かべる京は遂に小さな口を開いた。
「………を、買いに行きたい……」
「?」
視線を下げた京の口元から漏れた言葉は、肝心な部分が上手く聞き取れなかった。
「済まない、もう一度……」
明らかに顔を真っ赤に染めた京が、今度は勇気を振り絞るように声を出した。
近江が道場の門下生として京本人にも認められた数日後。近江は本当に毎朝道場に通い、京の下で稽古に励んだ。憲兵の近江が京を監禁するという立場が、朝に限り逆転すると言う面白い関係が始まったのだ。
一方で本来の任務も忘れたわけではなかった。京を監禁・監視すると同時に近江は朝鮮光復軍と斎間家に関する捜査を進めていた。
その渦中で新たな情報を得た近江は、京との朝稽古の後にある人物の下へ訪ねた。
斎間家当主―――京の祖父、斎間京斗であった。
「一人で儂の下に来るとは珍しいですな。この老いぼれに、一体何の用ですかな?」
書斎に入り浸っていた京斗は、一切の不信感も見せずに近江の入室を迎え入れた。部屋中の戸棚に敷き詰められるように積まれた本に囲まれながら、近江は目の前の老人に問いかけた。
「幾つか確認したい事があって尋ねました。お時間は宜しいでしょうか?」
「構わんよ。それで捜査に協力できるのなら喜んで」
「有難うございます」
斎間京斗。世界的大企業を束ねる斎間グループの会長にして、斎間家の当主。実の息子である斎間帝の長女・斎間京を孫娘に持ち、グループ社長だった息子亡き後は斎間グループを再び纏め上げ、日本の政財界にも大きな影響力を持つとされる名士だ。
近江が本題を切り出す前に、京斗の関係のない話から始まった。
「君には孫の我儘で要らぬ苦労を掛けさせてしまっているな。只でさえ忙しい君を朝稽古に付き合わせてしまって」
「いえ。我が身を鍛える機会を得られて得だと思っています」
「はっはっは。まぁ、見た目は小娘だがしっかりしているし、息子が死んでからも毎日欠かさず稽古をしているだけあって腕は確かだ。儂らも君達の任務に付き合っている身だから勘弁してやってくれ」
屈託ない笑みを見せる京斗を前に、近江は微かに口元を緩めた。彼は突然の近江達の来訪と京の監禁に対しても異議を唱えることはしなかった。国民からはあまり良い顔をされない憲兵を目の前にしても、彼は拒まず、むしろ協力を受け入れてくれた。近江は斎間家と関わる日々を送ることで、彼が名士と呼ばれる所以の端々を理解できたような気がした。
「それで、確認したい事とは?」
京斗が本題を催促したことで、雰囲気が一瞬にして変わった。
近江は内ポケットから数枚の写真を取り出した。それを京斗の目の前に差し出すと、加えるように口を開く。
「これらの写真はある施設や博物館に寄贈されている文化遺産です。これらがどういった物であるか、ご存じありますか?」
差し出された複数の写真を手に取った京斗は、目を細めてじっと眺めた。それらの写真に写された物が何であるか京斗はよく知っていた。
「朝鮮半島から持ち込まれた文化財ですな」
「その通りです」
近江が京斗に手渡した写真に写された物は、併合直後から本土に持ち込まれた数多くの朝鮮の文化財だった。
「併合から百年間に渡って、その間に朝鮮から日本本土には数多くの朝鮮の文化財が流れました。これらは現在、国内外問わず各地の国立博物館や観光施設等に保管されています」
併合直後から現在に至るまで、半島に設置された朝鮮総督府や個人収集家による購入や寄贈によって、数多くの朝鮮発祥の文化財が日本本土にも持ち込まれている事は誰もが知る事実だった。
「この内のある物が狙われている可能性が浮上しました」
「と言うと?」
「件のテロ組織です」
近江の発言に、京斗は驚いた。
「あの日我々にテロ攻撃を仕掛けた組織が、朝鮮の文化財を狙っている?」
京斗の問いに、近江は首肯した。
「総監襲撃の現場となった博物館内で撮影された画像を覚えていますか?」
「! まさか……」
併合歴史博物館の監視カメラが撮影した写真。全ての元凶。7年前の事件で行方不明となった京の妹、斎間旭。そして旭と共に居た朝鮮光復軍のメンバー。文化財と斎間家というキーワードが同じものであることを近江は勘付いていた。
「彼らは何かを探していた。彼らは日本各地でそれを探している可能性がある。そして我々は関連が深いある情報も入手しました」
京斗は自分に鋭い視線が刺さっている事に気付いた。
「京斗殿、貴方は巷でも有名な程に大層な収集家だったそうですね。彼らが探し求めている物に、心当たりがあるのではないですか?」
「………………」
京斗の沈黙は近江の目には首肯しているように見えた。
近江は一枚の写真を最後に手に取り、京斗の目の前に差し出した。
「これをお持ちではないですか?」
近江が京斗に見せた写真には、国家の印鑑として使用された国璽の類が写されていた。
その写真を手に取り、一瞥で眺めた京斗は近江の目を見て頷いた。
「確かに、儂はこれを知っている」
あっさりと肯定した京斗の言葉に、近江は特に驚かなかった。事前に調べ信頼性が高い情報である事を確認した上だった。
「ちょっと待っていてくれ」
写真を机の上に置いた京斗は立ち上がると、書斎の隅に向かった。
近江がじっと待っていると、大した時間も要さない内に小さな箱のような物を持った京斗が戻ってきた。
「これは儂が最初の事業に成功した頃、総督府に務めていた友人から買い取った一品だ」
それは御伽噺に登場する玉手箱のような外観をした黒い箱だった。赤い紐を解くと、箱が開き、中に収められていた品が姿を現した。近江は写真と同じ姿をしたそれを舐めるように眺めた。
「この国璽は大韓帝国の皇帝によって使われていた物と言われている。古来の朝鮮王朝の国璽の中で、唯一現存する物だろう」
これまで朝鮮王朝の王が使用していた数多くの国璽は、その行方が殆ど判っていないとされている。併合時に総督府が回収し現在は宮内省が所有しているとする説が存在するが、宮内省は朝鮮の国璽の行方に関しては非公開を貫いている。専門家は朝鮮の国璽に関して殆ど行方不明と言う結論を唱えている。
その中で唯一現存していると言う国璽は、近江の目の前に確かにあった。
「これは本物ですか?」
「儂はこれを購入した後もその手の分析をずっと続けてきた。正真正銘の本物だと保証しよう」
「触れても?」
「構わんよ」
近江は許可を得て甘んじて歴史ある文化財に、初めて己の手で触れる。百年以上前に造られたとは思えない程の触り心地だった。取っ手の部分は対峙する者を威圧するような顔をした虎の姿を形作っている。重さは思ったより軽く、正方形の印章面を覗き見ると『皇帝御璽』と漢字で書かれた文字が浮き彫りで彫られているのがわかった。
近江は鑑識の才が皆無なのでこの国璽が本物であるか偽物であるか等皆目見当が付かないが、確かに気品のようなものを感じさせた。
「有難うございます。しかと確認させて頂きました」
「それで、それをどうする? 奴らが本当に狙っているとしたら、これを奪いに来るのではないか?」
「ご心配には及びません。例え敵がその気だとしても、我々が阻止致します」
「ふっ。心強いの」
書斎に老人のからからと鳴る笑い声が響き、近江は無表情のまま目の前に置かれた国璽を見詰めていた。
市内のドラッグストアの出入り口付近に待機する近江の姿は、観衆の注目を一身に浴びることになった。
店内に身体を向ける近江の視界には、レジでお金を払う少女の姿が確認できた。
やがて学校指定のセーラー服に紺色のガーデガンを纏った少女、斎間京がレジ袋を手に持って店から出てきた。近江の下に、京が急いで駆け寄ってきた。
「お待たせしました、近江さん」
「……目的の物は、買えたようだな?」
「……はい」
家を出る前のように、また顔を赤くする京。
京がどうしても外出を願い出た理由。それは京が手に持っているレジ袋の中身にあった。
女性の、特に年頃の年代である京にとっては欠かせない物。女の必需品。異性にはその領域を及ぼしてほしくないもの。斎間家の女性は京しか居ない。今までも祖父と二人暮らしだった京は、誰にも頼らず自身の生活と体調を堅持してきた。故にこればかりは祖父に対しても習慣、免疫が無く、他人である近江達に至っては尚更だった。
恥ずかしそうに視線を逸らす京を見て、近江は内心唇を噛んだ。
―――配慮が足りなかった、と近江は反省した。充分に予期できたことだった。
こちら側が一方的に行った挙句、彼女に恥をかかせてしまった。完全にこちらの過失だった。
「……済まない。要らない恥をかかせてしまった」
突然頭を下げて謝罪する近江を目の前にして、驚いた京が慌てて首を横に振った。
「そんな……! 謝らないでください……」
京が受けた苦痛は、近江が想像する以上のものだっただろう。自分が男だからと言い逃れるつもりはない。近江は純粋に現在の彼女の身柄を預かる身として京に謝るべきだと思った。
「本当にもう良いですから。そう謝られると、逆に、また恥ずかしいです……」
視線を上げた近江の目の前には、頬を朱色に染めながらも優しげに微笑んだ京の顔があった。
「それに、周りが……」
言われて初めて気付く。二人の周りを行き交う人々が、様々な視線で二人を見ていた。
近江は周囲の注目を浴びてしまった事に気付き、京を連れて足早にその場を離れようとする。
「済まなかった。さっさと戻ろう」
「お、近江さん……!」
うろたえる少女の手を握って、近江は周囲の視線から逃げるように少し早い歩を刻んだ。
駐車場に停めていた車両に乗り込み、近江は助手席に座った京に改めて謝罪を向けた。
「済まなかったな。恥ずかしい思いをさせて」
「いえ。大丈夫です……」
大丈夫と言うが、京の頬はほんのりと赤かった。このような少女に重ねて無礼を働かせてしまった自分の愚かさに嫌気が差す。
「俺は不器用なのだ。いや、これは只の言い訳に過ぎないな。本当に俺は馬鹿だ」
「そんなにご自分を卑下にされなくても」
「いや、俺は昔からこうだ」
近江の表情を見た京はハッとなった。近江の表情は相変わらず無表情だったが、まるで初めて見た表情のように見えた。
「……近江さんって、そんな一面もあるんですね」
「何?」
くすっと笑った京の方に近江は視線を向けると、京は微かに口元を緩ませていた。
一瞬、そんな京の表情に見惚れてしまっていた。
「近江さん」
「……あ、ああ」
京の呼びかけに我に返った近江は、目の前のあどけなさを残す少女を見る。
「今日はありがとうございました」
レジ袋を膝の上に乗せ、頭を下げた京に近江は何も言えなかった。
駐車場から国道を走る近江の運転する車両は軍の業務車だが、ナンバープレートは軍の番号が表示されているので一般車と見分ける事は容易い。
だから国道の中に紛れても、見つけようと思えば簡単に見つけられるのだ。
「……尾行されている」
「え?」
静寂の中、ぽつりと呟いた近江の言葉に京はきょとんとなった。
駐車場で京がお礼を述べた時から口を閉ざしてしまった近江によって、京はずっと重い沈黙の中をじっと耐えていた。自分が何か悪い事をして怒らせてしまったのだろうかと近江の無言の理由を考えていた末に、ようやく漏らした近江の一言が余りにも常軌を逸脱していた。
「尾行って、何ですか?」
勿論言葉そのものの意味を問うたのではない。その言葉が意味する事を問うたのだ。
「先程から我々に付き纏っている車がある。振り返らず、ミラー越しに見ろ。日産の白い自動車が見えるはずだ」
車種まではさすがにわからないが、確かに自分達の真後ろをぴったりと付く白い自動車がいた。
「ただ私達の後ろを走っているだけじゃ?」
「店の駐車場に入る前から付いていた。駐車場を出る際もほぼ同時だったから間違いない」
「そんな……」
京の顔が顔面蒼白になる。近江は全く動じていない表情でハンドルを握る。
「しかし真後ろにぴったりと付くような真似は、尾行していますと大声で宣言しているようなものだ」
敵は京城府内で連続的テロを実行したテロ組織だ。そんな素人のような真似は犯さないと思っていたが。
これは罠なのか。それとも―――
「兎も角尾行を巻いて、斎間本家に急ごう。安心しろ、既に村上少尉に連絡済みだ。応援が―――」
言い切らない内に、突然対抗車線から目の前に車が飛び出してきた。対抗車線を乗り越えた車は、特攻の如く近江達の車に突撃しようとした。近江は思わずハンドルを回すが、対抗車線から飛び出した車が近くにいた一般車に衝突。更に衝突した対抗車線からの車はそのまま近江達の車に襲いかかり、避け切れずに接触してしまう。京の悲鳴が車内に響き渡り、視界が回転した。車はぐるぐると破片を巻き散らしながら10メートル以上をスリップすると、息絶えたように停車した。
「ぐ……」
鈍痛に悶える声を噛み殺しつつ、近江は顔を上げる。衝撃で作動したと思われるエアバッグ越しに見えた前面のガラスは蜘蛛の巣を作っていた。
「おい! 京!」
隣で同じようにエアバッグに顔を埋めていた京に呼びかける。気絶したらしく、京の身体は動かなかった。
防護用に特化した軍仕様の業務車でなかったら被害は更に大きかっただろうと浮かんだ推測は直ぐに払い、近江は京を救い起こそうとする。しかしそうする前に、何者かが車の外に居る事に気付いた。
「―――ッ!?」
近江が気が付いた直後、運転席のドアが無理矢理こじ開けられ、何者かの手が近江の首筋を掴んだ。
車内から引き摺り出された近江は、そのまま数人の人間達に囲まれた中で身動きを封じられ、血飛沫を上げて動かなくなった。
久しぶりの投稿になりました。今後もこんな調子が続きそうです……