07
明日の掲示板、ということは、少なくとも今日中になんらかの異変があたしの身に及ぶことはないのだろう。
だったら、安全が確実とされる今日中にもう一度あの女史と会えないか――休み時間を利用して上級生の教室をそれぞれ回ってみようかと思ったけれど、これが全然すんなりとはいかなかった。
まず、休み時間に満足な自由行動がとれる余裕がなかったのだ。体育、音楽、美術など、ほぼ必ず移動を強いられる教科が午前中に目白押しで、どうにも捜す暇がない。おまけに先生らに尋ねようと思っても、女史の名前がわからないのでは質問すら定まらないときている。
けれど嬉しい誤算もあった。体育の授業内容は各自の体力測定だったのだけれど、それらの種目でそこそこの成績を残すことができたので、クラスメイトたちから結構な注目を浴びることができたのだ。そのおかげで、他の授業でもとりわけ、三人の女の子と仲良くなってよく話をするようになったのだけれど。
ただ残念なことに、昼休みの長い休憩時間ともなれば、あの女史が再びあたしのもとに来ないとも限らないわけで。
そんな不安ばかりを募らせるのも、精神衛生上、非常によろしくない。そこであたしはとりあえず教室を離れ、一人、携帯を片手に持参した弁当をつまむことにしたのだが。
「――なるほど。質問に本音で返答させる能力か」
至って冷静沈着、さも感銘を受けたかのように携帯越しの彰が呟く。
あたしは簡潔に事情を説明していた。授業前、一人の先輩に声をかけられて質問攻めに遭ったが、それがあまりに不可解な質疑応答であったこと。そして相手が、あたしの入試結果をも入手できるような人物で、おまけに今朝の登校時にはすでに尾行されてしまっていて、写真まで盗撮されたこと。また、内容はさすがに言えなかったけど、この問答が原因で、その先輩に妙な誤解を植え付けてしまったことなどだ。
「そうなの。それで、実際にそんな能力が本当にありえるのか、彰の意見を聞きたいんだけど」
今のあたしはどんな些細な情報でも欲しいのだ。難しい話だろうと、どんとこいだぜ。
「ふむ。率直に言わせてもらうと、能力の系統に限界はない、というのが俺の感想だな。茜には前もって言ってあると思うが、そもそも『能力』そのものが未知の分野であるから、現在でも手探りで分析している傾向が強いと聞く。いわゆる、才能の要素がひたすら強いうえに、科学が未発達だった時代はその研究方法自体が封じられてきた歴史があるためだ。だから一口に『能力』といっても、これから客観的な記録を積み重ねていかない限り、目撃された摩訶不思議が本当に『能力』から派生した事象なのかを篩にかけることはできない。もっと言えば、能力の実在を証明する術は、現時点では何一つないと言ってもいいだろう」
ごめんなさい! 難しい話でも大丈夫だって言ってごめんなさい!
「彰、もっと噛み砕いて説明して」
「能力という未知の概念に勝手な上限を付け加えて、あれはできる、これはできない、と思い込むのは最も危険だと解釈してくれ。たとえば茜の質問にあるとおり、他人に本音で返答させる能力があるとする。これを実際に体験して、すごい力があると確かめることは簡単だ。しかし客観的な記録とはそうじゃない。能力者が実際に能力を使用して、自分と相手、双方の人体にどのような作用が働いて『本音で返答させる』のか。これをデータで収集しなければ、それが確かに『能力』による事象操作だと照合することは不可能になる。オリンピックの世界記録を塗り替えるためには、過去の世界記録が必要だろう? 俺たちの知っている『能力』とは言わば、発祥も定かでないなら正式な記録も存在しない、そもそも現代科学では計測さえ不可能な混沌オリンピックのようなものだ。次にどんな能力が飛び出すかわかったものではないから、結果として人為的らしい摩訶不思議は、曖昧だがとりあえず『能力』だと一括りにするしかない」
携帯越しに、ほおォ、と国雄くんの感心したような声が聞こえてくる。きっと彰の隣で昼食をとっているからだろう。そしてあたしと同じで、彰の話を呆然と聞いていたに違いない。
「つ、つまり、どゆこと?」
「最初に言ったとおりだ。どんな能力者が現れても不思議にはならない。それらはかつて実際に存在したことがある能力かもしれないし、全く新しい能力かもしれない。どちらにせよ、それらは記録がないから前例がなく、現時点までの科学では原因を証明することもできないので、便宜上『能力』だと区別するしかない。従って、質問に本音で返答させる能力が現れたとしても、特に不都合は見当たらない」
ふーむ、まるで雲を掴むような話だ。実際に眼に見えているのに、いざ正体を分析してやろうとすると途端に存在がうやむやになる。しかも関連する用語の定義もいいかげんで、そもそも現象自体がでたらめなのだから、今は何をしても研究の足がかりにしかならないということかな。
そういえば国雄くんの能力がいい例だろう。あれは幽霊でも透明人間でもない曖昧さで浮いている存在だ。それを精神だとか魂だとかで無理やり言葉にしたところで、実際のところ正体不明のまま何一つわからない。
そもそも幽霊だって、妖怪だとか悪霊だとか守護霊だとか精霊だとか、いろんな用語で区別されていても実際の定義は漠然としている。なのに某首塚だとか某トンネルだとか、社会的に無視できない影響力もあるから気が抜けない。おまけにこれも現代科学では説明すら難しいので、やっぱり正体不明から抜け出せずにいるのだ。
――よし、難しい話は終わりにしよう。
要するに、能力とは『今そこにある不思議』だと解釈しておけばいいのだろう。将来的に科学技術が進歩して、それが実証可能になるかどうかは別にして。
「……あたし、どうしてあの人に狙われたんだろう」
「話を聞いた限りでは、まず神崎茜に眼をつけたわけではなさそうだ。その女史は最初に、新入生の中で最も優秀だと思われる、入試成績の首位者に的を絞った。そこで初めて茜の名前が浮上したから、今度は詳細な個人情報の収集に苦心したんだろう。そうして今朝の盗撮から問題が始まった、というのが事の経緯になるだろうな」
「ちょ、ちょっと待って! そんなの絶対おかしい! あたしがその人に何か粗相をして、それで謝らなきゃいけないんだとしたら理屈はわかるけど、いくらなんでも初対面の後輩に対して、明日の掲示板を楽しみにしてろって言い残して能力を悪用するのは、さすがにひどすぎる!」
振り返ってみても、あたしは何も悪いことをしていないように思う。それなのに勝手に心証をねじ曲げられて、才女だの期待外れだの悪者だの、公然と敵意を持たれるのはどう考えても間違っている。
「……確認しておきたい。茜は本当に、その先輩とは初対面なんだな? 間違いなく今日初めて会ったばかりの、顔も名前も本当に知らなかった赤の他人なんだな?」
「うん、間違いないよ。……ねえ彰。あたし、どうしたらいいかな」
「まずは確認が先だ。質問攻めしてきた先輩というのは、もしかしてこの女子か?」
通話状態が一方的に切れて、すぐに彰からのメールを受信した。内容は画像のみだけど、その画像というのが、なんと商店街の店舗の陰に隠れてチェキ・カメラを構えている女史の横顔で。
あたしは即座に電話をかけ直した。
「なにこれ! どういうこと!」
「見てのとおり、今朝の写真だ。最初は俺を狙っているのかと思ったが、国雄が来てからは俺から離れていくのを見て、ようやく合点した。この女子は茜を狙っているのだと」
「それ、もっと早く教えてよぉ」
「名前は黒木凛。白黒の黒に、木片の木、それから凛々しいの凛だ。東高の二年生で、隣町に在住。放課後はよく新聞部の部室にいるらしい。夜討ち朝駆けとはよく言ったものだ」
そうですか、スルーですか――という話はさておき。
「新聞部?」
「今は彼女だけしか部員がいないが、その歴史は意外と古い。第二次世界大戦が終結して五年後には発足され、地元の復興を支援する形で、学生ボランティアを集める企画がほとんどだったそうだ。それが今では学校新聞で校内情報を掲示したり、学生新聞では地元のイベント情報の告知、あるいは新聞の切り抜きで時事問題を取り上げたりなどもしている。その方法は、今も昔も校内掲示板への掲載型のまま変わっていない。ただし近年になって部員の数も減少傾向にあるらしく、活動内容にはあまり生徒から見向きされていないようだが」
あたしは携帯を耳に当てながら、呆気に取られていた。女史も女史なら、彰は彰でより短時間のうちに部活の歴史まで穿っている。ひょっとすると、かつて所属していたOBの全員分の名前すら網羅しているかもしれないぞ、くわばらくわばら。
「――って、ちょっと待って! その掲示板って、もしかして」
「十中八九、茜を撮った写真をネタに記事を書くつもりだろう。目的はおそらく部活動の注目を取り戻すこと。茜を利用するのは、今が旬の新入生で誰もが興味を引かれる入試の優秀者だからだ。しかし、その準備時間に一日が必要だから掲示板での公示は明日になる、というのが実情かな」
目が点になる。自分が置かれている立場をやっとのことで理解した。
しかし、だからといって冗談じゃないぞ! あんなのを記事にされて校内に貼られたら、明日からどんな顔して校内を出歩けばいいんだい!
「駄目駄目、ぜーったい駄目! そんなの許されるはずがないでしょ! 早く何とかしないと、大変なことになる!」
「……大変なことって、そもそもお前は何を質問されたんだ?」
「そんなの言えるわけないでしょ! 女の子のプライヴァシーってやつよ!」
本人を前にして言えると思うのか、このアホンダラーッ!
彰は呆れたように溜息をついた。
「とりあえず、校内への掲載を防ぐだけなら、なんとかできるが?」
――今、この人は、なんて言ったんだ?
「それ、ほんと?」
「嘘を言ってどうする。――まず職員室に行って、先輩の担任教諭にこう訴える。個人的な写真を盗撮され、それが校内に貼られようとしている。これは当方にとって甚だ不本意であり、人格権の侵害にも相当するはずだ。よって盗撮した相手はただちに、我々とは一切無関係の内容を掲載してもらいたい。もしこの問題が放置された場合、我々は精神的苦痛を受けるため、進学校にあるまじき個人攻撃の黙認として、学校全体の評価を見直していただくべく、PTAを通じて正式に抗議させてもらう。――もちろん無事に問題が解決すれば、感謝の意を伝えることも忘れない」
ぽっかーんと口を開けたまま硬直するあたし。
その、具体的に言ってくれるのは嬉しいんだけどさ。でも実際に、そんな呪文みたいな怒涛の暴言を、大人の先生がたを前にして言えると思うのかおんどれは。
「……そんな小難しい駆け引き、できるかな」
「心配するな。こっちは俺がなんとかしよう。盗撮された写真の中には、俺と国雄の姿も映っているんだろう? だったら少なくとも無関係ではなくなる。それにまだ、昼休みの時間もたっぷり残っているしな」
「い、いいの? そんな安請け合いしちゃって、彰は大丈夫?」
「別に、学校側に喧嘩を売りに行くわけじゃない。部員の暴走を止められなかった顧問の責任もある。どのみち、健全に学業に励むことのできる環境作りへの相談として、学校側と話し合うのは、一生徒として当然の権利だ。他にもやり方はいくらでもある」
すごく大変なことを口走っておきながら、なんでもないことのように重い肩の荷を下ろしてくれる、彰の優しい声。
その、当たり前のような救援に、うるっと目の奥が熱くなった。
「ただし相手が持っている写真の回収と、招いてしまった誤解の修正ばかりはお前にしかできない。だから茜は、そっちの決着に意識を集中してくれ。それができないと、ずっとその先輩から不毛な逆恨みを買い続ける羽目になるぞ」
「げっ。それもやだな」
「あいにく、そっちの手助けまでは手に負えない。――用件はこれだけか?」
「あ、うん」
「じゃあ切るぞ。こっちは昼休みが終わるまでに片づけておく」
うう、ごめんよう。でも、もうちょっとだけお話してようよう。できたら温かい励ましの言葉なんかもらえると、幼馴染としては勇気百倍なんだ。大丈夫か、とか、頑張れよ、とか、そんな簡単なものでいいからさあ。
――なんて、言ってくれるはずないよね。それが彰だもん。昔っからずっとそうで。
「……茜」
「ふに?」
「弁当、今日も旨かった」
そう言って、彰はあっさり通話を切る。携帯を持つあたしの手が震えた。
こ、こいつはーッ! なんでこんな時に限って、普段から滅多に言わない褒め言葉を不意打ちで出してくるんだコンチクショー! しかもアンタだけお礼を言って逃げるなんて、すっごく卑怯だぞ! せめてあたしにも言わせなさいよ、このヴァーカッ!
興奮のあまり、肩で息をする。だけど落ち着いてくると妙にすっきりするのは、うん、きっと心の中で思ってたいろんなことを、少しだけ吐き出せたからかもしれない。
「……ありがとね、彰」
大講堂の建物の裏にある、間違っても人が迷い込みそうのない緑の敷地。
その下生えに腰を下ろし、まだ少しも箸をつけていないお弁当箱を広げたまま、あたしは気合いを入れ直して自分に喝を入れるのだった。




