06
四月三日。朝からすっかりご機嫌になったお天道様が照らす道路を、あたしと彰が肩を並べて歩いていく。
彰の家から東高までの道のりは、小学生に口頭で教えてもわかりそうなほど判然としている。玄関を出て一方通行の細い道路を東に進み、昨日いざこざがあったらしい例の公園と、南北に伸びる商店街を突き抜けた先に、岸沢東方高校の広大な敷地があるのだ。
公園のいざこざというのは他でもない。あたしの幼馴染である彰と、そのクラスメイトらしい一人の同級生が、とある誤解を発端にして喧嘩を始めてしまったのだ。その誤解はすったもんだの果てになんとか解けたみたいなんだけど、その同級生さんがじつは、あたしたちと同じ『能力者』だというのだから驚きも一入というもので。
全く、人生はどこでどう転ぶかわからないものである。
「まあ、記念すべき高校生活の初日でできた友達が、まさか能力者だったなんて、というのには情状酌量の余地があるとして。それでもさすがに、自分で幼馴染を待たせておいて忘れた挙句、そのお友達の家でのんびりと温かい紅茶なんか飲んじゃって、ご満悦そうにくつろぐっていうのは如何なものかなあ?」
あたしは彰の肩に手を置いて、そこから思いっきり顔を覗き込んでやった。彼は首筋の血管がきれいに浮き出るほど顔を逸らして、都合の悪い話から眼を逸らそうとする。
「……あれは事故だ。忘れたくて忘れたんじゃない」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。忘れたくて忘れられたんなら、これからはもう二度と忘れられないように、不幸のメールを毎日送り続けてやるから」
「また古いものを持ち出したな。今も知っている奴が何人いるやら」
「怖いぞー。受信したらきちんと神崎茜って子に返事してあげないと、三度の飯がめでたく冷凍食品だけに変わる呪いを受けちゃうんだぞー」
「……本当に地味に怖いな」
「ふっふっふ。家事の偉大さを思い知るがよい」
彼はばつが悪そうに頭を掻いた。そしてあたしを見て、気まずそうにそっぽを向く。
「……悪かった。忘れていたのは、お前以外では昨日が初めての実戦だったから、自分でも思っていた以上に緊張していたのかもしれない」
むむ、意外と素直に謝られてしまった。こうなると秘密の弱みがあるあたしとしては、これ以上しつこく同じ話題が出せなくなる。
「まあ、別に批難したいわけじゃないから、もういいけどさ。でも一人ぼっちで待たされるのって、結構寂しいのよね。心細いっていうか、いろいろ考えちゃうっていうかさ」
「たとえば?」
「ほら、今頃は雨の中をずぶ濡れになって走ってるんだろうなあ、とか。大体、雨が降るなんて予想できなかったんだから買い物なんて中止でもよかったのに、とか。でもやっぱり少しは嬉しかったから、戻ってきたら温かい缶コーヒーでも買ってあげようかな、とかさ」
「なるほど」
「だから……忘れられたほうは、ものすっごくつらいんだからね! 今後は絶対に忘れてあげないように」
「……本当に、すまなかった」
彰はなんだかんだ言って、結局は自分から厄介事に首を突っ込んでしまうタイプだ。どんな秘密でも墓の下まで持っていくような口の堅さには定評があるものの、代わりに何もかも自分が納得するまで調べ尽くしてしまわないと気が済まないほど手厳しい。
端的に言ってしまえば、滅私奉公。
仕事中毒を地でいくような朴念仁。
ああ、こんな彰に誰がした、およよ。
「あと、別件で茜に言っておきたいことがある」
「ほい?」
「偶然とはいえ初日から能力者に遭遇したということは、今後も些細なことがきっかけで、他の能力者に出会う可能性が高いことを示唆している。だから今回の件だけでなく、これからも、ある程度の注意は必要かもしれない」
むむ、彰が難しい話をしようとしている。こういう時は早急に頭を切り替えねば、話についていけなくなる。
「そう? たかが高校で、気にしすぎじゃない?」
「心構えとして慣れておけば、いざという時に慌てなくて済む。在校生はもちろん、新入生の中にも、潜在的な能力者は必ずいると考えておくべきだ」
「……まあ、理屈としてはわかるけどさ。でもまさか、いきなり能力を悪用しようなんて輩は、そうざらにはいないでしょ」
「能力者が意図的に力を行使するとは限らない。なんらかの出来事がきっかけで、本人も無意識のうちに、秘められた能力が暴発する可能性も大いにありえる」
「あ、そっか。意識的に悪用しようとする連中はともかくとして、今まで自覚のない人がいきなり能力に目覚めちゃったら、どうにも防ぎようがないもんね。――となると、もしそれが原因で人に怪我をさせるような事故を起こしたら、それこそ本人さんはもっと混乱しちゃうよね?」
「そういうことだ。能力者の誰もが、自分の力を自覚して使いこなせているとは限らない。昨日はたまたま相手に経験があったから俺の傷も浅かったが、もしも国雄に本気の殺意があれば、俺は間違いなく殺されていた。だから茜も、充分に注意してくれ」
とりあえず、彰はあたしが守るから死なないし絶対に安全だとして。
……えへへ。こうも大事にされると、にやにやが止まらないんだぜ。
「まーまー、大丈夫ですってよ旦那様。たとえ火の中水の中、矢でも鉄砲でも持ってきたところで生き延びる自信はあるんだから、そんなに心配しなくても――」
「茜より、茜を相手にした他人のことを想定して言っているんだが? 今は何も壊さずに料理が作れるほど制御も安定してきたとはいえ、一度でも暴走すれば誰にも止められないのがお前の『能力』だろう。そのあたりをもう少し自覚してだな――」
あたしはすぐさま握り拳を作ったね。そんでもって肘打ち一発をすかさず彰の横っ腹にぶちかます。
するとどうだ、どこかの幼馴染は苦悶の声を上げて崩れ落ちていくではないか。きっと相当な鈍痛でなかなか立ち上がれないのだろう。その様を見て、あたしは腕を組んで高みの見物としゃれ込む。
ふーんだ。そうやっておとなしく地面とにらめっこしてやがれってんだ、べらぼうめい。
「彰、何やってんだ?」
背後からの声に振り返る。昨夕、彰と公園で衝突したらしい例の同級生、本多国雄くんが立っていた。彫りの深い顔立ち、一九五センチもあるという身長に、逞しい胸板を反らした威風堂々という貫禄。
「やっほ。くんにおくん、おはよ」
「おいこら! 誰がくんにおだ!」
うーむ。やっぱり間近で見ると、かなり迫力のある御仁である。常に目元が厳めしいので、ずっと怒っているようにも見えてしまう。
「じゃあ、肉雄でもいいわよ」
「なんでちょっと残念そうに言うんだよ!」
「あ、肉雄の雄は男でも通用するかも」
「するか! させるか! そもそも人の名前で遊ぶんじゃねえ!」
「もう、我が儘なんだから」
「いじらしく言ってもムダなもんはムダァ!」
「む、だったら何がいいのよ」
「国雄でいいだろ。それ以外に何があるんだよ」
「んーとね、おにく!」
「それもう人の名前じゃねえから!」
感動的なやり取りに荒んだ心が温まる。彰ができないことを、おにく、もとい、国雄くんはあっさりとやってのけるのだ。ツッコミ要員がいると、お喋りにも花が咲くとはよく言ったものだね。
「――ったく。彰、お前の幼馴染は手が付けられねえぞ」
「すまん、国雄。俺もたった今やられたばかりだ」
呆れたように国雄くんが溜息をつく。
この人の印象は大きな子供だ。曲がったことが大嫌いで、良くも悪くも男性的な、一本気で血の気が多い人なのだ。怒らせると怖い人、でも、すごく友達思いで仁義を重んじる人格者でもある。
「さて、どうすっかな。立ち上がれねえなら肩を貸すこともできねえし、かといって置き去りにするのも忍びねえが」
「彰なら大丈夫。襲われたって簡単に倒されるはずがないもんね」
あたしは国雄くんの腕を引っ張る。彼は露骨に狼狽した。
「ささ、ここは親睦を深めるためにも、二人で学校に馳せ参じましょうぞ」
「おいおい、いいのか?」
「いいのいいの。それに、ユキちゃんの様子も聞きたいしね」
じつは昨日、あたしと彰は国雄くんちの夕食に招かれ、なんと傘まで貸してもらって帰宅することができたのだ。五人で鍋をつつきながら談笑して、ユキちゃんとも女の子同士で意気投合して、笑顔でバイバイして。
しかし、このユキちゃんって女の子がまた、国雄くんの妹とは思えないくらい可愛いのよね。きょとんとした眼が子犬みたいで、ぱっと輝く笑顔がもうたまらんのさ。それでお互いにきゃっきゃうふふして、一晩くらいお泊りしてもいいかなーなんて誘惑に駆られていたところを彰に連れ出され、あえなく轟沈したのは良い思い出だ。
ちなみに言うと、ユキちゃんは間違いなく母親似である。国雄くんは男前ではあるんだけど、ちょっと濃い目なので任侠映画に登場してきそうな雰囲気があるのだ。
目配せで承諾した彰に代わり、ご一緒に登校することになった国雄くんが歩きながら苦笑した。
「有希子か。あいつは、あんたとアドレスの交換ができて、すごく喜んでたよ。まるで本当のお姉ちゃんができたみたいだって、帰ってからも大はしゃぎだった。ありがとな」
「いやいや、あたしは何もしてないって」と言いつつも鼻高々。お姉ちゃんとは、じつにいい響きである。「それより、ユキちゃんを連れ去ろうとしていた不届き者は、あれからどうだったの?」
「そっちは残念ながら、お手上げだ。有希子も全く知らないおじさんだったと話すだけで、人相はさっぱりでよ。それ以外の特徴もあんまり憶えてねえみてえだし、彰も相手の顔を見てねえんじゃ、特定は難しいわな」
犯人が特定できないのは悔しいけれど、こればかりは仕方がない。そもそも他人の顔を言葉で伝えるのはすごく難しい行為だ。それを十歳のユキちゃんに強要するのは、あまりに見当違いだろう。
「そもそも相手の目的がわからないよね。ひょっとして身代金とか、復讐とか?」
「そのことだが、昨日、彰と話していて合点したことがある。もしかすると犯人は、この岸沢市周辺に土地鑑がある通り魔かもしれねえ、ってな具合にな」
「むむ、興味深いお話。続けて」
「考えてもみろ。公園の中で拉致しようとするなんざ、いかにも短絡的な行為じゃねえか。もし事前に計画を練っていた奴が犯人なら、公園の外で待ち伏せして車に連れ込む方法を取るはずだろ。実際そうでなきゃ、目撃者のことを少しも考えてねえことになるからな」
「でも、昨日はお昼から雨が降ってたから、公園の利用者はすごく少なかったって聞いたけど」
「だから余計に不自然なんだよ。あの日は突然の雨で、公園は一時的にせよ、人の利用が極端に少ない状態にあった。それを利用して子供を拉致しようっていう不届き者は、その地域に土地鑑のある人間じゃねえと、すぐに実行に移せねえわけだ。それに大体、移動に手間取る公園の中で一体どこに連れていこうってんだ? 答えは公園の中にある密室――公衆トイレの個室の中だろう」
おおー、と思わず唸る。指ぱっちんの音が軽快に弾けた。
「なるほどね、だから通り魔なんだ。しかも目的は暴行とか、変態ここに極まるってやつか」
「だが、未遂で逃げた犯人を警察に相談したところで、連中が動いてくれるとは思えねえ。しかも雨で犯人の痕跡も全部流されちまってるだろうから、公園を調べても無駄足を踏むしかねえ。だからしばらくの間は、有希子を小学校の中に待たせて、オレが呼び出すってことで話はまとまったよ。そのほうが確実で安全だって、彰も頷いてくれたしな」
「そかそか。可愛い妹を持つと、お兄ちゃんは苦労するねえ」
「ふん。大体、有希子は危なっかしいんだ。他人を疑うってことを知らねえもんだから、見ているこっちがひやひやする」
ちょっと拗ねたように国雄くんが唇を尖らせるので、あたしは笑ってしまった。
いやはや、こんな恰好いいお兄ちゃんに愛されているなんて、ユキちゃんってば意外と強い星のもとに生まれているのかも。聞くところによると、本多家は高祖父母の時代から医師の家系らしいけど、そんなに厳しそうな家庭環境にも見えないもんね。
学校に到着したので、国雄くんとは仲良く正門でお別れした。あたしはまっすぐ自分の教室へと足を向ける。
クラスメイトの大半はすでに着席していた。あたしの席は窓際の最前列で、その天板にはすでに進路希望表がどっしりと積み重なっている。
昨日の放課後に配られた唯一の宿題だ。内容こそ無記入でもいいのだが、用紙だけは必ず朝一番に提出しないといけないらしいので、みんな忘れずに持ってきているようだった。ほぼ全員分の枚数が揃っていることを確認する。
ちなみに、これを職員室に持っていくのは日直の役目だ。
で、その栄えある第一号に選ばれたのが、あたしだったりするわけで。
「……進路希望なんかより、今の自分の立ち位置を教えてあげるほうが、よっぽど有意義だと思うんだけどね」
なんて愚痴をこぼしても始まらないので、とりあえず席を立つ。
その、本館の職員室に向かうまでの廊下の途中で。
「ねえ、そこのあなた」
その声が、まさか自分に向けられたものだとは思ってもみなかった。
クラスメイトですらない女史があたしの肩を叩く。その手にはなぜか手帳とペンがあり、初対面なのに威圧的なほど胸を反らせて眉間を険しくする。
はてさて、この女史は一体どなたかな?
「……失礼ですが、どちら様ですか?」
「その前に、先輩から声をかけられたら、すぐに元気よく返事をすること。そんなの常識でしょ、何を考えてるのよ全く」
なるほど、先輩でしたか。
それにしても、あたしが一年生だとよく見抜いたものだ。外見だけで判別できるような制服の仕様ではなかったはずだけど。
「あなた、神崎茜でしょ? 入試をトップの成績で合格した才女だっていうから、どんな女傑かと期待したけれど。これじゃあ大したことないわね。一般的なマナーも守れないなんて、底もたかが知れてるわ」
……才女だか女傑だか知らないが、過度な期待は何事にも禁物である。
というか入試の成績なんて、この人は一体どこから仕入れてきたんだ?
「まあいいわ。今から神崎茜に質問するから、ちゃんと『真実』を答えてね」
「はい」
――んん? ちょっと待て。
女史は手帳から、一枚の写真を取り出した。今朝、あたしが彰に肘打ちした瞬間のもの。
いつの間に、と思った矢先に質問が飛んでくる。
「この男子、あなたの彼氏?」
「いいえ」
「じゃあ、こっちは?」
二枚目の写真は、国雄くんと一緒に並んで登校している最中の写真で。
「いいえ」
「ふうん。その歳でもう男をとっかえひっかえって、最低の女ね、あなたって。――ああ、この中に本命がいるとも限らないか」
だから、ちょっと待ってって。
「あなたはこの男子に好意があるの?」
「はい」
「こっちは?」
「はい」
「どっちも好意があるの? おかしいわね。……もしかして、ニュアンスの問題?」
だから、待てってば!
「一枚目のほうは、男として好き?」
「はい」
「二枚目は?」
「いいえ」
待って待って、お願いほんとに!
「へえ、そういうこと。それじゃあ最後の質問。本命の彼は、あなたに気があると思う?」
あたしは何も答えない。すると女史が露骨に溜息をついた。
「そう、あなたは『わからない』のね。――ああ、だからフラれた時のために保険の男を作ってるってこと? うわ、なんていやらしい……」
あたしも女史も、双方絶句。
はっきり言おう。
質問すると言われてから始まった今までの問答で、あたしは一度も、本当にただの一度も、自分の意思で返事をしていない。
にもかかわらず、あたしはなぜか、きっちり全ての質問に答えている。それ自体がもう得体の知れない奇々怪々で、もはや何が起きたのかわからずに唖然とするばかりだ。
「まあいいわ。質問は以上で終わり。でも天才新入生だからって、あまり自意識過剰にならないでね。悪い奴は一度、痛い目を見ないとわからないらしいから。――明日の掲示板、楽しみにしてるといいわ」
まるで勝ち誇るように吐き捨てて、彼女は口元に笑みを浮かべながら立ち去ろうとする。
……もしかしてもしかしなくても、あたしは今、攻撃されたのか?
あの女史の力、それが『本音で回答させる』能力なのだとしたら。
「ちょ、ちょっと待っ――」
あたしの声を遮るように、朝のチャイムが鳴り響く。
進路希望表を持ったあたしのお先が、いきなり真っ暗に閉ざされた気がした。




