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東亜の途 -2010-  作者: 伊東椋
第二章 不逞鮮人
10/29

第十話 光復勇士


 ―――2003年

 日本 横浜港。



 横浜港から出港した豪華クルーズ船『エンペラー号』では船上パーティーが催されていた。

 宝石のように輝く横浜の夜景を始点に、東京湾内を巡回する航路を辿りながら、国内最大のクルーズ船『エンペラー号』は、再び横浜港への帰路についていた。

 パーティに出席しているのはただの富豪層ではない。現政権を掌握する政府閣僚や支持団体、企業の重鎮たち、そしてその関係者たちだった。

 湾内に停泊する貨物船やすれ違う自動車運搬船などが灯す控え目な船灯とは異なり、『エンペラー号』は華やかな装飾の灯りに彩られていた。

 船上で開かれているパーティーは、外務省の事務次官が主催している。彼らにとっては政治資金を得るための一つの公務であった。

 彼らは常にカネがいる。何をするにしてもカネだ。得るものを得て使用し、利益を得ることが立派な政治家の使命なのである。そのためには補給源を定期的に充実させなければならず、ある意味そっちの方が政治家として最も気を配らなければならない所業なのだ。

 上の階では強欲な支配者共が小汚い手を握り合っている世界とは裏腹に、下の階では秘密裏の計画が実行されようとしていた。

 朝鮮独立を願って止まない朝鮮光復軍メンバーの一人、林昊乗リン・スホンは横浜市内で同志から譲り受けた爆弾を船内の各所に設置し、その作業を終えた所だった。他の実行メンバーである三名の勇士たちも、無事に各々の作業を終えたようだった。

 林昊乗始め『エンペラー号』爆破計画の実行者に選ばれた四名の東洋人は朝鮮系日本人だった。林含む男三名と女一名。林たち三名の男は皆京城出身だが、女の方は日本内地の福岡出身だった。

 彼らが出会ったのは中國北部の地下だった。朝鮮独立のために活動を続ける朝鮮光復軍に加わった彼らは愛する朝鮮を日本から解放するためにあらゆる訓練と行動を積み重ねてきた。

 林たちにとってはこれが初めての作戦だった。彼らは作戦実行のメンバーとして自分が選ばれたことに誇りを持っていた。

 「醜悪な倭奴ウェノム共を海の藻屑にする機会をここで失うわけにはいかない。愛する朝鮮のため、必ず成功させよう」

 男の一人が言う。その言葉に他の三名が同意を示すように頷いた。

 林は上の階でパーティーを楽しんでいるだろう平和ボケした連中の顔を想像した。それが自分たちの手によって木端微塵に砕け散ることと知ると、林は使命感が燃え滾るのを感じた。

 「遂に、この時が……」

 女が感慨深げに呟く。

 長かった。理不尽極まりない日本の横暴によって大韓帝国が侵略され100年。この世に自分が産まれ落ちたのは、日本の魔の手から100年間支配された祖国を救うことが理由だと信じて疑わなかった日々。何時か来る解放の時を信じ、ようやく訪れた報いの時。長らく踏みにじられてきた朝鮮の栄光を取り戻す時だ。

 船上パーティーを主催している外務省の事務次官は、朝鮮方面の内政の担当者だった。他の官僚や関係者、支援団体、企業も集まっている。朝鮮独立の一歩として、彼らを葬り去ることは必須事項だった。

 「朝鮮に栄光あれ。韓民族に勝利を!」

 林たちは万歳三唱を掲げる。脱出の準備も万全。後は実行あるのみだった。


 四人の活気に満ちた声が、静かに木霊する。

 「大韓帝国テハンジェグク万歳マンセー

 

 

 

 夜闇に溶け込む東京湾に灯る炎があった。

 国内最大のクルーズ船『エンペラー号』は横浜港に帰港する途中で突然爆発を起こし、乗船していた大勢の乗員乗客が巻き込まれた。

 クルーズ船『エンペラー号』の爆破事件は東亜において近年稀に見る大事件として歴史に名を残すことになる。

 火の手を上げて黒煙を昇らせ、阿鼻叫喚のクルーズ船を遠くから見届けた四人は救命艇を操縦し、仲間たちが待つ合流地点に向かおうとした。

 「おい、それは一体なんなんだ」

 男の一人が林昊乗に怯えたような怒っているような視線をぶつける。正確には、彼が見ているものは林ではなくその腕に抱かれた幼い女の子だった。

 毛布にくるまれ、眠っているように意識を失っている女の子。赤ん坊ではないが、見た目はかなり幼かった。

 他の者も男と同様の視線を『それ』に向けていた。子供を抱いた林本人はまるで棒のように艇内で一人立ち続けている。

 「あの船から持ってきたのか」

 男は信じられないと言う風に顔を強張らせた。何故かずぶ濡れの林は答えない。

 「何かの冗談だろ、林」

 「俺はふざけていない」

 雫を滴らせた林は毅然とした声色で言った。周りの反応がますます強張る。

 「日本人の子供を持ってきてどうするつもりだ。自分が何をしたのか、わかっているのか?」

 「……この子に、罪はない」

 林はぽつりと言った。しかしその声は他の三人にしっかりと届いていた。

 だが、だからといって林の行為に賛同を得る者は一人もいない。

 「林……」

 「この子は今日から、俺のものだ」

 「狂ったか、林」

 「俺は最初から正気だ。この作戦に参加する前からな」

 ありえないものを見るような視線を向ける仲間たちに意も返さず、林は子供を強く優しく抱いた。そして見下ろして、その眠った顔に囁くように言った。

 「この子の名前は純姫スンヒだ。今日から、俺の妹だ」

 ゆっくりと緩んだ口元から、優しげに紡がれた名前があった。純姫と名付けられた子供は、その瞬間から林昊乗の妹になった。

 

 

  


 ―――2008年

 中華民國 遼寧省安東県。

 

 安東には鴨緑江と言う大きな河が中華民國と日本領の朝鮮を隔てているが、その河の上に架けられた二つの橋が両国を繋ぐ国境になっている。


 朝鮮光復軍は朝鮮の独立を目標に活動しているが、日本が統治を始めた朝鮮から脱出した朝鮮人たちが集まって創設したため、生まれは朝鮮ではなく当時内戦が激化していた大陸の北部である。

 故に活動拠点は依然として大陸であることに変わりはなく、1999年頃に前首脳部が日本当局に逮捕されたことで組織は一時解散されたが、今になってようやく復活の準備が進みつつある。

 日中貿易の物流拠点であるこの街は、同時に地下へ潜む朝鮮光復軍の物資や資金調達の要でもあった。

 光復軍は決して孤独ではない。光は必ず、多々の人々に射す。光は人の希望。協力者や支援者は意外な方向にも居るものだ。

 勇士たちが訓練に励んでいる武器や弾薬もその手の者から調達した代物の集まりであるし、純姫が首元に春夏秋冬装備しているマフラーだって北の友人からの支給品だ。

 寒い大陸の東北部に行った時に譲り受けたマフラーを、妹は肌身離さず巻いている。

 あれから5年。妹は立派な勇士に成長していた。

 「兄様、こちらにおられましたか」

 鴨緑江と架かった橋が見渡せる公園のベンチに腰を下ろしていた林昊乗の下に、紺色のマフラーを首に巻いた少女が現れる。公園の敷地内が落ち葉で満ちる秋の季節には良い頃合いだが、彼女は季節など関係なく年中そのマフラーを愛着している。

 「橋を見ていたのですか?」

 「………………」

 林の妹、少女―――純姫も林の隣に腰をちょこんと降ろし、一緒になって橋を見詰める。丁度、朝鮮の側から積荷を積んだ列車が橋を渡っていた。

 武力で奪い取った朝鮮の地から摂取した物資や資源を輸送している。朝鮮を元に腹を肥している日帝の悪行。日本からの朝鮮の解放を切に願う朝鮮人たちは、本気でそう考えている。

 「あの橋の向こうで、民衆が日帝の悪政によって苦しめられているのですね」

 林は妹の横顔に視線を向ける。その瞳はまだ見ぬ朝鮮の地に居る民衆への哀れみか。ゆらりと泉のように綺麗に揺れている。

 あの『エンペラー号』爆破から5年。当初、日本人の子供を招くことに反対した仲間たちだったが、報告を聞いた首脳部は逆に利用することを考えた。

 事件のショックか、何も覚えていなかった日本人の少女を、純姫という名の朝鮮人として育て上げることは造作も無かった。空っぽの状態の彼女に朝鮮光復軍式の教育を叩きこむことは、ある種の実験であった。

 純姫は見事なまでに首脳部の理想通りの朝鮮人になった。純姫は日本を憎み、日本は朝鮮に対し非道の限りを尽くした国であることを疑わない朝鮮人となった。日本が朝鮮を植民地とし、日本人が朝鮮人を苦しめ虐殺した歴史を信じた。最低限の朝鮮統治の現実を知っている他のメンバーより、真の意味で日本に敵愾心を抱く朝鮮人は、幼少の頃より徹底的な教育を受けた純姫一人だけかもしれない。

 「兄様」

 鈴のような声は、あらゆる感情も伺えない。

 しかしその奥底は、林たち光復軍が叩きこんだ日本に対する憎悪と敵意に塗り固められている。

 「私は、何時、あの橋の向こうに行けるのでしょうか」

 「………………」

 林は知っていた。純姫は朝鮮に行く日を望んでいることを。

 今まで大陸に潜み、活動してきた経緯から純姫はまだ一度も朝鮮の地に足を踏み入れたことはなかった。

 日本の侵略に関連した朝鮮の歴史と現状は学んだが、その目で朝鮮の現実を見たことは未だ叶っていない。

 「まだ早い。何時かその日は必ず訪れる」

 「日帝が朝鮮を侵略し、もうすぐ100年の年月が経ちます。早いということは既に無いのでは」

 「朝鮮人が立ち上がることに対し言っているのではない。お前自身がまだ早いと言うのだ」

 林は目の前の小動物を見詰める。まだ年端もいかない少女が、5年前のような危険な任務に投入させるにはまだまだ早過ぎる。

 林の表情から考えを察したのか、純姫はむっとした表情で言った。

 「私がまだ子供だからですか?」

 「そうでは……」

 無いとは言えなかった。実際、間違いではなかった。

 「私が幼い女子供だろうと、心は立派な光復勇士であり、誇り高き朝鮮人です。そう私に教えてくれたのは、兄様達だったのではないのですか?」

 眉を吊り上げた純姫の気迫に、林は躊躇を覚える。

 純姫の意志は、想像以上に強固なものだと林は再確認させられたのだ。

 「実戦にはまだお前では早いのだ。わかってくれ」

 「兄様の馬鹿」

 見えない涙を瞳に浮かべて、純姫は林の目の前から走り去ってしまった。

 徹底的な抗日思想の教育が生んだ、もう一つの純姫の性格。

 実験的な役目を知らずに背負わせてしまった妹の背中を見詰める自分の胸に去来する痛みに彼は気付かない振りをすることにした。



 ―――2010年

 鴨緑江 中之島。


 鴨緑江河口に浮かぶ中之島という島は、黄海から約30キロメートル遡った所の下流側に位置し、北側の対岸は安東、南側は朝鮮の新義州に面している。

 高麗王朝時代末期、大陸で建国された明は元を打倒すると高麗に対し元代の旧領を返還するように要求し、親元派であった高麗政権は討伐軍の派遣を決定した。しかし討伐軍の武将だった李成桂は明と結んだ方が得策であると考え、進出先の威化島から首都の開城へ討伐軍を率いて政権を倒し、クーデターを成した。高麗王朝を崩壊させ、新たに朝鮮王朝開国の基礎を築いた政変である。

 このクーデターを一般に『威化島回軍』というのであるが、この威化島が中之島である。

 

 中之島の今は使われていない営林署施設の中で、朝鮮光復軍の精鋭メンバー11人が集まっていた。彼らは『光復勇士』と呼ばれ、大規模かつ重要なテロ行為等は主に彼らが実行犯となっている。

 「我々は新たな光復勇士を迎え入れ、再び朝鮮解放への重大な一歩を踏み出すことになる。歓迎する、同志よ!」

 朝鮮光復軍精鋭、光復勇士のリーダー格に当たる朝鮮人の男が他のメンバーの注目をある少女の方へ誘導させた。

 髪がロングまで伸び美人に成長した純姫は、正式な光復勇士として迎え入れられた。

 大規模なテロ計画。純姫にとっては、これが初めての実戦だった。

 「まず、我々が展開する場所は朝鮮解放に一際情熱的に居ずにはいられない場所であることに気付いてほしい。かつての大韓の帝都であり、半島最大の都市である漢城にて作戦を実行する。漢城府内に侵入後、各班は所定の目的地に向かい行動を開始。キム達の班は自動車爆弾の各目標への配置、ソンの班は日本当局への情報錯乱、シン達は記念式典が行われる例の博物館へ。日本の警察や憲兵が厳重な警戒を敷くだろうが、お前達なら成功すると信じている。洋一ヤンイルを頼むぞ。そして昊乗と純姫は同じ館内で例のものを探してくれ」

 日本の支配下で呼ばれる京城の都市名を、彼らは日帝の蔑称とし、併合以前の首都名だった漢城を用いている。

 男の説明に誰もが黙って聞くが、林は不満な思いを抱いているだろう一人を思った。

 「この島に辿り着いた李成桂は明に刃向かおうとした高麗政府に『四不可論』を掲げ派兵に反対を表明したと言う。『今者、師(軍)を出すに、四つの不可あり。小を以て大に逆うは、一の不可なり。夏月に兵を発するは、二の不可なり。国を挙げて遠征せば、倭はその虚に乗ぜん、三の不可なり。時方に暑雨し、弓弩の膠は解け、大軍は疾疫せん、四の不可なり』と。倭とは、言わずもがな日帝の事である。朝鮮を想う者が抱く懸念には、やはり常に日本の姿が在る。それ程までにあの国は我々に害を為す存在なのである。何時の日か、我々は日本と言う悪の帝国を倒し、正義に満ちた朝鮮を再興させるのである!」

 男の訓示に、殆どのメンバーが熱狂的に「朝鮮万歳」と叫んだ。

 一人不満そうな顔を浮かべている妹に、林はこっそりと声をかける。

 「何か言いたそうな顔をしているぞ」

 「…………」

 まるで欲しかったお菓子を買ってくれなかった子供のようだった。髪が伸びて幾分か女らしくなったが、まだまだ少女らしい雰囲気は残っている。

 「日本人を殺せない事が悔しいか」

 「……!」

 林の直球に、純姫は微かにぎくりと肩を震わせた。

 「折角、勇士として立派に戦えると思ったのに探し物をただ探すだけ……とでも思っているのか?」

 見る見るうちに色を変えていく純姫の反応に、林は自分の想像が間違っていない事を確信する。

 「純姫、本当にそう思っているのなら大間違いだぞ。俺達が探すものはそんな簡単なものじゃない。朝鮮の主権に関わる重要な代物だ。俺達が求める光復クァンボクに絶対に必要なものだ」

 「兄様……」

 見上げた妹の瞳を真っ直ぐに見据え、林ははっきりと言う。

 「俺達の目的は日本人を殺す事ではない。朝鮮の解放、独立だ。それを決して忘れるな」

 「……ごめんなさい、兄様。私が愚かでした」

 純姫は兄の心情を理解し、頭を下げた。林の言葉により、純姫の意志は真の方向に改められた。


 そして、作戦は開始された。結果は―――成功した。


 仕掛けた自動車爆弾は攻撃目標だった政府関連施設や企業に少なくない打撃を与え、警察内部に潜り込ませていた同志の活躍によって総督府の政務総監の襲撃にも成功し、敵の面子に泥を塗る事を見事叶えた。

 しかし彼らが探し求めていたものは見つからなかった。彼らはその所在地が別の都市にある事を考慮し、朝鮮半島に限らず日本本土にも目を向け始めた。


 光復の象徴を探し求める彼らの動きに、日本当局が気付くのはもう少し後の事だった。

  



■解説



●光復勇士

朝鮮光復軍内では『精鋭』と呼ばれているメンバーの事。主要なテロ等の事件の犯行は彼らが実行したとされている。



●エンペラー号爆破事件

横浜港内を航行していたクルーズ客船『エンペラー号』で起こった爆破事件。百数名の負傷者と五十名前後の死者、行方不明者を出し近年稀に見る大事件として記録されている。事件後の犯行声明によって朝鮮光復軍によるテロ行為である事が明かされている。



●遼寧省安東県

中華民國東北部にある街。朝鮮半島と接し、日中両国の国境の街でもある。日中物流拠点として発展した街中では多くの日本企業を含めた海外企業が進出しており、朝鮮族(中國国籍を持つ朝鮮人)が多く住んでいる。一方で朝鮮光復軍が朝鮮半島への最前線拠点としている。史実では中華人民共和国遼寧省丹東市。



●鴨緑江

中華民國と日本領の朝鮮半島を隔て、日中両国が国境としている川。白頭山を源とし、黄海に至る。古くより朝鮮半島と大陸、満州の接点として重要な河川として認識され、日露戦争では日露両軍の激戦の地となった(鴨緑江会戦)。高麗王朝末期に李成桂イ・ソンゲが政府に反旗を翻したのは鴨緑江の中州、威化島(現中之島)だった。川には両国を繋げるため、朝鮮総督府が建設した二つの橋が架けられている。




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