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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第三章 端緒
11/29

第十一話 皇軍進駐

 2010年

 中華民國 東北部―――


 9月。百年前に併合条約が調印された8月22日に起こった京城連続テロ事件を発端に、日本は対テロ作戦の名目で隣国の中華民國の領土内に軍を派遣した。

 かつて日本の傘下にあった満州国が繁栄を築いた大陸東北部にテロ組織・朝鮮光復軍の拠点が存在する情報を得ていた日本軍は、同盟国の中華民國軍から提供された軍事施設に自らの派遣部隊の拠点を置く事を決定した。



 

 中華民國東北部・長春ちょうしゅん。かつて満州国の首都新京として発展した街である。今、この街には半島から派遣された日本軍の第19師団隷下の部隊が進駐していた。

 そして東北部の守りを固める中華民國陸軍の軍事拠点、長春司令部。

 進駐軍指揮官専用の部屋として用意された将校室の一室に居た北条は、上海から呼び寄せた駐在武官の遊佐中佐を招き入れると、手早く言い伝えていた資料と書類を受け取った。

 眼鏡を掛けた両目で束になった書類を一枚一枚吟味しながら読み進める北条を、遊佐は黙って見守った。

 やがて紙面から顔を上げた北条が、遊佐に問いかける。

 「これは確かな情報か、遊佐中佐」

 「事実です。中将閣下」

 北条が見た遊佐の表情は嘘を付いているようには見えなかった。それが確かに信頼度の高い情報であると知っても、北条の表情も心も微細な変化は生じたわけでもなかった。

 「面会した中華民國軍の将校は私の上海赴任から親交がある者で上級司令部の情報部に務めており、これは信頼できる情報です。実際に各方面から照合した結果、間違いないものと確認出来ました」

 遊佐は上海にある領事館の駐在武官として五年ほど前から中華民國に身を置いていたが、京城時代は北条にその才と人望を買われ、皇軍の大陸進駐に備え情報収集の任を指示されていた。大陸に潜む反日テロリストの情報を収集するために大陸各地を飛び回り、こうして長春に進駐した北条の下にやって来たのである。

 「遼寧省の一部は、已然から反政府勢力と中華民國政府との間でその支配権が目まぐるしく変わっています。それは何故かと申しますと、世界でもソ連に次ぐ広大な領地とそれに伴う膨大な人口と数多の民族を抱える中華民國の内情が起因しているのです」

 東北中を巡った遊佐が己の目と耳で見聞きし、体験した記憶が語られる。

 「半世紀近く続く国民党政府の貧富拡大の要因と言える政策は、過疎地域―――特に農村部等に住む民衆―――の反感を買い続ける事となり、故に反政府勢力はその勢力を伸ばし、維持することを叶えられています。その懐に帝国に反旗を翻す輩が鼠のように入りこんでいるに過ぎないのです。しかしこれが今日までの帝国及び皇軍の手を非常に煩わせているのも事実であります」

 大陸における広大な領地を納める中華民國の政情は安定しているとは言えない。首都南京や上海、北京と言った都市部は飛躍的な経済発展を遂げているが、未だに地方との格差が縮まる事は叶わない。更に地方都市における警察や行政の汚職や不正が多発し、貧富の差に喘ぐ民衆は更に政府に対して怒りを膨張させている。

 おまけに反政府勢力の内には共産党の残党ゲリラが潜在している疑いがあり、各地方に起こる反政府運動は日に日に過激化している。

 「奴らは内戦で何も学ばなかったらしいな。 自己の身勝手な思考と行動が民衆の支持を失いかけ、共産党如きに後れを取ったのはどこのどいつだ?」

 「……これらの反政府・反社会的な勢力が生きていられるのは、単に『テロリスト』という存在で居るからでは無いからです。彼らが活動できるのは、その思想や行動に共感する者、支持する者が、あるいは少なくとも好意的な黙認があるからこそ、その存在を許されているのです。先日、京城でテロを行った者たちも同じです。特に遼寧省の一部は朝鮮族が多く住んでいます」

 現地に住む民衆の協力がない所で反政府組織等のグループが活動できるはずがない。これが5年間、駐在武官として中華民國に居て、各地の地方都市を飛び回り、農村での活動に関わってきた遊佐の確かな感覚だった。

 元々大陸東北部等の農村は国共内戦の際に共産党軍が拠点としてきた経緯があった。共産党との内戦に勝利しても、その名残が消えるわけではない。

 「故に奴らはここを拠点にする事が出来た、か」

 「この国の情勢、状況は彼らにとっては好都合なんです。だから彼らは日本国内……彼らの故国と呼べる朝鮮半島ではなく、昔から大陸ここを拠点としてきた」

 長くこの国の内情を見据え、各地を飛び回った遊佐の言葉は北条の信頼に充分に足るものだった。北条に手渡された書類を念頭に置きながら、丁寧に説明を加えていく遊佐を前にして、北条はその思いを強くしていくのだった。

 「そして敵の最大拠点が、港湾都市の安東です。20万人の朝鮮族が住んでいる都市ですが、反日朝鮮人である彼らもまた安東を拠点としています」

 「安東には我が19師団の76連隊が駐屯している。連隊長に伝えておこう」

 朝鮮半島に最も近いと言うこともあり、安東には進駐当初から第19師団の第76連隊が駐留していた。

 「そしてもう一つが、長春郊外の農村にありますが……一先ず、こちらの紙を見てください。中華民國軍の将校から譲り受けたものです」

 遊佐が言った紙に目を通す北条。それは中華民國軍のとある軍事作戦を書いたレポートだった。


 『2009年10月22日、午前11時36分。遼寧省長春市の郊外。瀋陽しんよう方面に向かっていた政府与党の王議員と同行していたスタッフ、計11名が武装グループに襲撃を受け、誘拐される。25日、國軍は武装グループの拠点を攻撃。

 國軍、死者2名。負傷者21名。

 武装グループ側、死亡8名。逮捕0名。

 人質、死亡6名。負傷者5名。


 「昨年の10月に現地の視察に訪れていた瀋陽出身の立法院議員とその一団が移動途中の長春郊外で武装勢力に襲われ、誘拐されました。三日後に拠点を突き止めた中華民國軍が作戦を展開し、武装勢力を殲滅。議員を含む人質が6名死亡する結果に終わりましたが、まだ続きがあります」

 「その武装勢力が、朝鮮光復軍だったと?」

 「正確には違います」

 「どういう意味だ」

 遊佐が北条に手渡したレポートにはまた別に書き記された情報があった。北条が目を凝らすと、もう一度遊佐の顔を見た。

 「この戦闘で中華民國軍は、武装勢力が朝鮮光復軍と繋がっている証拠を幾つか発見しました。この国の反政府組織は、朝鮮光復軍―――我が国の反政府組織と同盟関係、少なくとも関わりがあった事が判明したのです」

 北条が手に持っているレポートには二つの組織同士を関連付ける情報が詳細に記されていた。農村は国家に仇名す者達の拠り所となっていたのだ。レポートによれば、戦闘後に中國当局と軍の検挙が大々的に行われ、関係者と思われる多くの住民が逮捕されたようだった。

 「しかしこのような事があれば、真っ先に情報が出回るはずだ。こんな話は初耳だぞ」

 「………………」

 はっきりと遊佐の表情が変わったことに北条は気付いた。遊佐の開いた口元が微かに震えていた。

 「関わっていたのは二つの反政府組織だけではなく……。その背後に、もっと大きな存在が暗躍している可能性が浮上したのです。その可能性が事実だった場合、中華民國や我が国を含む周辺国に影響を及ぼす事を考慮した国民党政府は、この事件の捜査を秘匿する方針を取りました」

 この二つの反政府組織を影から操る存在―――

 本当にそんな存在が?

 北条の内に、静かな緊張の火が揺らいだ。

 沈黙が降りた二人の部屋の窓ガラスを、強風がガタガタと叩いた。

 北条はゆっくりと視線を手元に戻した。レポートの最後のページを捲ると、11年前の中ソ国境での脱走事件との関連性をまとめた文章が書き記されていた。




 長春の郊外は一面に広がる緑が支配している。長春から瀋陽に繋がる車道の両脇には穀倉地帯が広がり、のどかな風景が果てしなく続いている。

 長春から瀋陽方面に向かった先にある河を隔て、無機質で小さな建造物や木造家屋が連なった農村は、かつて国家に仇名した罪として村が代償を受けた場所だった。その所為かは不明だが、長春方面に寄り添う豊かな農村とは異なり、寂れた雰囲気を醸し出す村の様子は、まるで二つの農村の間に流れる河が一種の国境のようであった。

 「お前達は、我々をどうしても見捨てると言うのか!」

 農村に不似合いな無機質な建造物の二階に、老人の怒号が響き渡る。塗装等が剥がれ落ち、何も無いような部屋に老人を含む男達が居た。老人の傍には村民らしき男達が、老人と同じように対峙する男に敵意を剥き出しにした瞳で睨み付けている。

 村民達に睨まれている男は涼しい表情だった。薄い服を纏っている村民達と異なり、戦闘服のような服を着込んでいる。

 「見捨てるとは人聞きの悪い。我々は少しの間、ここを留守にするだけだ。倭奴ウェノム共が来る間、な」

 「あれだけ調子に乗っておきながら、いざ敵わないと知った敵を前にすれば尻尾を巻いて逃げ出すのか。それがお前達、朝鮮人か!」

 「おいおい、言葉には気を付けろよ爺さん?」

 男が不敵な笑みを浮かべると、村民達を囲うように男達が動き出した。しかし老人はびくとも動じない。

 「去年、怒った親玉にきつい経を据えられて、喘いでいたお前達に暖かい飯をやったのは何処の誰だと思っている? この村が存続していられるのは、俺達の金があってこそだろ?」

 「ふざけるな。何がお前達の金だ」

 老人は一時も鋭い眼光を、目の前の男から放さなかった。

 その口元が、怒りの色を帯びて、言葉を吐き続ける。

 「我々は巻き込まれただけだ。軍に殺されたお前の仲間達と一緒になって脅迫した挙句、この仕打ちはあんまりだ。去年のような、あんな悲劇は二度と御免だ」

 老人はどうしても許せなかった。政府に不満を抱いていた村の若い連中に付け込み、勝手に村に居座った挙句、村を戦火に巻き込んだ彼らを。

 昨年の10月。朝鮮人と共謀していた連中が身勝手に役人達を誘拐し、結果的に村を戦場に変えた。銃撃戦に巻き込まれた大半の村人が女子供だった。朝鮮人は一度逃げ、連中は殺され、彼らに協力していた者から関係の無い者まで捕まった。村は反政府組織に加担した罪を背負わされ、重税を課せられ存亡の危機に陥った。

 日本軍が長春に進駐した途端、朝鮮人は村を見捨てる事を決めた。老人は村を束ねる村長として勇志を引き連れ抗議に訪れたのである。

 「そう怒るな、爺さん。村は見捨てない。その証拠に、我々の勇士達が残って倭奴と戦う」

 朝鮮人の男は指し示すように両手を広げて見せた。老人は、自分達の周りを囲む男達を一瞥した。

 「この村には匿ってもらった恩があるからな。義理は返すよ、我々は正義ある誇り高い民族なのだからな」

 「……パク。我々はお前を最初から許していない。それを忘れるな」

 決別の言葉を返した老人に対し、朴と呼ばれた男は不敵な笑みをますます深めた。



 

 長春を出て車道を暫く走ると、のどかな風景が一面に広がった光景に出会える。農村の家屋や木々が連なる車道を走っていくと、広大で豊かな穀倉地帯が出迎えた。

 その横を、多くの軍用車両が通り過ぎていく。

 軍用車両には日の丸と『帝国陸軍』の文字が描かれ、その先頭と後方には挟むようにして中華民國軍の車両が走っていた。

 長春を出てから河に架かった橋を渡るまでの農村地帯は正に原始的であった。木材や藁で作ったような家々が散在し、砂利道には家畜の小さい豚を連れた老人が歩いていた。ごうごうと威圧的に通り過ぎる車両の列をぽかんと眺めていたが、やがて車両に興奮した豚を宥め始めそれ所ではなくなっていた。

 彼らが向かっている先は、瀋陽しんよう方面だが、橋を渡ってからの瀋陽までの農村が敵の拠点であることがわかっていた。無人機は不審な建物と人物を捉え、撮影した。分析の結果、そこが朝鮮光復軍の拠点である可能性が極めて高い事が改めて判明した。

 橋を渡り終えた兵士達は先に見た農村とは異なる風景を目の辺りにして驚いた。先に出会った村は確かに原始的ではあったが、豊かさというものがあった。畑があり、美しい緑が広がっていた。

 しかしその農村は違った。まるで飢饉か災害に見舞われたかのような寂れ様だった。村自体が飢えていると言う表現がしっくり来た。

 本当にこんな所に敵が居るのだろうか―――ふと、そんな疑問さえ沸いてしまう。

 しかし数十分後、兵士達は確かな現実と直面する事になる。

 目標に到達した日華両軍は直ちに掃討作戦を決行。両軍の共同作戦として実施された。


■解説



長春ちょうしゅん

中華民國遼寧省長春市(史実は中華人民共和国吉林省長春市)。

満州国時代は満州国の首都とされ、新京と呼ばれた。市内には当時の建造物が多く残っている。

多くの国立大学等の教育施設や工業施設、国内の代表的な映画製作所を抱え、文化や経済の中心的都市。

中華民國の自動車工業や映画製作の拠点とも言われている。



瀋陽しんよう

中華民國遼寧省瀋陽市(史実は中華人民共和国遼寧省瀋陽市)。

遼寧省の省都。東北部最大の都市。満州国時代は奉天市と改称されたが、中華民國への満州帰属・併合に伴い満州国が解体され、中華民国に施政権が移管されると、瀋陽市と再改称され現在に至る。





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